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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第一章、前提編
3/109

その3・弱点を正確に突くこと




 真っ白な研究所を出れば、そこは雪国だった。


(……さて)


 山の奥に立地している研究所から、下っていくこと徒歩20分。

 昔どこかで聞いたことがあるようなフレーズを脳裏に浮かべながら、奏は雪で斑を帯びた風景を一人流し見る。肌の露出が一切無い装備とはいえ、外気から浸透する冷たさは十分に肌を泡立てるものだ。

 出立時刻から計算してーー現在時刻、21時30分。

 奏が到着した寂れた駅の時計は、とっくの昔に止まっている。

 人も色も無い駅がただ深々しんしんと降り積もらせるのは、灰色の寒さだけ。


 奏は、冬が好きではなかった。正確に言うならば、ここ数年で、好きではなくなった。

 何故かというと理由は単純、研究所の外を闊歩するアレら――――俗に『ゾンビ』と呼ばれる者らの動きが鈍くなるからだ。

 確かに、それにより此方が被害を受ける確立は大幅に減少するが、しかしその遅さに慣れてしまうことが恐ろしい。いざというときに自らの動きさえも鈍ってしまいそうで、怖い。


(俗に言うぬるま湯に浸る、ってやつは……)


 何よりも恐ろしい事だと。

 長年の経験をぼんやりと回想する奏の前、今はもう意味を成していないフェンスを鳴らしながら、モノレールが駅構内へと滑りこんでくる。

 先頭に車掌さんなど間違いなく乗っていない、完全無人のそれは車体・そして線路に組み込まれたソーラーパネルにより、半永久的に動き続ける過去の遺産。


(………全然壊れそうに無いな)


 外観はまだしも、滑らかな動きはいつまでたっても現役であるそれに。

 奏は“もしも”という仮の想定を行う。

 もしも、あの時のまま――生活、そして文明に何の障害も生じず、今にまで日常が至っていたのだとしたら、と。

 奏は任務遂行のため必須といえる車体に一つ、頷いた。

 “もしも”が現実であった場合、目の前に停車したこのモノレールは欠陥品扱いを受けていた事だろう。

 搭載されたソーラパネルの太陽光から電力への変換効率が頗るいい事は置いておいて、なんのメンテナンスなしに最低10年以上ものあいだ動き続けているというのは、会社にとって非常によろしくない。

 “永遠”だとか“変わらないもの”だとかは非常に美しい言葉ではあるが、残念ながら、一定期間の後壊れるものというのが、会社にとっての“良い商品”なのだ。


(……“会社”、ね……)


 しかし、まぁ今となっては赤字を気にする者など、誰もいない。

 文明はたった一つの異種により滅びた。

 なのでただ単に“便利な交通手段”でしかない過去の遺産の中へと、奏は無感情に一歩を踏み入れた。


 そしてすぐさま、聴覚に神経を集中。

 頭部装備に取り付けられている、研究所内の英知を集結し改良に改良を重ねて作られたらしい超小型集音マイクは現在、常人の一・五倍程度の音を拾うよう設定されてあった。

 ちなみにこの設定は自身の手で調節できるのだが、むやみやたらと集音性をあげると痛い目にあうので注意が必要である。


「……ぁ」


 と、マイクが拾った微かな呻き声のような音。

 耳から直接足に神経が通っているのではないか、という反射速度で音から距離をとった奏は速やかに対象を確認した。


「ぅぁ、あ……」


 目標、視認。死人、一体。

 車体の連結部分で揺れながら立っている相手を、奏が注意深く観察する中、一人と一体を乗せた無人モノレールが発車する。

 通路を塞ぎながら意味を成さない呻き声を上げるその物体は恐らく、慣れ親しんだ『ゾンビ』に違いなかった。


(えーっと。性別は……)


 本日のサンプル一本目。

 などと考えながら性別確認のため対象を凝視していた奏は、しかし結果的にその眉を微かに寄せた。

 抜け落ちた髪に、ほつれから破れたのであろう服の下で膨らむ、紫混じりの白い肥満体。

 加えて服装や人相から見て、恐らく相手は男性だが、正直、太った女性と男性の区別は非常に難しかった。

 けれどこの相手から検体を摂取するとなると、ラベルに記載する性別は正確でなければならない。


(……後で、ひん剥けばいいか)


 飯島が聞いたら「やめなさい!」と、真っ青になって止めにかかるであろう思考と共に、奏は二席横並びの座席上へと足をやる。

 同時、後を追うよう移動してくる『ゾンビ』からの熱視線。

 腐り落ちたのか、そもそも喰われた時の跡なのか、骨だけがブラブラと揺れる左腕に反し、まだ正常といえる右手はフラフラと奏へと伸ばされる。

 その濁った目玉は光を映さない。

 その覚束ない右手と、引きずられた足は餌のみに惹かれ動き続ける。


(知能なし、身体の腐敗は見たところ耳・左腕・足に少しと……あと、可哀想な頭皮、か)


 そんな対象を観察していた奏は相手の頭皮から生えている毛が頗る少ない事に、多少の同情を覚えるが人生とはそんなものだと一人頷いた。

 そう、遅かれ早かれ人は皆ハゲるのだ。

 なので同情の余地は本来無い、けれど人ならばまだ育毛にも未来という名の微かな希望が持てただろうにと。


(コイツら……新しい髪が生えてこないって点では可哀想)


 髪の毛が育つ以前に、身体が成長する事も無い存在に。

 若干どうでもいい事を考えた奏は、餌の事しか頭になさそうな対象に軽いため息をついた。


「ただの、ゾンビか」


 前の座席の上部に足をかけ、天井に当たらないよう身をかがめながら前転。

 伸ばした腕は更に前の座席の背を掴み、勢いを殺してそのまま座席上にストンと降り立つ。

 瞬時に背後を取られた標的の首が緩慢に振り返ろうとするが、それより先、奏は地を蹴り鞘から使い慣れた武器を抜いた。


「……ぁ、」


 ごぽり、と。

 標的に穿った穴から何かが泡立つような音がした。それが何か、なんて決まっている。


 血と呼ぶには黒すぎる、どろどろとした汚泥のような液体。

 『屍』を『生かしている』原因だ。


 標的の背を足蹴にし、奴ら唯一の弱点である脳幹を破壊すべく標的の後頭部に突きたてたばかりの刃を引き抜いた奏は、宙を舞った黒い液体にその目を軽く細めさせる。

 ――感染したくなければ、決して触れるな。

 研究所に所属しているものなら誰でも知っている警告が頭の中に流れ、黒い液体に微塵も触れることがないよう身を引いた奏は、同時に標的が通路へと倒れこんで行く様をゴーグル越しの瞳で確認した。


「……ふぅ」


 無意識的に詰めていた息を吐き出し、奏は速やかにポーチを漁る。

 そう、一息はついたものの、倒せば終わりなのではなく。その後が重要ということで取り出した幅広のテープは、ありとあらゆる液体を浸透させない、簡単に言うと超防水テープだった。


(5センチ……くらいかな?)


 小さかったら意味がない、しかしこのご時世、物資は無駄にできないもので。

 目測で図って切り取ったテープを指先に引っ付けながら動かなくなった標的に近寄った奏は、通路に顔面から突っ伏しているゾンビの後頭部の傷をピッタリとそれで塞ぐ。

 臭いものにはフタを、なんて。

 ちょっぴり意味が違うような気もしなくもない言葉が脳裏をよぎるが兎も角、それによりどくどくと溢れていた黒い液体の流出はピタリと止まった。

 これでうっかり感染の心配もなく、一安心。

 しかし流れ出てしまったぶんの液体は未だ、動かなくなった標的の首周辺で脈打つかのように流動しており、それをしゃがんだまま眺めていた奏はなんとも微妙な気持ちになった。


(その体もう、使えないのに)


 こういうところは馬鹿だな、と。

 思う奏だが、この生物と呼んで良いのかもよく分からない、蠢く黒い液体を馬鹿に出来るはずもない。

 これこそが凡そ十年前どこからか蔓延し人を乗っ取り、生ける屍化させたモノなのだから。



――――そう、この流動する黒い液体によって、人類の文明は崩壊した。

 それがどこから発生したのかは、判明していない。

 しかしともかく、これは唾液、血液――それはもう感染者の液という液から感染する。そもそも感染源である本体が液体なのだから、体内にそれが侵入時点でアウト確定、間違いない。

 そして黒い液体に感染した者は以降、人としての全ての記憶をなくし、加えて異常な食欲を見せるようになり、“食べ物”でなかったはずの人間すらも口にし始めるのだ。

 それは途轍もなく、深刻な話。

 そう、その時点でかなり深刻な話なのだが更に、たちが悪い話。

 奴らは満腹感を覚える。

 つまり人に噛み付いておきながら食って腹が膨れた時点でそれを放置し、どこかへ去っていくという事。


(迷惑極まりない話――――)


 噛み付かれた時点で、その被害者は感染確定なので。

 放置された食べ残しはすなわち、そのまま奴らの同類として起き上がってくる。

 しかもどれだけ体がボロボロになろうと、脳幹を破壊されない限り動き続ける『生ける屍』として、だ。


(……感染した人間は助からないんだから――――)


 『どうせなら残さず喰っていけ』。

 言い換えるなら『立つ鳥跡を濁さず』、という言葉を奴らに突きつけたくなるのも無理はないだろうと、立ち上がり頭を掻こうとした奏の指先は厳重な頭部装備によって阻まれた。


「……。」


 現在彼女がまとっている装備は一切の露出の無いかつ耐久性に優れたものだったが、正直戦闘の後は蒸れる。

 しかしゾンビは動かなくなったとはいえ、うにょうにょ蠢く黒い液体と同じ電車の中。

 空気感染しないとは分かっていても、ガスマスクのような頭部装備を外す気にはなれなかった。




   ・  ・   ・




『検体1:通常型。腐乱度・C。性別・男。備考……研究所近辺、無人モノレール内にて』


 油性マジックで項目を書き終え、完全に密封した試験管を小型のインキュベーター内へと差し込む。

 詳しい仕組みはよく分からないが、この小箱は採取した検体を最適な温度に保ったまま保管してくれるものらしい。

 背負っていたナップサックの中へとインキュベーターをしまい込んだ奏は次に、通路で倒れたままの感染者を降車側のドアまで引きずり転がした。


「よっと」


 そして何度目かの停車駅、ドアが開くと同時に無人のホームへそれを蹴り出す。これでおさらばだと言わんばかりにその後頭部に張っておいたテープを剥がし、ついでに再度包丁で傷口を広げて車内へと戻った奏は、閉じた扉越しに開いたままの感染者の傷口を眺めた。

 しかしそれも数秒のこと。再度動き始めたモノレールに、景色はすぐさま流れ去る。

 あの寄生生物にもう、余命は無かった。


 感染者の脳幹を破壊した以上、あの液体はもうその体を動かすことができない。

 そしてあの汚泥の特性の一つ、そして最大の弱点。二十四時間以上外気に晒されると、死滅する。

 人類の文明を崩壊させておきながら幕切れはいつもあっけないものだと、通り過ぎていく景色を眺めながら奏はひとり、思考の海へと浸った。

 そう、もしかしたら感染は人類なんて大規模なものではなく、日本といういち島国だけの話なのかもしれない、と。


 しかしそうだとすればこの国はもう“日本”などという名前では呼ばれていないだろう。

 “最重要危険地区”か、あの液体の見た目からすると“汚泥国”とか。もっと酷く“ゲロ国”とか呼ばれているかもしれない。


(・・・・・・。)


 自分自身愛国心はあまりない方だと思っているが、最後のはできれば勘弁願いたい、などと一人頷く奏はこの後、乗り込んできた『ゾンビ』相手から検体三つを採取することに成功した。





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