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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第六章、発展編
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その89・フラグになるような事を口走らないこと







 そもそも河井から見て、奏の態度はおかしかった。

 そして道のりは、故意に阻まれているように思えた。


 のれんを分けるように枝葉を払えば、突如現れた倒木の重なり。木肌のうろから雑草を覗かせるそれらを乗り越れば、待ってましたとばかりに鼻先をかすめた有刺鉄線。


「……。」


 あからさまに張り巡らされた悪意に振り返ってみた先、表情をピクリとも動かしていない奏の様子はいっそ不気味で。

 彼女が背後にいるという事に一抹の不安を覚える河井だったが、しかしこうなったら何がなんでも辿り着いてやろうじゃないかと。

 奮起した意地に導かれ、有刺鉄線やら不自然に転がされた倒木やら挙げ句の果てにはどこからどう見ても罠――俗にいうトラバサミまで転がり始めた危険地帯を越え。

 漂う悪意に神経の疲労を感じ、背後からは奏の冷たい視線を感じ、やけっぱちを焦燥感につつかれ始めた河井の前にそれが姿を現したのは、十数個目のトラバサミが木の枝を粉砕した直後の事だった。


「……!」


 靄に包まれた白壁。

 人為的に力を加えられたのか、それとも年月によってバランスを崩した自らの重さに耐えきれなかったのか。

 酷くひしゃげたフェンスの変色した鉄線の隙間、生温い風の向こう側に、それはのっぺりと佇んでいる。


「……こんな話があります」


 強度を確かめる為、ペンキの剥げた鉄線に手を掛けていた河井は、ぽとりと落とされた呟きに横目を向けてみた。

 いつのまにか隣に並んでいた鉄壁の無表情は、戦場のようなトラップ地帯を抜けて来たというのに微塵も崩れていない。


「……“わたしは このさきの へやに いるよ”」

「は?」

「……扉の前に書かれていたそんな文字に誘われ、ある子供達が廃墟に足を踏み入れました」

「え?」


 怪訝な視線を落としてみるも、表情どころか視線すらピクリとも動かさない奏に、河井は眉を寄せる。


「……先に進むと道が二つに別れていて、“わたしは ひだりに いるよ”。……そう、書かれていました。子供達は、左に進みました」

「……。」

「しばらく行くと突き当たりの両側に部屋があり、その突き当たりの壁には、こう書かれていました。“あたまは ひだり からだは みぎ”」

「ちょっと待てお前なんだいきなり!?」


 奏が突如始めたそれは、どうやら怪談らしい。

 唐突な彼女のそれに改めて強い怪訝を向ければ、奇妙なまでにゆっくりと上がって来た視線に河井の息がうっと詰まる。


「……怖いんですか? なら、やめておいた方が良いかと」


 無表情に挑発され。

 反射的に眉を跳ね上げるも、河井は彼女の不審に思い当たる部分があった。

 そう。

 田村奏という女は無表情が故に何を考えているのか分かりにくいが、その実、非常に単純な女なのである。

 即ち、今回の突如の怪談といったような挙動不審の裏側には、恐らく途轍もなく単純な理由があり。

 つまり彼女は挑発がしたいのではなく、これ以上先に進むなという警告をそれとなく行おうとしているのだと。

 理解した河井はそもそも、明らかに何かを隠している様子の奏に若干の不信感を抱いている。


「此処まで来て帰るわけねぇだろ」

「……後悔しますよ。右に進んだら、また文字が書いてあるんです。“からだは このした”。引かれるように床を見ると…… “あたまが うしろからきてるよ ふりむかないでね”」

「あー!! やめろやめろ!! 行くっつったら行くんだよ馬鹿なこと言ってないでさっさとついて来――……いや。やっぱお前、先行け」


 心臓に悪い怪談である。

 しかしやはり此処まで来て引くわけにもいかず、新たに発見したフェンスの裂け目に手をかけた河井は、死んだ目のまま見つめてくる奏を強引に促した。


「……怖いならやめといた方が良いと思いますけど」

「違ぇよ! 振り返ったら俺一人になってそうってか、お前が逃げそうだからだろ!」


 天候のせいか灰色がかって見える垂れ下がった枝の下、ぬっと佇んだままでいる奏は靄に包まれ、今にも姿をくらませそうである。

 そして。

 フェンス向こうにある白壁、こちらも中々に河井を不安にさせる雰囲気を醸し出しており。

 遠目にも伺える雨水の垂れた黒い筋や、開けっ放しの窓から此方を伺う暗闇。

 そんな不気味極まりない廃墟の佇まいと、気づいたら消えていそうな女と、語られた怪談といった重複効果に、河井の脈拍数はちょっぴり跳ね上がってしまっている。

 たが、やはりここで帰るわけにもいかない彼であり。


「そうですね。怖いなら素直に帰りましょう」

「……だから違うって言ってんだろ。ほら」



 “そうですね”じゃねぇよ!と突っ込みを入れたいところだったが。

 地味に帰路を促し続けてくる相手に、埒が明かないと判断した河井は、己の左手を差し出してみせた。


「……。」


 落ちる沈黙。


「……なんだよ。あいつとは繋げて、俺とは繋げねぇってか」

「……別に良いですけど」


 あまりにも痛々しかった空気を払うよう。ゆっくりと持ち上げられた奏の手を半ば強引に引っ掴んだ河井は、フェンスの隙間にその身を滑り込ませた。

 想像以上に小さかった彼女の手のひらに、以前腕相撲をした時はこんなふうじゃ無かった気がするだとか、これで奏に途中逃走を謀られる事は無いだとか、「別に良いですけど」とは一体どういう意味なのかとか。

 怪談の時とはまた違った種類の鼓動を無視するべく、思考を動かしながら廃墟を壁伝いに進んでいた河井は、到着した入り口にまたうっと息を飲んむことになった。


 扉にかけられた親指程の太さの鎖に、がっちりと掛けられた南京錠。

 その上には変色し、かぴかぴになった細い封筒のような紙が貼られている。

 風化し到底読めなくなったそれに、ミミズのような文字が這っているのは気のせいであると河井は思いたい。


「……。」

「……。」


 非常に姑息な手である。

 道中の物理的な障害物を乗り越えたかと思えば、お次は背筋にどうにも嫌なものを伝わせる障害物の登場。

 良い感じに風化したお(ふだ)を前にして、何の抵抗も無く扉を開放できる者はあまりいない。

 しかし、この入念な二段構えや、前回の任務で会った長袖男の言葉を打ち切った奏の不自然な態度からして、此処に何かがある事は明らかで。

 河井はチラリと視線を横に流してみた。無表情に扉を見つめている奏は、何を考えているのか分からない。


「……。」

「……下がってろ」


 河井は覚悟を決めた。

 一歩下がり、思い切り扉を蹴ること、数回。

 錆びた蝶番が外れたのか、隙間を作った扉は自然に傾き、その重さと千切れなかった鎖によって、身をよじりながら奥へと傾いていく。

 むわんと立ち上った埃。一気にカビ臭い空気が広がって来た気がして、反射的に顔を顰めた河井の隣、またもや奏がぽつりと言葉を落とした。


「……やっちゃいましたね」

「……。よく考えたら、幽霊と感染者って似てるよな。外見変わんねぇとことか。今まで散々ゾンビ相手にしてきといて、今更“幽霊”とかおかしいだろ。このお札にしろな、日本人は変なところ信仰深いよな。札一枚で払える外敵とか弱すぎだろ」

「知りませんけど。フラグっぽいですね、その台詞」

「な、何お前。もしかして幽霊とか信じてんの?」

「今までに遭遇した事はありません」


 いつの間にか抜いてた包丁を手の内で回転させながら、飄々と言ってのける奏は本当に何を考えているのか。

 扉の先へと一歩を進める河井の耳に、というか、と追加の声が入り込んで来る。


「幽霊と感染者の共通点なんて、“何年経っても外見が変わらない”ってところだけですよね。あと多分、幽霊に銃弾は効きませんよね」

「包丁も効かねぇだろうけどな。……ってか、幽霊には掃除機だろ」

「? なんですか、それ」

「……まじか」


 過去のものだとはいえ。

 幽霊を掃除機で退治する有名映画を知らない奏に微妙なジェネレーションギャップを感じつつも、気を取り直した河井は扉を越えることに専念する。

 下らない会話によって、お札つきの扉を蹴り倒した罪悪感は多少薄れた。

 傾いた扉の隙間を通り抜ける際、繫ぎっぱなしの手は正直不便だったが、結局河井は奏の手を開放しないことにした。

 それは、降り立った先の床に何かを引きずったような跡があったからとか、ダクトを落とした天井にぽかりと開いた穴が真っ暗だとか、先の暗闇が怖いからといったような下らない理由からではない。

 あくまでも、重要参考人(疑惑)である奏に逃げられると困るからである。


「足もと、注意しろよ」

「建物自体が崩れたら注意しようがないと思いますけどね」

「……。」


 先程からどうにも嫌なことばかり言ってくる奏だが、本当に危険を感じているのなら、彼女はとっくに逃げ出している筈。

 そう自身に言い聞かせながら持参したライトを灯した河井は、まるく照らし出される廊下を改めて一望してみる事にした。

 真っ先に。

 河井の目に入ったのは、コンクリート造りの壁にべとりと付着した変な色のシミ。

 壁の無機質さや天井から垂れ下がったライトの残骸の形状に、どことなく既視感が刺激される。


「……この、なんか引きずった跡。なんだと思う?」


 絨毯のように積もった埃を靴底で拭ってみれば、コンクリート造りの床の上に濃く、薄く残された引っ掻いたような傷跡が付いている事が良く分かる。


「……さあ。セオリーで言うなら人間じゃないですか?」

「こんなデカい人間がいるかよ……」


 一体何のセオリーだ、と言い返す筈が。

 至って普通の感想を漏らすだけに留まってしまった河井は、一本道の廊下の先へライトの明かりをゆっくりと向けた。

 入り口から離れれば離れるほど濃くなる暗闇の中、浮かび上がったのは肩開きの扉である。

 その表には、何の文字も書かれていない。

 けれど扉は、僅かに開いていた。


「……。」


 何かがいるのか。

 それにしては物音がしない。

 ということはこの扉は元々、開かれたまま放置されていたのか。


「っ……! 河井さん、やめましょう。帰りましょう、危険です!」

「お前幽霊とか怖がるタマじゃねぇだろ、危険って何が危険なんだ!?」

「それは……」

「……はっきりしねぇな。つーか色々言うわりに物理的には止めねぇし、そんなんで人を止めれると思うなよ!?」


 確かめるすべは、一つしかなかった。

 僅かな抵抗を見せる奏を引きずり気味に、無理矢理足を進めた河井は突き当たりの扉を一気に開け放つ。

 その瞬間、靴底の下でぱきりと鳴った小枝が折れるような音に。

 河井は僅かに後悔した。










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