その24・ストレスになりそうなものには近寄らないこと
内容は変わってませんがなんか話数が増えてきたのでまとめました。
軽い銃声が立て続けに室内で上がる。
本物と比べれば随分と安っぽいそれの、最後の一発が乾いた音を立てれば。
ヒラリと。
数メートル先、舞い落ちて行った的の切れ端を眺めながら河井はため息とともに銃を下した。
「やべぇ……次元 大○みたいっす」
いつから見ていたのか。
振り返った先、河井は話しかけてきた同僚に見覚えがない。恐らく自分より若く見える彼は新人か何かだろう。
「こんなもん何の自慢にもなんねぇよ、只のストレス解消」
言って軽く笑う河合が手にしたものを振れば、カラカラとちゃちい音が鳴る。
それはあくまでもエアガンだ。
つまり実際の戦闘では到底使えない、弾を繰り返し使えるという利点以外、何の役にも立たない只のオモチャ。
河井は今、そんなオモチャで遊びたい気分だったので遊技場まで足を運んでいた。
「それがストレス解消になんのは先輩ぐらいだと……」
「いやいや、そんな事ねぇだろ」
「そういうのは的に当たるから楽しいんじゃないすか?」
「お前だって当たるだろ?」
短く返しながら的を回収し、散らばったBB弾を拾い集めて。
遊び道具を所定の位置に返していく河井は一応愛想よく返事をするものの、どうにも気分が乗らなかった。
人も来た事だし次の予定までの時間も迫っているしで、ここは早めに退散したいところである。
「い、一応当たりますけど偶に外れるというか……ってか先輩みたいに“ショボーンマーク”型に撃ち抜ける人とか他にいないと思うんすけど」
「何とかすりゃあ出来んだろ」
「何とかって……なんかコツとかあるんすか?」
しかし新人はそんな彼の内心などおかまいなしで、べらべらと話しかけてくる。
その初々しい様子からすると彼はまだペーペーの部隊補佐か何かかもしれない。
それでも、銃を扱う事があるのならばと。
相手を完全に無下には出来ない河井は端的なアドバイスを口にする事にした。
「俺は“外さない”って思いながら撃ったら当たる」
基本的な考え方として。
『的に当てる』というものと、『的から外さない』というものがある。
どちらも結果としては変わらないのだが、『そのどちらの意識で撃つか』によって不思議と人の命中率は変わる。
つまり。
『当てよう』と思って当たらないなら、『外さない』という気持ちで撃ってはどうかと。
「・・・・・・・・・えーっと?」
「……。」
説明してみたのだが、新人には理解できなかったらしい。
何にしろ一番大切なのは経験。
最後にそう伝えて部屋を後にしようと思った河井の耳がその時、なんの気ない新人の呟きを拾った。
「……はぁ、凄い人の言う事は違うよ」
普段の河井ならば、気にも留めなかったであろう発言。
しかし昨日からささくれ立っている彼の心境にそれはザックリ引っかかった。
「今なんて言った」
「え。せ、先輩凄いっすねって……」
ぐるんと首を回した先、引き攣った新人の表情がある。
それにほんの少し罪悪感がうずいた河井は眉を寄せ、部屋の隅にあるエアガンの入った箱へと視線を流した。
「……俺って凄いのか?」
「え??す、凄いと思うっす。凄いでしょ、他の人も言ってますよ」
「そりゃあ――」
本当に凄いやつを見たことが無いからだ、と。
言いかけて河井は口をつぐむ。思い出されるのは先の任務での数々。
それでもなんとか誤魔化すように笑みを浮かべた河井は、新人に視線を戻し鼻を鳴らした。
「そりゃあ、その辺のやつらには負けねぇよ――銃器の扱いなら、な」
その手を逃げるようにドアノブにかけながら。
そして彼が次に向かった先は研究施設である。
小さいものから大きいものまで、河井には到底用途の分からない機械が所せましと並ぶ中心、にへらっと笑って出迎えの言葉を吐いた部屋の主。
「ようこそようこそ! あれ、奏ちゃんは?」
「あー、すいません。アイツ――」
「ああ見つからなかった? なら多分まだ飯島に怒られてるんだろうね」
ぼさぼさの髪を揺らしながら笑う楠の手元、試験管に入ったどす黒い液体に目を奪われつつも河井は引き攣った笑みを浮かべる。
「え。まだ怒られてんすか、長すぎっすよ」
前々回。何を考えてか伏せた報告を、先の任務の結果とともに奏が飯島に伝えたのは昨日午後十時。任務から帰って直ぐのことだ。
その場面に立ち会った自分はすぐ解放されたというのに、彼女は未だ怒られているのかと。
そもそも直ぐ報告しなかった事が悪いとは思うが、奏が無事昼食にありつけるよう祈る事くらいはしてやろうと嘆息するしかない河井である。
「あはは、アイツ奏ちゃんの事となったら口煩いからね、まぁそんなことは置いといて。任務の報告書が途中で切れてるんだけどなんで?」
「ああ……その、アレっすよ。原稿用紙一枚に全部収まらなかったんっす」
それは決して河井が面倒くさがった結果ではない。
全ての物資が貴重なこの時代、報告に許された紙の使用量はもともと原稿用紙一枚分だった。
「いやそれにしても君、報告書書くの下手だよね? その日の天気とか一行で終わるよね、何時何分のモノレールに乗ったとか正直いらないよね、使った弾の数とか管理の方に言うべき話だよね? 君があっさり感染者に捕まったところまでしか書いてないよ? これ任務始まってすらいないよね?」
「うっ……」
「しかもなんで報告書にカギカッコとかあるの? 読んでると楽しいけど先が気になるんだよね、ってかこれ作文だよね?」
「い、いや、ほら。直接話す方が具体的に、事細かに説明できていいじゃないすか」
言い訳のように吐き出しながら河井は部屋の隅に視線をそらす。
そう、彼は何かを纏めるという事が苦手だった。省いた部分がもし重要だったら、などと考え出すとどうにも細かくなってしまうのである。
「じゃあ君が捕まったところから、具体的にどう捕まったのか事細かに説明してくれるかな?」
しかし言って此方を猫のような目で見つめてきた楠に、河井は物凄く後悔した。
それは単純に書いて終わらせておけば良かった、などという出来もしない後悔。
(つまり俺は今から――)
奏から忠告されていた上で、無残にもあっさり鴉に捕まった事や。
背後から感染者に襲われ逃げ回った挙句、管理小屋に引きこもってしまった事や。
最後まで鴉に向かって引き金を引けなかった事を――自らの口で説明しなければならないのである。
(く、屈辱……!!!)
今なら直ぐに報告出来なかったという奏の気持ちが分かる気がする。
しかし彼女はまだいい。
鴉に一応、ダメージを与えた事があるようだったから。
(俺は、最後まで……)
チャンスはあった。
一度だけだが、それは一匹目の感染者を撃ち落とした後。
鴉を狙撃するか、それとも奏に近づいていく新手の感染者を狙撃するか。
二択だったが、それはどちらを選んでもいい二択であったと河井は思っている。今回のパートナーには、弾丸のような速さで飛んでくる石を避けるだけの身体能力があったのだから。
しかし河井が選んだのは、新手の方だった。
(外さないと思える方を選んだ)
そして、引き金が引ける方を選んだのである。
(ぐああああああああああああああああ・・・・・・・っ)
思い出すだけで吐血しそうな程の羞恥と絶望と悔しさ。
すなわち銃を持つものとしてのプライドがバッキンボッキンへし折られていく感覚に、河井は重く深い息をつく。
「河井くん、河井くん? 口から魂出してないで報告してくれるかな?事細かにね?」
しかし楠がそんな彼を気遣う筈もない。
そうして魂の半分抜けたまま報告を終えた河井は、報告中の記憶が多少抜け落ちていた。
・ ・ ・
「――つまり僕が希望していたサンプルの本体は金髪の子に食べられちゃってて、君たちは変異型を適当に蹴散らして帰ってくるしかなかったって事?」
「……そういう事っすね」
嘘偽りを口に出来る筈もなく、曖昧に濁すなど許される筈もなく。
全てを洗いざらい吐露するしかなかった河井は精神に多大なダメージを負っていたが、それでも一先ずの安堵を感じていた。
もう自身の失態ネタは何もない。俗に言う山場は越えた、というやつである。
「……。」
「……。」
しかしその時、ふと。
抜けていた魂を口の中へと戻していた河井は落ちた沈黙に違和感を覚えた。
楠が静かなのである。
餅を喉に詰まらせて尚、しゃべり続けていそうな人物の無言にどうかしたのかと。河井が視線をやってみた先、弧を描いているだけの口元があった。
ボサボサの前髪の下、楠の目は全く笑っていない。
「取ってこれなかったんだね、サンプル。その金髪の子のお腹かっさばいて取ってくることも出来なかったって事だね?」
机に頬杖をつき問いかけてくる楠に、なんだか部屋の温度が下がっているような気がして。河井はブルリと身震いした。
「え、いや……ってかそれ、かっさばいて出てくるもんなんすか」
「あはは、試さなかったの?」
「す、すんません。流石に……」
「流石に何?出来ない?なんで? 猟師さんはオオカミのお腹かっさばいて赤ずきんちゃんとお婆さんを摘出したのに?」
ここまでくれば間違いなく。
楠は目的のサンプルが手に入らなかったという事態に怒っていた。
今までにこの研究馬鹿上司から怒りを向けられた事などあっただろうか、と。類まれ見る現象に河井はどうしたものかと視線を泳がせる。やはり何かしら持って帰るべきだったのかもしれない。
「そ、それは童話の話じゃないすか……そりゃ身体の破片くらいは取ってこれますけど、そういう直接的なグロいのは」
「あはは、グロいって。面白い事いうね?“ゾンビ”と戦ってるくせに?ショットガンで頭吹き飛ばすのはグロくないの? ああそうか、だからこそかな?遠距離からなら慣れてても、直接刻んだりする事には慣れてない?」
直接刻んだり。
そんな事を己がする必要があるのか、そしてそんなものに慣れている人物がいるのか、と。
反論が脳裏を過ったのは一瞬の事、すぐさま浮かんだ包丁を手にした女の姿に河井は心中で舌打ちをした。
「そう、っすね……これまでもそういう内容の任務はなかったんで」
「ああ、確かに。これまでは黒液サンプルの採取ばっかりだったもんね? でも前言ったように研究方針変えることにしたからこれからはじゃんじゃん感染者の身体の一部切り取って持ってきて貰うことになると思うよ?」
言って足を組んだ楠の視線が笑顔のままに外される。
若干尖っている口元からして未だ拗ねている様子の相手だが、どことなく機嫌が回復してきているように見えるのは。ある程度言うだけ言ってスッキリしたからか、それともまだ見ぬサンプルに思いを馳せワクワクしてきたからなのか。
到底わからない河井には、考えても分かる気のしない楠の心境より今後の己の問題のほうが重要だった。
(これからは“内臓取ってこい”とか言われるかもしんねぇのか……)
指一本くらいなら何とか気合で行ける気もするが。
腕一本だと、どうだろう。そもそも腕というのは簡単に切れるものなのだろうかと。
あまり刃物を扱った事の無い河井が頭を悩ませる気配を察したのだろう、視線を此方に戻した楠が小首を傾げ目を細める。
「ナイフの扱いだったら奏ちゃんに聞いておくといいんじゃないかな? 流石にもう飯島から解放されてると思うし」
「いやそれはちょっと」
よく此方の考えている事が分かったなと。
驚くより先、何故か河井の口から出たのは否定の言葉。
それに何より驚いたのは河井自身だったりする。
「ん、なに?まだ怒られてると思う? まぁアイツならあり得るかもね、“お父さんごっこ”もいい加減にしとけばいいのにね?あはははは、そのうち“門限”とか言い出しそう」
笑う楠の機嫌はいつのまにやら、完全に回復している。
しかし河井は己の心中に戸惑いそれどころではない。
確かに楠の提案は正しく、数少ない近距離武器を扱う者たちの中でも奏はかなりの古株なのでそんな彼女に教えを乞うのは至って自然なアイデアなのだが。
なんかヤだ。
という、とてつもなく感情的な思いが河井の中に湧いたのだ。
「いや、まぁ。そうじゃなく……奏に聞くのはちょっと、なんつーか」
「ん、なんで? あの子かなり刃物の扱い上手いと思うよ? 細かい手入れも教えてくれるだろうし、変な癖も直して貰えるんじゃない?」
「そういう問題でもないっつーか……」
なんかヤだ、をもう少し格好よく言い換えられないか。
思案してみるも中々いい言葉が浮かばず、河井は曖昧に言葉を濁すしかない。
しかし楠の言及がそれで止む筈もなく。
「なに?恥ずかしい? 女に教えて貰うのは嫌?」
「…………。」
率直に言えばそうなるのかもしれないが。
それすらも肯定できず指を揉み視線をうろつかせる河井を、楠の猫目が楽しそうに捉える。
もう少し時間があれば明確な気持ちを言葉に出来るのだが、抑々頭を使う事が苦手な河井。加えて楠が矢継ぎ早に言葉をかけてくるものだから、考えなどまったく纏まらなかった。
「男ってのは面倒くさいね、河井君」
「はい、まぁ……そうかも――って、え、あれ!?いや、いやいやいや。楠さん、そんなんじゃないっすよ!? 俺はただちょっとあの女に負けたくないだけでそんな生暖かい目で見られるような――」
「はいはい、プライドの問題ってやつだよね? まったく此処にいる子達は頑固というか生き抜く力しか持っていないというかプライドだけ高いというか面倒くさいね?」
にこにこと吐かれる楠の言葉は果たして褒めなのか毒なのか。
ともかく纏まり始めた話、ぶり返すのは得策と思えず多少不満ながらにも河井はその流れに乗って分からない気持ちは放置することにした。
「流石に俺は生き抜く力以外にも色々持ってると思ってるんすけど」
「奏ちゃんに聞けないならあの子の師匠に聞けば?」
「聞いてます!? ってかその話ぶり返すんすか――ってかアイツ、師匠とかいたんすか?!」
「あはは、そりゃいるでしょ」
君だって一人で銃器扱えるようになったわけじゃないよね?と。
小首を傾げてくる楠は至ってマイペースであった。
どうにも調子の狂う会話の渦にハマり込んでしまった気がしなくもない、しかしこういう時こそ冷静に。
頭の中で響いた“落ち着いてください”という声は誰のものかなど追及せず、河井は唸りながら己の中の“師匠”を回想した。
「そりゃもう。ありとあらゆる銃器の扱いを叩き込まれたおかげで……俺はここまで成長出来たと思ってます」
始めは何も教えてくれなかった師匠。
標的を撃ち抜けなかった日には飯を没収してきた師匠。
弾を無駄撃ちしようものなら、後ろ膝蹴りを躊躇いなく叩き込んできた師匠。
思い出すと物凄いスパルタだったような気がするが、彼のお蔭で今の自分がいることに違いはない。
「成長か、成長ね……ふっ、あはははは」
しかしそんな懐かしの日々の回想にちょっぴり涙目になりかけた河井を置き、楠は言葉を噛みしめるようにして笑っている。
一体何か、面白いことでも言ったかと。
己の発言を回想しても皆目見当つかない河井へと、楠は笑い交じりの言葉を吐いた。
「いやね、育ての親という意味では確かに“おとうさん”、なのかもしれないと思ってね?」
「……???」
言っている意味が良く分からない。
我ながらそんな心境を前面に出したと思う河井だが、聡い筈の楠はそれに反応を返さなかった。