その25・ぬくもりを抱きしめること 上
前回の任務から四日。
所内に奏の姿がない。
食堂にすら姿を現さなくなった女の姿を河井は無意識に探していた。
(今日も……いねぇなぁ)
食堂中央の人だかりが何やら楽しげな声を飛ばしている。
釈然としない気分を抱えながらトレーを手に取り、河井は視線を周囲から食堂メニュー表へと流した。
~今日の夕飯~
A定食・ジャガイモ入りハンバーグトマト付き(SOLD OUT)
B食・炒め物・レモン付き(SOLD OUT)
C・詰め合わせ
どうやら夕食に来るのが遅かったらしい。
選択の余地なくCを選ぶしかなかった河井は苦渋の面でカウンター向こうの女性に話しかける。
「……おばちゃん。AかB定食、鍋の底とかになんか残ってない?俺それで頼みた」
「何言ってるの!! そんなものある訳ないでしょ!! 残ってるのはCよ、C!」
「……お姉さーん俺ほんとCだけは――」
「やだお姉さんだなんてオホホホホ、上手ねぇ~! じゃあト・ク・ベ・ツに」
どちゃっ、と。
容器から溢れんばかりに盛られたC食に眩暈を覚えながらも河井は蚊の鳴くような声で礼を言い、渡されたスプーン片手にカウンターの前から去る。
余計な事を言わなければ良かった、というのは完全に後の祭りだ。A定食やB食を手にしている連中が、席にもつかず人だかりを作っているのが非常に腹立たしい。
そもそも何をそんなに集まっているのかと。集まりの中心に目を向けてみるが、人の壁に挟まれそこに何があるのかは分からなかった。
「へぇ~! オレそこ知ってる知ってる!! 昔行った事あるしマジで!!」
「え? 何が何が?! ちょっとお前邪魔だよ何言ってるか聞こえねぇよ!」
しかし騒がしい会話をザックリ拾ってみたところ、人だかりの中心にいるのは新人らしい、という事がこれまでの経験上判断できる。そしてその新人は女性。間違いなく女性だろう。
でなければここまでむさ苦しい男集団が群れを成している筈がない。
(あぁ……俺も話に加わりたい、加わりたい、が――!!)
ちらりと見下ろした先、トレーに乗ったC食。
塩味の湯気を立ち上らせた、形容しがたい色をした粘度の高そうな半固体。
それはそれだけで既に河井の食欲を失せさせているが、冷めると到底口に出来ない代物と化す事を己は知っている。
何を詰め合わせたんだ、という“詰め合わせ”ことC食は――温かいうちに心を無にしてかっ込むしかない。
そう判断し心を決めた河井はしかし、C食を口にしているところを見られたくないので。
そそそ、と人だかりから距離を置き、出来る限り人のいない食堂の端の席へと目をやった。
「……!」
抑々食堂中央に人が集まっているため、空席は多い。
その入り口付近、右端に座っている男の姿を見止めた河井は自身のトレーを隠すようにしながらそちらの方へと歩を進めた。
「隣、いいすか?」
「……うむ?ああ、好きに座りたまえ」
スプーン片手に此方を見上げてくる男は、C食を食べている。
しかし彼は自分と同じく“普通の食事”を食いっぱぐれた訳ではない。進んでそれを食しているという奇特な人物なのだ。
「飯島所長……それ、美味いっすか?」
「食べてみれば分かるだろう。君も同じものを持っているようだが?」
椅子を引いた河井が机の上にトレーを乗せる間にも、何のことない様にC食を口に運んでいる飯島。
鼻を摘まむことなくこのC食を口に出来るのはこの男か奏くらいのものだろうと、河井は小さくため息を落としながらスプーンを半固体の中へと差し込んだ。
スプーン越しに伝わってくる何とも言えない感触が破滅的な意味でたまらない。
「俺は食いっぱぐれてしょうがなく、っすよ。所長はいつもそれ食ってるじゃないすか」
「ほう、良く見ているな……この食事は配給の中で最も栄養価が高いのだよ。君も進んで食べるといい」
「いや、無理っす。こんなもん毎度食ってられる所長にはビックリっすよ。奏ですら時たま違うもん食ってるのに」
「ふむ。本当に良く見ている」
口に入れれば広がる塩味。そして酸味、さらにどこかクリーミィな甘み。
意識すれば吐きそうになるので何とか心をよそへやろうと。河井が視線を逃がしてみれば、飯島の細められた視線とバッチリかち合った。
「それで? 君は私に何か聞きたいことがあるのではないかね?」
そうでなければ男同士肩を並べて飯を食う必要性などない。
友人同士ならまだしも、上司と部下となればそれは尚更だ。
しかしそもそも圧倒的に男性の数のほうが多い所内、本当のところは男同士肩を並べて飯を食わざる負えないのだが――今回河井は、れっきとした目的をもって飯島の隣に腰を下ろしていた。
「……最近、奏を見ないんすけど」
「ほう。気になるのか」
「任務にでも行ってるんすか?」
だが正直、河井は飯島が苦手だった。
会話しているとどうにも居心地の悪さを感じる。
しかし奏の事となると間違いなく、この男に聞くのが一番早いので。
最初はタイミング的に会えていないのかと思ったが、ここまで会えないとなると何かおかしいと、河井は全ての根源のような気がしてならない男へと問いを投げる事を選択したのだ。
「問いに問いで返すな」
「……。」
「――と、言いたいところだが。私に聞いてきた事に免じて教えてやろう……奏は修行中だ」
「しゅ、修行中?!」
一瞬張りつめた空気を霧散させ、サラリと紡がれた飯島の言葉に河井は口に運びかけていたスプーンを止める。
「修行ってなんすか、修行って!」
まさか滝にでも打たれているのかと。
これ以上なく安直な想像を脳裏に展開させながら詰め寄った河井に、飯島は手にしたスプーンをくるくる回した。
「金髪の感染者――君達が鴉と名付けたそれに、負けた事が奏はとてもとても悔しかったらしい。挙句の果て前回の任務でも振り回され……そんな事は許されない、そうは思わないかね河井君」
「まぁ……思うっす」
「だから修行だ」
だから修行。
言い切った飯島はまたそのまま食事に戻っていくが、河井が聞きたかったのは理由ではなく内容である。
日に日に伸びていく植物の上を飛び越えているのかとか、とてつもない重りを背負って崖を登っているのかとか。
様々な想像を浮かべてみればどれもこれもシックリきすぎて、河井は何がなんだかよく分からなくなった。
そうしてボーっとスプーンを止めたままに、修行を想像していた河井の耳。突如ガタンッと軋むような音が飛び込み、慌てて我に返って見た先。
「くっ、それにしても私の奏がそんじょそこらの感染者などに負けるなど……ッ! なんだこの気分は! 酷い、酷い気分だ……!!」
まさか食あたりでもしたかと一瞬思ったのだが。
飯島は自らが腰かけている椅子の背を抱え込み、思いだし悶絶をしているようで。
どうやら大丈夫そうだ、と判断した河井は呆れ交じりに息をついた。
「……いや所長、それ結構無茶振りのような気が」
「何故そう思う」
「いや、アイツそもそも女だし。武器だって近距離じゃないすか」
本人以上に悔しがっているのではないか、という様子の飯島に。諭すよう河井はごく一般論を口にする。
「それの何が問題なのだ」
しかし訝しむ様に眉を寄せ返され、河井のスプーンが動揺に食器の淵を打った。
何が問題かと言われれば、それはもう様々な問題があるはずで。
「い、いや……やっぱ男と女じゃ基本的な体力とか違うんじゃないすか? それにやっぱ武器にしても、遠距離……の方が、単純に有利……かなぁ、とか……?」
けれど口から出た言葉の響きはどうにも頼りない。
言いながらも段々自信がなくなってきた河井の脳裏には、先の任務での出来事が嫌に鮮明に回想されている。
そしてそんな彼の迷いを、見抜くまでもなく当然と捉えていたのか。
食事を再開し始めた飯島がため息を付くかのように鼻を鳴らした。
「話にならん、体力が問題だというならば尽きる前に相手を倒せばいい。加えて……河井君、君は銃器を持って何年になる」
「えー……俺、もともと自衛隊入ってたんで。多分十年位じゃないすか?」
「十年も銃器を扱っていて分からんのかね? 銃器の致命的な弱さが。それは今の時代、特に顕著だという事も」
「分かる……っす」
食事の味という問題ではない苦々しいものが、河井の眉を寄せさせる。
銃器の弱さ。
それを他の誰よりも良く知っているのは、銃器を扱うものに他ならない。
だからこそ始まったお説教タイムの内容はこれ以上なく河井を落ち込ませた。
「確かに銃器を使えば瞬間的な強さは手に入る。しかし、その後に繋がらない。我が研究所にある弾薬は日々消耗されていっているのだよ……それが尽きたとき、何が残る?」
そんな事てめぇに言われなくてもわかってんだよちくしょうめ!!
と、叫べたらどんなによかった事だろう。
歯噛みするしかない河井がじっと視線をC食へ落としている間にも、飯島はダメ押しのように話しを続けてくる。
「基地跡に行って弾薬を回収しようにも、もうあれから十年経つ。民間に散らばった武器を見つけだすことは困難、譲り受けるのならその持ち主ごと抱え込むしかない、当然弾丸が日本で生産されている筈もない、輸入など出来る筈もない。……“その時”がいつ来るのかは私にも分からんが、先は長いのだ。銃器が鈍器に変わる時、君がどうするのか非常に興味深いな」
「……そのうち俺も、銃なしで戦えるようにならなきゃいけないって事っすね」
楠との会話を思い出しながら、河井は魂の抜ける思いで言葉を吐いた。
その時――銃弾がなくなる時。
いつか銃を手放さなければならない時が来る。その時が来る事により、これまで銃器しか握ってこなかった自分はどうなるのだろうか。今のうちから刃物の扱いに慣れておかなければ全くの役立たずと化してしまうのではないか。
(役立たずー! ダッセー!! ……とか言われるかもしんねぇのか!?)
そんなものは、到底耐えられない。
適度に合間を見て刃物の扱いを学んでいかなければならない。
心に誓った河井の真剣な表情をチラリと横目にし、また食事へと視線を落とした飯島は寄せ集めるようにして器の底をスプーンで掻いた。
「その辺りは好きにすると良いが……銃の命中精度が下がれば即、解雇という事を忘れずにいたまえ」
「まじすか!? ってか解雇って何すか!?」
「私は君の弾丸に対するケチ臭さを買っているのだよ」
全く褒められている気がしない上に、解雇とは一体なんなのかと。
研究所を追い出される事はないとは思うが兎も角、嫌な響きの言葉。ようは“役立たず”の判を押されるという事だけは間違いない、それでは下手に近距離武器の練習に乗り出すことも出来ないと。
両立というこの世で最も難関な所業を成さねばならないという絶望に、河井は顔面を蒼白にしガクリと項垂れた。
「ところで――食べないのかね?」
「あ」
その視線の先、まだたんまりと器に残る湯気を失ったC食。
でろり、と温度を失うとともに増した粘度がなんとも気持ち悪い事になっている。
「……。」
「では私は先に失礼させてもらおう」
「……はい」
「皿の底まできっちりさらいたまえ……残したら罰則だ」
河井の後頭部に重く伸し掛かる、席を立った飯島からの所長命令。
C食に差し込んだスプーンは先程よりずっと重さを増しており、涙目河井の重く深いため息は騒がしい食堂の空気に吸われ誰にも届くことはなかった。
・ ・ ・
「――って事があったんだよ、ひでぇだろ?!うぅ、ひでぇよなぁ!?」
暗い中ぎゅうっとサラサラの毛に顔を埋めれば、腕の中の存在が窮屈そうに身じろぎをする。
あの後、心身ともに疲労困憊と化した河井は癒しの地へと飛んで向かった。
配属の係の者が一日数回、それ以外は誰も寄り付かない暗い一室で彼はぬくもりへと縋り付く。
(あぁ、メリー……慰めてくれんのか? お前は優しいヤツだな……)
メエェエエエエエ、と。
腕の中で元気に鳴くメリーのお腹に河井はグリグリと頬ずりをする。
そう、ここは彼の聖地。癒しの理想郷。
思い切り息を吸ってみれば干し草がマイナスイオンを含んでいるとしか思えない香りを運んでくるし、それにより鼻の穴に大量の毛が入り込みクシャミが出るがご愛嬌と思える程にメリーは可愛い。
なんせ腕の中から伝わってくるのは心地いい温もりだけで、嫌味も小言も言われないのだ。つまり最高というわけである。
「うぅ、大体“いつか”っていつだよ。感染者がいなくなる日なんて来んのか? まぁ昔よりは数減ってるけどな? う、でもその前に弾がなくなれば俺は役立たず確定か……ん? そうか、ありがとなメリー……」
日頃の、そしてここ最近のうっぷんを思う存分吐き出す河井は今、動物の臭いに包まれそして至福に包まれているといえた。
明かりの無い中、一人ボソボソ話している様は正直かなり気持ちが悪いのだが。
誰もいないからこそ出来る事もある、と河井は既に開き直っている。
「大体アレだろ、他の奴らが馬鹿みたいに弾使うから! 俺が必死こいて節約してんのに!! ケチってんじゃなくて節約だよ! なぁ、分かるだろ、お前は分かってくれるだろメリーィィ「何やってるんですか」
「――ィィイッ!!??」
しかしその時、パッと室内を照らしたサーチライトのような明かり。
家畜舎の隅で山羊に抱き着いていた河井はそれをモロにうけ目を眩ませる。
(や、やべぇーーー!!!!!!)
特にマズイ事をしている訳ではないが、とてつもなくマズイ事をしている。
そんな自覚を一応持ってはいた河井は己を犯罪者のように照らしてくる光、それを手にしている人物へと硬直したままに視線をやるが、暗闇に馴染んだ目が中々に慣れない。
しかしその間にも人影は室内へと足を進めてきていて。
「……酔ってるんですか、河井さん」
大型の懐中電灯を手に、仁王立ちで見下ろして来るその声の姿。
河井は、眩しさに細めていた瞳を瞠目させた。