7.潜入
二日後、IDカードと、パスワードや施設の図面が書かれたメモ用紙が送られてきた。
一応、白衣も用意したし、これで準備はできた。
しかし、まだ踏ん切りがつかない。
もう一度、加奈さんと話をしてみるか……。
昼食後を狙って、十二時四十五分頃に通話を試みる。
「あれ、明人?」
意外に直に出た。
「こんな時間に珍しいわね。……あれ、届いた?」
普段、ネットに接続するのは夜である。
「う、うん。届いたよ」
「で、決行は何時?」
加奈さんは当然乗り気だ。
「き、今日。な、何時頃がいいかな」
もう、やるしかないのか。
「そうね……。夕方、六時過ぎがいいかな」
「わ、わかった。じゃあ、それくらいに……」
回線を切る。
……さあ、後には引けなくなった。
実際に、大学に足を踏み入れたのは、数える程しかなかった。これで何度目か……。
指定通り、六時過ぎに研究室がある管理塔へ向かう。
物陰でこっそりと白衣を羽織り、正面玄関から堂々と入る。加奈さんの用意したIDカードとパスワードでちゃんと入れた。
加奈さんがいる部屋は八階の一番奥の部屋。
エレベータホールで他の職員とすれ違う。
「あ、お疲れ様です」
向こうは僕の事を本当の職員と思ったらしい。
「お、お疲れ様です」
適当に相づちを打つ。それで、相手は気にせず去った。ひとまず、安堵。
エレベータで八階へ上がる。
加奈さんのいる奥の部屋へ入るには、またIDカードの提示を要求されたが、今度も大丈夫だった。
「加奈さん、入るよ」
部屋へ入る。中は暗かった。
「か、加奈さん?」
加奈さんの姿を探す。だが、誰の姿も見えない。
不意に照明が点いた。
「……来てくれたのね、明人」
加奈さんの声。CLUでの会話のそのままの声だった。大抵、CLUを通した声と、実際の声とは、微妙に違う。それが、イメージネットの最大の欠点。イメージで送る声は、あくまで、自分で聞こえる声。だが、実際には、自分で聞こえる声と、本来の声とは若干違いがある。これが、イメージネット上で、現実とイメージの差となる。だが、加奈さんの声は全く変わらなかった。
明かりが点いた後でも、加奈さんの姿は見えなかった。
「ど、何処にいるんです?」
辺りを見回す。が、部屋の中には誰も座っていない端末と、大きな長方形の機械の箱。
「……あなたの目の前にいるわ……」
また、声だけ。目の前?
「……箱の中を見て」
箱? この機械の箱の中に?
言われるがまま、箱に近づく。よく見ると、上の方に窓の様なものがあった。不安が募る。
その窓を覗き込む。
「……か、加奈さん?」
窓の中に、液体の中でマスクを付けた加奈さんがいた。
「……明人……」
「ど、どうしんたんですか? な、何故、こんな箱の中に?」
状況が把握出来ない。
「……ちょっと、事故でね。生命維持装置なしでは、生きていられないのよ……」
え?
「神経系を破損したのかな。医者はもう少しで回復出来る、って言ってるけど。……ここまで回復するのに、十年以上かかったんだけどね」
十年以上?
「じ、十年以上って? で、でも、加奈さん……?」
大学も出て、今は仕事もしているはず。どうやって?
「全て、イメージネットのおかげ。これで、学校も仕事も全て出来たの。……今のあなたの様に、ね」
……次第に事態が飲み込めてきた。今の加奈さんは、以前の人体実験の様に、イメージネットのみで、外部と接触していたのだ。エリーの事を人体実験の被験者かと疑っていた加奈さん自身が、その被験者だったとは……。いや、事件であった様な実験体ではない。あの事件以来、医療関係では頻繁に使用される様になったらしい。
そして、何故、加奈さんが僕に必要以上に固執したのかも、理解出来た。加奈さんは純粋に、人との接触に飢えていたのだ。ただ、それだけの理由。別に、僕でなくても、誰でもよかったのだろう。
「あ、明人……」
僕の狼狽ぶりからか、加奈さんも動揺した様だった。
僕に救いを求めてきた加奈さん。
こんな姿になっても、会ってくれた加奈さん。
……誰でもよくても、別にいいさ。現実に、僕に救いを求めてきたのだから。
僕はエリーの事を、塔の中の姫君にたとえたけど、現実に、救うべき姫君がここに居た。
「幻滅させちゃったかな、明人……」
僕なんかに気を遣ってそんな事を……。
「そんな事、無い! ……それより、こんな青瓢箪と会ってくれて、ありがとう」
もう一度、窓から加奈さんの顔を覗き込む。イメージより、かなり大人びた印象、って当たり前か。かなりやつれている様に見える。その姿をしっかりと目に焼き付けた。
「そんな、あたしこそ、会ってもらえて、嬉しいわ。こんな処へ潜入させて、ごめんね」
「いや、そんな事は、どうでもいいよ。……それで、加奈さん、回復するまで、あとどれくらいかかるの?」
ちょっと無神経だったかもしれないが、知りたかった。
「……正確には、わからないの。早くてもあと数年は……。全然回復しない可能性もあるし……」
「ご、ごめん……」
やはり、無神経だったか。
「ううん、気にしないで。あたしも、必ずこんな箱からでて、体を動かしたいって思ってる」
この日を境に、僕の作業目的、というか最終目標が変わった。
初めはエリーに肉体を与え、ゲーム世界ではなく、現実世界での生活を経験させてみたかったから、こんな事を始めたのだが。エリーには悪いが、他に救うべき相手がいた。だけど、その為にはエリーのサポートが不可欠だった。CLUによる仮初めの肉体の操作を制御する為に、一からプログラムを組むのはかなりの作業量になる。だが、エリーになら、それが出来るだろう。当初より、それをさせるつもりでいたし。
結果的には、当初の目標を達成しなければ、今度の目標へは行き着かない事になった。
肉体は、外観を除けば、ほぼ出来上がった。
エリーの改造の方が困難だった。まず、プロテクトを解除し、その後存在理由を書き換える必要があった。
雑記:当時、というかもっと以前からでしょうか、生命維持装置や培養液的な物に中にいる女の子という設定は、SF・ファンタジー問わず散見されていました。液体の中で浮いているだけで何にも接続されていない物もよく見ましたが、酸素吸入や栄養補給はともかく、排泄はどうやってるんでしょうねw