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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
83/109

その77・早期解決に乗り出すこと








 留守番というもの。

 それを地味かつ暇かつ楽な役割と、思っている者は多いのではないだろうか。

 とんでもない誤解である。


 確かに、大体において留守番とは、子供にも出来る簡単なお仕事だ。

 しかし、それはある一定の状況下に置いて、地獄と化すのだと河井は主張したい。


「だから“何を怒っているのか”と聞いているだろう。それに対し“なんでもない”というくせに、君は一体何がしたいんだ!」

「そ、そんな事も分かんないわけ? 馬鹿じゃないの……っ、それくらい察しなさいよっ!」

「察しろだと? 僕の事を超能力者か何かだとでも思っているのか君は。馬鹿もここまでくれば気違いだ、だから嫌いなのだ女など! 喚けば聞いてもらえると思っている、泣けば許されると思っている」


 その、ある一定の状況下、とは。

 同じ部屋の中にいる、文字通り“顔見知り”でしかない男と女が喧嘩を始め、更に女の方が泣き出した場合なんかを、正にいう。

 それは、人生においてそう簡単に発生しない状況なのだが。

 ばっちりそんな状況の片隅に置かれてしまった河井は、ツキツキと軽く胃が痛み始めているような気がしてきた。

 奏から留守番交代を申しだされた時、余計な見栄を張らず素直に申し出を受け入れておけば良かったなんて、先に立たない後悔だけが彼の頭の中をぐるぐる回る。


「あ、あのー……その辺にしといた方が良いんじゃないすか?」


 嵐のような言い合いの最中では、到底聞き入れられなかったそれだが。

 ぐずぐずと鼻をすする女と、それを苦虫を噛み潰したかのような顔で見下ろしている男に、“俺の為にもその辺にしておいてくれ”と。


「……僕の事が気に食わないのなら、最初から此方になど構わなければ良い」

「……。」


 控えめなりに心底から行われた河井の懇願は、今度こそ一応彼らの耳に届いたようだった。

 最後に追い打ちのような捨て台詞を残し、女から離れていった長袖男に、河井は胸中で重い溜め息を落とす。

 とりあえず場は落ち着いたらしいので、それはそれで良いのだが。

 プライドの高い男と、言葉が出てこなくなるまで引く事を知らない女。何故こんな“混ぜるな危険”な二人が真っ先に集まってしまったのか、河井としては運悪く竜巻の衝突現場に出くわし空を飛ぶ羽目になった牛の気分である。


(ってか……)


 長袖男は、分かっているのか分かっていないのか。

 人間、本当に気に食わない相手の事など、そもそも視界にすら入れないわけで。

 特にこの二人の場合、お互いがお互いに理解してもらいたがっているからこそ衝突しているような気がしてならない河井は、先程とはまた別種の気だるい溜め息を落とした。

 “喧嘩するほど仲が良い”というベタベタな慣用句に照らし合わせれば、何処もかしこも誰しも彼しも、仲睦まじいようで何よりだ。



「……?」


 その時、コトリと。

 微かな音を立てた扉の方に。

 反射的に視線と銃口を向けた河井は、その表情をうっかりやさぐれたままにしてしまっていた。

 しかしまぁ、そんな彼の表情は頭部装備に隠されている為、はたから見るものに伝わる事は無い。


「……失礼しまーす」

「……!?」


 そして次の瞬間。

 開かれた扉の先を映した河井の瞳が、大きく丸くなったことも、やはり見るものには伝わらなかった事だろう。


「あー、どうも。此処に皆さん集まっていると聞いてきました」


 控えめに開かれた扉の隙間から現れた人物の、その姿。

 軽く両手を上げ軽く頭を下げた相手の、ゴーグルとマスクとヘルメットによって隠された顔は、しっかりと確認することが出来ない河井だが。

 しかし、その装備こそが、そしてその服装こそが。


(え、ってか生き残ってたのか?)


 明らかに研究所の者と思われる、相手の姿に。

 河井の中で飛んだツッコミは先程奏が飛ばしたものと全く同じだったが、彼も彼女と同じように、それを一応口にしない事にした。

 今は、何と言っても先行部隊が生き残っていた事を喜ぶべき時である。

 だが。

 ほんわかした声を出しているこの相手は、タイミングからみて間違いなく、廊下で入室のタイミングを計ってきており。

 柔らかい物腰の割に、中々のちゃっかりもの――そんな相手の態度と声に、銃を下ろした河井は何だか嫌な確信を抱いた。


「……もしかして、北村さんっすか?」

「え、俺の事知ってます?」

「俺っすよ俺、河井」


 河井が軽くゴーグルを上げてみせれば、相手もそのゴーグルを上げて見せてくる。

 そうして今、しっかりと視認出来たお互いの顔に。


「おお、河井君! 君が来てたんだ、じゃあもう安心……って、何人で来てる?」

「あー。今回は2人で来たんすよ」

「つまりさっきの女の子と、君ってことか……ってかあの子、俺初めて見ると思うんだけど。誰?」


 一気に態度はくだけて。

 同じ部屋の中にいる男と女の子となどまるで見えないものかのように歩み寄って来た北村に、河井は軽く腰の位置をずらして相手の座るスペースを開けた。


「あいつは――そうっすね、多分、単独任務しかして来てないやつで。俺もこの前初めて組んだんっすよ。だからまぁ新人ってわけじゃないんで、安心してください」

「単独任務? ってことはかなりのベテラン?」

「まぁ、そうっすね。多分俺らの中じゃ一番先輩なんじゃないっすかね」

「ははぁ、あの女の子がねぇ……」


 やはり知った人間と話すのは気が楽で、些細なそれでも心が洗われるようで。

 これだ。これだ、と。

 河井は心の中でふるふると拳を震わせる。

 相手が精神的逆境から自分を救ってくれるような男ではなかったのだとしても、河井は今、確かにギザギザになりかけてたハートが癒されていくのを感じた。


「それで北村さんは、奏に言われて此処に?」

「へぇ。奏ちゃんっていうんだ、あの子」


 しかし。

 明るく問いかけた確認に対し、返って来た北村の何処かずれたそれに。

 河井の瞼は常時の約半分にまで落ちる。


「……やめといた方が良いっすよ?」

「いやー。でも俺、女の子好きだから」

「北村さん、彼女いるじゃないっすか」

「うーん……でも俺、女の子好きだから?」


 ほわほわ、にこにこと。

 さも“俺、動物好きだから”とでも言っているかのような態度で大した言葉をのさばる北村に、河井はじっとりとした横目を向けた。

 それに対し未だにこにこと(河井から見ればニヤニヤと)した笑みを浮かべ続けている北村は、彼は彼で、久々に見知った人間に会えた事が嬉しいのだろう。

 

「とまぁ冗談は置いておいて。今ってどういう状況?」

「……とりあえず二手に分かれて、人命救助と救助した人命の保護を行ってるとこっすね」


 本当に冗談なのかは疑わしいところだが。

 再会の挨拶を終いにし、任務しごとに戻る事にしたらしい北村に軽い状況説明を行った河井は、同時に状況が少し変わったのだという事を理解する。

 今までは2人だったが、これからは3人。

 となると。


「じゃあ俺、あの子の手伝いにいくから。河井君、此処はよろしくー!」

「流石に待ちましょう」


 軽やかに旅立ちかけた北村の肩をガッシリ掴んだ河井は、その顔に柔和な笑みを浮かべた。


「俺が行くんで。北村さん、此処をよろしくお願いします」

「いやいや河井君、君には此処がピッタリだと思う。年上・・の助言は聞いておくべきだ」

「1年の差がなんだってんすか。俺の経験・・が、此処は北村さんに任せるべきだと言ってます」


 年は北村が上。しかし研究所に来たのは自分の方が先で。

 そんな本来はやりにくい関係である筈の相手に、けれど年が近い事と北村の性格が相まって、河井の中にはあんまり遠慮の文字というものが無い。

 特に、今が、今こそが。

 この地獄のような留守番役脱却の機ともなれば、生け贄を引き止める河井の腕に遠慮の文字などある筈も無い。

 しかし、一筋縄では行かないのが北村。

 そして廊下で先程の喧嘩を聞いていた北村、彼もこの場に残る気は毛ほども無いようで。


「えー。一回組んで任務行ってるのに、その時点で落とせてないって事は……河井君、君にはもう無理。悲しい事だけど。大丈夫、独り身ってそんな悪いもんじゃない。気楽なもんさ」

「そういう問題じゃないんっすよ!」

「……そう。そういう問題じゃないわ」


 しかし。

 その時、どろどろと地獄の底から這い上がってきたかのような怨念じみた声が鼓膜を震わせて。

 同時に振り返った北村と河井は、そこに立っていた幽鬼の如く雰囲気をまとった女の姿に、ピタリと揉み合いの手を止めた。


「あの子にはもう、あの鴉君がいるから無理よ、むり……」


 うっすらとした笑みを浮かべた口の端に、髪を一房くわえた女の雰囲気は異様に暗い。

 先程まで長袖男にボロカスに言われたあげく泣かされていたのだから、それはそうかもしれないが。

 何にしろ梅雨空の窓をバックにしたこの世全ての“負”を背負ったかのような女の姿に、河井の反応は一瞬遅れてしまう。


「からす君? それは――もしかして彼女と一緒にいた、あの?」

「そうよ、金髪の……」

「……金髪? ああ、そういえばえらく色素の薄い奴だとは思ったけど。彼、ハーフだったのか」


 その一瞬の間に、北村の口から出てしまった質問に。

 答えた女の言葉にひっと息を飲み、またそれに対する北村の解釈に飲んだ息を吐き出し、口を金魚のようにパクパクさせていた河井は、次の瞬間酸欠のフリをして倒れたくなった。


「違うわ、彼はゾンビ」


 外の雨音など意にも介さず、職員室にくっきりと落ちた女の声。


「……は?」


 言葉に代えられる事を待たずに、北村の口からこぼれ落ちた反応。


「ゾンビよ、ゾンビ。あんたたちは貴重な人間の女をゾンビにかっ攫われるのよ……ふふふ、現実なんてこんなものなのよ、理想なんて叶わないのよ、みんな不幸になれば良い……」


 ふふふふふ、と。

 笑いながら踵を返していった女を、河井はその目を丸くしたまま茫然と見送った。

 まさか。

 まさかこの女、自分の恋愛が上手く行っていないからと言って、こんな嫌がらせに出たのかと。

 爆弾を投げるだけ投げて去っていった女の後ろ姿に、何か言葉を投げようとしていた河井はその時、すぐ隣からの真っすぐな視線にうっとまた息を飲んだ。


「……どういう事なんだ、河井君」

「それは、その……」

「ちょっと、意味が……だって彼は、普通に……言葉を話してた、ぞ?」


 どうやら腕を組んだ北村は、“感染者を同行させている”という事よりも“感染者が喋った”という事の方に、衝撃を覚えているらしい。

 軽く彷徨わされたかと思えば、またすぐに戻って来て。

 動揺を押さえ込み先を促してくる北村の視線に、既視感を覚えた河井は改めて、しっかりと相手に向き直った。

 こうなってしまえばもう、曖昧に濁すなんて事が出来る筈も無い。


「……特殊型なんすよ」

「それは俺も特殊型が特殊だって事は知ってる……けど、も。人の言葉を、話すのか?」

「俺も、あいつに会って初めて知りました。……そういう個体も、いるみたいっすね」

「嘘だろ……? あいつら、どこまで進化するんだ……」


 北村の落ちた視線から、河井はそっと目を逸らした。

 感染者が言葉を話す、という事実。

 それを河井が初めて知ったのは、奏と初めて一緒に任務に行った時のことで。

 今思えばあの時、自分は中々以上の衝撃に、かなり取り乱してしまっていたような気がするが、けれど、だからこそ。

 未知への恐怖を払拭し得る言葉を、自分なら選び出せるんじゃないかと。


「何を言っている? 生き物である限り、進化はする。そんな事も知らないのか、そもそも――」

「す、すいませんちょっと立て込んでるんで。ちょっと黙ってて貰えないっすか?」


 何とか明るい言葉を捻り出そうとしていた河井は、突如会話に乱入して来た長袖男に、流石に静止の言葉をかけた。

 長袖男が北村を励まそうとしているとは思えなかったからだ。

 それによって長袖男は足音を響かせながら去っていったが、今は同僚の動揺の方が当然重要な河井である。


「そうだ、あの子は! 奏ちゃんは大丈夫なのか?!」

「ああ……あいつは多分、大丈夫っす」

「何が大丈夫だ、特殊型に拘束されてるんだろう!? しかもやつは腐敗していなかった、かなり強力な感染者だ、っていうのに河井君、君はつめたい奴だなやはり此処は俺が助けに――って、ん? そういえば彼女、冷静だったぞ? まさか……そいつが特殊型だと知らない?」


 はっと顔を上げたかと思えば、パタパタと。

 あっちに行ったりこっちに返って来たりし始めた北村に、河井はとりあえず少しばかりほっとした。

 先程までは魂が半分抜けかけていた北村だが、どうやら動けるくらいには元気になったらしい。

 しかし。

 相手からの質問に、河井はしばし言葉に悩む羽目になる。

 けれど、どう悩んでも考えても、伝えられる答えは一つだけだ。


「……いや、知ってます。奏は、あいつが感染者だと知った上で……あんな感じっす」


 立ちっぱなしだった事を思い出し。

 近くの机に軽く腰を下ろした河井は、落ちた数秒の無音の間に次の北村の言葉を確信していた。


「悪い、意味が分からない」


 そうっすよねー、と。

 溜め息で出来た言葉を落とせればどれだけ良いかと思うが、今の河井は説明する立場。

 自分がそれを言ってしまえばお終いで、だからといって、気の利いた説明文が浮かぶわけでもなく。

 落ちた無音の中の空気は、なんだか妙に苦々しい。


「感染者と知って、知った上で? 逃げるわけでもなく攻撃を仕掛けるわけでもなくーーしかも、人の言葉を話す感染者って……あの子は、なんであんなに冷静に」

「俺も、思いましたよ……」


 ついに河井はあきらめた。理解出来ないものを説明出来る筈が無い。

 そう。

 奏は河井からして――そしてどうやら北村からしても、かなり変だった。


(そうだ、大体あいつ、俺が鴉と初めて会った時にしたって……)


 奏から“人の言葉話す感染者がいたからって何だってんだようるせぇな”という目で見られた事を、河井は忘れていない。

 そもそも。

 所内の者は感染者の事を、通称として“ゾンビ”と呼ぶ。

 それは“感染者”の過半数が腐っており、例え腐っていなくとも、あーとかうーとか言いながら餌を求めて歩き回る姿が、ゾンビのイメージそのものだったからだ。

 「腹減ったわー」とか言いながら街をぶらつく生き物ではなかったからこそ、皆がみな感染者に対し、迷うことなく“ゾンビ”という通称を選択していたのだ。


「――でもあいつは、知ってたんすよ。言葉を話す感染者ってのが存在するって。俺らの知ってる“ゾンビ”じゃない感染者が、存在するって……」

「……とりあえず、あの子が冷静だった理由は何となく分かった。まぁ言えば河井君、君も冷静だしな……というかそれならそれで、前もってちゃんとそういう感染者が存在するって情報がほしかった」


 直感的なものにすぎないが、何か言いようも無い違和感を覚え始めていた河井は、北村の苦々しげな言葉にはっとその顔を上げた。

 確かに、“言葉を話す感染者もいる”という事実に彼が驚いたという事は、即ちその情報を知らされていなかったという事で。


(……どうなってんだ?)


 何かがおかしいという事は確かで、けれどそれが“何”なのかまでは掴みきれず。

 モヤモヤ、モヤモヤと。

 己の中に渦巻く疑惑と疑問に、数秒の間をあけた河井は次の瞬間、他者に引き止める間を与えない速度で今、職員室から飛び出した。







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