その42・人との縁は大事にすること
「だからな、感染者には三種類あって――」
「おおお、成程、なんとなく分かって来たっす!いやぁ、ゾンビにも種類があったんっすねぇ」
「まぁこればっかは実際戦ってみねぇと分かんねぇよな」
「いやぁ、オレ今までずっと逃げて来たんで」
真っ暗な小部屋に声が二つ。
たった一本の懐中電灯以外、何の光も無いその部屋には地上へ続く階段と、南京錠のかかった奥へと続く扉があった。
「いやでも多分、普通のゾンビ相手だったらタクロウでも殺せるんじゃね?」
「まじっすか河井さん!」
そしてそんな暗室、施錠された扉の前に座り込んでいるのは二人の男だ。
何やら一人は軽装、何やら一人は重装備というどうにもチグハグな二人はしかし、それなりに仲良く談笑しているように見える。
「多分な。頭潰せば一発だし」
「え、それキツくないすか」
「いけるだろ。そりゃ特殊型とか、厄介な変異型相手だったら、まず無理かもしんねぇけど――」
けど、と。
しかしそこで先を続けようとした男――河井はピタリと言葉を止めた。
そして、次にその口から出てきたのはため息。
「どうしたんすか、河井さん。ため息とかついたら幸せ逃げますよ?」
「いや……なんでこんな事になってんのかって思ってな……」
そりゃあ、と先を続けようとしたもう一人の男――タクロウ君が苦笑いを浮かべながら視線を向けるのは、地上へと続く細い階段だった。
時は少しばかり遡る。
「とりあえず、さっきみたいな事があったら困るんで。俺、ちょっと一人で先にいって見て来ます」
「つまり君は、捕らえられた俺たちに落ち度があると?」
「い、いや、そうは言ってないじゃないですか。とにかく、ほら。班長さんたちは怪我もあるし、ちょっとここで休んでてください」
半ば、言い逃げのように。
部隊から一人離れた河井は大通りから一本東の通り、四つ角にあるやけに立派な店構の前に立っていた。
そう、なんだか色々回り道をしてしまったが今回、補給部隊がこの町にやってきたのには理由がある。
ずばり、物資の回収だ。
とくればそろそろ完全に放置してしまっていた目当ての物資を確認したくなる頃合いであり、そして怪我人のいる補給部隊はなんだか下手に動かすと面倒くさい事になりそうなので。
河井は一人、目的の確認に足を伸ばしてみたというわけである。
(にしても……)
小鳥遊家。
これぞ目的地。
この家の地下に目的の蔵があるはずだと、扉に手を掛けようとした河井は一つ、そこで息を呑んだ。
「……。」
時は既に夜。
シーンと静まり返った中、暗闇に浮かび上がるのは斜めに傾いた“小鳥遊”の看板。
外れかけた入り口の扉は時たま風にギシリと軋み、木造独特のそれは掠れた様な匂いをう河井の鼻腔へと運んでくる。湿気を吸って、乾燥してを繰り返した木造建築は所々がささくれのように剥がれており、その隙間から見える奥の暗闇は、明かり無しでは到底何も見えず、ポッカリと穴が開いているかのようだった。
(こ、怖ぇえええええ)
さすが元・古い町並みを名所としていた観光地名だけある、その迫力。更にそこに『建物放置期間・恐らく十年』という追加効果がついてくる。
しかし、間違っても夜来るべき場所じゃない場所に足を踏み入れなければならなくなった河井は、こんなところで怖気ずく訳には行かない。
さてゴーグルの光度を調節するか、それとも懐中電灯を取り出すか。
両手を使える状態にするのならば、身につけているゴーグルの調節の方が間違いなく便利なのだが。
いかんせん、今回の目的地はこの家の地下だ。
となればいくら光を調節によって取り入れようと見える範囲が限られそうなので、ナップサックから懐中電灯を取り出した河井は大きく深呼吸をし、点灯スイッチを入れると同時にぐっと一歩を踏み出した。
「ぎゃあああああああああああ!!」
「っ!? え!? う、わあああ???!」
そして、家内を探索し見つけた階段を下りた先。
目的の地下室で河井を迎えたのは絶叫だった。
「え、あ……な、なんだ!?」
絶叫につられ、自身も絶叫してしまった河井は早鐘を打つ心臓をそのままに、なんとか形ある言葉を零す。
懐中電灯の照らす先、降りてきた階段の対面にある扉にその身をへばりつく様にしている人の影。
(だ、誰……??)
先程の多大な絶叫とそのへっぴり腰な態度からして、相手は間違いなく人間だろう。
しかし、何故こんな所に人がいるのか。
ポコポコと頭の上に疑問符を浮かべながら河井が無言で観察すれば、しばしの後なんとか正気に戻ったらしい青年が、その唇を微かに振るわせる。
「えっと……どちら様?」
「……そっちこそ、どちら様っすか」
「え、オレ、言われてここに来て……」
言われて、という青年の言葉に。
河井の眉が少しばかり寄るが、相手は気づかない。
「……言われてって、誰に?」
そして、そんな警戒心あらわな低い声の問いに。
帰って来た答えを聞いた河井は、その僅かに細めていた目を瞠目させた。
「えー……あんたと、同じ格好した人に」
ポカン、と。
間抜けにも大口を開けてしまった河井は一拍おいて我に返る。
――あんたと同じ格好した人。
と、言われれば河井の脳裏、思い浮かぶ人物なんて一人しかいない。
補給部隊の者達は、第三者を使うような小細工が出来る暇なんて無かった筈で。つまりこの青年に指示を飛ばしたのは、補給部隊以外の者な訳で。
それは、つまり――
「なんかとりあえず騒ぎが収まったら、ここに行けって。んで自分と同じ格好の人が着たら、この鍵渡せって」
「あー…………それ、奏?」
つまり、この青年は奏と接触したのかと。
具体的な名を出した河井が棒立ちだった足を進めれば、その先の相手があからさまに驚いたような表情を浮かべる。
「い、いやぁ? それは……どうでしょう?」
そしてなぜか、青年はそれを誤魔化した。
しかしそうは言われても、そういう彼が左手に握っているのは双眼鏡。研究所の部隊のものが使う、皆お揃いの一品だ。
つまり、この誰か知らない成年が部隊の者と会ったのは確実。そしてそんな小細工が出来る人物は、奏のみ。
先程の乱戦で彼女がここに来ている事を確信していた河井は、そこで小さくため息をついた。
(まぁ、黒子みたいな恰好してたしな、アイツ……)
この青年もそれを知っていたのだとすれば、彼女が正体を隠したがっていると思っていてもおかしくない。
だからこその、誤魔化し。
しかし河井には既に、何故奏が黒子のような恰好をしていたかも、もう既になんとなく分かっている。
「あー……アレだろ、どうせ鴉がきてなんかややこしくなったんだろ?」
「い、いやぁ……」
「でもだからって第三者に鍵渡すってのもな……」
奏によって派遣された青年の手が握っている鍵に視線を落とした河井は、ため息と共に軽く眉を寄せた。
彼女としては青年にどこからか戦況を観察させ、収まり次第速やかに蔵を開けれるようにと計らったつもりなのかもしれないが。
コイツが鍵持ったまま逃走したらどうするつもりだったのかと、じっとりとした視線を向ける河井におずおずと青年が切り返す。
「いや、一応自分研究所? に、所属希望者なんっすけど」
なんだと。
その一言に瞬時に脳内を支配された河井は、数秒の無言の後に頭を抱えた。
どうやら奏の方は、知らぬ間になんか面倒くさいことになっていたらしい。
「……まぁいいか。とりあえず鍵、貸してもらえるか」
そしてその“面倒くさいこと”が何なのかなんて事が推し量れるはずもない河井は、とりあえずその問題はさておき青年の持つ鍵に手を差し出した。
補給部隊の持つ情報から、この小鳥遊家地下に目当ての物資があることはもう分かっている。
となればこの青年が持つ鍵が恐らく、青年自身が背にしている扉の鍵。物資があるであろう場所の鍵だ、と。
しかし手を出した河井に反し、青年はその鍵を渡そうとしない。
「兄さんは……奏さんのカレシ――」
「は!?」
「――では、なさそう」
「……。」
なんだか物凄く物申したい気持ちがあるが。
青年の探るような視線からして、もしや何やら警戒されているのかと。
「……河井 亮介だ。あいつとは同じところで働いてる」
「近江 卓郎っす。……!! ってか、河井さん!?」
どうにもモヤッとしたものを感じつつも軽いため息混じりに自己紹介した河井は、何故か急に食いついてきた青年に少しばかり身体を揺らした。
「いや、言われてたんっすよー! “来たのが銃持ったどことなく残念な感じの河井っていう男の人だったら、まず安心だから鍵渡して良いです”って!」
「ちょっと待てなんだそれ!?」
そしてやはり、あんまりな言い様。
しかし今度こそ確実な釈然としない思いに声を荒げた河井に対し、なんだか嬉々とし始めたタクロウ君は軽い調子で鍵を手渡してくる。
「いやぁ、信用されてるんっすねぇ」
「喜ぶところなのか!?」
「そうじゃないっすか? 奏さん、なんか簡単に人を信用しないカンジの人ですし」
今や完全に裏にいるのが奏だと認めた彼だが、そんな事はもうどうでも良く。
どうにもモヤモヤ、モヤモヤしながらも手に乗った鍵を握りこめば河井の中、それのあまりの軽さに何故か妙な疲労感が沸いた。
「簡単に人を信用しねぇヤツが、簡単に人に鍵渡すかよ……」
物申したい事は沢山あるはずなのに、ため息を具現化したかのような音はそんな言葉だけを形作って。
(……とりあえず中見て、物資の量だけ確認するか)
河井は掌から指先に移動させた鍵を、青年の背後にある扉の鍵穴に差し込んだ。
のだが。
「……。」
「……。」
何故だか、鍵が開かない。
ガチリと引っかかるような音だけを鳴らす鍵穴から鍵をいったん引き抜き、上下逆にして差し込んでみる。
「……。」
しかし、やはり開かない。
「・・・・・・・・・・。」
「……あー。アレっすね」
そんな様子をじっと脇で見ていたのだろう。
どこか達観したような声を落としたタクロウ君に顔を向けた河井は、その先にあった表情に全てを悟った。
「オレの方が信用されてなかったみたいっす……」
ガクリ、と。
肩を落としてしまったタクロウ君になんだか同情の念が沸き、ちょっぴり慰めてみること数分。
そして、なんだか仲良くなってきた現在――というわけである。
「……あと2分しても奏来なかったら、俺一旦帰るから」
「何言ってんすか河井さん! いたいけな青年をこんなとこに置き去りにする気っすか!?」
「自分で言うな気持ちわりぃ! 悪ぃけど俺にも任務があんだよ……申し訳ないとは思うが、大人しく待ってろ。多分、大丈夫だ」
ふぅっ、と。
また心の中でため息をつきつつ宥める河井の中にあるのは、用心深いのか面倒くさいのか良く分からない女の事。そして一応、残してきた補給部隊の事。
後者に関して言うなら多分、危険が及んでいるという事はない。
(町ん中、感染者いなかったし……)
恐らく先にこの町に来ていた奏が、ほぼ全てを狩ってくれていたのだろう。
しかし自分が中々戻らない事によって、要らぬ心配をかけては申し訳がない。
「なんすかそれ死亡フラグっすか!? 『いたいけな青年、古い家の地下で死体となって発見される――犯人はゾンビ、またはこの地に伝わる怨霊か!?』みたいな記事が明日の朝刊の一面を飾りますよ!?」
「飾らねぇよ。飾ったとしたら出版社、お前だろ」
けれど、どうにもタクロウ君は不安らしく。
“まぁ気持ちは分からない事もないけどどうしよう”というなんとも安直な思いを頭の中でぐるぐる回す河井の耳が、小さな足音を捕らえたのはその時の事だった。
そして直後、今任務中最大級の衝撃が彼を襲う事になる。