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ネガティブ☆死刑囚

作者: イネ

心が温かくなる。そんなお話を目指しています。ではご覧下さい!

「おい!起きろクソ虫!」


薄暗い檻の中、藤野(ふじの) (みこと)は看守の声でモゾモゾと起き出した。


「........なんですか柴田さん。」


布団から頭だけ出し、自分を見上げてくる犯罪者を見て柴田はハァーっと深い溜息を吐いた。ボサボサに伸びた髪に気だるそうな瞳、とても人を殺せそうな人間には見えない。


「なぜこんな奴がダイトクにいるんだよ.....」


大阪拘置所特異棟。大阪拘置所には日本中から死刑囚が集まる。その中でも特に異端とされた犯罪を犯した者が入れられる場所がこの大阪拘置所特異棟、通称ダイトクだ。


ここに入れられる犯罪者は普通の思考の持ち主ではない。試し斬りと称して自作のナイフで人を殺した者や人を殺し、その肉を食べるために自宅に持ち帰った者。更には「実験には犠牲がつきものだ!」 と訳の分からない事を叫びながら毒ガスを撒き散らした者までいる。そんな凶悪殺人者どもと比べると、目の前の男が見劣りしてしまうのも仕方の無い事だと言えよう。


しかし柴田もプロだ。職業柄、沢山の犯罪者を見てきたし、それなりに殺人を犯した者の異常性を嗅ぎ取る能力はあると自負している。だがそんな人間から見てもこの男が人を殺したようには見えないのだ。


自分がジロジロ見られるのが気になったのだろう。ミコトは「寝癖でもあります?」と柴田に訪ねた。


「.....お前の担当になってから約5年。結構長い付き合いだと思うが未だにお前の事が分からないと思ってな。」


「7年と127日ですよ.....僕達の思い出を柴田さんは2年と127日分も忘れてしまったんですね。」


「うざい。」


途端に拗ね始めるミコトに柴田は冷たい言葉を浴びせる。ミコトのネガティブに付き合っていてはやってられないと柴田は分かっているのだ。


数分後、ミコトは布団から這い出て伸びをした。途端に鳴る腹の虫にミコトは顔を顰める。


「柴田さん。僕程度の為に動かさせるのは恐縮ですがご飯をくれませんか?いや、分かってるんですよ。僕のような人間に国民の皆様の血税が使われているということは。そう思うと心が抉れるように痛むんですけど.....やっぱり朝食はいいです。」


「食え!貴様めんどくさいぞ!」


バン!と勢いよく食器を置いた柴田はミコトに怒鳴りつけた。


「わ.....分かりました。僕が早く食べないばかりに無駄なエネルギーを使わせてすみません。ありがたく頂かせていただきます。」


手を合わせて土下座でもしそうな低頭でお辞儀したミコトは「いただきます」と祈りを捧げ、箸を手に取った。


5年。いや、ミコトが言うには7年半だ。それ程長い月日を共にしていればミコトの扱いには慣れてくる。


怒鳴れば大抵いうことを聞く。それがこの7年の間で見つけたミコトの扱い方だった。


だが今日は違った。いざご飯を口に運ぼうとしたミコトは何かを思い出したように「あっ!」と呟き、箸を置いた。


「しかし本当にいいんでしょうか?7年と127日。僕は毎日三食食べていましたから8058食です。朝昼晩と食事のクオリティは違いますが一食大体450円。拘置所ではクリスマスにケーキも出ますし、正月には御節も出ますからその代金が7年で約8400円。それらを合わせると大体363万4500円です.......柴田さん。臓器って幾らくらいで売れますかね?」


「知らん。さっさと食え。」


時にはネガティブ度が上がる日がある。柴田は自分のミコト取扱い説明書にそう記した後、自分も朝食のアンパンの袋を開けた。


「柴田さんはまた菓子パンですか?すみません。囚人である僕の方が柴田さんの朝食より豪華なんて間違っていますよね。」


「ふん。朝はパン一つで十分だ。」


しかし、と柴田は思う。拘置所は刑務所と違い労働の義務はなく、新聞や雑誌、ラジオなどの娯楽が存在する。食事にしたってそうだ。世間一般では「臭い飯」と比喩されているがそんな事は全然ない。ミコトが言ったようにクリスマスにはケーキを、お正月には御節料理が振る舞われる。そう考えると日本の極貧家庭よりも良い生活を送っていると言えよう。


刑務所も拘置所も罪を償う場所だ。


至極真っ当であるがこれが柴田の考え方であり、ミコトの意見もまぁ分からなくはない。自分の好む朝食であるがと囚人以下の飯と思うと何故だか味気ないものだ。


囚人の中には罪の意識に苛まれながら模範囚として生活している者もいれば、罪の意識を忘れ、のうのうと日々を過ごしている者もいる。前者はともかくとして後者の囚人は柴田の嫌う典型的な極悪犯である。


その点において、ミコトは模範囚と言えるだろう。うざいながらも自分の立場を良く理解し、自分に使われる税金を最小限に抑えている。新聞や雑誌などの娯楽を拒み、看守長に「自分の食事を減らしてくれ」という旨を綴った手紙を何通も書いた事さえある。また、月に一度、遺族へ向けた手紙を送っていることを柴田は知っている。


ミコトの謙虚さと罪を償おうとする意識。性格は兎も角としてそういった行動は柴田にとって好ましいものだった。


「もう一度看守長に手紙を.....いや、紙とインクが勿体無いですよね。僕みたいなクズがこの監獄のトップに手紙を出すなんて恐れ多いですし。今までに出した手紙98通で金額が切手代こみで約4700円.....柴田さん。日本では髪の毛って売れますかね?」


まぁ性格は兎も角としてだ。


ミコトの計算能力は高い。本人が言うには日本の某有名大学に入学したらしいがここはダイトクだ。ここに入れられる犯罪者が起こした事件は残虐非道な為、社会的影響が大きい。その為、事件の公表は犯人の親族、友人に大きな影響を及ぼすとされその犯人の全てのデータが抹消される。つまり、この世にそんな人間は居なかったかのように処理されるのだ。そんな状況でミコトの言っていることなど調べない限り真偽の判断のしようがない。


政府の厳重な規制をかい潜り、出身大学を調べる程、柴田は暇ではない。柴田にも家庭があるし、人の過去を調べる為に休日を使うくらいなら家族サービスで家庭円満を図りたいというのが彼の心情であった。


その為、ミコトの過去には極力触れず、今まで付き合ってきた。しかし今日は違う。明日がミコトの命日なのだ。


「.....クソ虫。明日がお前の死刑執行の日だ。」


「ほふへふね。ほふひひほはひへふ」


柴田はまるでリスのように頬袋に食べ物を詰めながら喋るミコトをギロリと睨み付ける。ミコトは焦ったように口の中の物を飲み込み言い直した。


「そうですね。正直怖いです。」


「まぁそうだろうな。お前の犯した罪の重さを悔やんで死ね。」


「はい!悔やんで死にます!」


まるで少年のように純粋な笑顔で「死にます!」と応えたミコトは思い出したかのようにある箱を差し出した。


「柴田さん。大変恐縮ではありますがコックとローチの世話をお願いしてもよろしいでしょうか?」


「コックとローチ?」


「僕の飼っている大事な家族です!カサカサと動く姿はなんとも愛らしくて。最近ローチが卵を産んだんですよ」


柴田は徐にライターを取り出すと箱に火をつけた。徐々に燃えていく箱を無造作に投げ捨てる。「コック!ローチ!」と叫ぶミコトが手を伸ばすが檻の中で届くはずもない。一際大きくミコトが名前を叫んだ、そんな時だった。


カサカサ


箱の隙間から二つの黒い影が柴田の足の間をすり抜け、壁の隙間へと避難していくのをミコトは見た。


ホッと安堵の表情を浮かべたミコトは恨めしげに柴田を見上げると皮肉げにこう漏らした。


「良かったですね柴田さん。夫婦殺害事件の犯人にならずにすみましたよ。放火事件の犯人にはなりましたが......」


「法律というのは人間を罰する為にあるんだ。台所の悪魔を殺したところで裁判にすらならん。」


「柴田さんの鬼!悪魔!貴方のせいであの子達は住処を失ったんですよ!」


珍しく反抗的なミコトをギロリと睨む。ミコトは一瞬怯んだ後、「こ.....今度あの子達に会ったら謝って下さいね。」と妥協案を提示して押し黙った。


柴田は取り敢えず「あぁ」とだけ言ったが彼女にゴキブリを見分けるスキルなどある筈も無い。発見次第また駆除に乗り出すだろう。


柴田の気の無い返事に疑いの視線を向けていたミコトだがまた睨まれるのが嫌なのか、直ぐに視線を逸らした後、「遺書です。僕が死んだら柴田さんが読んで下さい。」と拗ねた口調で押し付けてきた。


「普通、遺書は死ぬ直前に看守長のいる部屋で書くもんなんだがな.....」


「遺書くらい二人きりの時に渡したいじゃないですか。今まで下らない手紙で迷惑をかけてきた僕が看守に手紙を渡すのを見逃してもらえるとは思えませんしね。」


ミコトの言い分に柴田は思わず笑みを漏らした。ミコトは知らないが看守長はミコトの事を高く評価している。手紙の内容は自虐が6割と読んでいて悲しくなる文だが残り4割は自分の罰を重くする内容なのだ。自らの罪を軽く受け止めている囚人がいる中で「自分の罪を重くしろ」だ。そんな手紙を読んでミコトを嫌う看守などいない。


柴田が笑ったのが気になったのだろう。不思議そうに首を傾げたミコトに「気にするな」と告げた。


そんなミコトだからこそだろうか。気付いたら柴田はミコトにこんな事を尋ねていた。


「明日死ぬ奴に聞くことじゃないかもしれんが........お前の犯した罪とは何だ?」


普通の囚人ならば柴田だってこんな事を尋ねなかっただろう。ここに入れられる犯罪者は全員判決に見合った行為を行ってきた者たちだ。柴田もそれを分かっていたし、幾ら長年付き合ってきた者であっても仕方ないと割り切るくらいには大人のつもりだ。


今までは死刑前の遺書を書かせた後、「俺があの世に行ってもお前には会いたくねえな」といつもの軽口をたたいて送り出すものだ。しかし今までに感じたことのない違和感と好奇心が柴田を動かしていた。


柴田の質問にミコトはたじろいだ。こんな質問を不器用で口下手な、それでいて何処か優しさを感じる柴田がする筈が無いと思っていたのだ。柴田が7年でミコトの扱いに慣れたようにミコトもまた柴田の性格を理解していた。


だからだろうか。「やっぱり今のは忘れてくれ.....」と俯く柴田が可笑しくてミコトは思わず「応えますよ」と言って笑った。


「......笑うな。」


「すみません。僕ごときが柴田さんのような働く大人を笑ってしまうなんて.....いっそ檻の中で死を待つだけの僕を笑って下さい。」


いきなり土下座するミコト。そんなミコトに応えを促すとミコトはゆっくりと顔を上げ、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「柴田さんは冤罪っていう言葉を知っていますか?」


「冤罪.......だと?」


衝撃の事実に柴田は目眩がした。7年半、牢屋にいたこの男に償うべき罪などなかったのだ。それどころか社会では元々居なかったかのように情報操作され、自分の生きた証が残される事なく明日、処刑されようとしている。


これでは俺たち看守が罪の無い一般人を監禁している犯罪者ではないか!悔しさと共に自分に対する嫌悪感が柴田の心を支配した。


「すまない。こんな言葉で許される事では無いが今すぐ看守長に......」


「柴田さん。囚人の.....それも僕みたいな底辺の人間の言葉を鵜呑みにしていたら看守なんて務まりませんよ。」


「嘘だったのか?」


鬼の形相で睨む柴田をみてブルブルと首を振るミコト。再びシュンとした柴田にホッと胸を撫で下ろしたミコトは続ける。


「冤罪なのは間違いありませんがそうなるように仕向けたのは僕ですから.....刑罰で言うなら犯人偽装。僕も立派な犯罪者ですよ。」


ヘラヘラと笑いながらまるで他人事のように話すミコトを見て柴田は近くにあったゴミ箱を蹴り飛ばした。


「ふざけるなよ......犯人偽装なんかで死刑なんてあってたまるか!」


「お......怒らないで下さいよ。僕なんかの為に無駄な体力を使うなんて勿体無いですよ。」


ビクビクと怯えながら、それでいて消え入りそうな声でミコトは柴田を宥める。柴田はチッと舌打ちを一つすると牢屋の前の床に座り、ジッとミコトを見た。


「詳しく話せ。」


「僕の話が同情を誘う嘘かもしれませんよ。」


「死刑執行は明日。ダイトクに入れられたお前に関する事件の資料を集めるのは1日では無理だ。例え冤罪でもな......」


ギリリと歯をくいしばり、顔を歪ませた柴田は絞り出すような声でそう告げた。ミコトもその事が分かっているのだろう。「だから今話せるんです。」 と言いながら牢屋のベッドに置いてあった毛布を柴田に渡した。


「床は冷たいですからこれでも敷いて下さい。」


「悪いな。」


毛布を座布団代わりにして腰を下ろした柴田を確認してミコトも腰を下ろした。


地べたである。そこにクッション性の高い何かを置く素振りもない。何か言いたげな柴田だったがこれがミコトかと割り切り、話を聞く体制をとった。


「僕の家庭は四人家族でした。父は新聞のジャーナリスト、母も父と一緒の会社で働いていました。そして5個上の兄がいるごく普通の家庭でしたね。」


懐かしむように話すミコトは更に話を続ける。


「ですが僕が高校3年生の夏、両親が仕事中に事故に遭って死んでしまったんです。幸い兄が警察の特殊チームに入れた事もあり、僕は大学に進めたんですけどね。」


どこか悲しげな瞳に柴田は「そうか.....」とだけ呟いた。


「そして大学を入学して暫くした頃、兄が言いました。「父さんと母さんは殺されたんだ」って。頭が真っ白になりましたよ。事故死だと思っていた両親が殺されたって言われたんですからね。」


柴田は何と応えて良いのか分からなかった。相変わらず「そうか.....」と、暗い声しか出ない。そんな柴田とは裏腹にミコトは声のトーンを上げ、柴田に問いかけた。


「柴田さんは8年前に起きた総理大臣暗殺事件って知っていますか?」


「確か犯人は不明って.....まさか!」


「はい。僕はその事件の犯人としてこのダイトクに入れられました。」


総理大臣暗殺事件。総理大臣が外出中、何者かに狙撃され命を落とした事件だ。正確に急所を射抜かれた事から、軍の関係者が犯人では?と捜索され、結局見つからなかった事件。確かに犯人がダイトクに入れられているならば世間で犯人を知る者などいないだろう。


「まぁネタは簡単なものです。両親が総理大臣の乗っていた車との事故で死亡。総理は自分の保身の為にこの事実を隠蔽しましたが警察官であった兄が真相を突き止め、両親の敵討ちとして狙撃。総理大臣を殺した兄もやり遂げた顔をして自殺していましたよ。」


一体当時のミコトはどんな気持ちだったのだろうか。柴田にも家庭があり、2人の娘がいる。そんな娘達がミコトと同じ境遇に立ったらと思うと胸が張り裂けそうな思いだった。


「両親を失い。兄を失った僕は後悔しました。あの時、何故兄を止めなかったのか、何故応援の言葉を送ってしまったのかと。ですが後悔しても仕方ありません。僕は兄の遺書通り、簡単な証拠隠滅を図り、大学を中退しました。そんな時、総理大臣のお葬式がニュースで報じられました。信じられませんでしたよ。参列には何百という数の人が加わり、兄の葬式は身内でひっそりと行われました。」


何処か遠い目をしたミコトは続けた。


「心の拠り所が欲しかったんでしょうね。文句の一つでも言ってやろうと総理大臣のお墓に行ったら小さな少女が居たんです。涙を流さずにお墓を睨み付けていまして、思わず「どうしたんですか?」と尋ねてしまいました。そしたらその女の子はなんて言ったと思いますか?」


うーんと唸っていた柴田は最後に「分からん」と応え、ミコトに続きを促した。するとミコトはクスリと笑ってこう言った。


「「お父さんがもう5日も起きてないの。私には寝坊をするなって怒るのに!」ですって。僕の全てを奪った男はちゃんと父親をしていたんです。家庭でもクズなら笑って唾でも吐きかけてやったんですが、どうも目の前の少女と自分が重なってしまって.......そしたら目の前の少女に申し訳なくて気付いたら自首していました。」


ミコトは「僕のような人間と重ねるなんて少女には申し訳ないんですけどね。」といつものネガティブ発言で締めくくると途端に真顔になってこう言った。


「僕の罪は法律上、死刑は重過ぎるかもしれません。しかし、兄を焚き付け少女の父親を奪ったのは事実です。人を失う痛みを十分知っていた自分だからこそ、自分より10歳以上幼い子供に同じ思いをさせたのが許せなかったんです。どうせ天涯孤独の身、こんな僕でも少女の怒りの捌け口になれたと思うと満足です。」


ニコリと笑ったミコトに柴田は何か言おうと口を開いた。しかし別の看守の「交代だ!」と言う言葉に口を噤んだ。


「嘘かどうかは柴田さんが判断してください。でもここに居る犯罪者はみんな異常ですから......それも飛びっきり馬鹿で間抜けで異常な僕の言葉なんて信じない方が良いですよ。」


最後の方はトーンを落とし、しょんぼりと項垂れるミコトを一瞥し、柴田は腰を上げた。そして去り際、誰にも聞こえないような小さな声でポツリと呟いた。


「嘘なら信じない方が.....なんて言わねえよ。」






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






死刑執行当日。


ミコトは柴田と共にある部屋の前に来ていた。


「入りたまえ。」


優しそうな、しかし何処か威厳のある声が扉の向こうから聞こえる。柴田とミコトは「失礼します」 と入室した。


パイプ椅子に座っている白髪で初老の男性が穏やかな笑みを浮かべる。死刑囚の最期、そんな場面でも笑って送り出してやろうと言うのが看守長のポリシーなのだ。


看守長を見て思うところがあったのだろう。ミコトは光の速さで額を床に擦り付け、こう叫んだ。


「今までふざけた手紙を送ってしまい、申し訳ありませんでした!私の謝罪などこの拘置所のボスである貴方様のお耳汚しになるやも知れませんが、あの世で一生悔いる所存であります!許されぬ愚行であると承知しておりますが私はもう死ぬ身。勝手かもしれませぬがこの命で許していただきたく存じます!」


他の付き添っていた看守は囚人の奇行に若干戸惑い、看守長も苦笑いをうかべた。手紙を読んでいたため多少ネガティブだとは思っていたが、会って早々土下座までされるとは思ってもみなかったのだ。


「そこに座れ!」


「ですが柴田さん。看守長と同じ机に座るなんて......僕、遺書を床で書きます。」


「最後まで面倒くさいなお前は!」


柴田とミコト。この二人のやり取りが漫才のように感じたのだろう。看守長は「いや~仲が良いようで何よりだよ。」 と笑った。


仲が良いと言われたのが不満だったのだろう。柴田が途端に不機嫌になり、逆に仲が良いと言われて嬉しいミコトのテンションが上がる。


「柴田さん柴田さん!僕達仲が良いですって!あ、でも柴田さんは僕みたいなのと仲がいいと言われるなんて迷惑ですよね.....」


「五月蝿い!早く遺書を書け!」


結局下敷きを使い、床で遺書を書き始めたミコトに看守達が好奇の目を向ける。数十分後、遺書を書き終えたミコトは看守長にその紙を提出した。


「私ごときの為に御足労願うのは大変恐縮ではありますが、どうか宜しくお願いします。」


「分かったよ。」


流した。この数分の間に新たなミコトの対処法を実践した看守長は流石と言えるだろう。柴田が感心していると看守長は「あぁ」 と何かを思い出したようにミコトに尋ねた。


「君はキリスト教と仏教。どちらかね?」


死刑執行の場所にはキリスト教と仏教、どちらの宗派にも合わせられるように回転式の祭壇が置かれている。そうミコトに説明した看守長はミコトの応えを聞いた。


「どちらか分かりませんが.....家に仏像が飾ってあった気がします。」


「じゃあ仏教でいいね。」


話もそこそこに看守長は立ち上がり、ミコトも慌てて立ち上がった。いよいよ死刑執行なのだ。


幅の狭い13段の階段を上って目には目隠しを、手足を拘束され、首に縄をかけられる。


太くて長い荒縄だ。人の体重など簡単に支えてしまうだろう。


「柴田さん。」


ミコトが叫んだ。


「今までお世話になりました。」




笑顔



死ぬのは怖い。前日にそう言っていたミコトが笑ったのだ。目は目隠しで見えなかったが、口元は緩み、今から殺されるような人間には見えなかった。


「人を殺したように見えなければ殺されるようにも見えないのか貴様は!」


そんなミコトの姿を見て、柴田は動いていた。いざボタンを押そうとする数人の人々を押し倒し、ミコトの首にかかっている縄を外す。


「柴田!お前、何してるか分かっているのか!始末書ものだぞ!」


「何枚でも書いてやる!今は少しこのバカと話をさせろ!」


他の看守の声に反発するかのように叫ぶ柴田。しかし看守達がそんな柴田の言い分を聞くはずもなくどんどん迫って来ている。


「柴田さん?そんな事したって僕の死刑は変わりませんよ?」


「分かっている。昨日、貴様に言いそびれた事があってな。」


途端に柴田の同僚が柴田にのしかかる。しかし柴田はミコトを真っ直ぐに見ていた。


「お前は自分を自虐する。だから私が貴様に言ってやる!」


他の看守達に取り押さえられ、ミコトから引き離されてなお、柴田は叫んだ。


「自分より他人を気遣う事の出来る優しいお前は立派な人間だ!!憎しみに囚われず、最も重い罪を背負おうとした貴様を私は心から尊敬する!!」


目隠しの取れたその目を見開いたミコトは最後に一筋の涙を零した。


久しく忘れていた人の温かさ。それを感じる事が出来たのだ。


言葉とは、人とはこうも輝かしいものだったのか.......溢れ出る涙をミコトは抑える事が出来なかった。


「……私もやきが回ったもんだ。」


「ありがとうございます.....柴田さん」


照れたように頭を掻く柴田に感謝の言葉を紡ぐミコト。そんなミコトに柴田はフッと笑いかけた。


「5年間一緒だったが。貴様のそんな顔は初めて見たな。」


「柴田さん..........7年と128日です。」


「そうだったか」と笑みを浮かべた柴田の頭上から声が響く。


「感動のところ悪いがそろそろいいかの?」


途端に柴田の顔色がサーっと青くなる。ギギギッと寂れた機械のように首を上に向ければ看守長が満面の笑みで立っていた。


「すみません.....つい」


「何故誤るのかね?寧ろ儂は刑の執行を止めた柴田看守を褒めたいのだが.....」


首を捻る柴田と同様にミコトも分からない。といった顔を浮かべる。そんな二人に苦笑を漏らしつつ、看守長が言った。


「先程、電話で取り急ぎミコト君の裁判が行われる事になったのだよ。今日が死刑執行の日だから急いで欲しいと上からの指示でな。ミコト君にはすぐに法廷に出席してもらう。」


ポカンと間抜けな顔を浮かべる二人。自体が飲み込めないまま、あれよあれよと法廷に担ぎ込まれ、裁判はたった1日で勝利した。


決め手はミコトの兄が残した隠された遺書だった。もしもミコトが犯人に仕立て上げられた時の為にあらかじめ用意していたのだ。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





「訳が分からない。」


裁判所でポツリと呟いたミコトに一人の女性が近付いてきた。


高校生くらいであろうか。長い黒髪を靡かせ、ミコトの目の前まできたその女性は恐る恐るといった感じで話しかけてきた。


「私、小早川(こばやかわ) 彩芽(あやめ)って言います。藤野 命さんですよね?」


「はい。そうですけど。」


7年半、刑務所暮らしだったミコトに女子高生と知り合う時間などない。ではこの彩芽と名乗る女性は何処で知り合ったのだろうか?


モジモジとしている彩芽を見て、ハッと気付く。目の前の女性が8年前のあの子にそっくりなのだ。大きくなったと感心する気持ちよりもミコトの心を罪悪感が支配した。


「「すみませんでした!!」」


重なる声。唯一違うのは彩芽がお辞儀、ミコトが土下座という点だろう。ミコトの土下座に面食らった女性がたじろぐがミコトは止まらない。


「8年間、貴女様を騙しておりました!償えない程の罪!今日を持ちまして命と共にその欠片ほどでも償えたらと思っておりましたがしぶとく生き残ってしまいました!」


「え?あの~。よ.....よくご無事で?」


初対面。いや、実際には8年前に会っているのだがそれでも突然土下座され、まくし立てるように話されてなお、返答出来た彼女はツワモノであろう。若干的外れな返答ではあるがそれはご愛嬌だ。


「そればかりか身内が貴女様のお父様に牙を向けてしまい.....いや!私が殺したも同然です!貴女様が命じて頂ければ私は迷わず死を受け入れます!」


「いっそ今すぐ!」と自分の首を絞めるミコトに慌ててストップをかける彩芽。ミコトが首から手を離したのを確認して、彩芽は改めて頭を下げた。


「この8年。私は父の死の真相を突き止める為、必死で情報を集めて来ました。正直最初はミコトさんの事が殺したいくらい憎くて、手紙も読まずに捨ててたんです。」


彩芽の言葉にスッと首に手を伸ばすミコト。それを彩芽が慌てて止める。


「でも大きくなって、色んな事が調べられるようになると、父が貴方達家族にした事が分かってしまったんです。」


目に薄っすらと涙を浮かべ、懸命に話す彩芽。ミコトは黙って頷いた。


「私は信じられませんでした。その頃は学校も休んでお母さんに迷惑をかけちゃったんですよね。そんな時、ミコトさんの手紙を読みました。」


彩芽は一枚の手紙を取り出し、「これがその時の手紙です。」と言った。


「読んでいると精神外科を紹介したくなるような手紙でした。」


「うっ」


「正直初めて読んだ時はイライラしました。」


「ぐっ」


「でも........温かかったんです。」


精神的ダメージで沈んでいたミコトが顔を上げた。彩芽はニッコリと微笑むとこう言った。


「だって手紙の最後にはいつも私を気遣う事を書いてくれていたじゃないですか。不登校の時読んだ手紙には「学校は大丈夫ですか?嫌なら無理に行かなくていいのですよ。すみません刑務所に入っている僕に言われても説得力ないですよね」って書いてありましたもん。」


「思わずエスパーか!ってツッコンじゃいました。」 と彩芽は照れ臭そうに笑い手紙を仕舞った。


自分の手紙がこの女性を、彩芽の助けになれた。そう思うと報われたような、それでいて心が晴れるような。そんな気持ちになった。


「僕みたいな人間がお役に立てたなら、それだけで満足です。」


彩芽の笑顔につられるように笑う。彩芽は「やっと笑ってくれましたね!」と嬉しそうに微笑み、もう一度頭を下げた。


「あと、ごめんなさい!ご家族の事もそうですがミコトさんの精神がこんなになるまで助けてあげられなくて!拘置所って心が可笑しくなっちゃうくらい大変な場所だったんですね.......」


「いえ........この性分は元々です。」


この後、彩芽と手紙のやり取りをすると約束し、彩芽は母親と共に帰っていった。


少し天然。それでいて明るい女性、彩芽との和解が済み、手続きの為、拘置所に向かう車の中でミコトは思った。


「今日で一生分くらいの幸福を使った気がしますね.......僕は今日、死ぬのでしょうか?」


死刑執行を免れた男の発言とは思えない感想が車の中に木霊した。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





拘置所


看守長室に看守長と柴田が向かい合う形で座っていた。


「ありがとうございました。」


徐に頭を下げる柴田を訝しげな表情で見つめる看守長。さも分からないといった風貌に柴田は溜息を吐いた。


「死刑執行当日の囚人を裁判所に出廷させるなんて普通あり得ないでしょう。」


「なんだ。分かっていたのかね?」


大袈裟に驚く素振りを見せた看守長に柴田は「当然です」と返した。


「苦労したよ。裁判所や国会のツテを使って手早く行ったんだからね」


簡単そうに話すが、一囚人にそこまでのコネを使うなど普通考えられない。そんな柴田の思考を見抜いたのだろう。看守長は紅茶を一口啜ると話し始めた。


「君も知っているだろう。小早川(こばやかわ) 芹那(せりな)という女性を。」


「知っているに決まっているじゃないですか。現在の外務大臣の名前ですから。」


「その彼女に頼まれてね。何でもある囚人について調べていた彼女の娘がその囚人の裁判を起こしたいと言ったそうだ。まぁそれが二週間と少し前のことでね。大変な仕事になるとは思っていたが私もその囚人の事が嫌いではないから二つ返事で了承したんだよ。」


看守長の言葉に柴田は合点がいったような顔で看守長を見た。


「小早川......もしかしてその女性って!」


「あぁ。小早川前内閣総理大臣の妻だよ。彼女の娘もミコト君と会ったらしいしもう直ぐ帰ってくるだろう。」


ゆっくりと紅茶の香りを楽しみながら柴田にも飲むように進める看守長。柴田は素直に従い、一口紅茶を口に含んだ。


看守長と柴田。二人の紅茶が残り少なくなったそんな時だ。コンコンという遠慮がちなノックと共に一人の男が入ってきた。


「失礼します!此度は私の為に尽力して下さったようで.....返しきれぬ恩を受けてしまいました。今なら絞首刑も鼻歌交じりで受け入れられそうです!」


「まったく......お前は釈放が決まっても変わらないな。」


言葉とは裏腹に嬉しそうな柴田。そんな柴田を見て看守長はある提案を出した。


「柴田看守。もう帰っていいよ。ミコト君を家まで送ってあげなさい。」


「ありがとうございます。じゃあ行くか。」


看守長の善意をサラリと受け取り、柴田は帰りの支度をする。そんな柴田とは裏腹にミコトはブンブンと首を振った。


「滅相もございません。恩も返さぬうちに帰るなど......私はこの監獄で馬車馬のように働きます!」


気合い十分で力説するミコトを「気持ちだけで十分だよ」と流す看守長。食い下がろうとするミコトは柴田の一喝で素直に従った。


「お疲れ様です。」


「お世話になりました。今度は菓子折りを持ってまた伺います。」


看守長に挨拶を済ませた二人は車に乗り、8年前にミコトが住んでいた家へ向かった。


「そういえばお前、俺に遺書を渡していたがどうすれば良いんだ?」


運転席で何気ない質問をした柴田にミコトは応える。


「時間の無駄になりますから捨てて下さってけっこうです。」


「まぁ、もう読んだんだがな。」


ヒラヒラと片手で手紙を揺らした柴田は悪戯っ子のような笑みを浮かべると「ちょっと付き合え」 と言ってハンドルを切った。


数分後、着いた場所にミコトは目を見開く。


「まんぷく亭」と書かれた看板にショーウィンドウに並ぶ料理の数々。半ば放心状態のミコトを連れ、柴田は店内に入った。


時刻は午後10時半。夕食にはかなり遅い時間の為、料理を食べている人は少なく、変わりにビールジョッキを掲げている人がチラホラ目に入る。


そんな中で一番カウンターに近い席を二つ陣取った柴田は慣れた様子で「女将!」と呼んだ。


そして出てきた女性に柴田はニッと笑いこう言った。


「ここからここまで全部出してくれ。」


「あれま。今日は随分気前が良いね。」


「こいつの出所祝いだからな。」


親指で示した先にいる痩せ細った髪のボサボサな男。ミコトを見て女将は納得したかのように「あぁ!」と頷いた。


「じゃあ私からもサービスしなくちゃね。串焼きオマケだよ!」


「あの.....僕お金無いんですが。」


「心配すんな。俺の奢りだ。」


「僕なんかの為に柴田さんが浪費すること無いですよ!分かりました。ご飯の代金は働いて返して.......でもこんな僕を雇うなんて迷惑ですよね。」


ミコトのネガティブ発言に「あははっ変な子だねぇ」と笑った女将は出来た料理を次々と出していく。


「柴田さん.....頼み過ぎじゃないですか?」


カウンター一杯に並ぶ料理にミコトは苦笑いを浮かべる。


「これでいいんだよ。」


出てきた料理を次々口に運びながらニカッと笑った。彼の頭にはミコトの書いた遺書のある一文が思い出されていた。


相変わらずの長い自虐の言葉と謝罪、そして感謝の文の後。最後の行にこう書かれていた。


「柴田さん。もしあの世があって、出会えたなら。菓子パンではなく、美味しい料理を食べ切れないくらい一緒に食べましょう......迷惑なら諦めますが。」


控えめ、それでいて自分の願いを書き出した一文。それを思い出し、柴田は乱暴にミコトの頭を撫でた。


「腹が裂ける程食えよ!ここの女将は飯を残した奴に容赦ないからな!」


「分かりました。例え裂けても料理がある限りお腹に納めさせていただきます。」


ミコトと柴田。少し変わった囚人と看守は料理を勢いよく掻き込み、共に笑い合った。


看守は無愛想に。囚人は控えめに。


二人は閉店まで幸せで、どこか暖かい食事を続けた。












読んで下さってありがとうございました!


本当はネット小説でありがちな異世界転生ものにしよう。と書き始めたのに何故こんな事に.......しかし後悔はしていない!


さて、本作のダイトクですが実際には存在しません。所謂オリジナリティーを出そうとしたムダな設定というやつですね!すみません。


しかし、拘置所の処刑方法や娯楽などのくだりは実際の大阪拘置所を元にさせていただいております!


この様な駄文に付き合って下さり、ありがとうございました。では、また機会がありましたらお会いしましょう!

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