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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
74/109

その68・仲間との交流を深めること




「ってお前なに寝てんの!?」


 落とされたそれに対しバネのように上体を跳ね上げた奏は、覚醒した意識を暗闇へと集中させた。


「……。」


 しかし、いくら耳を澄ましても聴覚は雨音しか捕らえない。

 周囲を見渡してみても、視覚は先程よりはるか闇に慣れているはずなのに、これといった異変を捉えない。

 鋭く周囲を見渡していた奏は“何も無い”という疑問に、正面でピタリと顔を止めたがやがて再度右方へ――そしてやはり何の変化も見当たらなかったので、左方へとじっとりした視線を向けた。


「今……何か言いましたよね、河井さん。というか、びっくりしたじゃないですか。何も無いなら大きい音を立てないでください。寝てたんですから」

「いや、だからお前の寝付きの良さに俺の方がびっくりだ――って何また寝ようとしてんだ!」

「なんですか。河井さん、どうせ銃の点検とかでまだ起きてるんでしょう? なら私が先に寝てたって良いじゃないですか」


 かなり良い感じに眠れそうだったのに、と。

 上体を床に落ち着けなおしながら、奏はどうにも騒々しい様子の河井に心中で舌打ちをする。

 任務中というのは何時、何が起きるのか分からない為、寝れるときに寝ておかなければならない。

 なのに、まさか、河井のしかも謎のツッコミによって起こされるとは思ってもみなかった奏は、 安眠妨害者にむかってごろりと背を向けた。


「いや、寝るのは良いにしてもだぞ? 隣で感染者が寝てんだから、ちゃんと装備つけて寝ろよ」

「そんな……今更、咬みつかれたりしないと思いますけど。しかも河井さんだって装備取ってるじゃないですか、隣ではないけど近いのに」

「そんなもん分かんねぇだろ! 俺はまぁ、良いんだよ。お前はヤバイだろ、寝ぼけて、ほら、ヨダレとか垂らされたらどうする!?」

「特殊型はこだわりが強いみたいですから“非常食”と言ったら“非常食”なんです、一度言ったことは曲げませんよ――……でも、確かにヨダレはちょっと」


 ちょっぴり面倒臭さを感じたが。

 安眠妨害者の言葉に一理を感じた奏は、閉じていた目を開き身体を起こして、腰につけたままだった己のポーチをゴソゴソと漁った。そこから取り出したのは、幅広の超防水テープ。

 目測で8センチ位か、切り取った一枚を毛布に数回軽く張り付け、テープの粘着力をおとした奏は、そーっと鴉のほうへと屈み込む。

 そうして、気配を消し、息を殺して、少しずつ。

 爆睡しているらしい鴉の口に防水テープを張り終えた奏は、もうこれで問題は何も無いだろうと、再三眠りの体勢に入るべく毛布に身体を落ち着かせた。


「では、私は寝ますよ」

「……お前って危機感ねぇよな。どんだけ図太いんだ」

「ピリピリしすぎても心身の健康に悪いと思います。では——」

「しかもお前、サラシ巻いたままだろ? 寝辛くねぇの?」

「もともと緩めに巻いているので、長時間の全力疾走でもしない限り大丈夫です。寝辛くないので、寝たいです」

「ってかさ、お前。前々から思ってたけど——」


 奏は、ぐわっとその瞼を押し上げた。

 そしてぐるんっと首を回し、何やらビクリと身体を竦ませた河井のマヌケ面を凝視する事、数秒。


「……河井さん」


 枕元においてあるライトのお陰で、暗闇の中でも河井の瞳が、パチパチと挙動不審に瞬きをしている事が良く分かる。

 どうやら体を硬直させているらしい彼のその視線が、逸れるより先。


「気のせいかもしれないんですが、何かありました?」

「え? い、いや……」


 ズバリと。

 寝る前、すべきか悩んでいた質問を口に出した奏は、やはり逸れた河井の視線に眉根を寄せた。


「普段にも増して、挙動不審です」

「それは……ってかちょっと待てお前、それどういう意味——」

「今回遭遇するであろう感染者に、何か心当たりでもあるんですか?」


 正直、さっさと寝たかったので。

 率直に思いついた言葉を重ねた奏は、枕元に頬杖をついていた河井の気配が、想像以上に固まった事に少しばかり驚いた。

 これは図星に間違いないが、それに加えもしや自分は、地雷も踏んでしまったのではないだろうか。

 そんな予感がうっすら脳裏に過ぎるも、今更後には引けず。更にそこから数秒、奏は河井の横顔を見つめ続け、無言で先の催促をした。


「……いや、ホラ。楠さんが言ってただろ? 今回会うかもしんねぇヤツは、かなり強い感染者だって」

「言ってましたね。それで……河井さんはその強い感染者と戦うのが、怖いってわけですか」


 いつだったか、おこなった事があるやりとり。

 奏が軽いデジャブを感じる中、河井もそれに気がついたのか、当初とは逆転した立場に彼の口から漏れたのは苦笑だった。


「“警戒するにこした事はないんじゃねぇの”?」

「で、本当は何なんですか?」


 しかし既視感に懐かしさよりもまどろっこしさを感じた奏が目を据わらせれば、今度こそ、河井の顔に浮かんだのは正真正銘の苦笑いだった。

 うつぶせに寝転んでいる彼の、自らの頭部を支えるため頬に当てていた掌が、ずずずっと頭の方へと移動していく。

 そのまま頭を指先でガリガリと掻きまだ何やらゴソゴソやっている河井に、奏は珍しく相手が言いよどんでいるという事に気がついたが、当然ここまできて引く気もなかった。


「……お前さ。感染者って外見が変わんねぇって、知ってた?」

「知ってますよ。常識でしょう」

「うん、そう思う。俺もそう思ってた……でもそれって本当は、おんなじ感染者をずっと観察してない限り、分かんねぇ事じゃねぇの?」

「……!」


 ドキリと。

 跳ねてしまった心臓によって、馬鹿正直に詰まった奏の言葉の意味は、幸いな事に暗闇に紛れたらしい。


「いや、まぁ只の言い訳なんだけどな。うん、まぁ、なんつーか……」


 もにょもにょと前置きを続けている河井は、隣でほっと落とされた息に気付いていないのだろう。

 そんな事実に安堵する奏だったが、それは同時に彼の中にある問題が中々に大きいという意味でもあった。


「今回遭遇するかもしんねぇ感染者、俺の師匠を殺したヤツ、みてぇなんだよな」


 やはり、ろくな話題ではなかったようだと。

 河井が奇妙な声色で落とした言葉に、なんと返すべきか奏が悩む中、雨音だけは依然ぽたぽたと家の屋根を叩き続ける。


「だからまぁその、ちょっとソワソワするっつーか? 遠足前ってこんな気分だったっけなぁとか?」


 河井は恐らく、数秒と無言に堪えられなかったのだろう。

 いつのまにか視線を落としてしまっていた奏は、改めて顔を上げ、眉根を寄せながら相手の表情を凝視した。


「河井さん……貴方もしかして、苛められっ子だったんですか」

「いや。待てお前、何でそうなる」

「遠足前の子供というのは普通、ウキウキしている筈です」

「た、確かにウキウキはしてねぇかも知んねぇけど、ドキドキはしてるっつーかな?」


 肘をついていないほうの手で意味不明のジェスチャーを行っている河井は、やはり普段にも増して挙動不審。

 そんな有様を観察する奏としては、作られた無駄に明るい声に、若干イラッと来るものがある。


「成程。遠足で一人、置いていかれる心配をしながら貴方は」

「いや、だから違うっての。だから、その、遠足って例えはその場を和ませる為というかな?」

「必要ありません」


 こいつは、バカかと思いながら。

 ズバリと切り捨てた奏は、開いたまま固まった相手の口が再度動き出す前に、続きの言葉を畳み掛けた。


「尊敬していた人だったんでしょう。和ませる必要も茶化す必要も、気を使う必要も、ありません」


 いつだったか。自分が風邪を引いたときだったか。

 眠さと熱で意識が朦朧としていた自分に対し、河井がほんの少しだけ語ったそれを、奏は一応覚えていた。

――強かった。タフだった。 この人さえいれば大丈夫だろうと思ってた。

 そんな風に思わせてくれた人を、殺した存在の話をする上で。

 和み要素など必要性皆無だろうと、ぶっちゃけ思ったままを口にした奏は、何故か顔面ごと床に突っ伏してしまった河井に小首を傾げた。


「お、お前さぁ……まじ、変なところでストレートだよな。こっちが恥ずかしくなる」


 もそもそと床に向かって呟いている河井の耳が、ほのかに赤く見えるのは、ライトのせいなのかどうなのか。

 “変なところで”の意味が分からなかったので、結果的に無言を返すことになっていた奏は、隣で大げさに落とされた溜息によって、相手が観念したのだという事を悟った。


「本当はな。今回の任務の資料見た瞬間に、“コイツ師匠の仇だ!”って気付けなかったのがちょっとショックだった。んで、師匠が勝てなかった相手に勝てんのか――ちょっと、まぁ、ビビッてた。……ってかお前、男にこういうこと言わせるなよ」

「……前に言っていた、“男のプライド”とかいうやつですか?」

「ん。まぁ、それもあんだけど……」


 チラリと。

 少しだけ床から顔を上げた河井が向けてきた横目に、奏はまた軽く首を傾ける。


「……お前には、特に」


 ボタッっと。

 その時響いた水音が妙に大きく聞こえたのは、単にどこかに溜まっていた水が、許容量を越えて落ちてきた音だったからか。


「ってか、前からちょっと思ってんだが。お前の“お義父さん”ってちょっと意味わかんねぇよな」

「は?」


 いきなりガラリと変わった話題に、奏はどうにも間抜けた声を漏らしてしまった。


「毎度の任務もだけど今回は特に、“強い感染者”と会うかもしんねぇわけだろ? 普通“愛娘”をそんなとこに行かせるか? 普段の過保護っぷりから考えたら、そもそも任務にとか行かせねぇ気がすんだけど」

「それは……」

「まぁ、所長としてそういう“特別扱い”は出来ねぇのかも知んねぇけどな。俺だったら——」


 しかし。

 流れ出したかと思えばまたしても落ちた無音に、なんだか奏は河井の目を見ているのが辛くなってきた。

 雨音、暗闇、ライトのほんの小さな明かり。

 今すぐにでも視線を逸らしてしまいたい――そんな奏の中の衝動は、けれど。

 数秒後落とされた「やっぱ何でもねぇ」という河井の呟きによって、糸が切れたかのように緩和された。


「え、えーっと……だ、だからこそ、だと思いますよ」


 となると今こそが好機だと。

 寧ろ今を逃せばもうどうしようもないという、本能が出した訳が分からないながらに説得力を持った結論に全力で答えるため、奏は必死に言葉をかき集める。


「“愛娘”だからこそ、任務に行かせるんだと思います」

「何それ意味わかんねぇ」

「“自分が育て上げた愛娘が、きちんと任務をこなして生きて帰って来る”……というのが、嬉しいんでしょう、多分」

「いやいや。伝書バト育ててんじゃねぇんだから」


 河井からツッコミが入ったが。

 話しているうちに冷静な頭になってきた奏は、自分がそう的外れな事を言っていないという事に気がついた。

 今回渡されている無線機、研究所の冷蔵庫、パソコン、河井の言葉を借りれば――伝書バト。

 只の、性能テスト。


「……同じだと思いますけどね」

「ん?」

「いえ、なんでも」

「でもそんな風に思ってるわりには、お前って所長に甘いよな」


 聞こえてたのかよ。

 という突っ込みの意味を込めて河井をジロリと睨んだ奏は、頭の中を通り過ぎていった言葉と、いつも馬鹿みたいにベタついてくる飯島の姿をかき消すよう、軽いため息を落とした。


「一応……拾って、育ててもらった恩義はありますから」

「あ、お前って所長に拾われたんだっけ」

「はい」


 拾われた以上、恩がある。

 娘宣言された時は正直“何考えてんだコイツ”と思ったが、育ててもらった事には感謝している。

 庭へと続く大窓の外の闇を眺めながら、飯島への感情をぼんやり頭の中で言葉に変えていた奏は、その時ふと、隣から注がれている視線に気付き、目だけを河井の方へと向けた。

 するとそこにあったのは、じーっと此方を凝視してくる瞳。

 恐らく、河井は先を促しているのだろう。

 それに気付いてしまった奏は多少面倒ではあったが、先程自分が相手の言葉を追求してしまった負い目があったので、しぶしぶ頭のなかで言葉を纏めてみる事にした。


「えーっと……こう、色々ありまして。人間から逃げてて、まぁ逃げてる途中も大変だったんですけどね、あの頃はまだゾンビもウヨウヨしてたから……それでまぁ、木の影に隠れてた時、いきなり現れたから。最初はびっくりして包丁振り回しちゃったんですけど」

「ん!? ちょ、待て何それどういう状況? 所長と初めて会った時の話だよな?」

「はい、詳しく言うと……飯島所長はある場所に、なんか探索目的で来てたらしいんですよ。でもそこで散開した時に、仲間の一人が拳銃を奪われたみたいで。それを追っていた所長と、私がバッタリ偶然会ったって事です」

「んー……つまり?」

「つまり。所長が追っていた“研究所の者から銃を奪った人間”と、私を追って来ていた人間は、同一人物だったんです。そしてゾンビと人間に追われて隠れていた私は、いきなり出てきた所長を“自分を追ってきていた人間またはゾンビだ!”と勘違いして、包丁を振り回してしまったという事です」

「…………。」


 我ながら中々上手く纏められたように感じていた奏は、落ちた無音に若干不服だった。

それはまるで、此方がおこなった説明を整理しているような無音。

 否、間違いなくそれゆえの無音なのだろうと。やはり河井になんぞ話さなければ良かったと思い始めた奏の不機嫌は、率直に相手へと伝わったらしい。


「ま、まぁなんとなくわかった……ってかお前、その頃から包丁振り回してたのか。下手したら所長、死んでたんじゃねぇの?」

「薄皮一枚で、なんとか」

「あぶねぇなお前! ってかそれ、何年前の話?」


 明るい調子で話を続けだした河井にチラッと横目を向けた奏は、軽い溜息をつきながら改めて相手へと向き直った。


「7年……いえ、8年前ですかね」

「はぁ……すげぇな。ってかそれもしかして研究所創立して間もない頃の話だったりすんの?」


 ごそごそと。

 漸くにして銃と、恐らくそれの整備に使うのであろう道具を、枕元の手荷物から引き出しながら興味深そうに疑問を重ねてくる河井は、どうやらまだまだ話がしたいようだと。

 ふと気が付いてしまった奏は、頭の中に“任務”の文字を過ぎらせるも、今日くらいは彼に付き合ってやっても良いような気になっている自分自身にも気がつく。

 恐らくは、なんたって、こういう状況はめったに無いからだ。

 夜に、外で、一人じゃない――被る布団は埃まみれだし、起きている事を咎める人もいないけど、これはまるで小学生の頃に行った自然学校のようだと。

 随分と呑気な例えで、けれど隣の鴉が時折モゾモゾしながら一人爆睡しているのも、なんだか“それ”らしくて。


「多分、そうですね。あの頃は色々ゴタゴタしてましたし、それこそ銃が盗まれたり、所長が自ら任務に出ていたり……」

「ん、じゃあ楠さんとかは」

「楠さんは……確か所長になんか“会わせたい人がいる”とか言われて。私、研究所に来た2日目くらいに楠さんに会ったんですけど、その頃にはもう、引きこもってましたね」


 雨音の中、昔話に興じ始めた奏は何だか妙に癒しを感じた。

 語っている内容は、特に何の癒しもない言葉であるはずなのに、不思議なものだと。


「ふーん……となると所長と楠さんって、災害前からの知り合いなのかもな」


 しかし何だか、変わってきた話の向きに。

 気まずさを感じ始めた奏は、今後の会話の展開に悩んだ。


「……そう、ですね」

「ってことは、元々同僚かなんかだったとか? ……まぁ間違いなく何かしらの付き合いはあったよな」

「……なんで、そう思うんですか?」


 銃の整備の片手間に、会話を行ってくれればいいのに。

 どうやら会話の片手間に銃の整備を行っているらしい河井に、奏は寝たフリをしたくなってきた。

 昔の事に関しては正直、何処まで彼に話していいのか分からない。

 研究所についての昔話ならば兎も角、それ以前となると全てが地雷であるような、寧ろ河井にとっては、核弾頭並みの破壊力を持っているような。

 となると奏の取れる手段として行き着くのは、そ知らぬふり。又は寝たふりといったところ。

 しかし当惑する彼女に反し、河井の口は止まらない。


「ほら、今回の任務言い渡される時、集まっただろ? あん時になんか、楠さんの妹の話が出た時――」

「ああ。……桜さん、でしたっけ? ……あぁ、なん、だかねむ――」

「そうそう。あん時のあの微妙な空気からして――間違いなくその三人、昔になんかあっただろ!」


 けれど“つい寝ちゃった!”という状況に持ち込むべく行動を始めかけていた奏は、またしても自分の予想外の方向へと転がった会話に目を瞬いた。


「お前が始めて楠さんに会った時には、その桜さんって人はいなかったんだよな?」

「え、ええ。まぁ……」

「ってことは間違いなく、災害前だろ! まず。災害から間もない、研究所がパタパタしてる頃から楠さんが引きこもりという名の特別待遇受けてたって事は、所長との交流が元々あった人間だからこそだろうし」

「はぁ……」

「そして元々交流があったからこそ、所長は楠さんの妹の事を知ってたんじゃねぇの? ってか災害が10年前で、お前が所長と会ったのが8年前なんだろ? その間2年とか、一番バタバタしてる時期じゃねぇか、その間に楠さんと所長が出会って、更に桜さんと所長がいい感じになるとか現実的に無理だろ?」


 もしかすると、自分は本当に眠いのかもしれない。

 まくし立てる河井の言葉の先が全く持って意味不明である事に、寝たふりをする必要性などなかったんじゃないかなんて考えながら、奏は己のこめかみに軽く指を当てた。


「えー……つまり。何が言いたいんですか、河井さん」

「所長と楠さんは災害前からの知り合いで、所長と桜さんの間では、絶対何かあったんだと思う」


 で?

 と、正直言いたかった奏は、色々と懸念していた自分が馬鹿らしくなってきた。

 確かに、あの時の楠の動揺っぷりには気になるものがあったが、飯島と桜さんがラブラブランデブーだったかどうかなど、奏にとっちゃどうでも良い事である。


「あー、それでだな。そういえばお前は――」

「成程。では、寝てもいいですか」

「は!?」


 そういえば河井が挙動不審だった理由も分かった事だし、これ以上自分が起きている意味は、何一つとして無いんじゃないかと。

 先程一瞬テンションが上がっていた事などすっかり忘れ、寝る体勢に入った奏は、何か言いかけていた河井と目が会う前に瞼を下ろした。


「お、お前って……つれないのか優しいのか、良くわかんねぇ」

「私は自分のしたいようにしているだけです。因みに、優しいと言われた事はあまり有りません」

「だろうな! ……くそ、良いじゃねぇかこういう時くらい、普通女って恋バナ好きなもんだぞ?」


 恋バナ。

 なんだか面白い単語が出てきた気がして、一瞬噴出しそうになった奏は、けれど胡乱な目を河井へと向けた。

 どうやら彼はお泊りのセオリーに沿って恋バナをする事に決めたらしいが、そう、彼女はもう、今日は寝る事にしたのである。


「では、河井さんの初めての彼女の話でも聞かせてください」

「……!!」


 相手の口が言葉を失った様子に、作戦成功を悟った奏は満ち足りた気分で目を閉じた。

 河井は恐らく“俺の彼女、チョー可愛くってさー”などとベラベラ語りだすタイプではない、という自分の見立ては正しかったらしい。

 というかそもそも、彼に彼女がいた事があるのかと言う時点で、甚だ疑問であると。

 中々に失礼な事を考えつつも寝つきの良い奏は、相手が言いよどんでいる隙に、そのままスルスル夢の中へと入っていった。


「……お、おまえこそ、この間言ってた“ケンタロウ”ってやつとは――」


 そもそもケンタロウが犬である事すら知らない河井の、“外堀から埋めてさり気無さを装おうとしても無理っぽいから直球でいこう計画”を置いて。




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