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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第五章、応用編その2
72/109

その66・5分前行動すること








 山奥に立地している研究所から、下っていくこと徒歩20分。

 散々通いなれた道を抜け駅に到着した奏は、普段より少しばかり重い荷物を抱えなおし、薄暗くなっていく空を見上げた。

 分厚く重なった、靄のような雲の隙間から差し込む陽光は、まだ朝だというのに随分と頼りない。

 どうやら自分が捻挫やら風邪やらで寝込んでいる間に、世間は梅雨入りしたようだと。

 チラリと奏が横目を流した先、左隣で文句を言っている河井の機嫌は、天気と同様に悪いらしかった。


「ってかまじでコイツも来るのかよ……」

「だから、文句なら楠さんに言ってください」


 合流した時点で、既に散々言い合っていた台詞を未だに繰り返しながら。

 今度は右側へと顔を向けた奏は、ボケッと空を見上げている鴉に胸中でため息をついた。


(出る前も……大変だったな)


 そう。現在、なんだか揉めているような雰囲気だが。

 実は、それは出立前の方が酷かった。今回はなんと飯島が、珍しく研究所の出入り口まで見送りに来たからだ。


(最近は無かった事なのに)


 それほどまでに飯島は鴉が気にくわないらしく、同時に“娘”が心配らしかった。

 そして、非常食だ、娘だ、非常食だ、娘だと。

 くだらない内容から始まった二人の言い争いは、『今後奏に……何だったか?』という鴉の一言によって、更にヒートアップしていった。


 それは、本当に凄まじかった。

 到底かみ合っているとは思えない言葉のドッジボールを長時間、首を傾げながら眺めるしかなかった奏は当然、鴉に対し、飯島が以前“今後奏に近づけると思うなよ”と捨て台詞を残していた事など知らない。

 なので、華麗に有言実行失敗した飯島の胸中など知りもしない彼女は、言い合いに挟めるフォローなど無く、もう只静かに傍観するしかない態勢だったのだが更には、何も知らされていなかった河井までもが“え、ってゆーかどういう事っすか!?”などと言い争いに加わり始め――つまり出立時刻は、役1時間遅れた。

 そして、基本的に人の話を聞かない者達の言葉に出立前からもまれた奏は、既にちょっぴり疲れていた。

今回は気合を入れて挑みたい任務だというのに、本当に困ったものである。


「……ってか、ちょっと鴉」

「なんだ」


 当然のように繋がれている手は、既にもう“いつも通り”だが。

 曇り空の下、普段よりぼやけている金髪の輝きに奏は目を眇めた。

 出立前、揉めたせいできっちり伝えきれていなかった部分もあるが。やはりコイツは任務に出る前、研究所の倉庫をあさり己が見つけてきた服の意味を、理解していなかったらしいと。


(まぁ、“これ着とけ”としか言わなかった私も悪いのかもしれないけど)


 また一つ、ため息を落としながら。

 軽く繋がれた右手を引けば大人しく寄ってきた鴉の首の後ろに、背伸びをしながら奏は左手を伸ばす。

 指先で摘まんだパーカーのフードは薄手で、けれど引き上げてやれば一応その金髪は隠れて。

 それでも横からちょっぴりはみ出ている金髪をフードの中に押し込んでいた奏は、ふとその時チクチクとした視線を感じ訝しげに振り返った。


「……?」


 そこには、腕を組み目を据わらせた、“文句があります!”という事を前面に押し出してきている河井の姿がある。


「なんですか? 髪の色を見られたら、面倒でしょう?」

「……まぁな」


 頷いたという事は彼も、次の任務で人に会う際、鴉の一発で感染者だと分かる外見は隠しておかねばマズいということを理解しているのだろう。

 ならば、一体何に文句があるというのかと。

 否、彼の場合はそもそも、鴉自体に文句があるだけなのかもしれないと。

 寄せた眉間のシワを消さない河井に、当たらずとも遠からずな事を考えながら右方と視線を戻した奏は、鴉が指でつまんでいるフードの端が風でひらひらと揺れる様に、軽く眉根を寄せた。


「フードだけだとちょっと、頼りないですかね……その辺の奴らから、帽子でも奪いましょうか」

「ああ……って待てどういう事だ」

「あの集団、ガラが悪いんで。帽子を目深にかぶって鉄パイプ持ってる人がいてもおかしくないかと」


 というかあの集団は頭が悪そうなので、この時代、金髪が保てているという事の不自然さにそもそも、気付いていないんじゃないかと。

 前回の任務で出会った人物ら、そしてそういえば卓郎君も、鴉の外見に対して特に反応を示していなかったなんてふと思い返していた奏は、何やら隣でブンブンと首を振っている河井に気付き、首を傾けた。


「いや、じゃなくて今回は救出も任務だからな? 前はアレだったが今回は救出、強奪じゃなくて救出だからな?」

「分かってますよ。ちょっと拝借するだけです」

「……目的地着くまでにコンビニとかあるだろうから、帽子はそこでいいだろ」


 なにやら、遠い目をしてしまった河井に。

 成程、それはいい案だと奏は目的地周辺の地図を頭に浮べる。

 今回の任務地は前回の場所よりも更に遠い、ちょっぴり繁栄した住宅街にあった。


(そういえばコンビニって、冬にニット帽とか売ってたな……)


 しかし今の時期、ニット帽はかなり怪しくないだろうか。

 けれどコンビニが無くとも商店街、又は量販店の類があの辺りにはあった筈だと。

 記憶を思い返し、いつもより少し長くなりそうな任務の計画をたてながら、やはり隠せるものは隠しておいた方がいいだろうという結論に、奏は一人頷いた。

 鴉の髪の色は最悪“ハーフです!”でゴリ押しするにしても、感染者を連れ歩いているなんて、バレる可能性は可能な限り潰しておいた方が絶対に良いのである。


「……で。お前はそれ、何」


 かけられた声に、思考から現実へと意識を戻せば。

 まだ眉を寄せている河井に奏は一瞬首を傾けるも、すぐさま相手が何について言っているのかを理解し、軽く自分の胸に掌を当てる。


「不自然でしょうか」

「とりあえず肩パットは取れ」

「私も顔バレしてるんで、変装しないとマズいんですよね」


 速やかな河井からの指摘にとりあえず理由を説明しながら、奏は肩に詰めていたパットをゴソゴソと抜き取った。

 今回、胸にサラシを巻き、肩パットを5枚ほど詰め込んでいた奏は、実はある意味鴉以上に変装が必要な立場にあった。

 なんたって前回、|黒子≪くろこ≫姿だったとはいえ、あの集団相手に大立回りしてしまっているのだから、そんな人間が今回、“助けに来ましたよ!”なんて言っても、簡単に信用してもらえるはずがないからだ。


(まぁこの辺りは、楠さんに指摘された事だったりするんだけど――)


 それにしても、やはり肩パット5枚はいかり肩すぎだったかと。

 外見的には問題ないらしいが、少しばかり息苦しいサラシの具合を呼吸で確かめながら、奏は抜き取った肩パットを手に、ずっと此方を見ていたらしい河井の方を改めて見上げる。


「で、河井さんの変装についても考えてみたんですけど……」

「いや、俺は大丈――」

「良い案が浮かばなくて。でも今思いついたんですが」


 じっとりとした空気の中、分厚くなっていく雲に雨を予感しながら。

 奏は手の内でふにふにと揉み遊んでいた肩パットを、何の気なしに河井へと差し出した。


「これ、胸にどうですか?」

「いらねぇよ!」


 しかし、速やかに却下されてしまった。

 この気候の中、自分にパットを詰めるのは熱いし、荷物に入れるにしてもかさばるし、捨てるにしても勿体ないしで。

 中々の名案だと思っていた奏は、バッサリと切り捨てられたことに若干の落胆を感じる。


「ってか俺が女装は変装として無理あるから」

「……そうですか?」

「そうに決まってんだろ!ってかお前いま一瞬想像しただろ、やめろ」


 期待の眼差しを向けてみたのだが、河井は本当に嫌そうである。

 奏は、はあっとこれ見よがしにため息をついてみた。


「やらなきゃ分からないですよ。昔、本当は男なオカマアイドルとかいたじゃないですか。名前、忘れましたけど」

「ああいうのはよく分かんねぇけど、体の線が細くねぇと無理だろ!? ってかなんでそんな発想になんだよ俺はそんなに貧弱に見えるか」

「いえ、性別を逆転させる変装が一番簡単だと、楠さんが」

「楠さん!? いやそりゃあの人くらい線が細けりゃいけるかもしんねぇけど……顔も結構綺麗そうだしな」


 チラッと鴉の方へ視線を向けた河井が、一体何を思ったのかは分からない。

 けれどその後すぐ首を振ったところからして、あまり良い想像は出来なかったのだろう。


「河井さんも……わりと顔、綺麗だと……思いますよ?」

「カタコトかよ!! っていうか男にとっては綺麗ってあんま嬉しくないからな?」

「じゃあさっきの楠さんについてのコメントは、侮蔑だったという……」

「い、いやいやいや。そうじゃねぇけど……だって実際あの人の顔って綺麗系だろ……と、とにかく!」


 こほん、と咳払いをした河井は、気を取り直すことにしたらしい。

 腕を組んだかと思えばズビシッと此方を指差してきた河井に、奏はそろそろ諦める事にした。


「俺は無理、ぜってー無理!ってか断る。つーか俺は顔見られてねぇから変装の必要ねぇよ」

「そうなんですか。先に言ってくださいよ」


 サラリと返せば何故か、河井の目が驚愕にも似た形に見開かれたが。

 気にせず奏は、遠くから近づいてくる音の方へと顔を向ける。

 耳に慣れたその音は、モノレールが遠くから線路を振動させてくる音だった。




  ・     ・    ・




 車窓を通り過ぎていく灰色の空が、時間と共に分厚さを増していく。

 それに伴い少しずつ暗くなっていく窓の外の景観に、濃くなっていくのは雨の気配。

 しかし、こうも灰色が続くと何だか眠たくなってくるなと。

 季節のせいか、ポカポカというよりジメジメに近い温度の中、ごとごとモノレールに揺られる奏は、今回の任務での計画を再度整理していた。


 まず、今乗車しているのは前回の任務と同じく、町側の下り車線だ。

 そこから更に乗り換えを重ねるので、道中、何度か徒歩で街の跡を抜けなければならないだろう。更にその途中、何事も無ければ良いが恐らくはあるので、目的地に到着するのは最悪、明日になるかも知れない。

 となると。

 一泊の場所は街中になるか、それとも山中になるか。

 どちらでも問題ないよう準備はしてきてあるが、そんな事よりも気になるのは、今回救出すべき集団が現在、一体どういった状況にあるかだ。

 しかしそればっかりは先行している部隊の者から、情報を得るまで分からない話。


(……ってか。ついたころには、全員ゾンビになってんじゃないの)


 地味に不吉な事を考えるも口には出さない奏は、チラリと自分の左隣に座っている河井へと横目を向けた。

 今回の任務は“民間の集団の救出・およびそれを脅かしている感染者の排除”である。

 けれど、恐らく事前に念を押してきた研究所としては、“集団の救出”以上に“感染者の排除”の方が重要なのだろう。


(でも……河井さんは、どっちが重要なんだろ)


 集団の救出か、感染者の排除か。

 遠くをボケっと見ているらしい彼の横顔を眺めてみるも、口にも出していない問いへの答えが返ってくるはずもない。

 それに、その答えはきっと今聞いてもあまり意味の無いもので、結局はその時にならなければ分からない事だと。

 車窓へと視線を戻し自分もボケっとし始めていた奏は、そこでふと、違和感のようなものを覚えた。


「……。」

「……。」

「……。」


 なんだか、妙に静かなのは気のせいだろうか。

 思い当ってしまえば違和感は確信になり、奏は左右の男二人へとチラリチラリと横目を彷徨わせた。

 現在、話しておくべき事は確かに、無い。

 けれど河井は普段、特に重要でない話でも好き勝手話してはいなかっただろうか。

 そして鴉はこういう時、暇だのなんだのと、文句を言い始める性格ではなかっただろうか。


(お、おかしい……絶対、なんかおかしい)


 そういえば先程も、河井はちょっぴりテンションが低かったような気がする。

 そして鴉も、今日はちょっぴりいつもより大人しい気がする。


「……あ、あー。今回は、以前にも増して荷物が多いですね、河井さん」


 とりあえず、耳につくモノレールの駆動音をなんとかしたくて。

 “今日のお天気”なみに当たり障りのない、中々にどうでも良い話題を振ってみた奏は、今度は不意に己の中に違和感を覚えた。

 今まで自分は、無音に不快を感じるような人間だっただろうかと。


「それはお前もだろ。今回の任務、かなりの遠出だからな……ってか今思った、コイツに持たせりゃ良くね?」


 しかしそんな違和感は、事実として胸中に染み渡るより先、返された声によって奏の中から消え去る。

 というよりコイツ、といいながら鴉の方を目で刺した河井に対し、生まれた不信感が違和感を超えたのかもしれない。


「持たせるって……食料をですか、武器をですか?」

「うっ……でもなんかコイツだけ手ぶらってのが」


 指摘すればすぐさま声を詰まらせた河井は、きっと考えなしに言葉を吐いたのだろう。

 良く考えれば感染者に持たせられるものなど無いというのは明白で、けれど奏としては正直、別に鴉に持たせても良いと思えるものもあったのだが。

 足の間にしっかりと荷物を抱え込んで座っている河井としては、感染者に渡せるものなど、きっと髪の毛一本たりとも無いに違いない。


(いや、ゴミは普通に渡すかも)


 そんな事をどちらかと言えば真剣に考えていた奏は、繋がれていた右手側に軽い動きを感じ、くるりと首の向きを変える。


「自分で持ちきれんものを持ってくるとは。“その他”、お前はやはり馬鹿か」


 なんだか、鴉の目つきがいつも以上に悪いのは気のせいだろうかと。

 本能で察した感染者の不機嫌に、さりげなく距離を開けようとした奏の身体は、すぐさま逆側の河井の身体にぶつかって止まる。


(……ってか)


 何故、彼はこんな詰め詰めに座っているのか。

 というかそれを言うならば何故、自分らはこの貸し切り状態のモノレールで、三人並んで座っているのだろうか。


「持てるに決まってんだろ! お前が手ぶらってのがムカつくって話だよ!」

「俺の持ち物は非常食だけだ」


 しかし、二人の話を聞き流しながら“電線の上に並んだスズメ”というなんとも長閑なイメージを脳裏に展開していた奏は、その時。


「!?」


 右肩に寄りかかって来た重さに、普段の1.5倍ほどその目を見開いた。


「な、何やってんのちょっとお前!?」


 慌てて引きはがすべく、奏は鴉の頭を左手で押しやるが、どうやら相手も抵抗しているようで。

 中々肩から離れないフード頭に、そして背後から漂ってくる殺気じみた気配に、奏は反射的に武器を抜きたい気分になった。

 しかし、それもお見通しという事なのか。

 鴉によってぎゅっと握り込まれた右手に、奏は今度こそ身体を硬直させる。


「なんだ」


 フードの影から、少しばかり上目に視線をやってくる鴉と至近距離で見合う事、数秒。

 ハッと我に返り、脳を再起動させるべく奏は頭の中で自分の頭を、俗に言うおばあちゃん方式でぶっ叩いた。


「いや、もたれかからないで」


 サラリと口から零れた言葉の、なんと滑らかな事か。

 流石はおばあちゃん方式、テレビだろうが掃除機だろうが思考回路だろうが、叩いて直せないものは無いのだという、あの伝説は本当だったらしいと。

 自分が未だ混乱している事に気づいていない奏は過去の日本の伝統に感嘆を吐き、そしてとりあえず、背後の河井の気配は置いておくことにした。

 そう、今は目の前の問題をなんとか解決するべきである。


「……何か、面白い話をしろ」


 しかし。

 未だ肩に凭れかかっている鴉が、何処か気だるげに出したお題の難易度は、高かった。

 けれど、ここで諦める事はすなわち、鴉の肩枕を容認する事になると。

 腕を組んだ奏は窓の外の景色へと視線をやり、悩むこと数秒の後、はっと鴉の方へと改めて顔を向けた。


「最近、何してた?」

「寝ていた」

「……ああ、そ――って、寝ていた!?」


 正直、今思えば自分でもどうかと思う話題をチョイスしてしまっていた奏は、案外さらっと帰って来た返答に、またその瞼を見開いた。

 気のせいかもしれないが、背後の河井も同じようなリアクションを取っていたように思う。


「今も眠い。起きてやっているのだから、感謝しろ」


 ズリズリと座席の上で腰の位置を調節している鴉に、頭を上げる気は微塵も見当たらない。けれどそんな事は最早気にならなくなってしまっている奏は、思考を纏めることもせず、矢継ぎ早に浮かんだ言葉を吐き出した。


「眠いの? 本当に? な、なんか言葉を間違えてるんじゃなくて?」


 感染者とは、睡眠を必要とする生き物だっただろうか。

 己の中の経験が出す答えは“否”で、だからこそ目の前の、理解しがたい生き物の中で起こっているらしい理解しがたい現象に、奏は只々疑問符を浮かべる。

 感染者とは、食べて、徘徊して、また食べるだけの生き物だったはず。

 そして、そこからちょっぴりはみ出した特殊型も、各々に特別な欲求があるとはいえ睡眠をとる事は無かった筈だと。

 というかゾンビが眠るわけがないだろうと。

 経験とイメージからくる覆し難い結論を疑問の形で押し出していた奏は、鴉の、そう言われてみれば確かに眠そうな眼を見つめながら、じっと答えを待つ。


「思わず活動を停止したくなる――この衝動は、眠気というのだろう。最近までは無かった衝動だ」

「……ん? と、ということは――」

「原因は間違いなく、あの場所で出る餌だ。あれに混入されている何かが、俺を眠くさせる」


 まさか。

 というか気づかなかった自分は、中々にアホである。

 そんな気がしてならない奏は今になって、楠から出されていた指示を具体的に思い出していた。


“今、ちょっと色々実験しててね? その経過観察もかねてなんだけど――”


 間違いない、原因はそれであると。

 というより研究所に捕らえられた感染者が無傷なはずがないじゃないかと。

 遅すぎる理解に頭をぐるぐるさせ始めた奏は、なんだか胸の内に嫌なものがせり上がってくるのを感じた。


(い、いやでも感染者だし。感染者が研究所で実験を受けるのなんか、普通だし)


 普通だ、至って、正しい事だと。

 自分に言い聞かせる奏は、纏められない自分の気持ちと、出したくない結論を飲み込むため、静かに大きく深呼吸をする。


「ん、じゃあつまり……今も若干、体調悪いってこと?」

「体調の不備など無い。決して、無い」


 あるだろうが。

 というような脳内突っ込みを以前、したことがあるような気がすると。

 既視感に眉をひそめた奏は飲み込んだ感情の苦々しさを振り払うよう、窓の外へと顔を逸らした。


 雨は、まだやってこない。

 けれど見れば、どんな馬鹿でもそれがやってくると分かるような、そんな分厚い重い空。


「ってか“思わず活動を停止したくなる”って。良く分かんねぇけど、死にかけてんじゃねぇの?」


 更には空気を読まない、というのか。それとも空気を読みすぎているというのか。

 河井が絶妙な結論を落とすものだから、奏は己の拳をぎゅっと握りしめた。




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