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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第三章、応用編に行く前に~基本編その2
43/109

その40・冷静さを失わないこと






 人質は解放され、荷物も恐らく全て無事。

 となればガラの悪い集団を追う必要性など無い。

 時計塔に戻って荷物を回収し、次の予定に移るべきだ。


 しかし、頭ではそう分かってはいても奏の足は、彼らを追わずにはいられなかった。

 何故なら、彼らのボスが先程一瞬銃を抜いたのが見えたから。

 そしてその顔を、キッチリ確認出来なかったから。


(まぁ顔見たからって分かるとは限らないけど、確認しないとモヤモヤするし)


 自分は人の顔を覚えるのが下手だと、奏は一応自覚している。

 加えてその脳裏にあるのは8年前の出来事。となれば記憶なんて、てんであてにならない。


(顔……)


 そう。

 だから顔なんて、本当は覚えていないのかもしれない。

 だからこそ追わずにはいられない、直接確認しなければ気がすまない彼女の脳裏にあるのは、感染者が街に溢れてから二巡目の冬の記憶。

 奏が、銃を大嫌いになった――そんな日の記憶だった。







 違和感が広がったのは、瞬く間だった。

 人を食べる人が現れて、その人に噛まれた人もまた、人を食べ始めて。

 阿鼻叫喚、という言葉がピッタリになってしまった町から逃げて、逃げて、兎に角逃げて。

 山を越え川を越え、いつの間にか落ち着いた、見知らぬ街の私立体育館の隅。

 いつものようにお山座りをして、手にした包丁をぎゅっと握り締めた。


(ケンタロウ……)


 そして、そんな自分の傍らには、唯一の存在。

 ここまで、一緒に逃げてきた愛犬だ。

 そういえばもう自分が知っているものは家から持って来た包丁と、昔から変わらずぬくもりをくれる愛犬しかないんだなと。

 包丁が当たらないようすがりついたらケンタロウはぺろぺろと顔を舐めてきてくれて、毛にうずめた指先に触るあばら骨とのアンバランスさに、なんだかまたちょっと泣きたい気持ちになった。

 最近は自分もケンタロウも、ろくにご飯が食べれていなかった。


(このままじゃ……お腹と背中がくっついちゃうかもしれない)


 そんな事を考えながらごろりと身体を横にしたら、体育館の床は有り得ないくらいに冷たかった。

 直にあたる頬、そして服越しに体中へとひんやりした温度が移ってくる。


(やってらんない……)


 これだから冬は嫌いだ。

 そしてこういう時は眠るに限る。

 辛さも、寒さも、お腹空きすぎの気持ち悪さも、寝てしまえば全て分からなくなるということは、ここ2年で嫌というほど学んだ。


(一人じゃなくて、よかった)


 同じく体育館に避難してきた人は周りにいるけれど、そのどれもがあまり関わりたくない。

 みんな疲れ切ってしまっているようで、どこかおかしい。

 そう、きっとみんな変わってしまったのだ。

 元がどんな人なのかなんて知らないけれど、誰を見てもどこか気味が悪くて落ち着かない。

 だから、唯一。


(この子がいてくれて、よかった……)


 唯一変わらないものを抱きしめて、ゆっくりと目蓋を下ろした。

 世界は変わってしまったけれど、これだけは変わらない。

 目を閉じた先のぬくもり、鼻先を擽る少し固い毛。

 なんたってあったかい。あったかいのだ。

 どれだけ寒い冬でもケンタロウがいたら乗り越えれる。

 去年だってそうだった。

 だからそれさえあれば、安心だったのに。


 ふと肌寒さに引かれ目をあけると、腕の中が空っぽだった。

 寝転んだまま顔を上げた先、拳銃を手にした男がケンタロウの首根っこを掴んでいた。




 あの時。

 あの場所で。

 あの男が持っていた拳銃が、所内の者の手から奪い取られたものだと知ったのはそれから少しあとの事だった。









 空っぽになった腕の感覚がやけにリアルに蘇り、奏は軽い寒気を覚えた。

 反射的に力をいれた手の中にあった鴉の掌に、何故か少しだけびっくりしてしまう。

 否、やはりびっくりして当然か。

 依然お手て繋いだまま追いかけているという状況についても、彼が物理的妨害をしてこない状況にも。

まぁなんにしろ邪魔にならないのなら、奏としてはそれで良い。

 過去、所内の者の銃を奪った可能性のある男が今、逃げていっていることが何より重要だ。


「――おい、非常食。聞いているのか!」


 しかし鴉としては良くなかったらしい。

 文句の声に段々苛立ちが混じり始めた辺り、そろそろ相手をしなければまずいかと。

 完全無視を決め込み走っていた奏は多少頭を悩ませるが、なんせ彼を振り返る事は面倒だ。


「お願い黙ってついて来て」


 なので奏は短くそう告げた。

 欲を言えば文句は山盛りなのだが、主張したところで聞き入れられない事は既に学習済み。

 加えて、ダラダラ言い合いをしていたら呼吸が乱れてしまう。

 ガラの悪い集団のボスを、このまま逃がしてしまう事だけはあってはならない。


「何故だ」

「銃持ってる奴に用がある」


 口早に説明すれば何故かそれ以上、鴉は奏に口を出さなくなった。

 これは彼女にとって非常に幸い。

 そして加えて幸い、視界は非常に良好だった。

 観光地の反対側、駅の北は一面田んぼという非常に真っ平らな景観。

 目標を追いやすい景観。

 けれどその先には鬱蒼とした森が広がっているので、なんとか田畑を抜ける前に捕らえなければと奏は徐々に近づく標的の後姿を睨む。


(違うかも。そうじゃないかも……でも、追いつく。今なら追いつける)


 鴉が静かになったのをいい事に、奏はまた思考の海に飛び始めた。

 あの時と同じ夕方の燃えるような空。

 “燃えるような”という表現のわりに特に暖かくない気温。

 お腹は幸い減っていないので、あの時のようにクラクラするような事は無い。

 昔追いつけなかった後姿も、もう直ぐそこにある。


「――っ!」


 その時、奏は振り返った集団のうちの一人と目が合った。

 瞬間彼女が右に飛んだのと同時、発砲音が鼓膜を打つ。

 周りに障害物が無いからか、その銃声はまるで吹き抜けるような音をしていた。

 きっとその音に驚いたのだろう、集団らは揃って立ち止まったが、奏は動く事をせずただその視線を一箇所に固定する。


「なんで、君、追いかけてくるんですかね」


 やっぱり残弾は残っていたのか、とか。

 避けた先、鴉と衝突してバランスを崩し田んぼの溝に落っこちたりしなくて良かった、だとか。

 止まっている今こそチャンスじゃないのか、とか。

 銃を携帯している癖に至近距離で発砲するとは案外用心深い性格なんだろうか、だとか。

 考える事、思い浮かぶ事は山のようにあるはずなのに何故か、奏の頭の中は真っ白だった。


「……なにか、用事でも、あるのかな? ひょっとこさん」


 硝煙の香る銃口を下ろさないまま問うてくる男の言葉に、そこでようやく奏の脳が反応を示す。


(……ひょっとこ)


 ひょっとことは、何だっただろうか。

 ぐるぐると3秒ほど考えた奏はそこで、自分がお面を外していない事を思い出した。

 吐き出した息がお面の中を蒸らしている事も、そういえば何だか息苦しい事も、言われなければ気付かなかった自分に奏は少しばかり呆れる。

 けれどそんな彼女の思いは引き攣っていて、走った直後とはいえやけに煩い心拍に耳鳴りがして。


「あなた、は……」

「ん。僕が、なにか?」


 目を瞬き聞き返してくる男の姿に、奏は息が詰まりそうになる。


「けんたろうを……食べた、ひと?」


 確認するべき事を唯一覚えていた口が零した声は、情けないほどにたどたどしかった。









 あのとき。

 首根っこを掴まれたケンタロウは動かなくて、それがとても怖くて。

 慌てて身を起こし手を伸ばしたら、急に視界が回って息が出来なくなった。

 ガンッ、と頭の後ろに衝撃が来てた事に驚いたけれど、やっぱり息が出来なくて。

 咳き込みながら身体を起こして漸く、じぶんが胸を思いっきり蹴られたんだという事に気が

付いた。


“なんですか、どうかしたのかな。”


 目の前の大人の人は、そんな風に聞いてきたように思う。

 でも当時の自分はそんな事どうでもよくて、ただ何故か動かないケンタロウに手を伸ばし続けて。


“返して!!”


 返して、返して、かえして。

 何度蹴られてもすがり付いて。

 それ以外の言葉を忘れたみたいに、ずっと同じ音を繰り返して。

 そうしていたらやがて、おそらく、男の人はため息をついた。


“もしかして、知らないのかな。さっきの人も、君も、なんで、知らないんですかね。”


 『さっきの人』が誰なのかは知らないけど。

 目の前に現れた真っ黒な穴が銃口だと、何故か自分は直ぐに気付けた。

 でも“銃口”というものが、どういうものなのか。

 分かってはいてもどこか実感が無く、無視して手を伸ばし続けたくなる。

 けれど体だけはしっかりとそれの意味を分かっていたらしく、黒い穴を目にした瞬間から、自分の体は全く動いてくれなくなった。


“とられた物は、返ってこないんですよ。貸したものでも、返ってこない事があるんだから……と、いうか――”


 諭すように困ったように、にっこりと微笑まれた瞬間。

 銃よりも、ケンタロウが腕の中にいない事よりも、外をうろついているあいつらよりも。

 ただ、この“人”が怖くて。

 無意識に傍らの包丁へと、手を伸ばそうとする自分がいた。






 なので問いに対し返された笑みに、奏は本気で息が止まるかと思った。

 実際、数秒間とまっていたかもしれない。


「けんたろうって、誰ですか」


 あの時と同じ言葉を繰り返し、困ったように笑うその顔を、奏が見間違えるはずが無い。

 まるで昨日の出来事かのように、鮮烈によみがえったその記憶に。

 何年経とうと忘れる筈が無かった、という事実を彼女は思い知らされる。


(こいつは――ッ!!)


 記憶の中より、幾分か年をとった男の姿に、今。

 奏は顔から面をとった。


「――っ!」


 放り捨てたひょっとこの面が、地を打つよりも早く踏み込む。

 いつもより軽い装備のおかげか、瞬時に間合いを詰めながらも、奏の意識はしっかり銃を握る男の腕に集中していた。

 筋肉の細かい動き一つ、見逃す事の無いよう。射線に入らないよう。

 左手で引き抜いた包丁は、昔と違いキッチリ自分の手の内にあって、取り慣れた初動に奏は何処か遠くで自らの行動を客観視していた。


(ああ。私、この人のこと殺す気なんだ)


 奏の中、切っ先に迷いが無いことを諌める自分は何処にもいない。

 迷いといえば何処を狙うかだが、彼女の中にある選択肢は至って単純。

 殺すか、殺すか、殺すかだ。

 即ち、脳内会議を行うまでも無く目の前の男を敵と判断した彼女。

 銃を握る男の右腕を注視している以上、銃弾に当たる気など微塵もなく。


 だからこそきっと、その失態は起こった。


「っ――!!?」


 男の左手側から、急に集団のうちの一人が出てきた。

 その表情を見るに突如乱入してきた人物自身、この状況は想定外らしく。


(なんで――ッ!?)


 慌ててブレーキをかけた奏の腕はなんとか知らない兄ちゃんを串刺しにする事は無かったが、殺しきれなかった身体の勢いが相俟って無様に正面衝突する。


「ぶはっ!?」

「っ、ぐ……!!」


 勢いは当然奏のほうにあったがいかんせん、体格の差が大きかった。

 跳ね飛ばされた彼女は反射的に身を捻るも、運動神経の無い巨漢の方はそうもいかない。

 衝突にバランスを崩しずうんと倒れこんでくる男に、奏はぐっと奥歯をかんだ。


(嘘ちょっとなんでこんなタイミングで……っ!?)


 正に一触即発だったのは傍から見ても明らかだったろうに。

 何故、突如巨漢の兄ちゃんが切っ先の先―――そして射線上に飛びこんで来たのか。

 理解不能だった奏は巨漢に押しつぶされる寸前、腕を引かれた事により危機から脱出する。

 そう、口は挟んでこなかったものの、しっかりそこに居た鴉。

 一応救出された事になるのか、否、間違いなくしっかり救出された奏は巨漢に押しつぶされなかった事に関する謝辞を述べるべきかと、背後を振り返り。


「ぃ――っ!」


 そこで、右足に激痛が走った。


「ああ。もしかしたら、思い出したかもしれない」


 謎の激痛によりバランスを崩し膝をついた奏へと、何処か涼しげな声が振ってくる。

 鴉に支えられながらもぎっと彼女が顔を上げた先、そこにはやけに真剣な表情で、倒れた巨漢の向こうから見下ろしてくる男の姿があった。


「うぅ、ひでぇっすよ……アニキ……」

「女の子に、包丁突きつけられる事なんて、人生でそうないから」

「……」


 どうやら巨漢の男はボスの手によって無理矢理最前線に引き出されたらしい。

 拳銃にばかり意識をやっていたツケか、と。

 歯噛みする奏は理由さえ分かればもう情けない声を上げている巨漢に用は無く、そして巨漢を引きずり出し盾にした男自身、使い終わった盾に興味はないらしかった。


「……私も、人に包丁向けたのはアナタ相手くらいしかありません」

「ああ、やっぱり。後で食べようと思ってた骨を、盗っていった子だ。大きくなったね」


 ぶちん、と。

 頭の端で音がしたのは、奏の気のせいか否か。

 しかし今の彼女はどこの血管が切れていようと、心底どうでも良いと思った。


(最初に私からケンタロウをとったのは……っ!)


 お前だろうがこのクソ野朗1億と2千回死ね、と。

 けれど何故それを口に出来ないのか、唇を噛んだ奏にはわからない。

 喉元が妙に苦しく、息は出来るのに何故か言葉を紡ぐ事が今の彼女には難しかった。

 湧き上がる怒りに混じる悲しみがどんどんその比率を上げてくる。

 何故、今、なんだか泣きそうなのか。

 この男に対する怒りより何故、過去の悲しみの方が勝るのか、奏には到底分からなかった。


「……さっき」

「ん。なにか?」


 誰にもバレないように大きく深呼吸をした奏は、喉が震えるのを堪え押しつぶしたような声をポツリと落とす。


「さっき、もし間に合わなくて……私がこのデカイ男の人刺しちゃってたら、どうするつもりだったんですか」

「え。別に、どうもしない。何かすること、ありましたっけ?」


 やっぱり。

 怒りを堪え、悲しみを潰した奏は半ば虚無感に包まれたような状態でただ“やっぱり”とだけ思った。

 不思議そうな声色の男はあの時から何一つ変わっておらず、それによって自分の中の何処かが吹っ切れた事をおぼろげながらに彼女は感じた。


「……あなた、絶対良い死に方しない」


 ぽつりと。

 しばし何の反応も見せていなかった奏が落とした声に、踵を返しかけていた男が少しだけ振り返る。

 膝をついたままの彼女はその瞳に純粋な殺意だけを乗せていた。

 そう。

 自分が捕らえようが、捕らえまいが。


(否、絶対私が捕まえる)


 この男が何処かで仲間に背後から刺される前に。

 この男がどこかでゾンビの餌になる前に。

 必ず自分自身の手で捕らえ、“良い死に方”どころか絶対楽には殺してやらない、と奏は己の心に誓った。


「死に方は、知らないけど――」


 対し、少しばかりその言葉を悩ませた男は。


「どうせ、長生きはできないから。今日を生きれたら、それで良いんじゃないかな……僕は」


 一つ頷き、困ったような笑みを浮かべた。






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