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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第六章、発展編
97/109

その90・前後・左右・上下、そして手元に注意すること

少しだけグロテスクな描写があります。ご注意ください。






 それはある意味、見慣れた光景だったのかも知れない。

 転がった腕。

 砕けた顎。

 静けさの落ちる広間の床に散らばった、白骨の眼孔。

 ライトを向ける端から次々に目に入ってくる人の残骸に、河井は思わず顔を顰めた。

 動かない死体を見るのは、久しぶりだった。


「帰りましょう、河井さん……帰りましょう」

「……確かに長居はしたくねぇな」


 ライトを向け直してみた河井は、まずは速やかに室内の形を把握してみる事にする。

 等間隔に配置された机は、先日訪れた学校の職員室の様子とは若干異なり、たっぷりとした空間を余す事無く活用するように——あえて言うなら、上等なオフィスのように悠々と空間を埋めていた。

 即ち、室内の通路はそれなりに広いのだが。

 足元には十分注意しなければ暗闇の中、間違いなく先程のように踏みたくないものを踏んでしまうと。

 注意深く進む河井の足の下でパキリと、また何かが砕ける音がする。視線を落としてみれば、大小のガラス片がそこらに散らばっているのだという事が分かる。

 そこから視線を辿らせてみれば目に入ってきた、ひしゃげたスチール製の戸棚のガラス窓は見事なまでに粉砕されていて、内に陳列されていたはずの瓶はひとつ残らず破片と化している事が分かった。


 此処で、一体何が起きたというのか。

 そんな純粋な疑問が、落ち着いて来た河井の中に浮かんだ。

 ゾンビに進入されたのだとしても、器物の破損具合が酷すぎる上、残された死体が多すぎるのではないか。

 即ち、此処に進入したのは特殊型だったという事なのか。



 軽く息をつき、考えているうち混乱してきた頭から室内の様子へと戻した意識の先、壁際に所々空いた不自然な空間が河井の目にとまる。

 直線を引いたような壁紙の変色が、意味するところは一体何なのか。

 疑問を抱えながらも空間をそのまま壁沿いに辿れば、無数に存在していた次の空間への扉の殆どに、長方形のプレートのようなものが掛けられている事が分かった。プレートの表記は擦れているようで、遠目には読み取ることが出来ない。

 

「……お前さ。此処が何なのか知ってる?」


 分からない事ばかりの河井の口から零れたそれは、一種の愚痴のようなものだった。


「……しりません」

「……。」


 けれどやはり、奏はあてに出来ないようなので。

 数秒考えた後、改めて部屋をぐるりと一望した河井は、ひとまず最も大きいデスクへと向かった。

 移動を考えるのは、現在の部屋を探索し終えた後で良いような気がしたからだ。

 そして、部屋の中で一番大きな机というのは、即ち最も偉い人の机。そんな単純な連想は別段間違いと言うわけでもなく、床の上の色々を避けたり踏んだりしながら奥のデスクへと辿り着いた河井は、一旦奏の手を離し、とりあえず卓上に積まれていた紙の束へとおもむろに手を伸ばした。


「……っげ!」


 落ち葉のようにカラカラになった紙は、血なのか腐敗液なのか良く分からないもので到底読めない有様になっており――というより到底手に持ちたくない有様となっており。

 慌てて干涸びたゴマ粒のようなものが付着していたような気がする紙を放り出し、机の角で指先をごしごし拭っていた河井は、隣から冷たい視線を感じ、ピタと動きを止め気を取り直して机の引き出しへと手を伸ばしてみることにする。

 ほんのちょっぴり取り乱してしまった彼だが、良く考えてみればこの惨劇の跡からして、外に出されているものが散々な有様と化しているのは当然の事である。

 つまり何かめぼしいものを探すのなら、外より内側に手を伸ばすのが最良なわけで。


「……ん?」

「……鍵、かかってますね。開けるのは無理でしょう」


 しかし。

 ガタガタと揺れるだけで一向に手前に出てこない引き出しに、奏の淡々とした声が落ちる。

 一瞬どこかに鍵棚は無いかと視線を上げかける河井だったが、よく考えれば個人のデスクの鍵がその辺りにぶら下がっているわけが無い。


「あー……お前さ、その包丁でこう……うまいことガキッって開けれない?」

「刃が欠けるので嫌です」

「研ぎなおせば良いだろ」

「研いだばかりなので嫌です。素直に諦めれば良いと思います」


 淡々と帰路を促してくる奏は、あくまでもしつこい。

 けれど帰れと言われれば帰りたくなくなるもので、諦めろと言われれば意地になってしまうもので、また数秒の思考の時間を置いた河井はやがて一丁の拳銃を抜いた。

 そして、室内をかん高く濁った銃声が反響した。


「っ!?」


 小さく零れたのは奏が息を呑んだ音だろう。


「ちょ、な、なんて事を!!」

「……お前が包丁でガキッってやってくんねぇから」

「人のせいにしないで下さい! たかが無機物に何発銃弾使ってるんですか!」

「2発だよ! 2発ぶんの価値が無かったら土下座でもなんでもしてやろうじゃねぇか!!」


 ぐるりと振り返り真正面から奏を見下ろせば、同じく真っ直ぐに上がってきた非難の視線に河井はぐっと眉を寄せる。

 確かに、2発は無駄な2発になるのかもしれなかった。

 けれどそこらに散らかった紙が到底読めるものではない事は確認済みで、内側のものをあさるのなら最も地位が高そうな人間のデスクを選択するのがベストであると。

 というか正直、先程手にした紙に付着していたウジの抜け殻がトラウマレベルであると。

 けれどそれでもやっぱりちょっぴり「普通にそこらので読めるやつ探しても良かったかな……」なんて考えてしまっていた河井は、後ろめたさを誤摩化すよう、堂々とした声色を紡ぐ。


「あのな、奏。こっちはな、これでも色々考えてやってんだよ。お前は何も言わねぇし、楠さんは人体実験してるし、資料は不自然に隠されてるし、経験つんだ人間は全員死んでるしな? ……んでちょっと探してみりゃこれだ、何なんだこの場所怪しすぎるだろ?!」

「そ、そりゃ怪しいのは認めますけど。だからって……別に知らなくてもいい事もあるんじゃないですか!?」

「んなもんは俺が決める」


 きっぱりと言い放てば奏が言葉を詰めたので、改めて河井は壊したばかりの引き出しへと手を掛けた。

 中の物に注意し慎重に引き出したそこにライトを当ててみると、幾つかの書類らしきものが重なっていることが分かる。多少焦げた跡のようなものが付いていたが、やはり状態は外に出ていたものより格段にまともなようだった。

 すぐにまた、何か文句を飛ばしてくるであろうと思っていた背後の奏が、未だに静かなのが少々気になるところではあるが。

 とりあえず目に付いた一番上の紙をそっと取り出してみた河井は、あまりにも脆い感触に、震えそうになる指先をなんとか落ち着かせ、今にも崩れそうなそれにライトをそっと当ててみた。


【風邪うつった。検体I-106に余計な事をしないこと。少しでも体調の不良を感じる場合、これ以上研究所を汚染しないよう大人しく自宅療養すること。全ての責任は修兄にある。 桜】


A4用紙の角に纏められた文章には、続きがあるようだった。

先ほどのものとはまた違った筆跡が、少しの空白を置いて綴られている。


【帰宅はしたが、父に「うつすな、出て行け」と言われた。風邪薬置いとくから桜も飲めば? 良く効くよ! 修一


体調管理ぐらいしっかりして欲しい。こっちは研究員共から「お前の所為で風邪が」とか濡れ衣を着せられた。 桜


風邪薬飲まないから…… 修一


死ね 桜


僕はしにませーん! 修一】



 河井は、数秒考えた。

 倒木を越え、有刺鉄線を越え、トラバサミを、おふだを白骨を越え、銃弾を2発使用してまで手にした記念すべき紙・第一号に、もしや己は挑発されているのではないかと。

 しかし反射的にそれを握り潰そうとした手の平を止めたのは、彼自身の頭の中で上がった静止の声だったりする。


「えー……桜さんって、楠さんの妹さんの名前だよな」

「……そうでしたっけ」

「“修一”って楠さんのことだよな」

「……そうなんですか?」


 聞いているのか、聞いていないのか。

 良く分からない返事を返してくる奏は、まだA4用紙に綴られた文字列を追っているらしい。


「前の任務で最後に感染が発覚した男、いただろ。あの人から聞いた。楠さんの下の名前、修一っていうらしい。そんで、あの男の上司、だったらしい」

「そうなんですか……」

「……どういう事だ?」


 何かが激しく引っかかるような気がして。

 頭の中の情報を整頓するよう、河井はA4用紙と自分との間の空間を数秒見つめる。


 長袖男からの情報を元に辿り着いた、お札によって封印された廃墟。

その中はどこか不自然で、こじ開けてみた立派なデスクの引き出しから出てきたメモには、自分の現在の上司の名前があった。

 と、いうことは。


「……楠さんは意外と、重度のシスコンだったという事ですね」


 結論を纏めかけていた河井は同行者に胡乱な目を向けた。


「こういった些細なメモすら、鍵付きの引き出しに保管しているというのは――つまり、そういう事かと」


 つまり、そういう事なのか。

 どういうことなのか。

 河井の頭の中をふわふわとした何かが転がっていく。あえて言うのなら、こね上げていた粘土を親指でへこまされたような感覚である。


「いや。違う。なんか違う。そういう話じゃなくてだな」

「河井さん、もう帰りましょう……誰にでも、隠しておきたい事はあるってことですよ」

「だからちょっと待てお前。つまり――待てよ。いや、ちょっと待てよ?」


 河井は再度、頭の中を整頓しなおした。

 まず何かが激しく気に掛かったので、長袖男の言ってたように、湖を迂回してみた。

 そこには惨劇の跡があった。机をあければ、楠の名のあるメモが出てきた。

 という事はつまり、と。


「つまりあの男は昔ここで働いてて、あの男の上司は楠さんで、楠さんはここで働いてたってこと、だよな……?」

「河井さん!」


 纏めきった情報と共に惨劇へとライトを向けなおしてみれば、河井の中、先程とはまた違った何かが引っかかるような気がした。

 誰かが踊りながらペンキをぶちまけたような室内。転がる白骨死体。

 河井の脳裏には今、今朝目撃してしまった人体実験の現場がくっきりと蘇っている。

 そして、酷く今更な疑問が過る。

 あの引きこもりで、どこか変わっていて、いつも何を考えているのか良く分からない自分の上司が——研究所にくる前、どこで何をしていたのか。

 それを自分は、問いかけてみた事があっただろうかと。


「やめましょう。……もう、やめましょう」


 唐突に腕を掴まれ。

 驚いて河井が視線をやった先、顔を伏せた奏はほんの少し震えているようだった。

 この鉄仮面女が泣きそうに見えるなんて。

 間違いなく気のせいだと思う反面、申し訳なさのようなものが河井の胸を圧迫してくる。


「……悪い」


 視線を伏せ、河井はなるべく丁寧に奏の手を振り払った。


「無理」





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