空白のページ
※ ※ ※
目が覚めたときにはもう、透明な膜の向こう側から沢山みられていた。
叩いてみた膜はかたくて、表面を打つたびにビリビリと震えるのが面白くて、何度も何度も叩いていた。
けれど結局膜は割れず、手がぐちゃぐちゃになって、嫌な気分になった。
明るくなったり、暗くなったり。
最近気が付いたのは、幕の外の世界はそれを繰り返していて、餌が無くなる事は無いのだということ。それと、ここには色んな種類の餌があるんだということ。
不味そうなの、美味しそうなの、その間くらいのもの。
餌が餌を持ってくるのが、面白い。でも置いていかれる餌より、膜の外からこちらを見つめる餌の方が食べたかった。
「――所長、この個体には脚部に変異が見られます」
「そんなの見れば分かるよ。知能の確認は?」
「い、いえまだ……脚部の変異構造の方を中心に観察していたので」
意味はわからないけれど、最近餌が発する言葉をちゃんと聞き取れるようになってきた。
“しょちょう”と呼ばれるボサボサの毛の餌は、よく膜の前に現れる。
もうひとつの餌は、最近ずっと膜の前で此方を見つめてきていた餌だ。
「ふうん。つまり君はこの4日間、外からただこの検体を観察してただけって事?」
「そ、それは――」
「ああ、その個体だったらこの前キューブボックス放り込んで見たけど、パズル解くどころか普通に足で踏み潰されたよ? あと良くガラス叩いてるみたいだけど、知能の有無は良く分からないね?」
「桜……お前、また勝手に入ってきたの?」
2つの餌の後ろの方から、またひとつ餌が出てくる。
きゅーぶぼっくす、とはこの前放り込まれた妙な餌のことだろうか。
“さくら”と呼ばれる餌が寄越してきたそれは、中から良い匂いがするのに、外側がとても硬かったので、思い切り足で踏み潰したような気がする。
あれは、楽しかった。
「だって此処、チャイムついてないし? あ、あとさっき機材の人来てたよ」
「あ、そう? ……ってかセキュリティは?」
「今回のより前のの方が、性能的には良いと思う」
「……ってか桜、お前この検体受け持つ気とかない? こいつ使えないんだよね。初期観察異常に長いし。どうしようかと思ってる」
「ヒヤシンスの球根でも渡しとけば良いんじゃない? あと受け持ちとか無理。経過記録いちいち紙に書くとか、面倒くさい」
ひらひらと手を振る“さくら”と“しょちょう”は良く似ている。
毛がボサボサなのもそうだし、声の音も良く似ている。
少し遠くにいる幾つかの餌達は、みんな揃って此方に何とも言えない視線を向けてきていて、近くで良く似た2つを見つめているもうひとつの餌は、何故だか少し震えているようだった。
「ってか修兄が受け持てば? こっちはこっちで今、興味深い検体見つけちゃったし」
「んー。でも僕、頭痛いし。眠いし。助手が欲しいんだよね。君、言われたことを実行すること位は出来る?」
「出来ま、す……ッ」
「そう? じゃあヒヤシンスの観察は先送りだね……ってか桜、面白い検体ってどれ?」
「ん? ……機材の人、あんまり待たせない方が良いんじゃない?」
それからは“しょちょう”と“かんさつ”が今まで以上に良く膜の前に現れるようになった。
“かんさつ”は今まで以上に“いぐすり”を食べるようになった。
目の前に美味しそうな餌があるのに、食べられないのが嫌だった。
「なんか追加で超硬合金の柵、つけれるみたいだけど。必要なのはコイツの所ぐらいか?」
「いや良いだろ、お前心配しすぎ。変異体なんだから、餌さえじゅうぶん与えてれば問題ないし。余計なところで金かけたら、また嫌味言われるじゃん」
だからある日、目の前の膜を破ってみた。
その感覚が楽しくて楽しくて、初めてじぶんはこの為に此処にいたんだと気がついた。
一気に逃げ出した餌を片っ端から齧っていく。今まで食べていたものが何だったのかと思うくらいに、美味しかった。
「何故だ、餌の供給は十二分に行われていた筈――ッ!!」
餌のどれかが何か言っていたけど、そんなのは関係なかった。
お腹はもういっぱいだったけれど、ただ壊すのが楽しいから壊す。
餌から吹き出る色で部屋の色がどんどん変わっていって、気付けばそこらじゅうの色々が壊れていて、逃げていく餌を追いかけていたら、嗅いだことのない匂いを見つけた。
それに引かれるよう進んでいけば、足にあった硬い感覚がなんだか柔らかいものに変わって、カサリ、と音を立てたそれは、何枚も何枚も降り積もっていることが分かった。
鼻先を通り過ぎていく空気に、初めての匂いが次々に入り込んでくる。
一歩を踏み出した先は暗くて、見上げればすごく上の方に小さな光が一つだけあった。
ぼんやりと暗闇を照らす光に、手を伸ばしてみたけれど届かない。
それは不満なことだったけれど、目に見えるもの全部が初めて見るもので、すぐに光の事は忘れた。
――これからはやりたい事も分かったし、食べたいものも好きなように食べれる。
なんとなくそれが分かって、何処まで続いているのか分からない地面を思いっきり走った。
身体全体がふわふわしているみたいで、楽しくて、壊しきった今までの場所のことなんか直ぐに忘れてしまった。