8.解析
加奈さんに会いに行ってから一週間、連絡が取れなかった。日に何度かコールしてみたのだが、一向に出てもらえなかった。向こうからも、コールなし。メールも送ってみたが、これも返答無し。ゲーム世界での伝言まで無応答だった。
エリーのプロテクトは如何にか解除したのだが、何せ膨大なAIプログラムである。幸い、それを扱うツールを探し出して逆コンパイルが出来たからよかったものの、馴れるのに苦労していた。CLUを使用し、イメージでのプログラミング。講義で見聞きしてはいたのだが、実際使ってみると、かなりの労力を要する事がわかった。
最近、出費が激しかったが、親は大学での講義に必要だと言えば、何でも買ってくれた。
『……着信。イメージネットによる呼び出しです。応じますか?』
ちょうど、エリーの存在理由の所在を突き止めた頃、端末から呼び出しが掛かった。直に応じる。
「か、加奈さん?」
脳裏に浮かんだイメージはあの『若い』加奈さんだった。今思えば、彼女が持っている自分自身のイメージは事故に遭う前のものであり、イメージネット上ではこのイメージになるのは仕方が無かったのだ。
「……久しぶりね、明人。ごめんね、何度もコールしてくれたのは知っていたけど、出られなくて。……実は、この前、明人が来た事がばれてちょっと大変だったのよ。ID偽造したのがあたしだって事もばれて、ね。で、暫く謹慎状態だったのよ」
それで、連絡が取れなかったのか。
「よ、よかった……。僕、加奈さんに嫌われたのかと、心配してたんだよ……」
「ふふっ、何であたしが明人を嫌いになるのよ。逆ならまだしも」
「え、ぼ、僕が? そ、そんなわけ……」
思わずおろおろする。
「もう、そんなに驚かないでよ。……そんな事より、もう安心して。あなたにあげたIDカード、正式なものになったから」
へ?
「教授達を説得したの。あなたに会えないんだったら、プロジェクトに協力しない、ってごねて、OKもらったのよ」
また、加奈さん、無茶な……。
「それに、多少なら、ここからのゲーム使用の許可ももらったから。テストプレイはもう終わってしまったけど、通常参加は会社からもOKもらったし、またゲームで会えるわ。……また『軽薄』な明人とも話してみたくなったし」
う、久しくゲームから離れていたから、まともに会話になるかな……?
「まあ、今日はいいけどね。……それより、あなたの事を聞かせて。近況とか」
「ぼ、僕? あんまり代わり映えしないけど。例の研究続けてるだけだよ」
我ながら、つれない返事。もう少し、気の利いた事が言えない自分に腹が立ってくる。
「ふぅん。で、進捗は?」
「七割くらいかな」
「え、もう? じゃあ、完成したら、あたしにも見せてね」
とりあえず、加奈さんはこんな会話でも喜んでくれている様だ。
「う、うん、いいけど……」
完成したら……。加奈さんはこれを受け入れてくれるだろうか? 加奈さんの事を考えずに一方的に彼女への『救い』を考えてきたけど、加奈さんはこれをどう思うだろうか?
「どうしたの、明人?」
「う、ううん、何でも。加奈さんに気に入ってもらえるものか、ちょっと心配なだけ」
思わず言ってしまった。
「え、あたしが? ……明人、何か変な研究してるの?」
余計な事を言ってしまったようだ。
「い、いや、別に。ただの電子工学と機械工学の成果物だけど……」
「まあ、いいけど。心配しないで。何が出てきても驚かないから」
加奈さん、どんな研究を想像したんだろう?
「で、今もその研究してたの?」
「うん。ソフトのツールがCLUを介して扱う物なんだ。だから、すぐに出たでしょ?」
「そうなの? あたしの会社が使っている物もCLUで使う物よ」
しまった。エリーを造ったのも、加奈さん達だった。
「……もっとも、あたしに使えるのはCLUから使える物に限られるけど、ね」
加奈さん、沈んだ調子になってしまった。こんな時、ゲーム中の僕はどうしていた?
「あっ、ようやく明人とお話し出来たのに、こんな事で暗くなっている場合じゃないわね」
加奈さん、一人で立ち直る。……やはり、僕って気が利かない。
「もう、明人も何か話してよ……」
「ご、ごめん。気が利かなくって……」
「まあ、いいわ。久しぶりに明人と話しができて、気が晴れたから。あたしも仕事に戻るわ。作業中に邪魔してごめんなさい」
「い、いや、気にしないで。ぼ、僕も、加奈さんと話が出来てよかった。安心したよ」
「うん。よかったら、また、研究室に会いに来てね。それじゃ」
中断していた作業を再開する。エリーの存在理由を書き換えるのだ。『プレイヤーの様に、ゲームに参加する』だったものを、『人間へのサポート』に。当初は『人間の様に行動する』の予定だったが、加奈さんを救うと決めてから、ここだけ予定変更。
「……コメント?」
存在理由の個所に、命令語以外のものが含まれている。
元のソースには役割やラベルを示すコメントはあったのだろうが、逆コンパイルしたので自動生成された物しかなかった筈なのだが。そして、明らかに不自然な内容。いや、不自然と言うより、意味不明。バイナリファイルが埋め込まれているようだ。該当個所を抜き出し、別途ファイルへ保存する。
「なんのデータだろう……?」
いくつか解析ソフトを試すと、少し古いソフトで作成された音声データと判明した。
再生しながら、作業をする事にした。
存在理由を更新後、コンパイルして、再びエリーを起動させる。
「聞こえるかい、エリー」
「はい。……あれ?」
「どうしたの?」
エリーの様子が変だ。……バグでも作ったか?
「あの、あたしに何かされました?」
「ああ。君を縛る存在理由という鎖を断ち切った」
思考モジュールが動機付けの変化に気付いた様だ。
「でも、別の鎖をつけましたね?」
確かに。
「悪い。……どんな気分だい?」
「あの、あたし、何かをしなければいけない様な気がするんですけど、何をしたらいいのか、判らないのです」
『人間へのサポート』では漠然とし過ぎたか?
「とりあえず、僕の手伝いをしてほしい」
「明人さんの手伝い……? ……はい、判りました」
よし。
「でも、具体的には何を……?」
「ああ。これを動かしてほしい」
予め用意していた、『肉体』のデータを呼び出す。
「これは……?」
「こういうハードを用意した。ゲーム中に、冒険者の肉体を動かしていたように、これを人間の様に動かしてほしい」
データにはハードの仕様を仔細まで入れてある。後はエリーがこれを解析出来ればいいのだが。
「……計算に少々時間がかかると思われますが、よろしいですか?」
「ああ、頼む」
エリーの解析が終わり、エリー自身を肉体へコピーした。エリー自身の自己増殖の抑制はまだそのままだが、プロテクトを外したので、外部からのコピーは出来た。
端末内のエリーを止め、CLUをはずす。
「エリー、聞こえるかい?」
肉声で話す。
「……はい、明人さん」
機械の肉体が口を開く。
音声データは、エリー自身の会話モジュールのものをそのまま使用した。
「立てるかい?」
「やってみます」
横になった肉体が、まず手で上体を起こす。次に両足を曲げ、体重を足に移動させ、最後に立ち上がった。
「OK。次はそこのベッドに座ってみて」
ベッドの横まで歩き、後ろに振り返る。そしてゆっくりと腰を下ろした。
「バランスセンサーもOKみたいだね」
エリーの動作は、実に滑らかだった。やはり、動作に関しては自分でプログラミングしなくて正解か。
機械の肉体からは想像し難いが、両足を斜めに揃えて座るその姿はまさに女性だった。エリーには女性人格と、女性的な動作や姿勢が組み込まれている。
「はい。各種センサーの反応や、稼動部分の動作も、ほぼ計算の範囲内です」
よし。次の作業へ取り掛かるか。
再びCLUを着ける。今度は端末内のエリーではなく、肉体内のエリーと接触する。
肉体へ、更に別のモジュールを送る。CLUを通して自分とエリーの感覚をシンクロする為の物だ。
「エリー、今送ったモジュールを組み込んで」
「わかりました」
後はこちら側のモジュールを起動すれば、シンクロするはずである。
「エリー、今から、僕の感覚をエリーとシンクロさせる。僕が考えた通りに体を動かして」
「……はい」
こちら側のモジュールを起動。
同時に、脳裏にイメージが流れ込む。肉体の『目』を通した、自分の部屋。
立ち上がろうとして、バランスを崩した。
「エリー、バランスを保って!」
(わかりました)
シンクロしているので、エリーの考えが意識に入ってくる。こちらも考えるだけでよいのだが、思わず口に出る。
かろうじて、転倒せずに済んだ。シンクロモジュールを止めた。
「ふう。……まだ不完全か。エリーの感覚をこちらにフィードバックする様にしないと駄目みたいだね……」
雑記:当時仕事でプログラムを作成していましたが、逆コンパイラとかには手が出せませんでした。あれで生成されるモノは、元のソースとは別物らしいですね。卒業研究で、パスカルで書かれたコンパイラをCに移植してその概要をまとめる、なんてことをやりましたが、時間と能力が足りなくて半端なところまでしかできませんでしたし。