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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第四章、応用編その1
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その55・無駄をなくすこと






 言葉に悩むという行為には、時間が必要不可欠だ。

 ついでに思考の妨害となるようなものが存在しなければ、尚良い。

 なので無音、という時と空間は、悩める子羊にとってこれ以上なくもってこいなわけで。


(な、何か……話せよ)


 けれどそれはあくまでも、“真剣な悩める子羊”に対してのもので。


 そもそも“悩む”という行為が嫌いな奏の中には今、恐ろしさよりもモヤモヤよりも、なんだか気まずさと少しばかりの苛立ちが込み上げ始めていた。

 となると当然、ガラス向こうの相手――鴉を見つめるその視線にも、自然とけんが混じり始める。


(……ってゆーか良く考えたら呼びつけて来たのコイツだし?!)


 そうだ、そもそも呼ばれた側である此方が何故、話題探しなんぞしなくてはならないのかと。奏はギッとその眉を寄せ、改めて鴉を睨み付けた。


『……退屈だ。何か面白い事をもってこい』


 しかし、そんな彼女の思いは伝わったのかどうなのか。

 否、恐らく伝わらなかったのだろう。スピーカーが届けてきた毎度の如くの鴉の声に、奏はカクリと妙な脱力感に襲われる。


(こ……こいつ、暇つぶしの為に私を呼んだのか……)


 悠長と言うのか呑気というのかマイペースというのか。

 確かに感染者には“痛覚”というものが存在しないので、実験による恐怖を感じる事はない。つまりただ単に実験室の中で拘束し続けられるというのは、それはそれはもう、大変暇な事だろうとは思う。

 だが、それにしたってこの感染者はどこかズレていると。

 知らず知らずのうちに何かを身構えていた奏は、細い息を吐き出した。


「あんた……ほんとに“楽しさ”目的で此処まで来たの?」

『当然だろう』


 率直な疑問に対し返って来た言葉に奏は“当然”というものが何なのか、ちょっぴり良く分からなくなった。

 けれど相手は恐らく言葉を違えてはいないだろうし、となるとやはり鴉は“楽しさ”を目的にこの研究所までやってきたという事になり。


(まさかコイツ……馬鹿?!)


 確かに自分は、彼にこの研究所まで運んでもらえたことによってかなり助かった。

 びっこをひきながらではいつ帰還できるかも分からなかったし、何より道中でほかの感染者に襲われる心配だってある。

 なのでそれらを全て蹴り飛ばしてこの研究所まで運んでくれた鴉に対し、流石に感謝の気持ちを流石に抱かざるを得ない奏は、けれど、だからこそ不思議だったのだ。

 何故、鴉はそこで帰らなかったのかが。


(それが……本気で“楽しさ”目的とは)


 一応、研究所は感染者の宿敵と言える存在だというのに。

 捕らえられたら間違いなく、碌な事にはならないのに。

 だというのにそこにノコノコと進入した感染者は、“楽しい事なんかない?”なんてボケたことをのさばっている。


 これは、一体どうしたものか。

 やはり鴉は話せるとは言っても、知能があまり発達していない--としか思えない奏は軽く頭を軽く抱えるが、しかし当の本人は、やれやれとばかりに何やら息を吐いている。


『その辺りを歩いていても、人があまりいなくなったからな。それに面白い事もあまり起きなくなった』

「えーっと……だから、此処にむざむざ来たって?」

『そうだ。絶滅危惧種が絶滅するまで、俺はその様子を見ながら楽しんでいたいからな』


 なる、ほど。

 鴉の方の言い分は少し意味が分からないながらにも、一応奏にも理解ができた。

 どうやらこの優越欲の塊のような感染者様は、人がワヤワヤしているのを見るのが好き、という事らしい。

 だが、それに対し奏の口から漏れるのも、結局のところため息で。


「お前“絶滅危惧種”なんて言葉どこで――って。別に絶滅しないから。しないためのこの場所だから」


 兎も角、ここは研究所であって遊園地ではない。

 そのあたりの概念から理解させた方が良いのかもしれないと。脱力感と共に伏せてしまっていた視線を上げた奏はその先、真っ直ぐな鴉の視線に一つ、瞬きをした。


『何を言っている?』


 お前こそ何を言っている。

 と、奏は反射的に思考の中だけでツッコミを入れた。

 そして余分な思考に空いた無音の中、鴉の視線には一切の迷いが無い。


『お前達は絶滅する。これは事実だ』

「……まぁ確かに分が悪いのは分かってるけど。何を根拠に」

『お前達は同種同士で殺しあっているだろう。数も少ないというのに』


 その瞬間。

 奏は身体の中心を指されたかと思った。

 息苦しさを感じる喉が、無様に空気を求めるのが分かる。


「それは……っ、人として……そう簡単に割り切れない問題も、あんのよ」

『問題とやらは知らんが。お前達は食うわけでもないのに殺す、全くの無駄だ』

「……。」


 無駄。

 そう言われてしまえば確かに有益なものではないだろう。同種族間での殺し合いなんて、種を滅ぼすだけの無駄なものだ。害といっても良い。

 ゆっくりと詰めてしまった息を吐き出しながら、奏はその目を静かに伏せる。

 今、奏の脳裏に浮かんでいるのは一人の男の姿。

 幼い頃から共に育った半身を奪った、その後姿。


(なら、私のこの気持ちは……)


 消えた温度は、奪われた時間は。

 その怨嗟も、遺恨も、慟哭も。全て無駄で無意味で害だから、捨ててしまえとでも言うのかと。

 混乱し始める頭とざわつく思考を押さえつけるよう、奏は強く唇を噛む。


「……違う」

「何?」

「違う、無駄じゃない、無駄なわけあるか、このクソ野郎ッ!!」


 衝動に任せてスイッチの並ぶ台を叩けば、隣で楠が驚いたかのように目を丸くする気配が伝わってくる。

 そんな他人の態度も機械が壊れるんじゃないかなんて配慮も全てかなぐり捨て、奏は鴉の黒い瞳一点のみを見据えた。


「確かに“種”としてみれば無駄な事かもしれない。でもこれは“私”に必要なもんなの、どうしたって忘れられないし、忘れたいとも思わない。許す気も無ければ見逃す気も無い、いくら無駄って言われても私はあの男を絶対に仕留めるって決めた!!」


 そうじゃなきゃ、やってられない。

 そうじゃないと、私じゃない。

 大切なものを奪った者を、許す必要なんてないんだと。


(あの時、あんたも言ってくれたクセに――!!)


 何故、今更それを否定するような事をいうのか。

 この感情を認めて、許してくれたんじゃなかったのか。

 実は此方の話なんて、耳を素通りさせていただけなんじゃないか--と、奏は重く鋭い視線でガラス向こうの対象に眉根を寄せた。


『……“そうしないと気がすまないから”か?』

「……そう、気がすまないから」


 けれど。

 あの時伝えた言葉をそっくりそのまま繰り返した鴉に、「なんだ、ちゃんと聞いていたんじゃないか」、なんて。

 思うも口にはしない奏は、ほんの少しだけ胸のわだかまりが溶け出していくのを感じた。

 相手の言葉に一喜一憂させられるなんて不本意極まりないが、感情と言うものはどこまでも素直である。


(……ほんと、馬鹿みたい)


 そもそも自分は、この感染者に何を求めているというのか。

 脱力すればまたモヤつきだす心を押さえ込むよう、奏は己の胸の辺りをぎゅっと握り締めた。

 そもそもこいつは自分にとって、何だというのか。

 一喜一憂させられるような間柄では間違っても無いはずで、ならば“敵”なのか、“それ以外”の何かなのか。

 それすらもやはり良く分からなくて、奏は“感染者”と“人”とを二分出来ているらしい河井の事がほんの少し羨ましくなった。



『……別に好きにすればいい。止める気は無い、お前達が無駄に種を減らそうと俺には関係が無いことだからな』

「……無駄じゃない」

『無駄ではなくとも、無益だろう』


 しかしどうにも話を引きずってくる鴉に、奏はちょっとイラッと来た。

 無駄だの、無益だの。妙に小癪にズラズラ続けられると、なんだかとても馬鹿にされているような気になる。


(……じゃあ、益があれば良いってのか)


 しかし、そのときふと。

 自分自身が心の中で浮べた悪態に、一拍置いて奏は衝撃を受けた。

 売り言葉に買い言葉、といった調子で浮べてしまったそれは、良く考えれば実はこれ以上無く合理的な事柄なのではないだろうか。

 そう、無駄にならなければ良い。有益にすれば良い。

 奏はそっと、隣でなにやらをレポート用紙に書き込んでいる楠の姿に視線をやった。


『しかし、人がいなくなると退屈だ。だがその時は非常食、お前の出番だ』

「……ん? え、ちょっと何の話だっけ」

『お前が真に活用される時の話だ』


 けれどまた何やらスピーカーから届き始めた声に、奏は鴉へと視線を戻す。

 数秒完全に思考を別の場所に飛ばしてしまっていたせいで、相手が何を言っているのか若干良く分からない。

 そんな思いが表情に出ていたのだろう、追加で紡がれる鴉の言葉に注意を向けていた奏は、二秒後ほどに物凄く後悔する事になる。


『人がお前以外誰一人としていなくなった時、羨ましがる同属の羨望を集めながら非常食を食うのが楽しみだ、という話だ』

「…………。」


 ぶっ、と。

 隣の楠がたまらず、といった調子で噴出したのを耳に、奏はしばし無感情状態に陥った。

 石になる、とは正にこの事をいうのだろう。

 なんとか冷静な思考を再開させようとする頭が、聞いたばかりの言葉の意味を一つひとつ辿り始める。


(うらやましがる、どうぞくの、せんぼうをあつめながら……)


 つまり、見せびらかしながら、という事か。

 即ち、最後の“人”という食料をみんなに見せびらかしながら食べるのが超楽しみだ、と言いたいのか。


「まさか、お前……“非常食”って」

「はーい、十分経ったから面会時間終了だよ?」


 くらり、と奏が眩暈交じりに言葉を吐くと同時、楠がマイクに割って入ってくる。

 それに鴉は不満そうな顔をした事だろう。しかしそれは相手の方を見ていない奏に分かる事ではない。


(……えーっと……とりあえず、帰ろう)


 現在研究所にいるというのに、一体何処へ帰るというのか。

 己の意味の分からない思考にけれどツッコミを入れる気力も無く、奏は実験室をあとにする事にした。これ以上子の場にいても無益どころか、それこそ精神に有害をもたらせられ続けるに違いない。

 そうして踵を返した奏は一歩を踏み出し、ふと使い慣れ始めていた筈の松葉杖が何故だか妙に重たく感じて、また一つ小さなため息を落とした。





 未だスピーカーから何やら届いていた鴉の声を無視し、実験室のドアを後ろ手に閉めた奏は、扉にもたれたまま長く重いため息を落とした。

 意味の分からない疲労感が、肩に重くのしかかってくる。


(あいつ……何なの……)


 何なのか、なんて決まっている。

 感染者だ。


 けれどそれで胸が晴れないところ、自分が求めている答えはまた別のものなのだろうと、奏は虚ろな目をふらりと室内に向けた。

 どうやらまだ、飯島も河井も戻ってきていないらしい。

 ガランとした部屋を一望した奏は、しばしこの場で待機するにしても、どうにも手持ち無沙汰なことに小さく息をついた。聞かなかった事にしたい鴉の言葉を、なんとか頭の中から追い出したいものである。


(とは……言っても)


 此処は楠の研究室。気分転換に片付け、と簡単に出来るはずもないし、空いたスペースを使って筋トレする事も今の自分には出来ない。

 けれど兎に角なにか気分転換をしなくてはと、半ば脅迫概念的にしばし思い悩んだ奏はそこで、自分の趣味が非常に少ないという事に気がついた。

 一に筋トレ、二に片付け。三にメアリーという手段もあるが、待機を命じられた以上彼女に会いに行くことは出来ない。

 なので何にしろ少ない趣味の中、結局奏はいつもの最終手段――自分の愛読書を取り出してみる事にする。

 困ったときの読書、それは中々知的な雰囲気を持つ行動である。


「……っ!」


 しかし、その時また奏は凍りつく羽目になった。


「……ない」


 それは『目が合いましたね~そこから始まるコミュニケーション~下巻』に感染者を理解する方法が書いていない、ではない。

 無いのだ。

 いつも肌身離さず携帯している愛読書が、何故か懐に入っていなかったのである。


(一体、どこで――)


 別に、無くなったからといって死ぬわけではない。

 けれどいつも携帯しているものが無い、という事態に動揺する奏は、しかし直ぐにその在り処を記憶から呼び出す事ができた。


(――そうだ、あの時……続編を調べようとして)


 図書館に、置いてきてしまったと。


 思い出した後の彼女の行動は、早かった。






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