シドウ『0』
「こんなところに連れてきて、授業はどうするんだよ」
「シャウラァップ。学校なんて所詮私にとって暇つぶしでしかないのよ。今はアンタの詮索詮索ぅ」
ものすごいうっきうきだ。
新しいおもちゃを買い与えられたガキンチョのようなはしゃぎよう。
先ほどの落下騒動の後、思い立ったようにルールビィに手を引かれてこの部屋に連れてこられた。
学び舎のビルと同じ建物にある一室だ。
家具の配置や機材や付属の小物などを見て察するに、おそらく保健室のような部屋なのだろう。
「身体の方はどう? 動くとは言えあの高さから落ちたんだし、どこか変なところとかある?」
「怪我に関しては多分大丈夫だと思うけど、どうにも痛みが尾を引いてる。陣陣して感じだ」
屋上に落ちた時もそうだったけど、どうにも痛みが必要以上に引き出されている感じだった。
あの高さから落ちたから痛みが必要以上とかそう言うものでもないとは思うけど、痛みが体に侵食してきた時。まるで重ね合わさるように痛みが増幅した。
そんな気がしてならなかった。
「ルビィ。検査終わったぞ」
「ん、ありがとうゼルゥ」
ヌッとカーテンの向こう側。カーテンを捲り上げて現れた青年。
幼さが残る二十代ではない、少しだけ大人の色を見せ始める三十代にも見える雰囲気。
女性顔負けの長く、直刃のような白い髪が邪魔そうだ。切ればいいのに。
そんな少しガラの悪そうなお兄さん。この部屋の主らしい。
「えっと」
「ん? ああ僕はゼレプシー・ジャンクランド。ゼルゥと呼んでくれ。ゴトー」
「え、俺の名前を知ってる?」
その疑問にはルールビィが横から割って入ってきて説明してくれる。
「そいつは私の部下兼同僚よ。研究者仲間でね。スパイとしてぶえぇ」
「誰が部下だ誰が。本当に生意気なガキだなテメーは」
「ぎゃあああ! やめろぉ!」
ルールビィ。ゼレプシーに盛大にヘッドロックをかまされる。
何だろう。見ていてとても面白い。胸の内がす~っとするのは心が汚れている証拠だろうか。
「ブフフ」
「笑ってないで助けなさいよ! イタタタ!」
「年上に生意気な口を聞いたお前が悪い。でもまあゼレプシーさん。そろそろやめてあげてください。痛がってますよ」
「ゼレプシーさん?」
何に反応したのか、頑なに外そうとしなかったヘッドロックをするりと解いた。
ゼレプシーは不満そうにこちらを見てくる。
「おいゴトー。今僕のことをゼレプシーさんと呼んだか?」
「え、はい」
それに何か問題でもあるのだろうか。
いやない。ごく普通に呼んだだけだ。
なのに何でヘッドロックから解放されて地面にうなだれているルールビィは『あちゃー』と言わんばかりに頭を押さえて眉間に皺をよせているんだ。
「僕は言ったよな。ゼルゥと呼んでくれと」
「え、そうですね」
「なのになぜテメーはゼレプシーさんと言ったんだ」
……もしかして問題提起それ?
肩透かしだった。何か無礼なことをしてしまったと思ったけど。何だ、細部のディティールにこだわる職人さんみたいなものか。
本当にどうでもイイけど、頑固者なんだなこの人。
「いや、初対面の目上の人にいきなりニックネームで呼ぶなんて俺には無理ですから」
「構わん。僕のことはゼルゥと呼べ」
「じゃあ、ゼルゥさんで」
「言っただろう。ゼルゥと呼べ」
細かいな本当に!
そんな目玉焼きに醤油かソースとか、ちょっとしたはみ出しも許さないとか、とにかく他人からしたらどうでもいいことを気にするこういう人、身近にいたなぁとしみじみ思う。
「いいじゃないですかゼルゥさんで」
「くどいぞ。さんはいらん」
「そんなさん付けに親を殺されたような言い方して」
「いいから」
「えっと、流石に年上の人を呼び捨てにはできない」
「ルールを破れ」
何だこの問答? お互い引くに引けない所まで来ている気がする。
もう苦笑いで口元が引き攣っているレベルだ。
「ですから」
「ゼルゥと呼べと」
ん? あからさまに雰囲気が変わった。
少しけだるそうな雰囲気の色を醸し出していたのに、いきなり目に見えて赤い攻撃色を醸し出している。
あれ? 何か間違えた。
「あ、あの。ゼルゥさん?」
「言ってるだろうがああああああああああああああああああああああああああああ!」
室内に響き渡り、反響する怒声と共にそれは強襲する。
一瞬のうちのブラックアウト。視界がまるで浸食されたように黒に染まる。
何故黒に染まったのか。一瞬のうちのブラックアウトの直前、それは確かに見えた。
白衣に身を包むゼレプシーの腕が赤く膨張し、元の何倍もの太さ、丸太のような巨大な手が眼前に迫ってきた。そして視界が黒へと染まった。
つまり、よくわかんないけど頭を鷲掴みされているから視界が黒くなったわけで、さらに言えば足元が宙ぶらりんと地面から離れている感覚もあるから持ち上げられている状態であって、ものすごい掴まれている状態であって……痛い。
「イテテテテテテテテテテテ! ちょ、タンマ! 痛い! 浮いてるから浮いてるから!」
「貴様が僕の言い分を聞かずにさん付けをするのが悪いんだろうがトンチキがぁ! テメェ、年上に対して礼儀があるとか思ってる口だろうがその目上の言うことを一切拒否するたぁどんな了見だダボが!」
何だこの人!? 何でそんなに怒っているんだ。
たかが呼び方ひとつで何でこんなに激高して、どうやってるかは知らないけど持ち上げるようなことをしているんだ!?
下ろしてくれ! 首から下が捥げそうだ!
「ゼルゥはこう言う奴なんだ。自分の好意を否定されると思ったら激昂する質なのよ。ここは素直に向こうの提案を受け入れなさい」
「ブガヤアアギャラァ!?」
「ごめん何言ってるか全然わかんない。とりあえず話してやってゼルゥ」
「……そうだな」
掴まれていた頭が開放されて、空中からドズンと音を立てて床に落ちた。
頭蓋が凹まされた感覚。
やはりルールビィの知り合いだ。
ロクなもんじゃない。




