ノンペル『3』
色々と準備というわけで、何かと動き出した。
ノンペルは街中を跳び回り駆けまわることになるからそのための身体づくりが必要とのこと。
時と場合によっては凶悪な犯罪者に立ち向かうこともあるかもしれないのでパンチの撃ち方を学んで来い、そのための一環としての身体づくりだとのこと。
パンチの撃ち方って、こう見えても平和主義を基に今まで人生を歩んできたんだ。
いきなり喧嘩の仕方を覚えろと言われたって正直不本意にもほどがある。
喧嘩をしたことが無いというわけではない。
がっぷりよつに組みあって殴り合ったことだって一応あるさ。
男なら殴り合いの喧嘩の一つも二十三年間の人生の中にはあるが平和主義だ。
だけど望みもしない体力トレーニングをしてこいと言われたのだけど、
「アナタが相手って、何かの冗談ですよねゼルゥさん」
「さん付けするなと言っているだろうドサンピンのヒモ野郎」
今から研究者と殴り合います。
「ちょ、誰がヒモだ! 第一アンタと組み手をしてもらうって言われたけど、ゼルゥさんは喧嘩する人種何ですか? 拳で語る研究者何ですかぁ?」
「そうだ。こう見えてCQCの一つエイリアン・コマンドを習得している。お前は体力に自信はあるか?」
「俺もこう見えて力はある方なんですよ。握力は70弱あるんですよ」
これでも学生時代は陸上部で活躍していたんだ。
基礎体力ならそれなりのものと自負している。
「だがパンチの撃ち方は知らないだろう?」
「まあ喧嘩事はそんなに好きじゃなかったですし」
「握力に自信があるようだが、少し試してみよう。手ぇ出せ」
ゼレプシーが手のひらをこちらに向けてくる。
組んで来いと言う所だろうか。
ゼレプシーの手に真正面から組みついて、手のひらが合わさる形になる。
「さあ。思いっきり力を入れてみろ」
「えっと、いいんですか? ゼルゥさん俺より細いですし無理しない方が」
「心配事は自分だけにしろ。かまわんから思いっきりやれ」
握り合っている手をムニムニして誘ってくる。
しかし気付くべきだった。
彼に一度腕一本で持ち上げられたことがあることを念頭に置くべきだったことを。
「知りませんよ。フンっ!」
手に思いっきり力を入れる。
しかし微動だにしなかった。
あれ? おかしいな。力を緩めて勢いをつけるようにもう一度力を込める。
動かない。まるで巨大な根を張る大樹を相手にしているような存在感。
そんな馬鹿な。体力には自信がある。少しなら動くはずだ。
今度は体ごと押し込む。
滑車に積んだ超重量の荷物のようにほんの少しだけ動いたけど、それも本当に少しだ。
力を入れるごとに学生時代に培った自信が少しずつ崩壊していくのがリアルタイムで感じられる。
「確かに握力はそれなりのものかもしれないけど、だけど一つ見誤ったな」
身体ごと押し込んでいるから顔が両手の間にある状態で耳元に囁いてくる。
「僕は特殊な肉体改造をしていてな。僕の握力は200超だ」
サーっと血の気が引いたと思った矢先。両手首がありえない方向に折りたたまれる。
曲がっちゃいけない方向だ。
目を逸らしたくなるような惨状だ。
モザイクをかけたくなる光景だ。
手の甲が腕と向かい合わせになった。
ズキンでは済まない。一瞬にして痛みが脳内を駆け回り体を支配した。
「ぐぎゃあああああああああああ!? イテェエエええええええええええええ!? 俺の手が! 俺の手がぁ!」
「フンッ」
両膝を地面につけて駆け巡る痛みに拒絶の叫びを上げている最中。ゼレプシーは踵を揃え、体を宙に浮かして顔面目掛けてドロップキックを浴びる。
身体はまるでボーリングの球のように転がる。
両手と顔面を痛みが浸食してくる。
ああ、動きたくない。
「痛いよぉ」
「今回俺がお前を鍛えることに二つ返事で了承したのは痛めつけるためだ。どこをどう壊したらどのくらいで回復するのか? 痛みの具合はどうかとかを見る。いいか。お前は壊されながら学習しろ。それが仕事だ。後さん付けするな」
ああ……壊されることが仕事なんて……なんて嫌な仕事なのだろう。
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「ゼルゥにはこってり絞られてるみたいね」
「あの人容赦ないよ! 何回も骨を折られたり内臓を潰されたりしてきてさ! 首の骨をポキンとやられて不随になったこともあった!」
怖いってレベルじゃない。
一つ一つがトラウマになるレベルだ。
強烈な痛みが体を支配する感覚はどうにも慣れない。
いや、慣れるべきではないだろう。
次第に体が強靭になっていくのは手に取るようにわかるのだけど、早くその地獄から脱したいものだ。
「いい傾向ね。どんどん壊れてきなさい。死なないで戻ってこれたらご褒美を上げる。むせび泣いて喜びなさい」
こいつもとんだ畜生だった。
「私が教えるのは空間技術よ。この前教えた弾む空間の他に『纏う空間』と『硬い空間』の二つを教えるわ」
「それはいいんだけど……目の前にあるこれは何だ?」
この前案内された実験場。
指を指した先には本当にデカい。
どうやって持ち込んだんだ。
こんなのどこで手に入れたんだと色々と突っ込みを入れたい無機質で金属製のどデカいキューブが置いてある。
あからさまに怪しい雰囲気を醸し出している。
嫌な予感がプンプンだ。
「そんなに及び腰になんなくていいわよ。ゼルゥみたいに痛いことするわけでもないし」
「本当か? それならいいんだけど」
本当に研究者連中は私利私欲で利己的なことばかりだか参る。
「見てなさい。私の手にアンタと同じクウカンアッシュがあるのは分かるわよね」
それはみてわかる。ちょっとデザインが違うけど。
「今回は分かりやすく空間を着色するわ」
「そんなことができんのか? なら俺のやつも色付きにしてくれないか。わかりづらいんだよあれ」
「それは無理。だって見えない方が不思議な力を使ってるって感じで受けが良さそうじゃない」
世間体の問題かよ。
まだ世の中に出回ってもいないってのに何の心配だ。
「こうやって、手のひらから空間を鷲掴んで」
ルールビィの言う通り左手のひらに赤色の着いた空間を掴んでゴム手袋をはめるように肘まで伸ばす。
「本当に、なんだ? まんまゴム手袋だな」
「これは纏う空間と硬い空間を同時に使ってるの。ゴム手袋って言うけど、この空間に触ってみ」
手を差し出されたため、人差し指でちょこんと赤い空間を叩いてみる。
纏う空間はともかく、硬い空間というのがは本当のようだ。
先日空間を抓んで矢のように撃ちだした、あの柔らかな空間とはまるで違う。
触れると鉱物に触っているように硬く、何物も寄せ付けない頑健さが手にとって分かった。
「空間って言うのはね本来決められた場所から動くことはない絶対的な存在なんだけど、私と先祖が作った空間ってのはそこにある空間の居場所を押しのけて奪い取る陣取りゲームみたいなものなのよ」
「ごめん。全く分かんない」
「正直言葉じゃ説明しづらいのよね。見てもらった方が早いかしら」
ルールビィはキューブの元に近寄り、その腕を大きく振りかぶる。
突き出された腕はキューブを貫通する。
ゴガン! と鈍い音を立てた。
正直目を疑った。ルールビィの華奢な腕があの金属の塊に埋もれていく様はどうしても現実的ではなかったからだ。
「……」
「この金属体の空間の居場所を奪って押し込んだのよ。この前の空間の矢の弾む空間とは違って硬い空間の前ではどんな力をも無力。ほら、私の手を握って。押してみて」
先日のゼレプシーと同じように両掌をこちらに向けて握ってくれと言わんばかりだ。
内心の困惑を抜き切れないまま、彼女の言う通り両の手で取っ組み合い、体ごと押し込む。
予想通りだった。
彼女は棒立ちでまるで何の苦も無く涼しい顔で口角を吊り上げているのにまるで動かない。
ゼレプシーを押したとき大樹を押しているように感じられたが、ルールビィの場合は地面を押しているような感覚だ。
「フギギギ!」
「硬い空間は外部からの力にとっては完全なるつっかえみたいな物。硬い空間は外部からの衝撃を無効化する。唯一内側からの操作にのみその形を変えるから高所からの重たい物を受け止める時はうまいこと肘と膝を使って衝撃を吸収すれば受け止めることもできる。フンッ」
ルールビィの掛け声とともに五指すべてがへし折られ、曲がっちゃいけない方向にへし曲がった。
まるで小枝を折るようなお手軽さに、その場にへたれ込み悲痛の声を上げる。
「いってぇえええええええええええ!? 指が、指がぁああああああああああああ!?」
「上手いことコントロールできるようになれば空間は頼もしい味方になってくれる。大事なのは弾む空間、伸びる空間、纏う空間、硬い空間。この四つを上手いタイミングで使いこなすこと……って聞いてるの」
人の話を聞ける余裕なんてあるがはずが無い。
痛いことをしないと言ったのに、両手の指をへし折られるなんて聞いてない。
もちろんへし折られた指はすぐに治り改めてコーチングを受けたのは言うまでもなかった。




