その37・情報を常に更新すること
手の届く距離、というものは限りなく狭い。
「返して」、という自分の声が、自分自身の耳に刺さる。
大体、手の長さなんて高が知れてるし。
手の内を離れてしまえばそこで終わり。
返して、と無様に叫ぶしかない。
奪われたものが、帰ってくるはずも無い。
銃、なんて意味のわからないものに、適うはずがない。
だから銃は嫌いだ。
此方の手の届かないところから、一方的に攻撃が出来るなんてズルい。
そんなのは、ズルい。
此方を見下ろしてくる銃口は何よりも怖い。
それを使って脅される者の気持ち、無念、理不尽さなんて、きっとやっている方には分からない。
だから。
――最低だ、死ねばいい。
なんて。
ブラック集団から解放されたいというタクロウ君の気持ちが、一瞬過去を回想した奏には凄く良く分かった。
しかしいかんせん、それを決めるのは当然奏ではないしその他の問題が山積みである。
と、いうことで。
「――という状況なんです。あと所内で働きたいと言っている人がいます」
正直の○太ならドラ○モンを呼ぶ事態、「どうすれば良いかわからないよー」な奏は今、無線機を取り出していた。
そう、ずっと忘れられていた無線機。
戦闘の衝撃をナップサックの中で受け続けていた無線機。
振ればカラカラと音のするそれは完全に壊れてしまっている、と思いきや案外素直に作動してくれたので、表に出さないものの奏は相当驚いていた。
『成程……そういうことならば早急に対処しよう。本当はいくら待っても通話一本かけて来ない君に怒っていたのだがな』
そして待ちに待たされた飯島はご機嫌ナナメのようである。
「すみません、存在を忘れていました。ついでに壊したかと思いました」なんて正直に言ったら流石に、雷が落ちそうだと。
言い訳に悩む奏が視線をうろつかせた先、興味深気に無線機を見ていたタクロウ君がチラっとその目を向けてくる。
「え、奏さん誰この人。カレシ?」
「……違いま『そんな稚拙なものと一緒にしないで貰いたいものだな。私は奏の父だ』
「お前の父親は随分と四角いな」
そうして今度は鴉まで会話に入ってこようとするものだから、流石に奏も眉を寄せた。
ティッシュ箱のような外見のこの無線機は、少々音を拾いすぎる。
「……ちょっとタクロウ君。アイツの相手しといてあげて」
そうしなければ会話が進みそうに無い。
なんたってこの無線機は完全充電状態で、10分しか通話できないのだ。
そして充電を怠っていた今、一体どれだけの時間通信可能なのかと。
早急にとった障害排除の手段は一応上手くいき、なにやら少し離れた場所で会話し始めた二人の姿に奏はほっと一息をついた。
『……ふむ。奏、もしや今のが例の』
「そうですね……」
『……まぁいい。今は簡単な問題から片付けるとしよう』
そして耳ざとい飯島は今の鴉の一言で、以前報告した“金髪の感染者”が彼当人だと気付いたのだろう。
無線機を“父”だなんてトンチンカンなボケをかます人間はまずいないし、言葉を操れるほどに知能の高い“人外”も、まずいない。
加えて奏をストーキングしてくる人外、感染者となればそれはもう限られてくるわけで。
しかしその問題をとりあえず置いておいてくれる事にしたらしい飯島に、奏は心中で感謝する。
もしこの場でお説教がはじまろうものなら無線機の許容時間を大幅に超えることになってしまい、無線を繋いだ意味が泡となり消える事間違いなしだ。
『まずその希望者については会って決める。使えないと判断したら放り出す』
「はい」
『そして次に、その民間の集団についてだが』
ふむ、と一度言葉を区切った飯島は勿体つけているのか、それとも何かを言い淀んでいるのか。
前者だったらちょっと困るなと思いながら奏は無線機の充電用ハンドルをクルクル回した。
雀の涙程度の効果かもしれないが、一応通話時間を少しでも延ばしておいたほうが良さそうである。
『二度目かもしれんな』
そして、やがて無線機の向こうから届いた言葉に。
一瞬ハンドルを回す手をピタリと止めた奏は、また回転を再開させながら飯島の先の言葉を促す。
「……と、言いますと?」
『軍事的な格好の者に対し、そこまで強気に出られるというのは……味を占めているからだと思わんかね?』
言われてみれば、確かに。
“良いもの”を持っているのは確かだが、重装備の所内の者に対し、暴力的な手出しをしてくる人間は普通いない。
きっちりした装備に「良い暮らししやがって」的な鬱屈の念を向けられる事はあっても、恐らくその内容、武器を警戒しているのだろう。女である奏自身ですら、直接的暴力を向けられた事はかなり少なかった。
(確かに非力って思われがちの女ですらそれなのに普通、ガチガチの軍装備の男の人なんて狙わないよね)
だというのに補給部隊の男性らを、いとも簡単に人質にしようなどと考えるとは。
そして、考えるだけでなく実際に決行している彼らは。
「つまり……以前にも所内の者から、何かを奪った事があるかもしれないと」
所内の者は民間に対し容易に手出しできないと。
知っているからこそ決行できるのだと、飯島の言葉を脳内で整理し纏めた奏に無線越しの頷きが返される。
『そうだな、そして……その集団の“アニキ”とやらは拳銃を持っているのだろう?』
そう。
そのあたりについてはかなでも先程のタクロウ君との会話で引っかかっていた。
かなり早い段階で回収しない限り、民間に銃が出回る事は考え難い。
実際奏もそうだったから分かるがあの災害直後、自衛隊の基地に行って銃を回収しようなんて発想は無かった。それどころではなかった、とも言える。
そして仮に。
彼らが自衛隊の基地などから銃を仕入れていたのだとしても、トップ一人が、一つだけ拳銃を携帯している、というのは随分とおかしな話で。
ついでにいうと所内が大量の銃器を手にしているのは、その辺の基地から根こそぎ銃を取ってきたからであって。
(ということは話の流れから考えて……)
まず。銃器は研究所がともかく、各地から収集している。
つまり民間にはほぼ、銃は出回っていない。
けれど、通常手に入らない拳銃をトップ一人が所持している。
まぁこの辺りまでなら元々そのトップが拳銃を個人で所持していたという可能性も無くはないが―――重装備の者に、簡単に手出し出来るという点。
研究所の者を襲いなれていると思わせる節が、どうにも全てを一つの結論に結んでいるような気がした。
すなわち。
話を複合させて考えると、彼らのトップは所内の者から奪った銃を携帯している可能性が高いと。
理解した奏が眉を寄せる前、無線機からは飯島の声が流れ続けていた。
『まぁうちの者が外の任務で大量の銃弾を携帯していたのは、随分と昔の事だ。今では過去の失敗にならい、必要最低限の持ち出しにしているし、それ以降うちの所内の者が銃を奪われたという報告は無い……つまり、その集団のトップが今でも拳銃を使っているのならば』
それはつまり“過去の失敗”その時に、所内の者から銃を奪った当人だ――という事。
「……つまり、あの時の男かもしれない、ということですね」
『早とちりするな。私はただ、そういう可能性もあるなと言っているだけだよ』
その一度限りの、“過去の事件”。
それを知っている奏は知らず、己の声色が低くなっていた事に気付いた。
なんだか、どうにも喉に圧迫感を感じる。
まるで内側から首を絞められているような鬱陶しい感覚に、奏は軽く咳払いをし自分とは間逆、どこか明るい声色を伝えてきた無線機をじっとり睨み据えた。
「でももし“そう”だったとしたら……今回の件は、あの時銃を回収しなかった所長にも責任があるのでは」
『何をいう。仮に“そう”だとしても、いたいけな少女をあのまま放置する訳にもいかんだろう?』
さも当然と言った様子で返してくる飯島は無線機の向こう、どんな顔をしているのか。
なんだか彼が笑っている気がしてならない奏だが、一先ずそれは置いておく事にする。
兎に角、もし、“そう”だったとしたら。
それは奏の中で途轍もなく大きな問題で、己の今後の行動のモチベーションに関わって来る問題で、しかし確かめない事にはわかりようもない問題。
けれどそれに集中しようにも残念ながら、それ以前にまだ残っている問題が実はあるのである。
「……それで、今回の人質奪還についてですが」
『ああ。それは奏、君の判断に任せよう』
しかし。
通話時間が途切れないうちに、とそれを口にした奏はあまりの回答に一瞬絶句した。
『現場の事は現場のものにしか分からないからな』
「主任も以前は現場に出てたじゃないですか」
『あんなものは散歩程度だ。それに今と昔は色々と違うだろう』
それはそうだ、今と昔は違う。
災害直後数年、昔のように街中をゾンビがうろうろ……といった感じは今は無い。
けれどそういう問題ではないだろう。
部下が知恵を求めて連絡したというのにあんまりな態度の飯島に、奏は届く筈ないと分かっていても思わずその目を据わらせてしまう。
『という事であえて言う事は無いのだよ。それでも言うのならば……そうだな、残された補給部隊の者達は決して人質を放置はしないだろう』
そんな奏の無言から、なにやら意思を感じ取ったのか。
追加の言葉を紡いだ飯島には、元々補給部隊全員が捕まったわけではない事を伝えてある。
ソースは今室内に転がしている兄ちゃんら。
逃げれないようにとロープで巻いている途中、彼らの一人が「オレらに手ぇ出したら四人の命はねぇぞ!」などと言ってくれたため、奏は即座にそれを把握する事ができていた。
そしてだからこそ、動き難いという部分もあるのだが。
『となれば当然、狙うべきは人質解放の瞬か』
しかし。
ぷちっという短い電子音を残し、無線機が沈黙した。
一応充電用ハンドルを回してはいた奏だが、やはり消費に対し供給が追いつかなかったらしい。
物凄く話が中途半端だったうえ、此方の意も伝え切れていない奏は無線機を軽く叩いてみるが当然、応答は無い。
(まぁ、しょうがないか……)
この無線機はそもそも充電していた・していない以前に、動いただけ奇跡な代物だったのだ。
己の扱いに耐えてくれただけ幸い、寧ろこれ以上何を求めようと。
なんだか無線機に向かって手を合わせたくなる奏だが一応、それは壊れたわけではないので止めておくことにする。
(それにしても)
飯島から貰えたアドバイスといえば、“残った補給部隊の者は人質を放置しない”というものと“人質解放の瞬間を狙え”というもの。
なんだか、実に普通である。
しかしだからこそ彼は最初特にアドバイスをしなかったのかと、今更になすべき事が初めから決まっていた状況に気付いた奏はチラリと放置しておいた二人を振り返った。
「だからやっぱオレは背が高い方が好みなんだよな、まじハイヒールとか全然おっけー!」
「確かに体格は大きい方が良いな」
「え、でも太ってるのはイヤ」
「俺は何でも良いが。しかし上を求めるのなら脂肪の塊より筋肉質、しかし筋肉が多すぎると硬い。ようは片寄りが無い事が重要だ」
「そうだよな、やっぱ女の子は柔らかくないとなー!」
なんだか、微妙に会話のズレを感じるが。
当人らは全く気にしていないのだろう、二人は案外仲良くやっているらしかった。
それは奏にとっても幸い、なんせ通話に邪魔が入らなかったことが何よりありがたいと。
心中でタクロウ君に感謝しながら、けれどこれからの事を考える奏はとりあえず、二人の談笑を中断させるところから始める事にした。