その36・許容範囲を超えないこと
なんだかお馴染みになりつつある時計塔の中。
先刻鴉が蹴り開けた事により無残、ひしゃげていた扉を何とか補修した奏は今、最上階の部屋で困惑交じりの表情を浮べていた。
捕らえたばかりの五人は背中合わせになるよう縛りなおしたので、問題ない。
そう。問題は、いるはず無いと思っていた人物が未だ、この部屋に残っていること。
「なんでいるんですか、タクロウ君」
「え!? 何でって。そりゃ……」
椅子の上でモゾモゾとお山座りしているタクロウ君の姿に、捕らえられた兄ちゃんらが何やら声を上げようとするが、それは適わない。
道中何かと煩かった彼らの口には、既に奏が猿轡を噛ませている。
「……ってか奏さんこそ何それ、オレという人質がいながら。浮気?」
「状況が少し変わったんです」
一々説明するのも面倒だが。一応、一連の流れを奏が口にすれば、タクロウ君は何ともいえない表情で視線を流した。
その間にも奏は背負っていたナップサックを下ろし、一息をつきながら少し遅い昼食を取り出す。手に当たった硬質な機械について考えるのはもう少し後になるだろう。
「ああ、成程……アニキが考えそうな事だよな。ってか奏さん、オレも何か食べたい」
「……。」
腰を下ろしたまま奏が無言で見返せば、それを了承ととったのか。
近づいてきたタクロウ君はチラッと一瞬視線を流すも、奏の前に腰を下ろしたかと思えばやけに真摯な瞳を向けてきた。
「ってか。あの人スゲー見覚えあるんだけど」
「まぁ、一時あなた方と行動を共にしていた事があるような無いような感じらしいですから」
本人は覚えていないらしいが、ひっ捕らえた五人の話ではどうやらそんな感じだったらしい。
奏がその旨を伝えれば、催促するように手を出してくるタクロウ君が、元々小さめだった声量を更に落とす。
「あ、やっぱり。だよねだよね……ってかもしかしてあの人、奏さんのカレシ?」
まるで、内緒話をするように。
ポソポソと聞いてくるタクロウ君が指す“あの人”とは当然、机にどっかり腰掛け此方をジトっと見下ろしてくる鴉の事だろう。
まず、人ではないのだが。
それを説明するのも何だか面倒で、奏は昼食の封を切りながら適当に首を振った。
「違います。でもご存知かもしれませんが……ちょっと頭がアレな人なので。そっとしておいてあげて下さい」
「……ああ。こんな世の中だもんな」
一瞬複雑そうな顔をしつつも、頷いたタクロウ君は一応納得したのだろう。
おかげでこれから鴉が多少奇抜な言動をとっても、ある程度誤魔化しが利きそうだ。
しかしそう思った矢先、机から降りた鴉がズンズン此方に近づいてくる姿に奏は昼食を漁っていた手を止める。
「おい、非常食。これは何だ」
「それはタクロウ君です」
「何その会話。イタタタタタタ!!!!!」
ぐわしっと背後から頭を掴まれたタクロウ君が悲鳴を上げた。
しかし当の加害者である鴉は気にした様子も無く、それどころか僅かに寄せられた眉から不快を感じている事が奏には分かる。
タクロウ君の頭がトマトのように頭を潰されていないところ、鴉は彼なりに手加減しているようだが。“人を食うのはもったいない”と以前言ってはいた感染者が、けれど気まぐれを覚えふと人の頭を握りつぶしてしまう可能性を考慮した奏は、タクロウ君の頭にある手に己のそれを重ねた。
「あまり苛めないであげて下さい」
「そ、そうだ! 仮にも仲間に対して……っ!」
「お前なんぞ知らん」
「えええ!?」
頭の上に乗った鴉の手。そしてそれを引き剥がそうとする奏の手によってグワングワン頭を揺さぶられながらも、しっかり口を開くタクロウ君は中々たくましい。
「短い間だったにしろ、一緒に旅した仲だろ?!」
「知らん。俺が行くところに何故か人がついて来た事はあるが」
けれどやはり、タクロウ君の事など全く覚えていない様子の鴉に、奏は少しばかり呆れた。
人の居る所に自分が行った、ではなく自分が居たところに人が来た、という自己中心にも程があるその感覚。
まったく何をどうしたらこんな性格になるのか、彼の“特殊型”としての欲求に関係するところなのか。
自己中心欲なんてものがあったかなどと考える奏はその間にも、一応タクロウ君の解放を試みていた。
「ほんとにそろそろ、放したげて。それとも何、お前もお腹でも空いてるの」
「違う。目を離せば手を出されそうだからな」
言って視線を外した鴉は何やらを一考しているのだろう。
ふむ、と頷いたかと思えばタクロウ君を置き。隣に座ってきたかと思えば手をとってきた感染者に奏はぐっと眉を寄せた。
「……ちょっと。ご飯食べれないんだけど」
奏が取り出した今日の昼食はパンだ。
一応片手でも食べれるそれだが、タクロウ君と分けるには両手を使い物凄く硬いそれを引き千切らなければならない。
つまり分けるまで食にありつけない奏がジロリと視線をやれば、何を考えたのかバッと鴉がパンを奪ってくる。
「そうか、なら食わせてやろう」
「――っ!? あががががががが!!!」
一体何を考えているのか。
奪われた昼食に対しての文句が出るより先、奏は口にガッと押し付けられたパンに意味を成さない声を上げた。
何たってこのパンは凶器かと思うほどに硬いパンだ。
押し当てられた口は物凄く痛い。
「ありがたく思え」
「――っ、殺す気か!?」
挙句の果て、動揺のあまり呼吸困難気味になっていた奏は咄嗟に鴉を蹴り飛ばした。
相手の身体は少し揺らいだだけだったが不意はつけたのだろう、鴉の手をポロリと離れたパンに奏はダイブせんばかりの勢いで飛びつく。
手に収まったパンはとりあえず無事らしい。
「……あのー。もしかしてオレ、邪魔?」
けれど、伺うような声色が向けられ。
ハッと失念していたタクロウ君の存在に顔を向けた奏は一瞬あまりの羞恥に埋まりたくなった。
「どうでもいい」
「どちらでもない……けど、ちょっと。タクロウ君、座って」
さらっと返す鴉に精神疲労を募らせながら、奏は立ち上がりかけていたタクロウ君へと取り繕うような咳払いをする。
なんだか物凄く誰にも見られたくなかった光景を披露してしまった気がするので、此処は思い切り話題を変えるのが吉だろう。
「ところでタクロウ君」
「え、“ところで”って……」
「ところで。 あなたには幾つか聞きたいことがあります」
ギッと視線をやり言葉の初めを強調すれば、黙ったタクロウ君に奏は一つ頷く。
何やら色々あったせいで(9割方の責任は誰にあるか、なんて確認するまでも無いだろう)聞きそびれていたものの、それらは全て重大な事柄である。
取り戻したパンを半分にむしった奏はそれを差し出すと同時、タクロウ君へと真っ直ぐに視線をやった。
「まず。初めにも聞きましたが……あなた、何故ここに残っているんですか」
普通じぶんを捕らえていたものがどこかへ消えたら当然、その隙をぬって逃げるだろう。
なのに何故、彼はそれをしなかったのか。
別に足を縛られていた訳でもなく至って自由な状態で放置されていたタクロウ君が今、此処にいることに奏は懐疑を覚えていた。
「えーっと……それは……」
対し、受け取ったパンを見つめていたかと思えば、どうにも曖昧な返答をする彼。
釈然としないタクロウ君の言葉次第で、すぐさまお縄にかける気(現実的な意味で)満々の奏は相手を観察しつつも言葉を重ねる。
「それに仲間が縛られてるというのに、随分素っ気無いじゃないですか。普通もっと慌てるもんじゃないんですか?」
縛った当人が言う事では無いのかも知れないが、これもまた奏が彼を怪しいと感じる部分の一つで。
寸分逸らさず視線を送り続ければ居心地の悪さを感じたのか、目を伏せ同時に手を下ろしたタクロウ君は、やはり手の内にあるパンをしばらくのあいだ見つめていた。
「……だって」
「だって、なんですか」
「だってオレ、あいつら嫌いだし」
そうして、ようやく。
顔を上げたタクロウ君が横目でお仲間らを指すその表情に、奏は食べ終わりのパンを喉に詰めかけた。
まさかそんな理由で。
パンの異物感が喉に残っていなければ、奏はそんな正直な気持ちを直ぐさま言葉にしていただろう。
けれどタクロウ君の方は押し黙った彼女に先を促されていると思ったのか。一度開かれてしまえば軽い口からポロポロと言葉が零れていく。
「だってあいつら、スゲー偉そうだし。オレの事パシるし。それに――」
それに、と続けるタクロウ君は心底嫌そうに顔を顰めていた。
「それに、そもそも……やっぱオレ、脅してどうこうするのってヤだ」
え、そんな今更。
と言いかけた奏は、タクロウ君の真剣な様子に一応口を噤んでみる。
なんたって彼は、非常に嫌そうだ。
これが演技だというのなら、相当の役者だといえる程に。
「そうしないと食いもん手に入んねぇって事くらい分かってるけど、でもそれでもオレが貰える食料とか殆ど無いし……っ」
そして、想像以上に。
タクロウ君の属する集団は部下に優しくない組織だという事が発覚し、確かこういうのをブラック企業と言うんじゃなかったかと、文明崩壊後はめっきり使わなくなった言葉をぼんやり浮かべながら、奏はぐっと眉を寄せた。
とくれば“嫌いだ”なんて子供のような事をいう彼のその感情の真摯さは、子供の純粋さに匹敵する程に素直な気持ちというやつかもしれないと。
ふと思い直した奏が無言で見つめる前、タクロウ君は数回歯噛みをしている。
「それに、やっぱヤなんだよ! 人はいるけど“仲間だ”っていえるヤツなんて正直いないし、アニキの方針にはやっぱついて行けねぇ……っ!」
そして、初めに戻ったそれは、恐らく彼の総意。
タクロウ君が此処に残っている理由も、縛られた兄ちゃんらに嫌そうな反応をしないのも、全ては繰り返された言葉に帰結していると。
成程、それを理解した奏は、改めて考えてみると彼の気持ちが非常に良く分かった。
人は居るのに、穏やかな気持ちには決してなれない環境――それは確かに、この世に存在する。
なので共感できると言って良い奏の気持ち、けれどその口から零れ落ちるのは結局ため息だ。
「でも、あなたそれ無しでどうやって食べていくんですか」
そう、結局のところそれである。
たとえ上の命令が意にそぐわないものだったとしても、どれだけ不本意なものだとしても。
生きていく為にはそれなしではやっていけず、つまり納得していようがいまいが関係なく行わなければならない事というものはある。
すなわち、案に「諦めろ」的なことを言った奏だったのだが。
「奏さんさ……さっき“あなたがそれで良いなら良い”みたいなこと言ったじゃん?」
「言いましたかね」
「言ったんだよ。それでオレ考えて……やっぱ良くないって思った」
「……それで?」
またポツポツと語りだしたタクロウ君は一応、そのあたりまで考えているのか。
それにしては何だか前置きが長い気もするが、此処で口を挟みまた彼の口を閉じさせてしまっては更に面倒だと。依然相手を尊重し言葉の先を待つ奏は、上げられたタクロウ君の顔をじっと見返す。
「奏さんはさ、パンくれたじゃん。オレ、仲間でもなんでもないのに」
「まぁ一応、人質に捕った責任はあるので」
「オレのところでは無い。仲間に分ける食料にだってかなりバラつきあんのに、人質に食料なんてあげるわけ無い……でもオレは、どっちかというと奏さん側の人になりたい」
なんだか。
なんだか嫌な予感がしてきたのは気のせいだろうか。
真剣・真摯・そして何処と無くキラキラしたものを瞳に宿し始めたタクロウ君から目を逸らし、奏はチラッと隣の鴉の様子を伺ってみるが、どうやら興味深げに二人の話を聞いている感染者は今に限って余計な邪魔をいれようとしない。
そして。
「だから――オレ、奏さんの働いてるとこに就職する!」
「・・・・・・・・・。」
感染者。
人質五人。
そして就職希望者。
なんだかどんどん余計な重荷が増えていっている気がしてならない奏は、数秒現実から逃げる事にした。