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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
82/109

その76・得た情報はいち早く上司にチクること






 ――民間人集団を追い回しているらしい感染者を、必ず仕留めること。

 一人部屋に残され、追加任務を上司らから言い渡された時の事を、奏は今改めて思い返していた。

 なんでも集団をストーキングしている感染者は昔の研究所の元・検体らしく、上司らはそれから過去の情報が漏洩することを危惧しているようだった。

 確かに、最近の最近まで変異型だと勘違いされていた特殊型でも、特殊型である以上、言葉を話せる可能性はゼロではない。


(でも、それ以上に……)


 救出すべく追っていた集団の中にいた、昔の研究所の関係者と思わしき人間。

 情報漏洩的な意味では、此方の方がより警戒すべき対象なのではないかと。

 足早に階段を上りつつ無線機に現在状況を伝えきった奏は、通信先からの反応を待っていた。


『……。』

『……。』


 しかし。

 数秒待ってみても無言しか返ってこない事に、奏は軽く眉根を寄せた。

 ちなみに飯島に通信が繋がった時点で、彼の近くに楠がいる事は既に確認している。

 すなわち無線機の向こう側は恐らく楠の研究室で、そこには上司2人がいるはずで、なのに両者そろって無言とは、一体どういう事か。

 これはもしや、通信障害が発生しているのか。

 ということは自分はもしかして一人でずっと喋っていたのかと、奏が身悶えしそうになってきたころ、ようやく無線機からノイズと身じろぎのような音が漏れた。


『生き残ってるやつとか、いたっけ?』

『私が見た限り、いなかったように思うが』


 長い無言の後、言葉を落とした上司2人は至ってマイペースだった。

 ついでにその声色も普段となんら変わりないもののように思え、奏は階段を踏みしめながら首を傾げる。

 上司らのこの様子からしてもしや、あの長袖男が昔の研究所の関係者だというのは、河井の勘違いだったのか。

 それとも男が語ったのは、自分らの知人ではない“楠さん”の事だったのか。

 もしそうだとしたら、なんだか、それを大問題だと思って早急に通信してしまった自分がちょっと恥ずかしかったりする奏である。


『うーん……唯一可能性として考えられるのは、非番ってやつだね。……でもうちの研究所に非番のやつとか、いたっけ?』

『生き残っている者がいるという事は、非番が存在したという事だろうが』

『まぁそういう事になるよね……ってか非番の奴の事なんて覚えてないよ。というか奏ちゃん、そいつ本当に僕の知り合いだったの?』


 首をひねり合っている上司2人の言葉から察するに。

 昔の研究所で何やら事故が発生した際、生き残ったものはこの2人以外にいなかったようだ。

 それは、よく考えれば中々に重い話題のように思えるが。

 飯島も楠もその辺りをサラッと長し、“非番”についてなんとも曖昧な記憶を一応頑張って辿っているようなので、奏も深い部分は考えず(非番の有無くらい覚えとけよ、と思わなくもないが)己の記憶を辿ってみることにする。


「私は直接話をしなかったので分かりませんが……河井さんは確信を持って“楠さんの知り合いだ”と言ってました」

『うーん……河井君、その男から何を聞いたんだろうね?』

「言及してマズい展開になったら困るので、そこまでは……ああ、でも“めっちゃ頭良くて研究好きの楠さん”って言ってましたね。あ、あと“一族そろって頭が良い”とか」


 あと他に、河井はなんと言っていただろうかと。

 数分前の記憶さえ明確に思い出す事が困難な奏が、人の記憶の曖昧さを改めて実感していると、そのとき廊下に響いたのは朗らかな笑い声。


『あ、それ僕の事かも。あはははは』


 ピタリと。

 思わず階段を上る足を止めてしまった奏は、未だカラカラと笑い声を漏らし続ける無線機を静かに見下ろした。


『……何とも言えんところだな』

『えー。だって“ずば抜けた天才で研究好きな楠”とか僕ら兄弟以外いなくない? 父親は頭良かったけど研究室には顔出さなかったし、母はあの研究所には立ち入り禁止されてたし?』


 ずば抜けた天才、とまでは言っていなかったような気がするが。

 所内で行われている研究を総括している人間の言うことなので、とりあえず突っ込みは入れない事にした奏は、軽く息を整えまた階段を上がり始めた。

 いつもより彼女の息が上がるのが早いのは、恐らく胸にさらしを巻いているからだろう。


『……まぁ。その男がお前の知り合いである確率と、お前のように頭が良くお前のように研究の事しか考えていない、しかしお前ではない“楠”が他に存在する確率と……どちらが高いかという話だな』


 自分と同じく、ツッコミを入れない事にしたらしい飯島の声に。

 奏としては普通に考えて、長袖男が楠に知り合いである可能性の方が高いように思った。そしてそもそも少しでも可能性がある限り、危惧はしておくに超したことはない。

 そんな奏の思考の流れは、どうやら楠の方と一致したらしく。


『んー。関係者は全員死んだと思ってたんだけどね……ちょっと面倒な感じだね?』


 うーん、うーんと。

 本当に真剣に考えているのか疑わしくなるような単純な唸り声を漏らしている楠は、おそらくは本当に真剣に考えているのだろう。

 なんたってこの上司二人らは、過去の何かを隠したがっている様子だ。

 そして隠したがっているという事は、バレたらマズい事があると言う事であり、その一部しか知らない奏としても、出来れば情報は隠蔽しておいて欲しかった。

 職場兼自宅がゴタゴタして嬉しい人間など、いない。


『とりあえず、生きてるって事はその男、あの時非番だったって事だし? なんで黒液が世に広まったのかが、その男からバレる事は無いと思うけど』

『いや、そもそも楠。お前は身分を隠している。そう考えるとマズい事は無いのではないか?』

『いや、あるよね? そりゃ最前線にいた事がバレなくても、人体実験してる研究所で主任やってて、そのうえ世の中こんなのになってるんだよ? ……河井君が知ったら絶対僕キレられると思うよ。河井君だけじゃなくて、他の奴らにも』

『他人だと言い張れば――』

『正直、苦しいと思うよ?』


 ポロッと鼓膜を強打してくる物騒な単語には、聞こえないふりをして。

 上司二人の結論を無線機の充電ハンドルを回しながら追っていた奏は、次の瞬間むせかけた。


『――ってことで奏ちゃん。その男、事故を装ってサクッとっちゃってくれない?』

『……は? お前は何を言っているのだ!』


 飯島の鋭い声が、無線機の向こう側で飛んでいる。

 それによって我に返った奏は、一瞬ベキッとかいう音がしたような気がする充電ハンドルを、半ば茫然と見下ろした。


『え? だってやっぱりどう考えてもその男、面倒だし。関係者に生きていられると困るって』

『だからと言ってその人間を殺すと!?』

『うん』

『馬鹿を言うな、勿体なさすぎる! この時代、人間がどれだけ貴重か分かっているのか!?』


 微妙に飯島の突っ込みどころがズレているような気がする奏だが、とりあえず今は彼を応援したい。

 彼女だって流石に、人殺し任務など行いたくないのである。


(……あれ?)


 しかし拒否を思う気持ちに、何かが立ち塞がって。

 奏は口を開く事が出来ないままに、視線を己の足先まで落とした。


『何言ってんの? 馬鹿は君だよ、飯島バカ。……そりゃあ人間はこの時代貴重だし、この研究所の存続のためには、どんな人間だろうと救っておいて損はしないだろうけど? でも、同時に一人の人間によって全てが壊されかねないってこと、分かってる?』

『ああ、確かに危険な状況ではある。しかしその人間の利用価値を考えれば、結論を出すには早すぎるだろう!』

『利用価値? そりゃ確かにうちの研究所で雇われてたくらいだし、他よりは頭の良い人間だと思うよ? でもそこが問題なわけで、僕は少なくとも今やってる研究が形になるまで、この研究所には持ってもらわないと困るんだよね』

『それは当然、私自身もこの研究所には恒久的に続いてもらいたいと思っているが――』


 気持ち半分で拾い続けていた無線機からの音声に、なんだか飯島の旗色の悪さを感じ。

 ついでにこの議論が長引く予感も感じてきた奏はふと、頃合いを見て通信を切るべきかを考えた。

 これまでこの上司らと付き合って来た経験上、こうなっては数分言い合いが続く可能性大である。

 そしてその間、回し続けられる充電ハンドルに意味というものは殆どない。


『じゃあサクッとやっちゃうって事で良いじゃん。ってかそれに今回の事は飯島、君に8割責任があると思うよ?』

『何だと? 私に何の責任があると言うのだ!』

『君が僕の事をずっと“楠”って呼ぶからだよ! 僕最初に言ったよね、名前変えたいって!』

『呼び方は変えてやっただろう!!』

『“楠”って呼んでる時点でアウトだよ!!』


 完全に話がずれ始めているあたり、間違いなくこの言い合いは長引く。

 己の中でそんな確実な結論を出した奏は、そっと無線機のスイッチをオフにする事にした。後で上司に詰め寄られても、充電が切れましたと言い張れば何とかなるだろう。


「……。」


 ぶじんっと独特な音と共に通信が途切れれば、後に残るのは静寂。

 じめじめしたがらんどうの廊下に響く人の会話が、如何に騒々しいものなのかを実感する瞬間だったりする。


(にしても……)


 無線機をナップサックの中にしまい込みながら、奏は上司らの会話を改めて回想してみた。


 楠の主張の意味は分かる。

 マズい情報を握っている者など、殺してしまえば非常にスッキリ、後には何も残らない。

 けれど、そう簡単に殺せないという飯島の主張も分かる。

 この時代、人間とは貴重な“物資”の一つである事に加え、相手が昔の研究所の元・職員ともなれば、個人が持つ知識量にも中々の期待が出来るから。

 そう、人間と言うのはある意味、一人が一個の図書館のようなものなのだ。

 しかし。

 今回に限ってはその蔵書内容にこそ問題があるわけで、それこそ図書館のように問題の本だけを禁書扱い出来れば良いのだが、それが出来ないからこそ、図書館ごと丸焼きにしてしまおうと言う楠の主張がここでまた、戻ってくるわけで。

 でも、だが、しかし、と。

 4階への階段の最上段を上りきった奏は、一息をつくフリをして隣の鴉をチラリと見上げた。


「……。」


 これまで、ずっと。

 奏は“敵かそれ以外か”――そんな己の中の二分化に基づいた、“自分の邪魔になる”という理由だけで何の恨みも無い感染者を殺してきていた。

 だからこそもう奏は鴉に対し刃を抜く事はしないし、それで言うならば、長袖男は確実に始末すべき相手だという事も分かっている。

 普通、感染者とは始末すべき対象だが。

 普通、人間とは救出すべき存在だが。


(敵かそれ以外か……か)


 敵とは自分を、または自分の大切なものを脅かす存在の事だと奏は思う。

 感染者だって益となる事はあるし、人間だって害となる事はあるのだと、彼女はもう知っている。


(となるとやっぱ、楠さんが言っていたみたいに事故を装ってサクッと――って、どんな事故!?)


 奏は地獄の蓋の隙間から漏れだしたかのような溜め息を、ドロドロと落とした。

 毎度の事だが、楠はどうにもサラッと無理難題を言う上司である。

 だがそれを行わなければ自分は、“感染者である鴉と手を繋ぎながら人間を殺す人間”という限りなく外聞の悪い存在になってしまうではないかと。


(さ、最悪……)


 そもそも何の恨みも無い人間を殺す事自体に抵抗を感じる奏の中には、ついでにぶっちゃけそれ以外の後ろめたさも存在する。

 今の研究所のあり方に、多少問題がある事を知っていたからだ。

 しかし「だから裏事情なんて知りたくなかったんだよ!」なんて思っても時は既に遅すぎるわけで、けれど、それを行わなければ研究所の存続が危ぶまれる、というのなら、それを行うしか無く。

 第一よく考えてみれば、ちょろっと話した程度の民間人と、研究所。奏にとって大切なのは、間違いなく研究所おうちの方で。


 何の恨みも無い人間を手にかけるのは嫌。

 多少の問題があろうと、研究所は存続すべきである。

 となれば、殺人に正当な理由さえあれば――と。


「……何か言いたい事でもあるのか」

「……え? あ、いや……別に」


 決して口には出せないような考え事をしている間、ずっと鴉の方を見続けてしまっていた奏は、我に返って軽く首を振った。

 それでも鴉の眉間に寄ったままのしわは、顔をガン見されたまま物思いに耽られた事に対する不快感によるものだろう。


「いや……やっぱ、使い慣れた呼び方変えるのって、難しいのかなって」

「俺に困難などない」


 誤摩化すように。

 通信を切る間際上司らが言い合いっていた話題を出してみた奏は、返って来たそれに複雑な苦笑いを漏らした。

 “非常食と呼ぶな”と主張した後もしばらく、鴉が“非常食”という単語を使い続けていたのは、奏の気のせいではない。


「…………まぁいいや。で、対象は移動してる?」

「大幅な移動は無い。この上にいる」


 真上を指差した鴉に。

 一つ軽い息をついた奏は、長袖男問題をぎゅっと頭の隅に押しやる事にした。

 何を悩もうとも結局、全ては上司らの結論次第。

 今は己の成すべき事を優先順位順にこなしていくべき時であると、奏は廊下の先を見つめる。

 この先には屋上へと続く階段がある筈で、そこには彼女が今目当てとしている存在が(鴉によると)いるらしかった。


「あー、あと。ついでにだけど、この近くに他に人はいる?」

「いる」


 いるんかい。

 というツッコミは口に出さない事にして、奏は鴉の指差す先を追って見てみた。

 灰色の廊下に今のところ人の影は無く、それならば一体どこにいるのかと。


「移動中だ。あそこの扉から出てくるだろう」


 鴉に胡乱な横目を向けかけていた奏は、慌てて視線を元の向きへと戻した。

 遠距離であれば、大体の位置。

 そして近距離となればその動きすら把握することが出来るらしい鴉の嗅覚は、もはや驚愕を通り越し人知も完全に超えるものである。

 まぁそもそも、人間ではないのだが、と。


「……っ! 助けに来てくれたんですか!?」


 ふと思い出し改めて鴉の髪がフードに完全に隠れているかを確認すべく一瞬目を離していた奏は、その声に引かれまた慌てて廊下先へと視線を戻した。

 そこに立っていたのは上下お揃いの――更に言うならば、奏や河井と全く同じ装備を身につけた人間で。


「よかった、本当に良かった……黒板の伝言、見てくれたんですね。あれじゃあ分かりにくかったかなと、心配してたんですよー……」


 へなへなと頼りなく教室の扉に寄りかかった、30そこら位の研究所隊員に。


(え、生き残ってたの?)


 と、真っ先に口に出してしまいそうになった奏だったが、とりあえずその言葉は飲み込んでおく事にした。





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