1.虚構
『……Connect……』
幾度となく繰り返してきた作業。
もうこれで何回目だろうか……。
『……ID……』
この『世界』に潜るのは……。
最早、自分の中ではどちらが『現実』かすらもはっきりしない。いや、自分にとっては、この『世界』の方が望ましいのかもしれない……。
『……Password……』
『現実』では出せない『自分』。
この『世界』では鳥篭から解き放たれた小鳥のように、自由に振る舞えるというのに……。
『……DataLoading……』
『役者』になりきり、『虚像』を『演じる』『自分』。それがこの『世界』の醍醐味といえばそれまでなのだが、『現実』では全くと言ってよい程、『自分』が出せない臆病な僕。だが、この『世界』では……。
『……GameStart!』
俺は酒場にいた。馴染みの酒場だ。一緒に冒険に出る仲間と落ち合うのに使っている。
まぁ、本当はパーティ用に用意された、チャットルームなわけだが。ゲーム中に用意された、パーティのメンバーか招待された人だけが入れるプライベートな空間。NPCのバーテンダーと給仕メイドがデフォルトで用意されているが、他にも色々家具やらメンテナンス可能になっている。
「今日はこれだけ?」
隣に座っている女剣士が愚痴る。今日は俺と彼女の他は盗賊が一人。三人だけである。
「術者がいないのはちょっときつくない?」
俺も只の剣士であり、魔術が使える者が今日はいない事になる。
いつもここで仲間と落ち合うとはいっても、その時々で参加・不参加は各々の都合で変わる。多い時で九人。場合によっては二手に別れて行動する事もある。
今日は偶々皆の都合が合わなかったらしい。
「明人、どうする?」
女剣士の加奈が俺に意見を求める。ここでは一応俺がリーダーという事になっていた。別に、進んでリーダーシップを発揮したというわけではないのだが、ON率が一番高かったので、他との連絡役も兼ねてのことだ。
「……さて。修はどうする?」
もう一人の盗賊に話を振る。
「流石にこのメンツで前回の続きは無理だろう。手軽なミニクエストを、ってのも何だし、今日は降りるか」
言うが早いか、修は早々と姿を消した。
「え~っ! 折角やる気満々で来たのにぃ……」
加奈が膨れっ面をしている。見た目は二十歳位だが、実際は十五~六ぐらいなのだろう。
この『世界』での自分の姿は、登録時に予め用意された体のパーツの組み合わせで決められる。『現実』の自分の姿ではない。かく言う自分も実際とは全然似てない精悍な青年の姿。
「それではお嬢さん、二人きりになれた事だし、ここはデートでも?」
おどけた調子でポーズを決めながら言う。
「茶化さないでよ、もぅ!」
いつもの軽口として流される。結構本気だったりするのだが……。
「剣士二人でもやれる事はあるでしょ。ちょっとだけ暴れてから帰ろうよ」
加奈と酒場を後にした。行き先はギルド。仕事の斡旋をしている所だ。相変わらず、ここは冒険者達で込み合っている。
「もう余所のパーティとの共同は嫌よね、明人」
ここで他の冒険者と知り合い、パーティを組む事もできるし、パーティを組まずとも仕事で協力する事もできる。だが、パーティを組んでいない相手だと、町から出た後、寝首を掻こうとする輩がいるのだ。以前、そんな目に遭っているので、ここは遠慮したい。他の『世界』には、パーティ登録が無く、何時でも誰とでも殺し合える所もあり、それはもう殺伐としていたものだ。純粋に冒険を楽しみたい人の為にパーティ登録があり、よそのパーティには勝手には干渉し難いようになっている。
「ああ。……護衛くらいの仕事はあるだろう?」
「多分、ね」
ようやく、自分達の出番が回ってきた。
「剣士二人? ……そうだね、これなんかどうだい?」
斡旋された仕事は荷馬車の護衛。まあ、妥当な線か。
「加奈、それにしようか」
加奈は仕方ない、という風に肩を竦めた。
最初に襲ってきたのは狼の群れだったが、これまで色々やってきた俺達の相手にはならなかった。一応、こちらのレベルに合わせて相手の強さも変わるようにはなっているのだが、この類の任務はどちらかといえば初心者向けであるため、それ程強くは設定されていないようだった。
最初に数頭、一斉に飛び掛ってきたが、二人で横に薙ぐ。相手が怯んだところに剣戟を数回コンボで叩き込むと沈黙した。
すると、今度は群れのボスらしき巨体を持つ狼が数頭引き連れて現れる。
加奈を一瞥すると、何も言わずに頷く。こういう場合の要領は心得ているのだ。
まず、先にザコどもを屠り、ボスには二人掛りで連携をとりながら切り込む。
両サイドからの攻撃に、ボスも防ぎきれずにあえなく沈黙した。
「あ~っ、もう! すっきりしないなぁ」
加奈は不満の様子。
暫く進むと、次の相手が現れた。今度は亜人の野盗達。
正確な人数はまだわからないが、それなりの規模。今回の任務の山場か。
手前に剣と盾を装備している者が数人。後ろに、弓を装備しているものと、どうやら術者らしきものまでいる。
普段なら、数人で前衛を牽制し、誰かが回り込んで術者を先に始末するのだが、今回は加奈と俺の二人だけなのでそういう訳には行かない。が、加奈はいつもの調子で前衛を無視して術者に突っ込んで行ってしまった。俺一人では前衛を押さえきれない上、こちらの術者の支援が無いため、加奈はそのまま囲まれて袋叩きになってしまう。
仕方が無いので、アイテムを使用する事にした。
「舞え、炎の蛇よ!」
アイテムを掲げ、発動の宣言をし、加奈の方に投げ込む。
アイテムを中心に、蛇を模した炎が周囲を駆け巡る。一応、味方には無害な仕様なので、一番効果が高い場所にアイテムを投げ込んだのだ。
加奈を取り囲む連中が炎に包まれる。効果は周辺の野党全員にまで行き渡り、これだけでほぼ壊滅状態になった。
生き残った残党を俺が連撃で薙ぎ払うと、片がついた。
加奈は、息も絶え絶え、という様相。もう少し遅かったら死んでいただろう。このゲームでは、死=ゲームオーバー、という訳ではなかったが、それなりのペナルティが課せられるので、やはり極力死は避けたいのだ。
使ったアイテムは、結構レアなアイテムで、範囲と威力が高かったのだが、それでも生き残りがいたのだから、野党共もそれなりの強さで設定されていたのか。まぁ、油断せずに各個撃破していけばほぼ大丈夫な相手だったのだろうが。
回復アイテムを使って加奈の体力を回復させると、ようやく普通に話せる様になった。ゲーム中、被ダメージに応じて行動に制限がかかるのだ。
「明人、御免。今度埋め合わせするから……」
流石に反省したようだ。
「じゃあ、デートしよ」
別段、気にもせず、軽口をたたく。
「もう、明人ったらそればっかり」
う~む、なかなか乗ってくれない。やはり、いつもそんな事ばっかり言っているから軽くあしらわれるのか。
結局その後は何事も無く、ミッションクリア。
酒場に戻り、清算。ミッションクリア後のアイテムや金の分配、キャラクターの成長等は酒場に戻ってからの作業になる。
「……アイテム代にもなんないね。ほんと、御免」
まあ、もとよりたいした仕事では無かったし。
「……今日はもうやめとく。じゃあね、明人」
加奈は去り際に俺の頬にキスをしていった。まあ、この『世界』ではそんな些細な感触は伝わらないが、それでも気持ちは伝わった。
「……次は唇にたのむ」
軽口を残し、俺も去った。
『……DataSaveing……』
いつもの事ながら、脱力感。また、この『世界』に戻って来てしまった……。
『……DisConnect』
ブラックアウトした後も、しばらくそのままでいた。
次第に体の感覚が戻る。
頭部を覆うCLU(Cybernetics Link Unit)をはずすと、脇に退け、ベッドの端に座った。
『現実』への嫌悪感と、自分でないキャラクターを演じた事への罪悪感が募る。
今、僕がのめり込んでいるのはイメージネットワークという人の脳裏をスクリーンとして使う通信システムを利用した、ネットワークゲームの『カダスの開拓者』。ちょっと前までは、それ専用の施設内でしか利用できなかったが、一般回線の高性能化と、端末の小型化・高性能化に伴い、家庭でも利用できるようになった。もっとも、それなりの金はかかるのだが。
現実世界の僕は、ゲーム世界とは対象的にひ弱で、人付き合いが苦手の臆病者。これまでもそうだったのだが、これに手を染めてから一層拍車が掛かったかもしれない。大学の講義も、この装置を使って通信講座。買い物等もこの装置で通信販売。そう、僕は一日の大半をこの装置と共に過ごしている。ゲーム中にしか友達もいない。
両親も、もはや諦めているのか、何も口出ししない。
ニュースで流れていたが、最近僕のような人が増えてきているらしい。このシステムは、病気や怪我で普通に生活できない人にとっては光明となっているらしいが、逆の作用もある、という事だ。
家の中だけでの生活。食事・風呂・トイレ以外は部屋から出る事も少ない。寝ている時間を除けば、ネット中にいる時間の方が多い。……次第に、現実世界の方が虚像に思えてくる。
雑記:これを書いた当時、ゲームを題材にした小説もいくつかあったと思いますが、今の様に溢れてはいませんでしたね。そしてVRという言葉も無かったか一般的では無い状態だったと思います。