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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第四章、応用編その1
59/109

その54・不明の原因と向き合うこと







 あの後。

 二人で軽く室内を散策したものの、結局音の正体は見つからなかった。

 しっかり隅々まで探せばまた話は違ったのかもしれないがと、怪我人――即ちお荷物扱いされた奏は一人、少しばかり不機嫌に元来た道を戻っている。

 因みに河井はというと、一足先に上の階へ飯島を探しに駆け出して行ってしまっていた。

 何も見つからない状況で話し合った結果、とりあえず所長に報告しておこう、という結論に達したからだ。


(そんで私は『近い方の研究室見に行け』ってか……)


 確かにその方が、効率も良いし。

 怪我人に対し順当な扱いであると分かって入る奏だが、やはりどうにもまたモヤモヤとフラストレーションが募る。

 足の怪我とは、本当に何も満足にこなせなくなる現象だったのか。知っていたらもっと気をつけられたのかも知れないのに、と。舌打ちをした奏は回復し次第、柔軟体操の時間を増やす事を決めた。

 他人に気を使わせる、という状況はどうにも嫌な気分になるものである。

 しかも、あろうことか河井に……などと。

 歩きながら若干失礼な事を考えていた奏はふと、脳裏を過ぎった先程の体温の感覚に慌てて頭を振る。


(ま、まったく……)


 何故河井はあんなにも、無駄にオーバーリアクションをとるのか。お陰様でこっちまで釣られてやましい気持ちになってしまった、と。

 思い出して居心地が悪くなる奏は、しかしそれでもあまり悪い気はしていなかった。

 何故かと言われれば単純、久しく感じていなかった他人からの温度というものが安堵を伝えてきたからで。


(ケンタロウとは……匂いが違ったけど)


 やはり温度とは安堵に繋がるものだと。

 過去を回想した奏は、今や記憶にすら遠いケンタロウの体温に短い息を落とす。

 そもそもケンタロウと河井の体温を重ねるなんて、馬鹿馬鹿しい事だ。大体犬の方が人間より体温が高い生き物なわけで、冬でも湯たんぽのようにポカポカ暖かいケンタロウに、河井なんぞが及ぶ筈が無い。


(・・・・・・ん?)


 そこまで考えた奏は改めて、体感した河井の体温に首を傾ける。

 あの時、密着していたとは言え伝わってくる温度は“暖かい”と感じる程のもので。

 そして彼は風邪など引いていなかったはずで。


 人間、且つ成人男性の通常体温など知らない奏はしばし頭を悩ませた結果、やがて一つの結論に辿り着いた。


(やっぱちゃんと、筋力あるんだな……)


 筋肉量は、代謝量に。代謝量は体温の高さに繋がる。

 なので(そういえば)あの時成人女性の身体を軽く受け止めた河井は、中々に筋肉があると言う事になると。

 自分の出した結論に納得した奏は、以降河井に腕相撲の再戦を申し込まれても受付拒否をする事にした。

 彼もあれからトレーニングを重ねたのかもしれないし、そうでなくとも女の自分は単純な力比べでは俄然、不利である。

 加えて一度手にした勝利を、負けで上書きしたくない。





 などと。

 しばし河井について考えながら歩いていた奏は、見えてきた研究室の扉の前で静かに松葉杖の歩みを止めた。

 飯島は、そして楠は室内にいるだろうか。

 さっきの今で研究室の扉を叩くのは、少しばかり部屋の主に怒られやしないか心配な奏だが。ノックに対し無音だったら即引き返すと決め、彼女は控えめに扉を叩いた。


「……誰だ」

「あ、飯島所長。奏です」

「っ、奏……!?」


 すると答えてきた声に。その主を探しに行った河井の後ろ姿を思いつつ、奏は研究室の扉を開く。

 その先の光景、床に座り込んだまま何故か硬直している飯島の足元には、コンピュータと数種の部品と思わしきものが転がっていた。


「どうも……あれ、楠さんは」

「あ、ああ。あいつは――」


 言葉と共に飯島が振り返った先、そこにある扉の存在に、奏は楠がまだ実験室にいるのだという事を察する。

 ならば何故、彼はこんな所で一人パソコンを直しているのかと。

 楠と一緒になって実験室に篭っていてもおかしくない状況で、何故か彼がドライバーを手に視線を落としている様に奏は軽く首を傾げる。


「あいつは――恐らく落ち込んでいるから、そっとしておいた方が良いだろう」

「……え」


 思わず、ポロリと。

 零してしまった疑問符の理由を、顔を上げた飯島の視線が問いかけてくる。

 それを察した奏は数秒言いよどみ、けれど結局は率直に、自らが感じた事を口にしてみた。


「いえ……楠さんは“落ち込み”とは無縁の人だと思っていたので」

「あれだって落ち込む事くらいある。欲求に忠実なぶん、それが難攻した際のストレスもまた、大きいのだろう」

「なるほど……」


 そう言われてみると確かに、楠は研究の邪魔をされると物凄く怒る。

 それは現在自分が、足の怪我のせいでちょっとしたことにイライラするのに似ているのかもしれないと。珍しく他人に共感した奏は、作業を再開し始めた飯島の方へとその松葉杖の歩みを進めた。


(それにしても……何回見ても、器用だな)


 近寄って見てみると、物凄い速さで各部の点検が行われていっている様がよく分かる。

 ネジの緩み・歪み等をチェックしつつ、別途で組み立てた塊を差し込み固定して行く様子からして、恐らくは一度全て解体した部品を組み立て直しているのだろう。

 と、言う事は確か。こういう作業の時には埃などが混入しないよう、気を配らなければならなかったはずだと。

 近くに腰を下ろそうとしていた奏はやはり立ちっぱなしの方がいいかと逡巡するが、少し身体の位置をずらした飯島にポンポンと軽く床を叩かれ、大人しくそこに座る事を決める。


「……。」

「……。」


 そして、飯島がこういった作業をしている時は邪魔してはいけないという事を奏は知っていた。

 自分と居る時も何やら大概楽しそうな彼だが、物を組み立てている時にも同じくらい楽しそう且つ真剣な彼である。

 なのでそう時間もかからなさそうだし、飯島がパソコンを組み立て終えるまでしばし傍観に徹しようと。無言で作業工程を眺めていた奏だったのだが、その時開かれたのは作業に夢中なはずの相手の口だった。


「……ところで、奏。何をしに、此処に?」


 これはまた珍しい事もあるものだと。

 依然作業に集中しながら、それでも開かれた飯島の口に奏は一つ瞬きを返す。


「あ、ちょっと所長にお話がありまして」

「私にか!?」


 しかし。

 途端にガバッと食いつかんばかりの勢いで顔を向けてきた飯島に、今度こそ奏は面食らった。

 なんだか今日、彼はテンションがおかしくないだろうか。否、テンションがおかしいのはいつもの事だとしても。


「は、はい。所長にお話がありまして――」

「そうか、私に(・・)か!」


 途轍もなく嬉しそうに微笑まれ。

 一体何なんだと奏は眉間にシワを寄せるが、相手は全くそんな事を気にしている様子は無い。

 少し待て、と短く言い残し先程以上の物凄い速さでパソコンを組上げていく飯島の姿に、兎も角今日は会う人皆の態度がおかしいような気がしてくる彼女である。


(飯島所長はいつも通りに見えてなんかおかしいし、楠さんも落ち込んでるらしいし、河井さんは……まぁあれは事故だけど)


 皆一体どうしたのかと。首を捻る奏自身、先程までそれ()のせいでモヤモヤ・モヤモヤしていたのだが、そんな事はとうに忘れているのが彼女である。


「さて。待たせてすまなかったな……それでどうした、奏。お父さんに何の用事かな?」


 そうして、やがて数分もしないうちに完全にコンピュータが組み立てられ。

 最後のネジを締めた飯島の清々しい笑顔に、奏は気を取り直す事にした。

 よく考えれば飯島は、元々こんな感じだったような気がする。実際のところ普段より五割り増しくらい笑顔が輝いているが、やはり元が元なので気にしないのが吉だろう。


「実は先程図書館で、不審な物音を聞きまして」

「ふむ、不審な」

「その場には河井さんも立ち会っていたのですが、彼も私と同じ様にその物音を聞いているので。聞き間違いという事はないと思います」

「なるほど……“不審”というのは少しばかり抽象的すぎるが。君が言うのならばそうなのだろう」


 淡々と報告すれば、淡々と。

 言葉では通常通り返してくる飯島だが、その満面には未だ輝く笑みが浮かび続けている。


「様子を見に行くか。しかしその前に一応、地下に誰も近づかないよう支持を出しておいた方が無難だろうな……奏、君は少し此処で待っていなさい」


 にっこりと。

 また一段と威力を増した笑みを浮べた飯島に、まるで研究所に来た当初のようなわけの分からない居心地の悪さ感じる奏は何とか一つ頷いた。

 彼は、本当に、何故こんなにも上機嫌なのか。

 しかしそれを聞くことはなんだか地雷の様な気がして、彼女は立ち上がった飯島の後姿を無言で見送る事にする。

 思えば河井とも此処で待ち合わせをしていた事だし、出された結論は丁度良い。


 そして、そんな事を考えながら。

 飯島が軽やかな足取りで退室していったばかりの扉を奏がぼんやり眺めていると、入れ替わりのようにその後方でガチャリとドアの開閉音が鳴った。


「うーん。奏ちゃんって、信用されてるよね?」


 振り返った先。実験室から出てきたかと思えばその扉に凭れる楠に、奏は一つ瞬きを返す。

 先刻会ったばかりの相手の姿が、何処となく先刻より草臥れているように見えるのは気のせいか。


「まったくこっちは飯島の小言のせいで面倒臭い事になるし、お陰様で研究も捗らないし?」

「……まぁ所長は説教好きですからね」

「きっちり管理したいのかもしれないけどさ、正直こっちは大きなお世話って言うかね?」

「それは……まぁ、私は助けられてる部分もあるので、なんとも」


 はぁ、っとため息を落とした楠は、確かに飯島が言っていたように少しばかり落ち込んでいるのかもしれない。

 と、言うよりこれは『機嫌が悪い』というのではないかと。

 前情報がなければてんで分からない、そして前情報があるからこそそう感じるのかもしれない楠の態度に、曖昧な答えを返した奏をじっと見つめる瞳は、けれど何を思ったのか。


「ってか飯島、君の言うことは結構良く聞くよね?」

「いえ、特に――」

「よし、んじゃ奏ちゃん。ちょっとこっち来て?」

「あ、はい」


 どうにも、話しに脈絡が無いような気がしつつも。良く考えればそれはいつもの事だと、奏は素直に楠に従う。

 床においていた松葉杖をとり、足をぶつけない様立ち上がって。いつもより緩慢ながらにも速やかに行動を起こした奏は、扉の前で凭れたまま待っていた相手の口元がその時弧を描いた事に気がついた。


「実はさ、あの所長様(バカ)が余計な事を言ったせいか何なのか鴉君がこっちの言う事聞いてくれなくてね?」


 ピタリと。

 その瞬間止まった奏の歩みに、けれど楠は凭れていた背を起こしながら先を続ける。


「なんか君に会わせろ会わせろって煩くて、しかも『非常食をつれて来れたのならばその研究とやらに協力してやらん事もない』とか言うから――って。どうしたの、奏ちゃん?」

「い、いえ……その。私、会わないほうが良いような気がします」


 きっと、楠はそんな奏の返答をある程度予測していたのだろう。

 という事は当然、拒否の言葉が受け入れられる筈もなく。


「あはは、大丈夫大丈夫。寧ろ会った方が良い、絶対に良い。だからほら、おいで?」


 おいで、と言いながらガシッと肩を掴んでくる楠の腕の力強さに、奏は拒否不可能だという事を悟った。

 普段ならば楠の腕力的な強制など屁でもないのだが、現在は少しばかり旗色が悪い。

 それでも無理をすれば十分に逃走可能だが、と。相手の力量に考えるも実行に移せない奏はぶっちゃけ、そこまで拒否感を露にするというのが恥ずかしかった。

 つまりは『どんだけ怖がってんだコイツ』、と思われるのは嫌だという話である。


「楠さん……やめときませんか?」

「大丈夫、大丈夫。いや僕もさ、一人で何とかしようと思ったんだけどね? もう何せ暴れるわガラスにヒビ入れるわで手に負えないからさ、仕方なく?」


 その時、クラリと。

 引きずられるように歩を進めていた奏は、返ってきた楠の言葉に眩暈を感じた。


(ガラスに……ヒビ!?)


 とんでもない、絶対、無理である。

 けれどそれらを口にしたところで、相手にNOと言われることは分かっていて。

 拒否も出来ない、抵抗も出来ない、とくれば後は神に祈る事しか出来ない。

 そんな無力な奏は『神さま、今すぐ気を失わせてください』なんて心中でブツブツ唱えながら、奥歯の噛み合わない思いで実験室へと足を踏み入れていくしかなかった。

 






『元気そうだな、非常食』

「……そちらこそ」


 楠の言っていた通り、ガラスには一部ヒビのせいで曇ってしまっている部分があった。

 その部分から意識的に遠ざかりマイクを握っている奏は、自身の手汗に悩まされながらもジッとガラス向こうを睨み据える。先程見たときには丸い武骨な拘束具の塊でしかなかった鴉は、恐らく楠に頼んだのか何なのか、頭部のみをひょっこり露わにしていた。


(何を……話せっての)


 静かに此方を見据えてくる鴉の視線から、顔を逸らしてしまいたい。

 そんな衝動に駆られながらも視線を相手に固定し続けるじぶんは、もしかして馬鹿なんじゃないか――なんて考えだしてしまう奏は自身が何に拘っているのか分からなくなってきた。

 先程は確かに、自ら望んでこのガラスの前に立ったというのに。

 今は何を話せば良いのかも分からない、なんて。


 そしてそんな彼女の思いは表に出ているのかどうなのか、隣でガラスに凭れている楠はあくまでも傍観を貫き、また鴉もしばしその口を開こうとはしなかった。






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