その21・習うより慣れること
河井の居場所を突き止めることは楽だった。
鴉がその方角を教えてくれたことに加え、戦闘の痕跡が転々と道に残っていたからである。
しかしそれにしては銃声が聞こえなかったな、と。
不思議に思いながら疾走していた奏の前、開けた立地に現れたのは小さな小屋だった。
(か、河井さん……)
恐らく元管理小屋だったのだろう。質素ながらにもある程度頑丈に造られていると分かるそれに、彼が引きこもっているという事は一見にして明らかだ。
何故なら、周囲を感染者が取り囲んでいるから。
その数、三体。うち二体は先程の感染者と同じく右腕が肥大しており、地面に落ちている石を掴んでは管理小屋に向かって投げていた。
「・・・・・・・・。」
石を拾い、掴んでは投げ。掴んでは投げ。
どうやら小屋のコンクリートの方が硬度が高いらしく、強化された腕から放たれる石は、対象にぶち当たっては割れ落ちていく。
それが、なんだか滑稽な光景に見えるのは、気のせいだろうか。
借金取りが「出てこいやー!居るのはわかってんだー!」と横暴な取立てをしている図に見えなくも無い。となれば石を投げる感染者らの傍でうろうろしている一匹は大家さん的ポジションか、と。
数秒間アホらしいことを考えてしまっていた奏は我に返り、慌てて助けに入ろうと茂みから一歩踏み出したのだが。
「っ……ちょっと」
がっちり掴まれた奏の腕。
動こうとしない同行者に小さく非難の声を上げてみるが、その首は横に振られるだけだ。
「早く助けに行かないと」
「もう少し待つ」
「は?なんで」
今は大丈夫だが、いずれ管理小屋の窓ガラスが割られてしまえば河井の逃げ場がなくなってしまう。
しかしそんな焦燥感を持った奏の問いかけに、鴉は真顔で言い切った。
「その方が愉快だからだ」
「・・・・・・・。」
全く何を考えているのかと。
改めて呆れる奏だが、そもそも何故鴉はこんなにも素直に河井の居場所を教えてくれたのだろうか。
疑問に思うと同時、なんだか嫌な予感がした。
「……鴉、なんで此処まで素直に道教えてくれたの?」
「お前も見たかったのではないのか、非常食」
「……何を?」
「“その他”の情けない顔を、だ」
その為にはあの窓が割れるまで待つべきだろう、と。
至って真剣な様子の鴉に奏は軽い頭痛を覚えた。
そう、この同行者が“河井を助ける”などという動機で動くはずが無かったのだ。
しかし結局、彼の居場所は分かったので結果オーライ。
防犯用なのか、ヒビは入っているものの未だ割れていない小屋の窓ガラスが|保≪も≫っているうちに、此方が行動を起こせば河井に問題は無い。
二人のコソコソ話には気付かなくとも、流石にある程度の音を立てれば感染者達も反応するだろうと。
「・・・・・・。」
「っ、おい」
奏が直ぐ傍にあった枝を左腕でへし折れば、バキリと中々の音が上がる。
そして彼女の読み通り一斉に此方を向いた感染者達に、鴉が不満げな声を漏らした。
しかし今更、彼にはどうすることも出来ない。
「手、離して」
「断る」
「え、うそ」
あっさり断られたという事実に奏が驚愕すれば、石を拾い上げた感染者らが此方に向かって攻撃を始めた。
冗談ではない、と。
遠距離攻撃相手にお手て繋ぎながら対応できるはずが無いと奏の背が冷や汗を流す。
「っ!」
それでもなんとか物凄い勢いで飛んできた石をかわせば、背後の木がとばっちりに軋む音がした。
二投、三投。
続く感染者らの攻撃に身を捻る奏はふとそこで、驚愕の事実を発見する。
(あれ……これ、かわせる?)
飛んでくる石は大きくても拳程度のものだ。
加えて感染者らの姿もバッチリ見えているので、大体その腕が何処を狙っているのかが分かる。
更に奴らは二人がかりで奏のみを狙い攻撃してくるものだから、その愚直さは下手に策を練られるより幾分かましだと言えた。
(というか……)
森に紛れられ、何処からかされる遠距離攻撃は“狙撃”というに相応しいものだったが。
姿が見える状態でのそれは所詮只の“投石”である。
おまけに奏は先程、鴉によるショットガンのような投石をみているので、木の幹にめり込む程の威力とはいえ、目の前のそれに対する恐怖をあまり感じなくなっていた。
しかし。
「なんでこいつら、私ばっか……っ、狙うの」
隣にいる同行者が、狙われている人間の右手を塞ぐという簡単なお仕事をしているだけと言うのが気に食わない。
「お前の方が美味そうだからだろう。行くぞ」
それは褒められているのかどうなのか。
眉を寄せた奏は引かれた右手に慌てて続いた。
どうやら足元に石が無くなったらしい感染者らが後退していく前、大家さん――じゃなかった、“ただのゾンビ”が向かってきたので奏は勢いにまかせて包丁を振るう。
ゾンビの肘から先が切り飛ばされるのと同時、その身体が鴉によって蹴り飛ばされ、先を行く二匹にぶち当たった。
まるで漫画のような光景である。
奏がそんなある種の感動を覚える間にも、鴉は下敷きとなった感染者らに向かって驀進して行き――石を拾おうとしていたその頭を踏み潰した。
(……うわお)
ばちゃんと飛び散った黒い飛沫を尻目に。
奏は腰を落とし、もう一体の後頭部に包丁を突き刺した。
最初鴉によって蹴り飛ばされていた感染者は既に身体が半分千切れていたので、もう脅威にはなるまいと放って置くことにする。
それにしても森の中ではあれほどまでに脅威を味合わされたというのに、随分と他愛無い幕切れで。
「なんか……あっけなかった?」
「こんなものだ」
そうか、そんなものなのか。
思えば確かに、遠距離攻撃の優位性はその身を隠しているときにこそ発揮されるような気がすると。
考えながら包丁を抜き、こびり付いた黒液と油を感染者らの服で拭く奏の隣、鴉は水浴びした後の犬のように肉片や何やらがこびり付いた己の足を振っていた。
「ちょっと。なんか飛んできたんだけど」
「今はそんな話をしている場合ではない」
「え、もしかしてまだ敵が――」
ぺちゃりと右足に飛んできた骨の欠片のようなものを爪弾き。
結局一体何匹いるんだと奏は眉を寄せながらも速やかに立ち上がった。
「違う。“その他”のツラを拝みに行く」
「・・・・・・・・・・。」
しかし彼の目的は何処までもブレず最初のままだったようで。
管理小屋へと向かっていくどこか楽しげな後姿に、奏は呆れながらも続いていった。