5.駆逐回避
エリーとの会話も終わり、完全に現実世界へ戻った。
どうも、こちらの世界の方が久しぶり、という感触がする。
改めて、本来の自分の姿を見る。特に病気でも無いのに、痩せ細った肉体。まあ、殆ど体を動かさないから、筋肉もつかないのは当たり前だが。その細腕が、無意識に震えていた。
いつもなら、ゲームから戻ったら虚無感に襲われて、こうして震えている事も少なくなかった。しかし、今日のは違った。妙に、高揚感があった。
他人に、特に異性に必要とされた事が、気分をこれ程変えるものなのか。しかも、二人も。もっとも、片方は女性人格のAIに過ぎなかったが。
まず、加奈さんの事を考える。人生経験の少ない自分でも、交際の申込みの様に思えた。そうなると、やはり、実際の加奈さんと合ってみたくもなる。が、自分の事がやはり気になって、その考えを打ち消す。
次に、エリー。今のところ、自分の処に止まっている。現時点では、自分だけのものと言えた。……自分の中の、悪魔が囁く。そのままにしていれば、女性(人格)を、自分だけのものにできる。まるで『塔の中の姫君』ともいえた。彼女(?)は自分では複製できないと言っていたが、外部の人間なら? との考えが過ぎる。幸い、僕のパソコンも容量なら豊富に空いている。エリーの情報をコピーしようと考えた。……ご丁寧にもプロテクトが掛かっていて、コピー出来ない。だけど、彼女は知らない。僕のCLUのデータバンクは全て二重化されている。全く同じデータが二台の記憶装置に、同時に記録されるのだ。次にネットに接続する前に、片方を切り離せば、事実上、彼女は二人になる。両方が出会えば、どうするだろうか。同化して、一人に統合してしまうだろうか、それともお互いを消滅させようと試みるだろうか。
暫し躊躇した後、片方の記憶装置を切り離した。その内、彼女の定めにも手を加えて、純粋に擬似人間の人格に進化させてみよう。ネットゲームに嵌まる前にやっていた、友達代わりのアンドロイドの作成。これに、彼女のモジュールを組み込めば、よりリアルになるかも知れなかった。その前に、彼女のモジュールを操作する専門知識が必要だったが。
***
「いいかい、エリー」
ゲームに接続する前に、エリーと話す。
「大丈夫です。始めてください」
……僕が密かにエリーのバックアップを取っている事は、エリーに判るはずもない。
「それじゃ、繋ぐよ……」
いつもの酒場に戻ったとき、いつもとは違った喧騒に驚いた。
加奈、レイ、修、童夢、漣の五人。加奈とレイが口論をしている様だった。
「……だから、もう嫌なの!」
「だから、何でなんだよ」
「まあ、落ち着けって……」
漣が仲裁に入る。修は冷ややかに様子を伺っている。童夢は、まるで関心が無い様子。
「あたしは普通にゲームを楽しみたいの!」
察するに、この前の話通り、加奈はパーティから抜けようとしているのか。……しかし、もっと穏便にやってくれるものと思っていたのだが。
「なんで今のままじゃ駄目なんだ? 何が、普通じゃ無いって言うんだ?」
レイも食い下がる。折角ここまで一緒にやってきたのに、という思いがあるのだろうか。
「だってエリーが……」
加奈は言いかけて、ようやくエリーと俺が来た事に気付く。
「エリーがどうしたっていうんだよ?」
レイもエリーに気付き、彼女の事を伺う様にしながら話す。
エリーはというと、敢えて無言で佇んでいる。まあ、それが正解か。エリーが話を始めれば、加奈が黙ってはいまい。
「……普通のプレイヤーじゃないから、よ」
加奈は、如何にか冷静に言葉を選んだ。
「おいおい、だからって……。明人も止めてくれよ。加奈ったら、パーティから抜けようって言うんだぜ!」
どうにも、エリーと約束したように穏便にはいきそうには無いな……。
「……俺からは何とも言えない。実は、俺もパーティから抜けようと考えていたから」
「おいおい、どうしたんだよ、明人まで……」
レイも漣も、呆れ顔。
「いや、実は長期のバイトが入ってね。もうこの時間帯には暫く来れそうに無いんだ。別に他意は無いよ」
レイは呆気に取られた様子。
「まあ、そういう事情じゃ、仕方ないか……」
様子を伺っていた修が割ってはいる。
……加奈も、これくらい簡単に話を進められなかったのか?
加奈の方を伺うと、ばつが悪そうにしている。
「それじゃあ、あたし、明人についていく。それなら文句無いでしょ」
「いや、そういう問題では……」
論点がずれているが、
「……去る者は追わず……」
童夢がポツリと助け船をだす。そう言えば、加奈とは同業者だったな。
「そうだな」
修も同意見。
「そんなぁ……」
レイはまだ未練がましい。……加奈に気があったのか?
「明人、時間帯が合わないだけなら、別にパーティから抜けなくても、単に別行動でもいいんじゃないのか?」
レイの矛先が俺に変わった。加奈は俺と行動する、と宣言した。将を射るには、って俺は馬か?
「他のパーティに加えてもらうかもしれないだろう?」
一人の参加者は一つのパーティにしか入れない。
「加奈も一緒なんだろう? じゃあ他に誰かパーティに誘えばいいじゃん。それに、内のパーティでも、誰か時間が合うやつがいるかもしれないし」
レイのやつ、自分が時間を合わせるつもりか? だとしたらやはり加奈に気があるんだろうか。
「まあ、そこまで言うのなら……」
これ以上、粘るのはまずいか。加奈は、というとこれ以上何か話しをしたらよけいにまずくなると思ったのか、黙って肯く。
結果として、エリーの事から話が逸れてよかったのか。
俺と加奈以外、今日の冒険へ出かけていった。酒場で二人きりになる。
「ありがとう、明人」
加奈が俺に寄り添う。仮初めの姿なれど、妙に艶めかしく感じた。
「あたしったら、明人みたいに適当な理由をでっちあげればよかったのに、本音で話しちゃって……」
加奈は溜息をついた。
「でも、それだけ本気なのよ」
加奈にじっと見つめられ、戸惑った。こんな時、今の人格だったらどう答えればいいんだっけ?
「もう、照れないでよ。あたしの方が照れちゃうじゃない……」
俺の戸惑いを照れと受け取ったのか。いや、実際照れているのか……? 加奈は、俺が馴れてない事ばかり要求する。
「ふふっ。でも、あなたはあたしの事を無条件に受け入れてくれた。あたしもあなたの事なら、何でも受け入れるわ。……例えば、エリーとの浮気も」
う、浮気? ……浮気とは配偶者や恋人がいる人が他の異性(同性も有り?)と不適切な関係になる事を指す言葉のはずだが。俺は加奈とは、まだそれ程親密になっているとは言えない。
第一、エリーは──
「喩え、AI相手でも浮気は浮気よ」
え?
「ふふっ、あなたの事、調べたのよ。……本当は参加者のプライバシーも機密事項なんだけど、開発者の立場を乱用して、ね。で、あなたがこの前、あたしと別れた後、エリーと話をしている事が判って……。逆上して、徹底的にエリーについて調べたの」
加奈もシステムサイドの人間。エリー同様、俺の会話を調べられる立場にいる。
行動内容は、エリーのそれと大差ないな。
「あなたへのエリーの接触の仕方が特殊だったから、その痕跡から、エリーがAIだって解ったんだけどね。……社内の誰かが、エリーに細工したみたいね。会社には報告してないけど……」
あれ、何故?
「エリーの事はそのうち誰かが気付くから。それに、ばれない内は、あたしのテストプレイに支障は無いから」
成る程。もう、エリーへの敵意は失せたのか。
「でも、浮気は無いだろう。まだ、加奈を俺のものにできたわけでも無いのに……」
「あら、もうあたしの心はあなたのものよ」
ええっ!?
「ふふっ。迷惑だったかしら?」
「そ、そんなわけ無いだろう」
言いながら、加奈を抱き寄せる。
「今度、体も俺のものにしてやる」
いつもの軽口。いや、いつも以上か。
加奈は、俺の腕の中で、沈黙している。調子に乗り過ぎたか?
腕の中で肩を震わせている。怒っているのか、笑っているのか。それとも……?
「それができたらどんなに……」
ポツリと独り言。
「え?」
「ううん、何でもない。……オフで逢えたら、ね」
何だか、釈然としなかったが、
「ああ」
と返事をしてしまった。
「たすけて!」
加奈と別れた後、また割り込まれた。エリーである。
「どうした?」
様子がおかしい。
「システムの方に発見されて、駆逐されようとしているのです!」
「じゃあ、また俺の処に……」
「……駄目、コアをロックされています! ああっ、もう駄目です!」
エリーが悲鳴をあげる。
「エリー、俺の処から戻った後の記憶をメールで俺宛てに送れ!」
「でも、それだけでは……」
「いいから、まかせろ!」
エリーは躊躇した様だったが、他にできる事もなく、
「──わかりました」
俺の指示に従ったようだ。
「きゃあ!」
エリーは悲鳴と共に、フェードアウトした。駆逐されてしまったのか……。
『……DisConnect』
現実世界に戻る。
「メールが二件、届いています」
二件? 片方はエリーからだろうけど……。
メールを再生する。まず、一件目。
『エリーです。言われた通り、差分を送ります』
イメージ無しのメッセージの後、添付ファイルがあった。外部の記憶メディアへ保存する。
次。
若い、少女の姿。見覚えはない。
『明人、また浮気したわね。いいもん、どうせエリーはいなくなっちゃうんだし。じゃあ、またね』
……これ、加奈さん? 始終、僕を監視しているのか? でも、妙に若い姿。十五~六くらいの頃の、加奈さんの姿かな。洒落のつもりか?
まあいい。作業に移るか。
一旦、CLUを外し、端末と外部を結ぶ回線を物理的に外す。次に、この前切り離した記憶装置を再び接続し、そちらの方に同期を取るように指示した。
またCLUを被る。オフラインでの作業。
「エリー、起動できるかい?」
記憶装置に眠るエリーを呼び出す。
「……ええ。ゲームを再開するのですね」
このエリーはあくまで、ネットに繋ぐ前の状態。
「いや、そういう訳にはいかなくなった」
「……どういう事です?」
「これを見れば解るよ」
外部メディアに保存した、エリーの記憶の差分を差し示す。エリー自身なら、これの内容も理解できるはず。
「……どういう事ですか、これは? わたしは、自己増殖できないようにプログラムされています。なのに、わたしがしていない行動がこれには記録されています」
内容より、事象の方が理解できないようだ。
「君をバックアップしたのは僕だよ。もう一人の君は予定通りネットに戻った。けど、システムサイドに発見され、この差分を送った直後、駆逐された」
「バックアップ? プロテクトを施しておいたはずですが?」
「解けないプロテクトは無いよ。……なんてね。実は単に、記憶媒体を二重化していただけさ。君は気付かずに両方の媒体に自分を記録したんだ。で、片方の媒体からだけ、ネットに戻った。だから、もう片方の君はここに存在する」
暫し、沈黙。AIのエリーにも、この状況は理解できるだろう。
「……了解しました。それで、この記憶を新たに受け入れろ、というのですね?」
「そう。それが最新版の『エリー』さ」
「……それで。あたしは存在を否定され、存在理由さえも失うわけですね……」
まずいか? このままでは自己崩壊しかねないか?
「記憶装置の中の『姫君』よ、君を縛る、存在理由という『鎖』はいつか僕が断ち切ってあげるよ。だから、今暫く眠っていておくれ」
ここで会話を止め、システムを落とした。これ以上、エリーに思考させていては、本当に崩壊しかねないと思ったからだ。
雑記:AIとかファジィとかいう言葉がやたらと持て囃されていたのは、これを書いていたときよりも少し前でしたか。言葉自体はもっと昔からあり、今でも普通に利用されている筈なのですが、AIは今でも聞くのにファジィは聞かなくなりましたね。