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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第一章、前提編
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その8・休憩はとれる時にしっかり取ること






 春先の山は涼しい。

 本来は寧ろ少し肌寒く感じる気候なのだろうが、身につけている装備のおかげで奏には丁度良く感じる。

 更に小川の辺ともなれば何処と無く清涼な風が吹き抜けており、木陰の丁度いい具合に出っ張った岩に腰掛けた彼女は、しかし不機嫌だった。


 あのトンネルを抜けた後、また走ること数十分。

 見知らぬ駅という駅を通過し、ようやく下車した駅は森のど真ん中だった。

 そしてやはり感染者に手を問答無用で引かれ、道と呼べない道を突っ切らされることまた数十分。

 休憩を取るべく感染者を説得することに使用した時間はいかほどだったか。

 体力的に問題は無かったが、奏は取れるべき時に食事を取っておきたかった。


 そして、現在。

 彼女の不機嫌の内容は、その食事にあった。


「……。」


 ナップサックの中、真空パックされていた携帯食料をいざ開封してみると粉々だったのである。

 それはもう、例えるならばコーンフレークの底に溜まったカス並みに--なんてどうにも懐かしい例えが脳裏を過ぎったが。

 問題はいつ何処でどうして、これはこんなザマになったのか。それは間違いなく、電車の中に投げ込まれた時だろう。


「なんだ。それは鳥のエサか」

「……いいえ、これは携帯食料です」


 お前のせいでこうなったんだろうが! と。

 覗き込んできた感染者を殴りたくなる奏だったが、寸での所で留まる。

 言うだけ無駄、相手にするだけ無駄なのだ。

 そう、この携帯食料だって飲み込んでしまえば固形だろうと粉末だろうと同じ。

 シッシと追い払うしぐさをしてみれば、感染者は川の方へと足を向けた。魚でもとる気なのかもしれない。


 その背中を警戒しながら眺め、一定の距離が開いたところで奏は己のマスクを取る。

 生の外気を吸うのは十二時間ぶりか、いや、もう少しあるか。

 出来ることなら感染者が視認できる範囲でマスクを外したくは無かったのだが、食事時ばかりはどうしようもない。

 一応感染者の本体である黒い液体――小難しい学名が付けられていた気はするが、奏達現場の人間は単純に“黒液”と呼んでいる――は、空気感染しないのでマスクが無くとも問題ないとされていた。

 しかし、どうにも“この感染者と同じ空気を吸いたくない”という気持ち的な問題が奏の中にはある。


(――にしても。)


 一粒たりとも漏らす事のないよう、携帯食料のパックを口元で傾けながら奏は感染者を観察していた。

 本当に魚をとるつもりだったらしく、川の水面をばちゃばちゃと忙しなく揺らしている背中。こうしてみるとそれは普通の人間と何の変わりもない姿で、彼女の心中をなんとも複雑な気分にさせた。

 しかし、それがただの『川遊びするヤンキーの兄ちゃん』ではない事を奏はよく知っている。

 クソ寒い中で川に入っている事もそうだが、太陽光を受けキラキラと透ける感染者の金髪は、それこそ人ではないという証だった。


(人の髪って、一ヶ月に約一cm伸びるっていうし)


 ここまで見事な金髪を、この時代保持できる筈が無い。食糧だって削減・削減を繰り返して本当にギリギリ追いつくようになった、というところなのだ。

 染髪剤など造る者もいなければ、使う者もいないのが当然。

 ならば何故、こいつはこんな馬鹿みたいな金髪なのか――という問いの答えは簡単で。

 即ち単純に、ヤツの体が代謝をしない、『生ける屍』だからである。


(……ちっ)


 それにもっと早く気がつけば、こんな事にならなかったのにと。

 中身の無くなった真空パックを握りつぶした奏の前、何かが飛んできた。


「!」


 足先数十センチの場所に飛来したそれに奏は素早く武器を抜く。

 が、ビチビチと地面をのた打ち回るそれはマヌケなまでに無害なもので。


「魚……?」


 半ば呆けたようにそれを見つめる奏の視界の中、次々に魚が飛来してくる。

 想定外の事柄に確信を持って川の方へ目をやれば案の定、魚を掴んでは投げを繰り返す男の姿があった。


(なんだこいつ、熊か何かか!?)


 常人とは思えない狩猟方法にあらためてこの男は感染者なのだという事を確認する奏。

 驚きを隠せないままに彼女の顔に、やがて川から上がってきた感染者が目を留める。


「お前……」

「……何?」

「もしや、メスか?」


 何を今更。

 あまりにも今更で唐突な問いに奏は言葉を詰まらせ、感染者はその首を静かに左右に振った。


「いや、やはりオスか……」

「おい“やはり”って何。メスですが?」


 この感染者、一体何処をみて言っているのか。

 押し殺した声で答える奏を、また数秒凝視する感染者。

 やがてそうか、とだけ言って地に座り込む男への怒りを静めるため奏はその足元にある魚へと視線を移した。


 そう、きっと先ほどまでマスクをつけていたので性別がハッキリしていなかったに違いない。

 相手は感染者だ、だからこそ腹立たしい部分もあるがともかく、気にしてはいけない。

 そもそも自分は女らしさなど追及していないので、男と間違われるというのは寧ろ喜ぶべきことなのかもしれない。


 などと自分に言い聞かせながら魚を凝視する奏に、何を思ったのか。


「欲しいか」


 魚を手にしたまま此方に視線を向けてくる感染者に、奏は一つ瞬きをした。


「え、くれる――「やらん」


 全て言い終わるまでに否定され、奏の眉根がぐっと寄る。


「別に欲しいとか言ってないけど。ま、どうしてもっていうなら別に……貰ってやっても」

「やらん」


 言って少し長い前髪を耳にかけ、感染者は魚を丸かじりし始めた。

 そこまで魚が欲しかった訳ではないにしろ、彼女としてはこうこられると妙に悔しいものがある。

 更に言うなら、人間である自分が“鳥のエサ”で感染者である男が“魚”を食べているのが気に食わない。

 まぁ空腹を覚えて喰いかかられても困るので彼の食事を邪魔する気など毛等も無いが。


 そう、彼ら感染者は空腹時以外は安全だった。ただその“空腹”を感じるサイクルが人のそれの約半分の長さ、という非常に燃費の悪い生物である点に注意したい。

 人の感覚で“安全”を図っていると途端、ガブリとこられるというわけだ。




「……お前達って、なんで普通のものも食べれるのに人間を食べるの」


 気付けばふと言葉を零していた奏に、魚を咀嚼していた感染者が顔を上げた。

 愚問だったか、と。

 思い自らの問いかけを取り消そうとするよりも先、魚を嚥下した感染者がその口を開いた。


「食べ物だからに決まっている」


 そうでしょうね、と。

 小さく返しながら不快感に息を落とす奏に感染者は軽く、その首を傾ける。


「ヒトは好き嫌いが多い。あいつらはヒトより好き嫌いが少ない」

「……あいつらって、お前のお仲間のこと?」


 魚を口に放り込み頷きを返す感染者に、それは好き嫌いの問題なのかと思う奏だが。


「あいつらも好き嫌いが多い」

「ん?……何どういう意味?」


 結局何が言いたいのかと。

 よく分からない感染者の物言いに奏が問えば、最後の魚を飲み込んだ男がその口角を吊り上げた。


「俺に好き嫌いはない」

「・・・・・・・・・・・・・・・あ、そう?」


 俗にいうドヤ顔で言い切った感染者に奏は内心首を傾けた。

 小さい子供が「ぼく、ニンジン食べれるよ!」とか「ピーマンなんてへっちゃら!」などと言うのは分かるが、なぜ今この男がこんなにも誇らしげなのか全く持って奏には分からない。

 というか好き嫌いくらいあってもいいから、頼むから人間を食べないでくれと思う。


(やっぱり、意味が分からない……)


 奏は嘆息した。

 研究所に帰ったとき、自身はこの感染者について正確に報告出来るだろうか。

 謎が多すぎる男の言動をそれでもきっちり脳内に記憶する奏は当然、隙さえあればこの感染者から逃げ出す気満々だった。それがいつ、成功するのかは分からないが。


「行くぞ、非常食」

「はぁ。で、どこに」

「こっちだ」

「……“こっち”、ね」


 食事が終われば、相変わらずハッキリしない目的地へ向かう足。

 当然のように奏の手をとって歩き出す感染者に「帰ったら5回くらい滅菌しよう」とほんのりホームシックになる彼女の心中だった。






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