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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第四章、応用編その1
56/109

その51・上司の説教は真面目に聞くこと






 実験対象を観察するための巨大ガラスに凭れたまま、楠は何処となく挙動不審な様子の奏を見送った。

 実験室入り口の扉が閉められた時点で彼女の後姿は見えなくなったが、コツコツと遠ざかっていく松葉杖の音だけは、しばらく耳に届いてくる。

 そしてやがてそれが研究室入り口を越えていく不器用な音に、楠は小さな苦笑を零した。


「……失礼しちゃうよ、僕が検体を逃がすわけないのにね?」


 パタンと研究室の扉が閉められる音を最後に、楠はくるりと背後の実験室の中へ顔を向けた。現在研究中の対象はどうやら奏の来訪に気付いたようだったが、その退室に対し今の所なにかアクションを起こそうという気はないらしい。

 大人しくしていてくれるのなら、それは何よりだ。

 何たって今回、奏が連れ帰ってきた感染者は今までの者と比べかなりの規格外なのだから、と。対象が大人しいのがある意味不気味な状況で、楠は現在までの研究結果と報告にチラチラ滲んでいた情報を回想する。


(人間を『非常食』と称し、同属を咀嚼し、言葉を操る……)


 それは一見に上手く使えばかなり強力な手駒となるかのようにも思えるが。

 つまりは『先を考えるだけの知能があり』、『腐敗した肉を平気で食し』、『人との意思疎通を求めている』という事だ。

 それを考えると軽率な行動を取るわけにもいかず、特に二番目。

 腐敗した同属の肉を食っても平気だというのは、一体全体どういうことか。腐った肉にはまず細菌が繁殖しているはずだし、それによって毒素だって発生しているのが当然。

 そして毒素は人の胃液では破壊出来ない。

 なので腐った肉を食えば感染者であろうとただ事ではすまない筈なのに――と。

 奏や河井の頭の中には到底存在しない疑問に、楠はこてんこてんと首を傾げる。まぁそんな事は最終的に、腹を開けば分かる事なのだが。


(にしても、ほんと……)


 この感染者は、バケモノじみている。

 そもそも“言葉を話す”と言うだけでも、そうそう無い症例だと言うのに。


 改めて顔を顰めた楠は、転がされている姿へとガラス越しに爪を立てた。

 未知とは興味引かれるもので、新たな未知は血沸き肉踊る興奮を覚えていてもおかしくないもので。

 けれど今この目の前にあるガラス越しの光景は、人と感染者との距離感を的確に表しているような気がしてならないと、背後で鳴った小さな扉の開放音を耳に楠は微かなため息を落とす。


「……。」

「もしやとは思うが……奏は、ここに来たか?」

「あはは、もしやも何も……うん、来たよ?」


 そうして背後から掛かった声に。

 楠はガラスに立てたままだった爪を掌に握りこんだ。

 ガラスの反射に写りこんだのは、やはりと言うのか何というのか。閉じたばかりの実験室入り口扉に凭れる研究所・所長様の不機嫌な姿だ。


「全く。……奏は一体、何を考えているのだ」

「何って此処に着たからには当然、この感染者の事考えてるんじゃない? えーっと、『鴉』って言ったっけ?」

「……っ。良しやはりその小僧は早急に殺そう」

「いやいや何も良くないよ?」


 物騒な事を言って舌を打ち有限実行とばかりに足を進めてくる飯島の姿に、楠はまたクルリと身体の向きを変えた。そうして改めて向き合った相手の眉間には、やはりクッキリとしわが寄せられていて。

 何とも単純、そして安直な相手の様子に、楠はガラスに凭れかかりながら呆れ交じりの苦笑を浮かべる。


「あはは……全く、君もそろそろ大人になりなよ? いつまでたっても子供なんだから」

「私はもう親だから子供ではない……大体、子供のままなのは君だろう。そろそろ適当に伴侶でも見つけたらどうだね?」


 けれど。

 己の隣で腕を組みガラス向こうを睨む飯島からの言葉に、楠は宥めの言葉を吐いていた筈が、うっかりげしっと足を出してしまった。


「何故蹴った」

「……さぁね」


 そして『娘についた虫』の事ばかり考えていた飯島は恐らく、楠から繰り出された蹴りが心底疑問だったのだろう。顎に片手を当て軽く腕を組み、明らかに己の失言を探しているといったその姿を尻目に、楠は長い前髪の下で眉をひそめる。


「ふむ、しかし事実だろう。どれだけ優秀でも、伴侶の居ない人間は『負け組み』らしいからな……それに」


 だが“それに”、と。

 続けられた飯島の言葉に楠は、速やかな逃走を計画した。

 恐らく相手は先の言葉を思い返した結果、自身は何一つ間違ったことを言っていないという確証を得た上で、何やら下らない説教を始めようとしているに違いないからだ。

 まぁ全ては自分が些細な軽口に油を注いでしまったせいなのだが。


「重々言っているが君には威厳が無い。威厳というものの重要さを分かっているのかね?」


 いきなり何かと思えばまたそれか。

 そして時は遅かった、と。

 やはり始まった謎の説教から逃げそびれた楠は、一応あからさまに顔をしかめて見せるも、そんな事で相手が止まる筈もない事を長年の付き合いで知っている。

 そして始まった以上。

 飯島はきっちり自分自身が納得するまで話題を収めない奴だという事も、やはり、長年の経験から知っていたので。楠は面倒ながらにも向き直り、相手の言い分をとりあえず聞いてみる事にする。


「お前のそのグダグダな恰好を見るたびに、私は思う。一人身に加え、そのモヤシの様な細さ、そしてメラニン色素が正常なのか疑いたくなる肌の白さに人が付いてくると思うのか!? くっ、嘆かわしい……少しは奏を見習いたまえ」

「いやいや、あんな毎日馬鹿みたいに筋トレしてる子と一緒にしないでよ。そりゃ多少見目に迫力ない事くらい分かってるけど、そもそもそれ重要じゃないし? ってか君だってそこまで健康的には見えな」

「重要に決まっているだろう! 上に立つ者に威厳がなければ下のものはついて来ない、侮られるという事だ、分かるだろう!……そうでなくとも、私がどれだけ苦労した事か! 少しは私と同じく研究所創設者としての自覚をだな―――」

「そりゃご苦労様。でも最初に決めたよね? 僕人前に出る気ないし、その『威厳』とかいうのに最低限は付き合うけど、それ以上は何もしないって」


 そもそも楠は研究以外のことをする気はなかった。飯島が部隊を作るだの畑をつくるだの牛を育てるだのと言い出したのに対し、交換条件付きで協力しているだけなのだ。なので飯島が『私は所長として戦う!』だとか少しばかり意味の分からないことを言い出した時、自分は止めなかったし、当然それに付き合わなかった。

 なのでそもそもこれは楠にとって相手が初めから間違っている――というより、やはりトンチンカンな事を言っているとしか思えない話題。

 大体、始めにきちんと決めていた事柄を今になって持ち出してくるのは何故なのかと。

 ただ事実を突きつけてやるとそれだけで一瞬言葉に詰まる飯島に、楠は胡乱な目を向ける。

しかし、まだ相手としては結論に至っていなかったのか。


「……しかし、それにしても、お前はほんっとうに『最低限』しか行っていないだろう!」

「悪い? ってかこっちはちゃんと最初の君からの条件守ってるし、それさえ守ってれば良いって君も言ったし、ってかこれでも結構気は使ってるんだけど?!」


 続きの言葉を吐き出すと共に段々ヒートアップしていく飯島に釣られ、楠の眉間にもシワがより始めた。


「馬鹿な。確かに私が『それで良い』と言ったのは事実だが――それにしても、お前は私の条件の前提(・・)しか守ってない!」

「だから!?」

「だから此処は一つ、せめてもの“上司っぽさ”を醸し出すため『電撃結婚』でもと!」

「脳みそ腐ってんの?!」


 なのでつい、ポロリと。

 頭が飛んでいるとしか思えない相手の結論に、楠は思わず率直な罵倒を零した。

 飯島の唐突な思考回路の発端になる言葉を吐いたのは確かに自分だが、それにしたってこれは流石に安直過ぎる。“電撃結婚”という言葉を使いたかっただけなのではないか。

 そして、此方の事など全く考えていない。


「言いたい事は分からんでもないよ?! それこそ君の言う『見目』とか『外聞』的にはね? でもまず相手が」

「相手など。その容姿があればどうにでもなるだろう」

「なるか!! っていうかそもそも君が『威厳』がどうとかクソ煩いから僕は―――って。違う違う、そういう問題じゃなくてね?!」


 はぁ、っと。

 なんだか虚しいため息を吐いた楠は、目の前の所長様に頭を痛める。


 きっと飯島は『上に立つものとして三十越えて独り身・モヤシ・ヨロヨロ白衣とかないわ、威厳がないわ、しっかりして欲しいわ』といったような事が言いたいのだろう。

 けれど日本の平均初婚年齢は年々上がってきていたはずだし、自分は『上に立つもの』になどなった覚えは無いし、これから立つ気も毛等も無い。つまりは大きなお世話であると。

 まさかあれほど些細な軽口がこれほどまでヒートアップするなどと思ってもいなかった楠は再三、大きくため息を落とした。


(威厳、ねぇ……)


 一応飯島はこの研究所の所長。なので、ある程度のところはこの男の言う事を素直に聞かねばならないと、楠も一応頭では分かっている。

 だが、彼と自分は結局のところ同期である。

 否、『同期』とも言いがたいポジションに飯島は居る。

 なので素直に話を聞き難い――そしてその『伴侶』がどうのこうのという話題に関しては、特に。


(強引に“義父”になった奴にどうこう言われても……)


 と、いうのが楠の正直な気持ちであった。

 言葉にすればまた面倒な事になりそうなので、実際口には出さないが。

 

――――などと考えながらも、なんとか頭の別の部分で飯島が納得しそうな言葉を纏めた楠は、どうにも理解不能と言った様子で不服を浮べる相手の視線に、ため息交じりの言葉を返す事にする。


「そもそも僕は、研究にしか興味ない。研究以外のことに労力使う気なんか全く無い。だからこの研究室から出る気も無いし、だから『外聞』とか『見目』とかはどうでも良い。分かる?」


 これだけ単純に分かりやすく言えば、流石に理解するだろうと。

 此方に“研究所創設者の一人としての自覚”とやらを求めているらしい所長様に自身の総意を断言し『威厳』的問題もなにもないという事を伝えた楠は、しかし返って来た相手からの何ともいえない視線に心中で首を傾けた。


「……私が言うのもなんだが」

「何?」

「お前、それで良いのか」

「良いね。僕は感染者の研究さえ出来ていれば――それで、幸せ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか」


 キッパリ言い切った楠に、お前は変わらんな、と。

 かなりの間をおいた後ボソリと零した飯島の方こそ、変わらない奴だと楠は思う。

 だが何にしろ、今回の説教を彼は諦めてくれたらしい。それだけが楠にとっては重要であり、何処と無くうなだれた飯島がガラス向こうに視線をやる様に己も習った。



「あー。……それで、なんだ。この感染者だが」

「ああ、何々?何か聞きたい事ある? あ、殺せとか言うのは無しね?」

「正直そうしてやりたいが、今はお前の意志を尊重しよう……会話をする事は出来るか」


 ふぅっと一つ息を吐き出した飯島は、完全に気持ちを切り替える事にしたのだろう。

 グルグル巻きで実験室に転がされている感染者の姿を見据えるそれは、所長としてのものなのか。それとも奏の義父という、これ以上内私情交じりのものなのか。

 どちらかなんて分からない、そしてカンでいうのならば間違いなく後者のような気がしてならない楠は、しかしそれでも今回は素直に所長様の意思に従う事にした。


「会話ね、出来るよ? ちょっと待ってくれればね?」


 言って速やかにその場を離れた楠は、身近にあるゴチャゴチャとレバーが並ぶ設置型の機類の前に立つ。そしてそれらは当然ながらに、全て実験室に関係しているもので。


「……。」

「……。」


 数多のボタンやレバーのうち、どれがどのように作用をする物か。

 全てを当然、完全に把握している楠がポチポチとむき出しのボタンを押せば、ガラスの向こうの実験室の側面、ウィーンとなんとも機械的な音をさせながら無骨なロボットアームが姿を現した。


「……お前、本当に機械に強くなったな」

「おかげさまでね?」


 そんな会話をしながらも、グルグル、グルグル。

 器用にロボットアームを操り感染者の頭部拘束を解除する楠は、ほんの少し昔を懐かしんだ。


 あの時の自分は、本当に無知で。

 人並み以上にあったのは、知識欲だけで。

 所得する知識の優先順位は明確に決まっていた筈なのに――――『ロボットアームの使い方』なんて使用頻度の低すぎる知識を仕入れる羽目になったきっかけは、確かに間違いなく今隣に居るコイツだったと。


 そう考えれば自分の進歩に一役買っている飯島に感謝してみてもいい気もするが、けれどやっぱり良く考えてみると、その進歩は飯島自身にかなり利用されているような気がして。


(ソーラーパネルの配線、人力充電器、無線機……)


 加えて研究所に設置されているエアコンの修理のから何からの説明書を作成したのも、そういえば自分だったような気がすると。

 今思えば飯島の役にしか立っていない己の機械類知識に、楠はその眉間にくっきりとしわを刻んだ。


 けれど、そんな間にも正確に動くロボットアームは感染者の頭部拘束をほとんど外し終わっていて。

 後一枚、被せ垂れた黒い布を取り払ってしまえば、そこからサラリと零れる金髪。


『……なんだ』


 実験室内上部に設置されているマイクが、微かな音を言葉として拾う。

 そうして何処と無く眠たそうな感染者の目が、ゆっくりと開かれていくさまに。


『まともな餌を献上する気になったか?』


 何故、河井や奏はこの感染者に対し。

 “鴉”という黒鳥の名を付けたのかと、楠は素朴な疑問を浮べた。





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