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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
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その75・気を使ってみること








「あら、生きてたの」

「……君こそ。まったく、しぶとい女だ」


 尻を軽く払いながら立ち上がった長袖男と、小首を傾げる女の後ろ姿。

 二人の民間人の再会シーンを、奏は職員室入り口付近から観察していた。

 どうやら伴侶探しを生き甲斐としている女も、久々の知人との再会には思う所があるらしく。

 見知らぬ男性より再会した知人へと挨拶を投げた女に続くよう、職員室内へと一歩を進めた奏は、割れた窓ガラス片の上で僅かに滑った。


「……。」


 それは、中々に大きいガラス片。

 そこに付着した擦ったような黒い線と、よく見てみればその辺りにポツポツ飛んでいる黒い雫は、恐らく先程廊下側から窓を突き破っていたゾンビのものなのだろう――なんて。

 自身の少々間抜けな一場面を誤摩化すよう、下げた視界の先で奏が確認を行っている間も、民間人二人の雑談は続いている。


「女ってのはしぶとい生き物なの。馬鹿にしないでくれる?」

「ああ、良く知っているとも。女とはしぶとく、我侭で厚顔な生き物だ。だから嫌われる」

「それはあんたの昔の職場での話でしょ? いつまで言ってんの、昔の事うだうだ引きずってる男とかキモすぎ」


 言っている内容は酷いものだが、女の声色は酷く楽し気だ。

 それに微妙な違和感を覚えつつも、今はとりあえず女の意識が別の方を向いている隙に、という事で。


「お前、遅ぇよ」


 河井に話しかけようとした奏は、相手から開口一番に文句を食らった。

 しかしそこの所は奏自身、遅くなった自覚があったので。

 机に浅く腰掛け腕を組んでいる河井の方へと、しぶしぶ素直な謝罪を向けておく事にする。


「……すみません。でも今後は、鴉がかなり使えるという事が分かったので。作業ははかどると思います」


 確認を込め、繋がれた手の先を肩越しに見た奏は、そこにあった鴉の真顔と無言にほんのちょっぴり不安になった。


(こいつ……いざという時に“やっぱ協力しませーん”とか言い出さない、よな?)


 なんだかそんな昔話を、昔読んだ事があるような気がする奏だが。

 鴉の能力が使える事は確認済みで、そして鴉は感染者。

 いざとなったら食べ物でつって、何とか言う事を聞かせれば良いだろうと。

 普通で考えるならどうにも“上手く行かないフラグ”っぽい事を考えながら、視界を戻した奏は河井に不可解そうに眉を寄せられる。


「あー……こいつ、なんか臭いで人間の位置を識別出来るみたいなんですよ」

「あー……なんかそれ聞いた事ある気が」


 もしや河井は知らなかったのかも、と思い補足を紡いでみれば。

 どうやら言われて思い出したらしい河井に、奏は軽く頷いてみせた。


「それで。河井さんの方は、どうですか」

「ああ、まぁ……特にこれと言った問題はねぇけど。そういえば――」


 微妙に言いよどんだ辺り、“全く問題がなかった”わけではなさそうだが。

 未だなにやら話してるらしい民間人二人の方へと、軽く顔を向けてみせた河井の視線の先を追った奏は、次の瞬間心臓に電流が流されたかと思った。


「なんかあの人、昔楠さんと同じ場所で働いてた人らしいぞ」


 ひぃっ! と引きつった声を上げなかった自分、実に天晴であると。

 バクバク鳴る心臓を必死に沈静化させながら自画自賛する奏は、兎も角、河井に不審がられないよう何とか喉から音を出す。


「……本当に、ですか?」

「ん? あー……多分、本当だと思う」


 緊急事態発生、なんて。

 脳内警報をファンファン鳴らしながらも、奏は一応、女が鴉を特別なゾンビと知っていた時点で一抹の不安を感じていた。

 確かに、民間の集団は、女は、“外”で10年生き抜いて来た人間の集まりなのだから、特殊型や変異型と言った“特別なゾンビ”の存在を知っていてもおかしくはない。

 だが。

 見逃そうと思えば見逃せる程度のそれに、女の「誰々が言っていた」という語り口調に、奏はかすかな違和感を抱いたのだ。

 “特別なゾンビの存在”というものを、個人が持っていた知識であるかのように、女が語ったから。


(つまり、あの長袖が……!)


 女の言っていた“ハカセ”なのかと。

 そして彼は、やはり昔の研究所の関係者なのかと。


 あの後すぐに言及し、“特別な感染者”情報の出所が“ハカセ”とやらであるという事を既に確認し終えていた奏は、背中に冷や汗をダラダラたらしていた。

 “楠と同じ研究所で働いていた”という河井情報からしても、長袖男は、かなりマズい情報を握っている可能性が高い。


(黒液とか感染者の生態情報は、いくらでも漏らして貰っても良いけど――)


 この世がこんなことになってしまった理由。

 楠のこと、そして飯島のこと、等々。

 どれもこれも研究所にとって、マル秘といって良い裏情報である。


「で、でも楠なんて、別に超特殊な名前ってわけでもありませんし」

「物凄く研究好きで物凄く頭の良い楠さんはそう何人もいねぇだろ。いや、なんか一族そろって頭良かったらしいけどな」


 バレてはならない事が、バレかけている。

 しかもそれがバレたら、此方まで河井からキレられかねないと。

 裏側の一部を知っている奏の脳内会議場は、湧き上がる焦燥感のせいで大変な事になっており、ヤバいヤバいという言葉しか出てこない中、しかし。


(……ん? でも今河井さん、“黒液の研究をしていた楠さん”って言わなかったよね?)


 と、言う事は、もしや肝心な部分まではまだ伝わっていないのかと。


「じゃあ、ほら。親戚の人とかじゃないですか?」


 一筋の光明が見えた奏は、ほんの僅か、その肩から力を抜く事が出来た。

 けれどまだ、問題は残っており。

 何とかここは上手く切り抜け、楠と過去の研究所との関係性を絶っておかなければならないなんて、己の持つ状況処理機能を最大限にまで高めるべく集中しかけていた奏はそこで、ふと河井からじっと視線を送られている事に気が付いた。

 それは、己が何かしくじった事に彼女が気が付いた瞬間でもあったりする。


「いや、そうかもしんねぇけど。なんでお前そんなに――」

「ところで河井さん、留守番役を交代しませんか?」

「え?」


 奏の脳は極限の事態に、これ以上無く見事なそれを選出した。

 そして、それは瞬間的なものだったが、確かに見開かれた河井の瞳に。

 彼の意識が別の方向へと流れたことを確信した奏は、思いつきの状況打破方法があまりにも完璧だった事に、自分自身でも驚いていた。

 河井は留守番役を嫌がっていたし、この提案に彼は間違いなく乗ってくるだろう。

 人間、やれば出来るというのはこういう事かもしれない。


「お前……急にどうした?」

「いや、その……」


 しかし。

 言及に対する答えまでは持ち合わせていなかった奏は、只もじもじと言い淀んでしまう羽目になる。

 そして完璧に話がそらせた、という達成感から既に、彼女の状況処理機能は通常モードへと戻ってしまっており。

 人間、“出来た!”と思ったからといって、直に気を抜いてはいけないものである。


「まさかお前――」


 只、視線をうろうろと。

 あっちを見たり、こっちを見たり、たまに河井を見上げてみたりしながら何とか良い言葉が無いかと探していた奏は、真っすぐに此方を見下ろし続けているらしい相手の視線に、半分白旗を上げかけた。


「その……気ぃ使ってくれてんの?」


 しかし。


(ちげぇよ!!)


 言われて見上げた先、パッと視線を逸らして来た河井に、率直な心の声を漏らせたらどれだけ良いかと奏は思う。


「いいよ、変な気ぃ使うな。……気持ちはありがたく貰っとく」

「……。」


 結果としてみれば、墓穴を掘らずに済んだという事だろう。

 しかしどうにもフラストレーションのようなものが溜まり、奏はなんだかイラッとした。

 「阿呆か!」と河井の頭を殴れたら、どれだけスッキリする事だろうか。


(いや、万事OK、万事OK……なんか良く分からんけどムカつくけど、とりあえずオッケーだから……)


 とりあえず今は、河井の事は置いておくとして、奏は現在問題の方へと思考を戻した。

 そう、実は全く万事はOKではない。

 なんとか河井と長袖男の会話を妨害しなければばらないと言うのに、留守番交代の案が却下されてしまったからだ。


(……ど、どうしよう)


 このまま何も手を打たずに退室、なんて出来る筈も無い奏は、物思いに耽るフリをして時間を稼いだ。

 同じ部屋に河井と長袖がいる以上、2人が会話する確率はかなり高い。

 今はとりあえず新たに女が加わり3人にはなっているが――しかしそれでも、確率を考えればやはりかなり高い。

 そんな状況を打破する為に、己が出来る事は一体何か。

 留守番交代をお断りされた以上、残された手段は一つだけで。

 即ち、早急にこの職員室内の人口を増やし二人の会話率を下げる作戦しかないと。


 素直に留守番を交代すれば良いものを、変な気を回して来た何も知らない河井の顔面をギッとにらみ上げた奏は、それと同時にもう一つの決意を固めた。


(……無線機)


 白っぽく変色した机の端っこに置かれてある、無線機。

 河井の性格。

 そして、良く分からないが楠を知っているらしい長袖男。

 その3つを混ぜ合わせれば、長袖男に「知り合いだから久々に話したい」などと言われた河井が、充電の手間を特に惜しまず、男に無線機を貸し出す事は十分に考えられて。

 これ以上ややこしい事にならないよう、机の端っこにおかれている無線機に狙いを定めた奏は、けれどそれを悟られないよう、素知らぬ振りをして一歩を進めた。


「で、では私はそろそろ……お、おっと!」


 名付けて『床の上のガラスで滑ったふりをして、無線機を落とし破壊しちまおう作戦』。

 飯島が作ったものを破壊する事には多少の抵抗を感じる奏だが、彼もきっと背に腹は変えられない事を理解してくれるだろうと。

 “わざとコケる”という中々に難しい行動を自然に行うため、程よい大きさ且つ滑りの良さそうなガラス片の上に思いっきり踏み込んだ奏は、足裏の感触に己の作戦成功を悟った。

 バランスを崩す身体。

 倒れ行く方角は、ばっちり無線機が置かれてある机端。


「っ――!」


 だったというのに。

 無線機に触れる寸前で、奏は鴉に腕を引かれた。


(っちょ!? こ、こいつ――ッ!)


 鴉としては、恐らく救出のつもりだったのだろう。

 そのくらい奏にも分かっていて、けれど寸前で引き止められ宙を掻いた己の指先に、彼女の眉間はくっきりと皺を刻む。

 しかし。

 奏の脳裏に作戦失敗の文字が過った瞬間。


「ちょ、お前危ね――え!?」


 鴉に引き止められずにいたら、バランスを崩した身体が着弾していたであろう位置に。

 伸ばされた河井の腕が空を切り、勢い余って机に激突する様を、奏はやけにスローモーションな視界の中、眺めていた。


「……。」

「……。ま、まったく。河井さん、何してるんですか」


 ずごんっ、と。

 室内に響いた音は中々に盛大なもので。

 無線機を思いっきり床に落とした河井が信じられないものを見るような目で見てくるが、奏にとってそれはこれ以上無く最良の展開だったりした。

 自分が無線機を故意に壊す、となると飯島に怒られる可能性があるが、河井が落としたとなれば彼女的には痛くも痒くもない。

 とくれば胸中で、ニヤリと。

 笑みを浮かべたくなる奏だが、落ちた無線機の方へマッハで駆け寄って行く河井の後ろ姿を見ると、多少痛む良心があったりもする。


「まぁ、壊れてしまったものは仕方ないですね」

「ま、まだ壊れたと決まったわけじゃ――」

「充電ハンドルもげてますよ」


 無線機は奏にとって、最も好ましい壊れ方をしていた。

 充電ハンドルさえ捥げてしまえば、この燃費の悪い無線機はものの数分も通話しないうちに活動を停止する。

 河井の方の充電器に残り充電がどれほどあるのかは分からないが、これで彼も緊急時に備え、他者に無線機を貸し出したりはしないだろうと。


「人間ですからね、失敗もありますよ。まぁ元気出してください、河井さん」

「……お前、なんか楽しそうじゃね?」

「そんな事ありません。では、私は引き続き任務に戻るので」


 じとっと見上げてくる河井からそそくさと踵を返した奏は、追って声をかけられる前にさっさと職員室を退室した。

 まだまだ、問題は残っている。

 その手始めとしてまずは隠れた民間人を早急に見つけ出し、そして何よりも、まず行う事として。

 奏は己のナップサックから、フル充電済みの充電器を取り出した。









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