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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第二章、基本編
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その18・好機にこそ慎重になること






 暗闇の中を人魂のような光が二つ動き回っている。

 しかしそれは心霊現象と呼ぶにはいささか動きが遅く、また縦横無尽に移動しているわけでもない。

 時折岸壁を伝い落ちた雫が地を打ち、それが溜まって出来た水溜りを跳ねさせるのは人の足だ。


「なんつーか……ほんとになんもねぇな」

「……帰りましょうか」


 先の任務で、強制的に訪れさせられた洞窟の中。

 ほのかに残った腐臭に寂寥感じみたものを覚えながら、呟いた奏は洞窟の入り口を振り仰いだ。

 先刻告げられた通り、ここに彼女らが求めているものはもう欠片一つとして残っていない。


(あんなデカかったのを……全部喰ったのか)


 鴉の宇宙すぎる胃袋に、クラクラと眩暈を覚えるが。

 残っていないものはしょうがない、手ぶらと言うのも酌だが帰還する他無いだろうと。

 速やかに探索を終え、足早に洞窟の入り口へ戻ろうとした奏がふとその瞬間、感じたのは右手の先の抵抗だった。


「……?」


 一体なんだと心中で嘆息しながら振り返った先、立ち止まって洞窟の入り口を見つめる鴉とその様子に首をかしげる河井の姿がある。


「なんだ鴉、トイレか?」

「河井さん、感染者は排泄をしません」

「知ってるっての。ちょっとしたジョークじゃねぇか」

「・・・・・・・・・・。」


 恐らく河井はあまり女性にモテないだろうと奏は推測する。

 そんな間にも鴉は無言で洞窟の外を見つめており、言い合っていた二人も流石に顔を見合わせたまま疑問符を浮かべた。

 何故、今更になって彼が立ち止まったのか分からない。

 本当に全て喰ったのかと。少しくらい残っているのではないかと、男の言葉を自らの目で確認することにした奏があの巨大感染者がいた洞窟まで向かうのを、不満そうな顔をしつつも止めなかったくせに。


「鴉……?」

「……非常食」


 訝しげに名を呼んでみればずっと出口へと注がれていた視線をチラリと向けられ、かと思えば続いた舌打ちに奏の眉がぐっと寄った。


「人の顔見て舌打ちしないでくれる」

「お前が弱いのが悪い」

「――っ!! ……全力で殺ってやるから右手を離せ」


 なにやら唐突に挑発され。

 囚われっぱなしの右手を奏は引くが、鴉は依然それを放さない。

 思えば前回の任務を含め、両手が開放され人質もいない――俗に言う万全な状態でこの感染者と対峙したことは無かったように奏は思う。

 ならば、今、それを証明すべきではないかと。

 実力勝負という私情に流されかける奏に、しかしずいっと河井が割って入った。


「んで、どした? なんかあんのか鴉」

「……河井さん」

「いやだってお前らの話、聞いてたら長いし」


 お前に言われたくねーよ、と。

 思わず返しかけるも一応、彼のいう事は最もだったので。河井をねめつけつつも奏は一つ深呼吸をした。

 そう、ともかく今は鴉を何とかしなくてはならない。

 突如この感染者が動かなくなったのには、何か理由があるのだろう。

 寧ろなかったとしても結局、奏としては己の右手を捕らえる鎖付き鉄球以上の枷(という名の鴉)を何とかしないことには先に進めない。

 “何とか”に暴力という選択肢を選びたいところだが、利き手を塞がれた以上それが出来ない奏はふうっと小さくため息を付いた。


「そもそも河井さんがさっさと撃ってくれたらいいと思うんですけどね」

「不毛な口喧嘩が始まる前に終止符を打って(・・・)やっただろ」

「……で。汚泥、なんなの? 私早く帰りたいんだけど」


 え、俺今うまいこと言ったのに無視!?とかなんとか河井が喚いているのをスルーし、奏は鴉に向き直る。

 何を考えているのか、あれ以降全く引き金に手をかけようとしない男の事は戦力と考えないことにした方が良いかも知れない――と。


「仕方無い」


 奏の河井に対する酷評は、開放された右腕の感覚に吹っ飛んだ。


「え……?」

「ここで待っていろ、非常食」


 あっけにとられる奏をおき、鴉は洞窟の外へと駆け出した。



  ・   ・   ・



 一体何が、と河井に視線をやるが彼も呆然としているらしく、二人が我に返ったころにはもう感染者の後ろ姿は無い。


「えっと……これって、チャンス?」


 ぽつり、と河井が零した言葉に奏としても異論は無かった。

 そう。なにがなんだかはよく分からないが、枷のいなくなった今こそ二人が何の心配も無く帰還する最大のチャンス。

 しかし。


「ぐふっ!?」


 出口の方へと駆け出そうとした河井の襟首を奏は反射的に引っつかんだ。


「なんだよ!?」

「なんだよはこっちの台詞です。河井さん、なに駆け出してるんですか……ちょっと落ち着いてください」


 よく考えれば、これは何かおかしい事態であると。

 瞬時に頭のどこかで悟った奏は、纏まっていない思考を言葉にすることによって整理した。


「まず。直ぐ出て行って、何かの罠である可能性があります」

「罠っつったって……」

「アレには知能があるんですよ、河井さん」


 具体的な内容は分からないが。

 まず第一に浮かんだものを奏が言葉にすれば、河井は複雑そうにしながらも頷きを返す。


「でも、だからって命にかかわるような罠じゃねぇだろ? よく分からねーけど、あいつお前に執着してるみたいだし。俺を喰う気もねえみたいだし。さっきメシも食ってたし」

「……確かに感染者のサイクル的にまだ“ご飯の時間”ではありません。そう、問題は一度捕らえた“餌”を、アレが簡単に放棄して行くというのがおかしいって事です」


 言えば思考が形になっていく感覚。

 鴉は他の感染者と同様、“食”というものに過剰反応する。

 己に対する態度もそれの一環であると理解している奏は、だからこその違和感を覚えていた。


「間違いないです、“非常食”を置いて行くなんてのは、間違いなくおかしい」

「……お前、それ自分で言っちゃあ」

「煩いです。それに加えて先程、何故かあいつ唐突に私を挑発しましたよね。弱いとか何とかって」

「弱い……弱いから――だからここで待ってろって?」


 鴉の言葉を回想し繋げてみる河井も、なんとなく奏の言いたいことが分かってきたらしい。

 弱いと連発され少しばかり不快な気分になりつつも彼女は頷き先を続けた。

 速やかに結論を纏めることは、今何よりも重要な事に思える。


「……そうですね。だから連れて行けない。つまりこの先に――自分の“餌”を脅かすような“何か”がいると察知したんじゃないでしょうか」


 そう考えれば、鴉の行動全てに辻褄が合うと。

 奏が口にした考えに、河井も納得したのだろう。小さく見える暗闇の先の光を見つめるその目には僅かな緊張が宿っていた。

 そして今や、内緒話をするかのように落とされている二人の声量。


「んで、自分の餌が奪われないように始末しに行ったって?」

「とすれば……この先にいる“何か”は恐らく、相当に手ごわい相手です」

「……なんでそう思う?」

「あれは簡単に非常食を置いて行かないからですよ」


 先の任務でも。

 奏が己の傍から離れる事を良しとせず、巨大感染者のいたこの洞窟にまで共にと引きずり込んだ男だ。 それ以外の正直ドン引きな目的もあったようだが、ようは同じこと。

 自分の手中に収めたものを手放すことを、あの感染者は良しとしない。

 つまり。


「前回の巨大感染者は鴉にとって“片手で足りる”相手だったんでしょう。でも、今回そうではないという事は……」


 かなり手ごわい“何か”の相手を、鴉はしにいったのではないだろうか。

 そう、奏を置いていったことにこそ、全ての不安は帰結している。


「んー……よくわかんねぇが。つまり奏チャンはある程度あいつの事を信用してるってことだ」

「アレを信用しているんじゃありません。アレの“生態”を信用しているんです」

「冷静な事で。んで、どうする?」


 聞きながらにやりと口元を歪めた河井に、奏は一つ瞬きをする。

 どこと無く彼が楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

 この先に手ごわい“何か”が待っていると理解した上での偽り無い笑みに疑問符を浮かべつつも、奏の問いかけに対する答えは間違いなく一つだ。


「隙を見て逃げます」

「堅実だな。長生きするタイプだ」


 呆れたように笑ってみせる河井に奏はマスクの下で苦笑を浮かべる。

 言うが、それは彼も同じことだろうと。そうでなければ今、ここでこうして生きてはいけない。

 勇者にとっては生き辛い世界なのだ。


「では、具体的な逃亡方法ですけど――」


 そうして速やかに。

 堅実(・・)な計画を練った二人は高揚感と緊張感を抱き、逃走作戦決行へと乗り出すことにした。






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