その29・障害を排除すること
モノレールを下車し、徒歩五分。
観光地というだけあって駅近な立地を眺めながら、奏は首からかけた鍵の存在に意識をやった。
大通りから一本東の通り、四つ角にある小鳥遊家。
何故“小鳥遊”を“ことりゆう”ではなく“たかなし”と読むのか。さっぱり分からない奏だが兎も角、今回の任務は小鳥遊家までの障害を排除することにある。
補給部隊は大人数、加えて基本装備が物資を持ち帰るための袋等だ。
つまりはいざという時臨機応変に対応し難い、特に帰り道など感染者に教われたらひとたまりも無い部隊。
なので奏は少しでも危険を排除するため、一足先に現地へ使わされたというわけだが当然、補給部隊事態にも護衛はついている。
(確か、明日こっちに到着するんだっけ)
食堂での会話を思い出した奏は、脳裏に一人の男の姿を浮かべた。
けれど彼は恐らく、前回と同様任務に銃器しか持ってきていない。そして彼のケチ臭さと一度の任務に持ち出せる弾数を考えれば、やはりほぼ自分が任務に対する障害を排除しておかなければならないだろうと。
(それにしても……小鳥遊家までの障害排除って)
改めて任務内容を改装した奏だが、それはずいぶんと一部的な指令である。
それは臨機応変に対応しろという事なのかもしれないが、ならば渡された鍵はいつ、誰とどのようにして使用すべきなのだろうか。
つまり、補給部隊と合流するべきなのかどうなのか。一人で鍵を開けて、一人で帰って来ても良いのかどうか。
(障害排除以外の部分が問題……どうしよう)
うむむ、と悩める奏の頭の中に無線機という名の存在は無い。
なんせ普段使わないものだ。
そして人(部隊)との交流というやつに必要な思考回路も、奏の中で普段使われないものだ。
なので。
とりあえず奏は現地調査と銘打って、観光地の様子を見て周ってから色々と決める――すなわち、問題を後回しにする事にした。
そうして歩を進めた奏の前に広がった光景は、今は昔、というものか。
割れたガラスの破片が足元でじゃりじゃり音を立てる。
出店の陳列はボロボロで、転げ落ちた箱は踏み潰された跡があって。そんな惨状をたどり店頭に目を向ければ、掲げられたままヒラヒラと揺れる旗もまたボロボロで。
積み重なった時間よって色あせた木造建築の味は増す一方のようだが、変色によってくすんでいる“温泉饅頭”の旗が温頭。“特産牛串焼き”が只の牛串になっている様に、奏は哀愁を誘われた。
きっと昔は賑やかな観光地だったのだろう。
もともと自分はこの辺りの人間ではないので分からないが、誰一人いなくなった街角は何処となく人の影を覚えている。
きっと、昔はこうだったのだろう。
きっと、昔はああだったのだろう。
そんな事を考えながら一歩、二歩、三歩。
通りの中心で歩を進めれば、奏の目に映るものは全て目あたらしいものばかりで。けれど全ては元々の面影しか残していなくて。
(もったいない……)
十年以上前に訪れていたら、それなりにはしゃげたのかもしれないと。
哀愁という感情を言葉にして思い浮かべればその時、奏の耳が微かな音を拾った。
「……。」
息を殺し、奏は音の出所と思わしき店内へと向かう。
中から見えないよう入り口に張り付き武器を抜けば、やはり音の出所はこの店内だということが分かる。
(感染者?動物?それとも……)
今のも倒れてきそうな木製の扉を刺激しないよう。
中を覗き込んでみればこの店は中々奥行きがあるらしく。
恐らく隣の通りと繋がっているのだろう、素早く視線を動かしてみた奏はしゃがみ込んだ人影を見止めた。
陳列台の下の棚を漁っているらしいそれは、果たして人か感染者か。
見たところ腐ってはいない、そして髪の色も黒い。
鴉の時の二の舞にならぬよう観察を奏が続けていると、その時振り替えった人影とバッリチ視線が交差した。
ひっと息を呑んだ様からして、恐らく彼は人なのだろう。
それでも確かなものではないので距離を保ったままじっと相手を見やる奏に、我に返ったらしい男が声をかけて来る。
「なんだアンタ」
油でベッタリした髪。まだらについた汚れのせいで元の色が分からなくなった服。
年齢は四十台と言ったところか、痩せこけた頬からして栄養状態はよろしくない。
この時点でまず間違いなく彼は人間だと思われるが、万が一の可能性を考えて奏は直接聞いてみることにした。
「……あなた、感染者ですか?」
もしかすると、元々痩こけていた男が感染したのかも知れない。
となると即ち腐っていない感染者は栄養状態が良好という事であり、相手をするのにはそれなりに気を引き締めなくてはならない。
しかしぐっと包丁を握る手に力を込めた奏に反し、男は不可解そうに眉を上げた。
「は? 何だ感染者って」
それは彼にとって馴染みの無い呼び方だったのだろう。
訝しげに見つめてくる男に対し、奏は少々考え違う呼び方をしてみることにした。
「あなた、ゾンビですか?」
「おいおい何言ってんのおねーちゃん……頭大丈夫か?」
見ず知らずの人に心配されるような頭を持っていない奏は、男の言葉から多分彼は違うということが言いたいのだろうと察する。
さてこの男の言葉を信じるか否か。
(んー、多分嘘は言ってないんだろうけど……)
任務である“障害の排除”には、彼も含まれるのだろうか。
正直感染者となれば切り捨てればいいだけの話なのだが、人間となるとそうもいかない部分があり、奏は心中で舌打ちをした。
この状況は、実に面倒だ。
そんな奏の眉がゴーグルの下、微かに寄せられていることを相手は知っているのかいないのか。
しかしその時、更に奥のほうで新たに二つの人影が揺れる。
「んー何々、どした?」
「なになにー?」
影になって見えなかった場所にいたのだろう、奥から登場してた二人の男に奏は軽く頭痛を覚えた。
正直人間に用は無い、出来る事なら速やかに退散したい。
しかし任務という枷がガッチリはまり、足を動かせない。
そんな奏の思いを当然、知らないのだろう。物珍しげにジロジロと視線を寄越してくる三人のうち、一番見目若い男が一歩足を進めてきた。
「へー。何、あんた自衛隊かなんかの人?」
「……違います」
「じゃあ何なわけ」
言いながらもニヤニヤと近寄ってくる男はこの三人の中のリーダー格なのか。
統治されていない場所で力を持つのはやはり若さと力かと。
若干うんざりしつつも一歩退き、武器を構えなおす奏の姿に奥の二人まで笑みを浮べだす。
「まぁ、まぁ。そんな物騒なもん下ろしてこっち来なよ」
「お断りします」
「そう言わず。女一人だと不安だろ?」
「いえ、全く」
「つべこべ言わず来いっつってんだよ!」
やはりこうなるか。
何処となく先が読めていた奏は一先ず包丁をしまい、突進してくる男に向かって入り口の扉を蹴り飛ばした。
そして今にも倒れてきそうだった、という彼女の見立ては正しかったのだろう。
「うぇっ!?」
驚愕に目を見開いた男が扉の下敷きになる様を確認し、更にそれに乗り上げた奏の前、残りの二人が突進してくる。
四十台男の手にはバット、もう片方が手にしているのは警棒か何かか。
久しく見なかった打撃系武器を確認した奏がぐっと踏み込んだ足の下、扉の下敷きになった男が「ふぎゃっ」と間抜けた悲鳴をもらすのが聞こえた。
しかしそんなものに構うのならそもそも、扉に乗り上げてなどいない。
身を低くし足払いを仕掛ければ四十台男はいとも簡単にバランスを崩し、その際近くを通っていったバットを奏は力の抜けた腕から取り上げる。
そしてそのまま手にしたバットを下から残りの男の右手首に振り上げれば。
ガラン、っとなんともあっけなく取り落とされた警棒が地を打つ音が店内に響いた。
「……で。あなた方は何をしているんですか?」
ふうっと一つため息をつき。
手に入れたばかりのバットを奏がポンポンと肩に乗せれば、顔面蒼白と化した警棒男が唇をわなつかせながら言葉を紡ぐ。
「お、おれらは……兄貴に言われて……」
「兄貴?」
「お、俺らを纏めてる人が……何かあるかもしんねぇから手分けして取りに行けって……」
成程。
どうやら彼らは集団の一部らしく、それを纏めるリーダーがいるのだと。
理解した奏は背後でうごめく物音を察し、速やかに立ち居地を警棒男の背後へと移した。
「ひぃっ!! こ、殺さないで……」
「た、タクロウ君!」
警棒男もといタクロウ君の首にバットを回せば奏の視線の先、立ち上がった四十台男がサスサスと腰に手を当てている。
どうやら彼は足払いによって、しこたま腰を打ったらしい。
一応身を起こしているものの、その姿からして四十台男は戦闘続行不可能。
そう判断した奏はじっと四十台男を見つめながら、タクロウ君に問いを続けることにした。
「あなた達はこの辺りを拠点にしているんですか?」
「ち、違う。モノレールで色んなとこ行って、色んなもんをちょっとずつ貰ってってるだけだ……!」
何もそんなに怖がらなくても。
思う奏だったが口にはせず、ただ四十台男をけん制するよう手にしたバットに力を入れる。
ひっと声を上げるタクロウ君に対しての扱いは確かに悪いが、人質にしている以上、そうでなくとも奏に殺す気などあるはずも無いという事を念頭において欲しい。
「それで。いつまでこの場所に滞在するんですか?」
「わ、わかんねぇ。あるもん全部捕ったら……?」
さっきはちょっとずつ、と言わなかったか。
脳内でツッコミを入れつつも、奏はそんな瑣末は置いておくことにした。
問題は、今後の展開である。
なんたって彼女の任務はあくまでも“障害の排除”であり、彼らはどちらかと言うと“障害”に入るからだ。
そして、一般人というやつは何かと色々面倒。
とくれば次はどのようにして障害を排除するかであり。
しばし頭を悩ませた奏はやがて、ゆっくりとその唇を開いた。
「……では、速やかにこの場から立ち去るようお伝えください。今日中に」
「そ、そんな。でも何て言ったら」
「スゲーやべぇゾンビに襲われた! とでも言えばいいでしょう」
見たところ彼らは、あまりガラがよろしくない。
なので、そんな彼らの社会では大抵、スゲーとやべぇで大体の事が通じるだろうと。
「……。」
返してみた奏は、口にした途端になんだか、どうにもそれで上手くいく気がしなくなった。
少なくとも“スゲーやべぇゾンビ”に襲われた証拠が無くては、信ぴょう性の欠片もない話。
なので又少し頭を悩ませる事にした奏の目に、その時ふと、留められたのは間近にあるタクロウ君の後頭部。
「……そうですね。次の目的地はハッキリしてます?」
「え? あ、ああ……一応」
「では信憑性を出す為にこのタクロウ君は預かります」
「へ!?」
「あなた方がここを後にする様子を確認し次第、解放します。タクロウ君とはそこで合流して下さい」
思いついた策をすらすら吐き出せば、またタクロウ君が悲痛な声を出したが此処は我慢してもらうしかない。
奏は様子を伺うようにしていた四十台男へとまた視線を流し、了承を得るよう更に思いついた言葉を重ねる。
「……ああ、でも私自身色々といっぱいいっぱいなので。もしゾンビと遭遇したり邪魔だと感じた場合、申し訳ありませんながタクロウ君は見捨てさせて頂きます」
こんな事になってはしまったが。
この観光地には彼ら集団に加え、感染者もいる可能性が十分にあるので。様々な障害があることを考えるとまず、戦闘になれば完全にタクロウ君はお荷物、その命の保障まで出来ないと。
一応体力が続く限り守る気はある奏が保険的に吐き出せば、四十台男はそれを只の脅しと受け取ったのだろう。
ぎりっと歯噛みし小さく了解の意を吐く姿に、奏も一つ頷きを返した。