道程
朝の清々しさは一体何所へ去って行ったのだろう? 小一時間も走ったら、夏の日差しが容赦なく僕達を叩き出す始末。特にバイクってやつは、安全上の理由でヘルメットにグローブ、長袖長ズボン、そして、足元なんかご丁寧にブーツだから、走ってればマシだけど、止まると暑いの何の……。
たまらず僕はコンビニに飛び込んで、ちょっと一息入れさせてもらった。相棒は炎天下に置き去りだけど、人間は熱く成り過ぎると熱中症になっちゃうからね。ま、どの道店内でコーヒーは飲めないのだけれど、それは仕方ない。ついでに、朝食も軽く済ませておいた。
さて、また走ろうか。
街中を抜けて郊外へ出たら、いくらか涼しくなった。やっぱり、緑が少ないと、暑さは倍増するみたいだね。その証拠に、稲穂を揺らしながら駆け抜ける風が、なんとも言えず心地いい。しかも、その景色はあまりにも鮮烈で、僕は思わず相棒を道路脇に止めて、田園の中で佇むバイクを写真に納めてしまった。もちろん、車が走ってない事を確認してだけど。ただ、その時、一匹の猫が相棒の上に乗ったんだ。それに、なんとも不思議な目で僕の方をじっと見詰めるものだから、つい、声を掛けてしまったくらいだ。
「お前も一緒に写りたいのか?」
猫は一声鳴いて、なんとも嬉しそうな顔をしたのが印象的だった。だからこの写真の題名は〝相棒と不思議な猫〟ベタだけれどね。
でも、その猫。近付いても逃げるどころか、僕をずっと注視してる。だから、「お前も一緒に来るか?」って聞いたら、ひょいと飛び降りて、しっぽをピンと立てて、離れて行ってしまった。しかも、途中で振り向くと、挨拶でもする様に一声鳴いたんだ。まるで「良い旅を」とでも言っている様だった。ホント、不思議な猫も居たもんだ。
僕と相棒は再び走り出す。
田園地帯を抜けると、また街に入った。でも、この街は僕の住んでる場所よりも、時間の流れがゆったりしてるみたい。やっぱり、郊外の街に成ればなるほど、時間の感覚が違う気がする。これに気が付けたのも、相棒のお陰だ。
途中何度か休憩して、その度に水分補給でコーヒーやお茶を飲む。だけど、取った水分は全部汗で出てるみたい。空気はカラっとしてるのに、日差しだけが夏真っ盛りを主張してるから、日陰に逃げ込みたくなってくる。
そろそろお昼も近いし、どこか涼しい店内で食事にしないと、僕の燃料が切れてしまいそうだ。それに、もう少し走れば、北アルプスの連なりも見えてくる、と言っても、一時間以上だけど。そうなれば目的地もすぐ近くだから、止まりたくなくなっちゃうしね。
ここは名物のお蕎麦といこうか。ちょうどお蕎麦屋さんも見えて来たし。
新蕎麦じゃないのは残念だけど、こればっかりはその季節じゃないと無理だから、仕方ないよね。
注文したお蕎麦は天ざる蕎麦。
こんな陽気では、あったかい蕎麦なんて食べていられない。僕が涼しい店内で冷たいお蕎麦に舌鼓を打っている頃、相棒は炎天下の中で、熱を沢山蓄えて僕の帰りを待って居るはず。でもそれは、何の拷問だよっ! てくらい、シートが熱くなるんだ。そんなのに跨った日には、せっかくの冷えた体も、一発で元に戻るってもんだ。
だけど、今日だけは違ってた。また猫が乗ってたんだ。それも、さっきと同じで、出て来た僕をじっと見詰めてた。
「そこに居て、暑くないのか?」
友達に話しかける様な感じで猫に言ったんだけど、今度の猫は不満そうに鳴いたんだ。暑いにきまってるだろう、って言ってるみたいに。その猫もひょいと飛び降りると、去って行ってしまった。もちろん、振り向いて一声鳴くのも同じだった。
「二匹目か……。変な猫に良く会う日だなあ」
あんな猫達は見た事も聞いた事もない。歩き去る猫を、ほんの少しだけ見送って、僕達はまた走り出す。
気負わずゆっくりと行こうか、相棒。
川沿いの道を走りながら、眼前に迫る北アルプスを眺めて、時折よそ見して、右手の川の流れに目を這わせたり、左側の住宅の向こうに散らばる田んぼを眺めたりした。そして、すれ違うバイクには手を挙げて挨拶をするんだ。最近じゃめっきり返って来なくなったけど、それでも何人かのバイク乗りは返してくれる。車じゃこうはいかない、やっぱりバイクっていいよね。
僕達は川沿いの道から離れてまた、街中に入って行く。
さあ、目的地はすぐそこだ。そこからが本当の非日常の始まり。僕の心は弾み、つい、アクセルを捻る右手に力が入る。でも、そんな僕に文句も言わず、相棒は淡々と走り続けた。