File.1-2 「狂気の病巣(インサニティ・ニーダス)」
◇◇◇
鈴音 花音が吉柳 タクトと出会った日の夜、山奥にある羽鳥 大丸の別荘には無数の銃を持った男達が周囲を見張っていた。
そして、そこから1.5キロ程離れた木の上でタクトと銃鬼が屋敷の様子を見ている。
タクトは全身黒装備。黒のモッズコートに黒のソフトハット、黒のスラックス。
完全に周囲の暗闇と同化している。
銃鬼の方は探偵事務所にいた時と変わらない赤色のパーカー、デニムのジーンズ。そして、例の笑顔の仮面。
銃鬼は双眼鏡でその別荘の状態を見て言った。
「なるほど、周囲一体は見張りがついていて何かあってもすぐに対処できるといった感じですか。
それにあの装備を見る限り、生半可なヤクザやマフィアと言った感じでは無さそうですね。
どちらかと言うと国際的なテロ組織ですかね?
まあ、あの人のPCには色んな組織との取引履歴がありましたけど」
「どのみち、そう言った奴等がいるってことは羽鳥 大丸もあの中にいるってことだろ。だったら奇襲しかけときゃ良いだろ。
それじゃ早速行動に移るぞ」
タクトの呼び掛けに対し銃鬼は短く「了解」と返事をする。
◇◇◇
羽鳥大丸の屋敷はとても広く、部屋も数多くある。しかし、外から見える部屋に明かりのついてる部屋はない。
羽鳥大丸とテロ組織の取引の場所は地下にあるとても巨大な部屋だった。部屋全体が白い、無機質な壁の部屋。そして部屋の奥に台座がある。
その台座の上には肥満体型の中年の男がどっしりと偉そうに座っている。
手入れをしていないと思われる程だらしなく伸びた白髪。老眼鏡と思しき大きな眼鏡。口の周りに生えた無精髭。白衣は見るからにその肥満体型には合ってないくらいキツそうである。
この男が羽鳥大丸である。
羽鳥 大丸とテロ組織の幹部らしき外国人が向き合って座り話し合っていた。
「羽鳥 大丸。この度は私達にこの脅威的なウィルスを売ってくれたことを心より感謝します」
幹部の男が実に流暢な日本語で話す。
「気にするな。ワシとしても何か大きな実験をしてみたかったところだ。
この新しいウィルスはワシの自信作であるからな」
大丸は機嫌良さげに話す。
「それに、最近良いこともあったしな」
幹部の男がその言葉に興味を持ち詳しく聞こうとしたがその前に正面入り口がぶち破られた。
何が起こったかわからず慌てる幹部の男であったが大丸は落ち着いていた。
その顔には奇妙な笑みが浮かんでいる。
そして、土埃とドアが破壊された勢いで舞った埃の中から二人の人影が出てきた。タクトと銃鬼だ。
「貴様ら何者だ! 我々の取引を邪魔しておいてただで帰れると思うなよ」
その言葉と同時に他の部屋から数多くのテロ組織の一員達が出てきた。護衛役から見張りまでほぼ全員と言った所だろうか。
それを見てタクトは肩を竦め、首を横に振る。そして余裕たっぷりの笑みと皮肉口調で言った。
「やれやれ、確かにあんたらにとって子供相手なら簡単に殺せると思ってんだろうな。
あぁー怖い怖い。だけどただの子供だったらの話だけどな。銃鬼、コイツらは生かしとくべきか?」
タクトの問い掛けに対し、銃鬼は首を少し傾げて考える素振りをした後、言った。
「まぁ、今回の依頼とは何ら関係ない人間ですがとりあえず裏の人間ですし『半殺し』ってところでいいですかね?」
「OK。じゃあ雑魚は任せた」
その言葉と同時に銃鬼はそのテロリストの集団の中に駆けて行く。
それを見てテロリスト達もまた攻撃を開始した。
◇◇◇
銃鬼は雨霰の様に撃たれる無数の弾丸の中をその身に一発も当たらずに躱しながら駆けていく。
「くそ! すばしっこい奴だ」
「取り囲んで撃ちまくれ!」
テロリスト達は銃弾を取り囲み銃を乱射した。
無数の弾丸が銃鬼に当たった様に見られた。
舞い上がった土煙が銃鬼を包み込む。
「どうだ! ざまぁみろ!」
立ち込む土煙の中から銃鬼が飛び出した。
「何!? 何故生きてる!?」
銃鬼は空中を華麗に舞い、テロリストの一人の顔を踏み台にして着地すると
「やれやれ、これだから野蛮でバカな連中との戦いは嫌いなんだ。
さて、あんたら容赦なく撃つってことは覚悟は出来てるってことだよな」
と不敵な笑みで問いかけた。と言っても仮面の上からでは確認出来ないが。
すると銃鬼の右腕が黒い霧か煙のようなモノに覆われていく。
それを見て、テロリスト達は
「何かヤバそうだぞ」
「撃て、撃ちまくれ!」
何かよからぬ気配を感じ取ったのかまた銃鬼に向け乱射する。
しかし今度聞こえたのは金属に銃弾が当たった音だった。
「ゲホッゲホッ! まったく、また埃舞わせやがって。ってか一回避けられてんだから二回目も通用するわけねぇだろ」
土煙の中から銃鬼が咳き込みながら出てくる。
しかし明らかにその両腕は異形の物となっていた。
左腕は機械的な義手のようなモノとなり、さらにそれは銃の形に変形していた。
そして右腕。こちらは皮膚が硬質化したものなのかそれともただ鎧のようなものを着けただけなのかわからないが、本当に異形のモノとなっている。
腕全体はその鎧のようなモノで覆われ、拳の部分はライオンの顎の形の様になっていた。
「この化け物が!」
テロリスト達はそう言って三度銃を乱射した。
「だーかーらー、何回撃ってきても無意味だって言ってるだろうが!」
銃鬼はそう言うと銃による攻撃を全てその右腕で防ぎ、そのまま銃に変形した左腕でテロリスト達の手を撃っていく。
◇◇◇
タクトが大丸の所に来ると、テロ組織の幹部の男が
「貴様ら、ふざけるのもいい加減にしろよ。
私は剣道を極めた。
貴様を私の剣術で切り刻んでやろう」
そう言って日本刀を取り出すとタクトに斬りかかった。
タクトは余裕な感じで刀を左腕で弾くと右腕で男をぶん殴る。
男は宙を舞い、大丸の横を通って後ろの壁にぶつかって気絶した。
「ふぅ、さてと。邪魔でうるさいやつは黙らせた。次はお前だぜ、羽鳥大丸」
タクトは得意げな笑みを浮かべ大丸を指差す。
それを見て、大丸は急に
「フフフ、グフハハ、ガハハハ!」
と笑い始めた。
そしてタクトを嘲笑するように話す。
「残念だったな。鈴音から依頼を受けたガキよ。もう既に決着はついた」
その言葉を聞き不思議に思うタクト。
しかしその理由は身をもって知ることとなる。
突如、タクトの全身に鋭い痛みが走ったかと思った矢先、タクトの体のあちこちに肉腫が出来てきた。
大丸はその先の光景の事を知っているため見るまでもないと言わんばかりにタクトに背を向けた。
そして、肉腫はどんどん肥大化しタクトの体は嫌な破裂音と共に破裂した。
「いやいや、正確には破裂もしてねぇし、肉腫もそんなに大きくなってねぇっての」
そんな風に余裕な感じのタクトの声がしたので思わず大丸は振り返る。
そこにいたのはまるで何もなかったかの様に全身無傷の吉柳タクトの姿だった。
「な、何だと……。何故だ! 私の変異型ウィルス『狂気』はほぼ完成されているのだぞ! ただの人間が投与されれば」
「『1分も経たないうちに体が破裂して死ぬ』だろ?」
大丸の言葉の先を読んだかの様にタクトは続きを遮った。
そして、余裕の笑みを浮かべた状態で次はタクトが説明を始める。
「あんたについての依頼を受けたんだ。
あらかたの事前調査位、真面目に仕事する人間にとっては基本中の基本だろうが。
うちには優秀なハッカーが居てな、あんたの実験に関するデータもあんたについても何でも知ってるぜ。
さぁ、どうする? あんたに勝機は見えねぇんじゃねぇか」
タクトの問い掛けに対し大丸は
「そうだな。確かに私に勝機は見えないかもしれないな。ただし、今の状況のままではの話だがな!」
すると大丸の後ろの床から巨大なカプセルのような物が飛び出してきた。
そしてタクトはその中身を見て衝撃を受ける。
中にいたのは花音だった。だが、その表情はとても苦しげで息も荒い。よく見てみると体のあちこちが傷だらけでギリギリ生きてると言えるような有様だ。
「て、てめぇ……」
タクトは大丸を思い切り睨みつけるが大丸は余裕の笑みを浮かべたまま語り出す。
「この娘は実に素晴らしい。私がいくらウィルスを投与しようと少しの間症状が出るだけですぐに完治してしまうのだからな。
この娘の回復力や免疫では対処しきれない、即ち、この娘を完全に『殺す』ことが出来れば私は、完全な殺人ウィルスを完成させることができる!」
「てめぇ、神にでもなりたいのか?」
タクトは依然として大丸に対する殺意を抑えずに質問する。
「まだ立場が理解出来てないのか? 貴様。私を殺そうとすればこの娘を殺すことになるぞ。
この娘に投与したウィルスは全て私の生み出したモノなのだからな。ワクチンを持つのは私だけだ。
それに、私は何も神になりたい訳ではない。そもそも私は神に選ばれた存在だ。神に選ばれ、この力を手にした」
そう言うと大丸は右手を軽く挙げた。
すると幻覚なのか大丸の手からヘドロの様な物が溢れ出し、それが大丸の横に集まり一つの異形の化物の形を成した。
「私はこれを『狂気の病巣』と呼んでいるよ。この力を使い、私は私をバカにした愚か者共に復讐してやるのだ!」
大丸が得意気に大声でそう話し終えてもタクトは黙って下を向いている。
「どうした? 今更依頼を受けた事に後悔してるのか? だったらそれはもう手遅れというものだ。
貴様らもこのままここで私のウィルスの餌食となってもらうからな」
大丸の言葉を聞いても依然として何も言わないタクト。
すると、カプセルの中にいた花音が目を覚まし、苦しそうな表情のままタクトを見て言った。
「タクトさん。私の依頼の事はもう良いですから逃げてください」
タクトは俯いていた顔をゆっくりと上げ話す。
「悪いな、鈴音さん。そのお願いはちょっと聞けないな。
俺は依頼人は絶対に見捨てない主義なんでね」
そして大丸の事を睨みつけ、続ける。
「それに、コイツがクソくだらねぇ計画やら力のことやらを話してくれてたお陰で準備はできた」
「フン! 一体何の準備が整ったと言うのだ。死ぬ心の準備か?」
タクトの言葉に対し、余裕の笑みを浮かべたまま大丸は話す。
「私にはこの神から授かった力がある。この力を持っている限り、そしてこの娘がいる限り、お前に勝ち目など無いのだよ!」
大丸の言葉に対し、タクトは右手の人差し指をぴん、と立てる。そして皮肉った笑みを浮かべると話す。
「一つ、勘違いをしてるぜ? 羽鳥大丸。お前の扱うその力は神から与えられた物ではない。それは悪魔に魂を売っただけだよ」
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味さ。それに俺がした準備ってのは俺が死ぬ心の準備じゃない。お前を倒す――いや、『殺す』準備さ」
タクトが話し終えるとほぼ同時にタクトの身体にも銃鬼の様な異変が起こった。
左腕が徐々に黒い闇の色に染まっていく。赤と黒の輝線がその腕を伝い、タクトの顔の左半分に現れる。そしてタクトの目があの暗い闇の黒色から鮮血の様な赤へと変わった。
その姿を一言で言い表すのならまさに
「悪魔……」
花音は思わず呟く。
しかし、それでも大丸は余裕の表情を消すことなく話す。
「いやはや、意外だったな。まさか貴様も能力者だったとはな。
確かに、貴様のその姿は悪魔そのものだ。
だが、そんな見るからに近接戦闘しか得意としないような力で私を倒すことが出来るというのか?
甚だ疑問なのだがな」
大丸の言葉に対しタクトはその場に立ったまま話す。
「安心しろよ、羽鳥大丸。お前を倒すことなら問題ない。お前の言葉を借りて言うなら、『もう既に決着はついた』。鈴音さんも返してもらうぜ」
話し終えるが早いか、タクトは既に花音の入っているカプセルを傍らに置き、中から花音を出していた。
大丸はその事に一瞬、驚きを隠せなかった。
しかし、すぐにそんな事は忘れる事となる。
突如、大丸の全身に鋭い痛みが走り、あちこちに肉腫が徐々にでき始めた。
「な、何だと!? 何故だ! なぜ私に『狂気』による症状が出ている。
まさかその娘を助けた間の一瞬で私にウィルスを投与したというのか!?」
大丸の問い掛けに対し、タクトは少し上を見て考えるような素振りをした後、
「まぁ、あらかたそんなところだな。さあ、どうする? 早く何とかしねえと全身が破裂して死ぬぜ。 あぁそれと、ワクチンを打っても意味無いって言うか、むしろやめといた方がいいと思うぜ」
しかしそんな言葉は聞くわけがないと言わんばかりの勢いで、大丸は胸の内ポケットからワクチンの入った注射器を取り出し、迷わずそれを自分の腕に突き刺す。
だがタクトの言った通り、この行為は止めておくべきだった。
大丸の全身を先程とは比べ物にならないくらいの痛みが襲った。
「ぐおぉあぁぁ! 何だ! 全身が焼けるように熱い! 手足がもげそうだあぁぁ!」
突如全身を襲った痛みに苦しみ、のたうち回る大丸。
それを見ながらタクトは冷静に話す。
「そりゃあそうだろ。お前が作ったウィルスに俺が細工をして全く別のウィルスとしてお前に投与したんだからよ。その細工ってのは至極簡単にしてわかりやすいぜ。『お前が前に作っていたウィルスのワクチンを取り込み、症状をより悪化させる』っていう簡単な細工だよ」
「何……だと。そんなこと可能なはずがない。私の能力で生み出したウィルスだぞ! そう簡単に別のウィルスに変えることなど――」
「でも、実際お前は今それで苦しんでいる」
タクトは変わらず冷静に大丸の言葉を遮った。
「た、頼む……。頼むから助けてくれ。
金ならいくらでも出す。警察にも自首する。その娘の父親の無実も証明する。
何でもするから、だから助けてくれ」
大丸は苦悶の表情を浮かべたままタクトの方を見て、まるで懺悔のように必死に懇願する。
しかしタクトは冷ややかな眼差しで大丸を見下す。
そして花音の入っていたカプセルを大丸に投げつけ、中に閉じ込めた。
「そんな、やめてくれ! 頼む! 助けてくれ。私は死にたくない!」
身体中の肉腫が肥大化し、もはや下半身はカプセルの中で詰まっている状態となり、大丸は絶望的な表情で必死にタクトに懇願する。
それに対しタクトの答えは
「お前は、いままでそうやって命乞いする人たちを殺して来たんだろ。お前がすべき事は懺悔でも、命乞いでもない――」
その時のタクトの顔を多分花音は忘れる事が出来ないだろう。
タクトはまさにその目線だけで人を殺せるような冷たく鋭い眼差しで大丸を睨み、吐き捨てるかの様に言った。
「――その命をもって罪を償うことだ――」
大丸は言葉にならない叫びをあげる。
そして奇妙な破裂音がし、透明なカプセルが真っ赤に染まった。
暫く、花音とタクトの間には静寂が続いた。
不意に、タクトが話す。
「ごめんな、鈴音さん。何も関係の無い君を巻き込んじまった。
怖い思いをさせて、苦しい目に遭わせて本当にすまないと思っている」
タクトは右腕でとても力強く、しかしとても優しく包み込む様に花音の体を抱き寄せたまま話した。
「もう大丈夫だ。だからもう安心しておやすみ」
そして花音の頭を左腕で――あの悪魔の様な腕で――優しく撫でる。
その見た目からは想像のできない優しい感触が花音の頭に当たった。
すると、花音の意識は徐々に遠くなっていき、眠りに落ちていく。
遠のく意識の中、花音が最後に見たのはタクトのとても優しげな目だった。