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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第三章、応用編に行く前に~基本編その2
31/109

       無駄な疲労感とは無縁でいること~悪い例~






 明日は任務出発の日。

 それに当たって所長室を訪れたものの、部屋の主が留守だったので。

 食堂、(まさかとは思いつつ)奏の部屋、そして最後に研究施設の扉を叩こうとしていた河井は、中から聞こえてきた怒鳴り声にノックしかけていた手を止めた。


「ほんっっと過保護だよね、特に金髪の感染者の話聞いた後くらいから酷くなってない?!」

「当然だろう。あんな何処のどいつとも知ない馬の骨に私の奏を渡すわけには行かないからな!」


 一体、何事かと。

 反射的に耳を澄ましてみればその時、ドガンと。

 耳をつけていた扉に間違いなく何か物がぶつかった音がして、河井は数秒フリーズする。


「君がそれを言う? このままじゃ奏ちゃん、お嫁に行けなくなるって言ってんの分かる?!」

「娘を手放したくないのは父心だろう!」

「じゃあ僕のは娘には幸せになって欲しい母心かな?!」


 しかし、なんだか変な口論が依然続いているところ。

 盗み聞きをしている事がばれた訳ではないらしいと、ほっと息を付く河井だがそれでもやはり、部屋の中で上がっている音は口喧嘩だけでは発生するはずのないそれなので。

 慌てて『誰かが間に入って止めなくては』、と。

 使命感に燃えやましさを誤魔化すよう扉を開けた河井はその先、しかし広がっていた光景に身体と思考の動きを止めた。


(えーっと……?)


 様々なものが飛び交う室内。

 何やら物を投げ合っている上司らが手にしているのはバインダー、鉛筆――そして何故か、パン。

 その中に黒い液体の入った試験管を見止め、河井は漸く我に返る。


「ちょっ、ちょっと二人とも落ち着いてください! 何があったんすか!?」

「あ、河井君。やっほー、どうかしたの? 何か用事?」

「どうかしたのかはこっちのセリフっすよ!! 黒液投げないで下さい! 試験管割れたらどうするんすか!?」


 俊足で止めに入った河井が蒼白な顔で声を荒げれば。

 のほほんと返してくる楠がピタリとその手をとめ、床に転がった試験管を見つめた。


「それもういらないやつだから大丈夫だよ?」


 言うが否や、また手にしたボールペンを振りかぶる楠。


「ちょ、何が大丈夫なんすか!? 感染したらどうするんすか、事故でも起きたらどうするんすか!!」

「ああ、そういえばそんな事もあったね?でも大丈夫、ちゃんと当たらないように投げてるから心配いらないよ?」


 慌てて制止を続ける河井に、にっこりと。

 まるで安心させるかのように返す楠だが、見ている限りその命中率は限りなく低く、俗に言うノーコンであるといえる。

 先程から飯島に掠りもしていなかったのは気のせいではない筈だと、じりじり抑止するよう楠を見やる河井の背後、それを裏付けるような言葉が届いた。


「河井君、こいつの言うことは信用するな。こいつの投げたパンが8番ラボの開閉スイッチに命中した事はまだ私の記憶に新しい」

「あんたら何してるんすか、食べ物を投げないで下さい! そんでまだ記憶に新しいんなら飯島所長も応戦しないで下さい!!」


 振り返ってみれば未だ飯島の方もバインダー、加えてティッシュ箱程度の機密そうな機械を手にしているので。

 河井は更に顔を引き攣らせながら説得を試みるが、どうにも二人は分かってくれない。


「大丈夫、食べれる食べれる。それに最初、パン投げてきたのは飯島だよ?」

「お前が“腹が減った”などと言い出すから。恵んでやったんだろう」

「でも君、頭に当てたよね? 僕の頭がバカになったらどうすんの、責任取れんの?!」

「ととととととりあえず落ち着きましょう、落ち着いてください、マジ頼むっす!!!」


 前門の虎、校門の狼とでも言うのか。

 少しばかり使い方を間違えた例えを浮べる河井は二者にはさまれ、ちょっぴり泣きそうだった。







「……んで、そもそもなんで喧嘩してたんすか」


 一体なんだこの状況。

 心の中でついたため息は、河井の頭痛を抑えてはくれない。

 何故か上司二人の喧嘩を仲裁する羽目になった彼を中心に、腕組みをして睨みあう二人は二人は未だ眉根を寄せ合っている。

 が、とりあえず落ち着いたようなので。

 河井が問いかけてみれば、定位置の椅子に腰掛けた楠がすねたように唇を尖らせた。


「飯島が凶器みたいなパンを僕の後頭部に投げてきたから。まず頭だよ頭! 加えて後頭部って最低だよね、頭おかしいよね。死んだ脳細胞は帰ってこないんだよ?」


 確かに物を投げるのはいけない。

 そして頭に物をぶつけられることが、どうやら楠の逆鱗なのだと。

 頷き河井が視線を流した先、飯島がぐっと眉を寄せている。


「こいつが私の相談を無下にするからだ」


 そんな事で。

 と、思わず言ってしまいそうになるのをぐっと河井は堪える。

 いくら重要な相談だったとしてもせめて口喧嘩で終わらせて欲しい。


「……あのー、ちょっと。お二人ともいい年なんすから。そんな事で喧嘩しないでくださ――い、いえ。確かにそれは重大な問題っすね」


 しかし、両者からジロリと睨まれ。一度は抑えた本音を吐露してしまった河井は、慌てて言葉を正した。

 所詮上司を前にして部下というものは、どんな理不尽を突き付けられても反論できない生き物である。


(あれ、もしかして俺なんか選択間違えた? ……いや、でも止めに入った以上は俺がなんとかしねぇと)


 けれど河井が自身を奮起させる間にも、また両者は言い争いを始めていて。


「大体あれ相談だったの? 違うよね? 只の研究妨害だよね?」

「聞いてきたのは君だろう。それまで私はおとなしくサンプルを眺めていただけだったが?」

「視界の端でゴソゴソされてたら気が散るんだよそんな事も分かんないの? 挙句の果てに僕の頭にタンコブまで作ってそれに相談って――そうだ、河井君。君からも言ってやってよコイツうざいよね?」


 ふいっと。

 楠に視線と共に言葉を振られ、河井はその目を瞠目させた。

 伺うように視線を逸らした先、目の据わった飯島の姿に河井はまた視線を他所へと向ける。


「い、いや……俺はそんな……」

「君にも関係あることだよ? ほら、コイツが奏ちゃんにべったりだから中々近づけなくて困るよね? ウザイよね? 言ってやってよ“まじウゼーっす”って」

「へ!?い、いやだから、そんな……」


 とんでもない事に巻き込まれてしまった、というのは気のせいではないだろう。

 頭に手をやろうとして顔を顰めた楠は、そこにあるタンコブの痛みからか怒り心頭といった様子である。

 だがそれに自分を巻き込まないで欲しい、というのが河井の本音で、しかしそれは当然受け入れられない。


「……俺は、別に奏の事なんか」

「奏の事“なんか”……なんだね?」

「……いえ、なんでも」


 危機回避を無残にも失敗した河井は、めんどくせぇええええ!!と心中で叫びながらも飯島からの威圧にダラダラ冷や汗を流した。

 何故、あのとき扉の前で引き返さなかったのだろうと。悔やむも後悔先に立たず、とは完全に現状を言うだろう。危険そうな場所には立ち入らないこと、なんて分かってはいても人間、中々出来ないのはどうしてだろうか。


「兎も角、僕はウザい。奏ちゃんと何かある度に……僕のところに来るのは良いけど、研究の邪魔しないでくれる? 全くこっちの苦労もしらないで酷いもんだよ」

「多少の妨害で研究が進まなくなる君ではないだろう。問題は自分の中にあるのではないかね?」

「…………。」

「ストップ!ストーーーーーップ楠さん!!!」

「あはは……冗談、冗談」


 ビーカーに手を掛ける楠を慌てて止める河井。

 冗談と言う瞳は笑っておらず、ろくに現実逃避に思考を移す事すら出来ない状況に河井はなんだか腹が立ってきた。


「はぁ。こんなのがお父さんなんて奏ちゃんが哀れすぎるよ……ね、河井君?」

「い、いや……何とも……」


 しかしやはり、話題が話題なので。

 河井は肯定も否定も出来ず、あいまいに言葉を濁すことしか出来ない自分にうな垂れた。

 これはもう、余計な事は言わず嵐が去るのを待つのが何よりの得策だろう。河井は既に台風の日、川に行って流される子供の心境である。

 荒れていると分かっていても行ってしまう、そんな馬鹿な好奇心が自分の中に無かったとはいえない。

 そして話題に関しては、正直楠に同感である。


「何を言う。奏の両親は天国できっと、私のような後継人が現れたことを喜び咽び泣いているだろうさ」

「確かに“咽び泣いて”はいるかもしれないね? でも人の親を勝手に殺すのはどうかと思うよ?」

「どうせ死んでいるだろう、こんな世の中だ」


 そして今度は飯島に同意。

 限りなく人口の激減した日本、自分らの親族が生き残っている可能性が何パーセントかなんて分からない河井だが、限りなくゼロに近いということだけは分かる。

 兄弟や親子で所内に入れたものは幸運だ。

 しかし片方が任務で命を落とす事があるぶん、もしかしたら残酷なのかもしれない。

 諦めながらもきっと何処かで生きている、というゼロではない幻想を抱いているからこそ、保たれている部分もあるのだ。

 けれど間違いなく一番多いのは、目の前で身内が感染者に喰われる様を見た者。


(ああ、そうか。だからか……)


 だから奏はあんな鉄のような無表情になってしまったのかもしれない。

 そして自称“お父さん”の飯島は彼なりに、それを緩和させようとしているのか。

 とすれば、これは実はちょっと良い話なのではないかと。


「どうかな? あの子の話では両親、海外によく出張行ってたみたいだからね。もしかすると普通に生きてるかもよ?」

「……。」


 感動しかけた河井の耳に、するりと入ってきた楠の言葉。

 あれこれ考えていたことがアホらしくなって、加えてちょっぴり恥ずかしくなり。

 希望があるのはいい事だと、河井はその思考を強引に話しに乗せた。


「何故そんな事を知っているのだ」

「本人から聞いたから。飯島は奏ちゃんに対してもっと、さり気無い会話から始めれば?」


 しかし黙っている間、緩和されてきていると思った会話の雲行きがまた怪しくなり始め。

 これ以上付き合っていられないと、河井は慌てて口を開く。


「そ、そういえば飯島所長。俺、所長に用があったんすよ」

「……なんだね」


 そう、そもそも自分は所長に用があってここに来たのだ。

 間違っても下らない喧嘩の仲裁などではない。


「ほ、ほら。俺明日出発なんで。その、例の地下室の鍵を……」

「ああ、それか。それなら問題ない」


 しかしさらりと返され。


「あ、もしかして部隊の方の班長さんに渡してるんすか?」

「いや。先に行って鍵を開けているものがいる手筈だから問題ない、という話だ」


 ならば自分がここに来た意味は一体なんだったのかと。

 河井は一気に来た疲労感にぐったりとうな垂れる。

 更に、手にしているティッシュ箱程度の大きさの機械を見おろした飯島が、そのハンドルを思い出したかのように回し始めたものだから。

 河井の耳にはカラカラ、カラカラと、どうにも間抜けな音が響いた。






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