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ゾンビから生き残るための百のルール  作者:
第七章、継続編
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空白のページ

 







 便利なものだった。

 人間という生き物は、只の餌として食って終わらせるには、あまりにも勿体ない生物だった。

 格子越しに餌を、娯楽を、そして知識を差し出してくる人間を観察しているうちに、そう感じるようになった。

 だからこそじぶんはあの時、最も利便性に優れたそれだけは、何を置いてでも庇護しようと思ったのだ。




「餌は足りてる?」

「じゅうぶんだ」

「パズル、楽しい?」

「これより楽しいものがあるだろうか。否、今のところ無い」

「あはは、それは何より」


 天井に埋め込まれた蛍光灯の明かりが、完成間近のパズルの滑らかなコーティングに映り込んでいる。

 四メートルほどの正方形の形をした檻の中は、真っ白だった。

 初めてその色に疑問を感じたのは、カラフルな立方体を差し出された時の事だっただろう。

 大抵が白と黒だけで形成されていた光景の中、その色彩は目を刺す程に鮮やかで。

 それは、そんな“色”というものに慣れ始めた頃の話だった。


「――じゃあ他に何か要望はある? 作りたいものとか」

「子供」


 口頭で行われる体調の確認や、簡単なテストやら。

 その最後に毎度確認される本日の要求に短く返せば、格子の向こう側で屈み込んでいた影が不自然な間をあけた。


「……ごめん、もう一回言ってくれる?」

「子供が作りたい」


 確認のためか。

 重ねて問い返された言葉に、パズルのピースから顔を上げると、そこにはいつものように屈み込み頬杖をついていた顔の、いつもとは違う固まった表情があった。

 目にかからないようにとボサボサの前髪を束ね上げてあるピンも、心なしズレているような気がする。


「どうかしたのか」

「うん……そうだね。結論から言うと、残念ながら無理だよ。君の体液である以上、卵子が喰われて終わる。……それは状況とか、“此処では無理”とかって話じゃないんだ。君が君である以上、無理な話」


 その瞬間、自分は手にしていた真っ白なピースをぽろりと落とした。

 衝撃的だった。“絶望”という単語を真に理解した瞬間であったように思う。

 それはじぶんが初めて感じる、強い“不満”だった。

「何故だ」と問いかければ丁寧に説明が返されるも、おおよそ理解する事は出来ない。


「何故だ、何故無理なのだ!?」

「いやだからね? 君が精子を作れたとしてもそれは君の体液だからね? 着床どころか受精以前に――」

「なんとかしろ、桜!」

「……君、わりと無茶言うね?」


 形の良い眉をへの字に曲げた女が、前髪をピンで留め直しながら片目を軽く細める。

 彼女のこういった表情は“不可能”を前にしたとき現れると知っていた自分は、足元が無くなったかと思った。

 両手を伸ばし鉄格子に掴みかかろうかとも思ったが、以前それをした結果、怒られ食事を減らされたことを思い出し、結局、行き場のない手はペタリとリノリウムの床を打つことになる。


「――でも」

「! っ、何か方法を思いついたのか!?」

「うん、とりあえず落ち着こうね? まぁ……思いつかないからさ、今から思いつくのも悪くないかもって思ってね?」


 床に減り込まん勢いで突っ伏していた額を上げれば、頬杖の上からの視線が流れるように逸れていく。


「仕方ないから、研究してあげるよ」


 言った桜は何故か眉を寄せ口を尖らせていたが、じぶんはその言葉を聞き逃さなかった。


「本当か!?」

「いや、うん……まぁ」

「それでこそ私の見込んだ人間だ素晴らしい! ……天才じゃないのか?」

「でも兄さんと父さんの研究の手伝いの片手間になるから物凄く時間かかると思うし。ってかまず前提が“不可能”だから、その……完成するか、分からないよ?」

「完成するに決まっている!」


 身体を起こし、腕を組み誇らしさを笑みとして浮かべ力強く頷けば。

 桜はその眉尻を下げ、そうだね、と小さく笑った。



 だからこそ、その時じぶんは確かに思ったのだ。

 何をおいてでもこの人間だけは庇護しなければならないと。

 けれど、いつしかそれは記憶の底に埋もれ。それでも残っていた庇護の思念によって、じぶんは桜を所有し続けた。

 檻の外が騒がしくなり、今までに聞いたことが無いような音と臭いが溢れだしたあの日のあの瞬間も。

 じぶんは只じぶんにとって最も有益な人間を守るため、これまで特に破ろうとも思わなかった檻を無理矢理に破壊した。




「――っ、放せ!!」

「お前は一体、何をしているのだ。それはもう感染している、危ないだろう」

「違う! あれは、兄さんは――っ!!」

「どこからどう見ても噛まれている。……もしや桜、お前視力が落ちたのか?」


 地面に伏した人間に近寄ろうとする身体を羽交い絞めにしていると、ゆらりと起き上がった同族が近づいてきたので、とりあえず遠くに蹴り飛ばしておいた。

 ガシャリと。

 また一つ、ガラスが割れる。煙を上げている機械から、妙な臭いが漏れている。

 べっとりと床や壁に広がった赤を見ていると、身体の内側がざわつくような感覚が広がるのを知った。

 その衝動はまだ必要ではないはずの餌の補給を酷く訴えかけてくるので、早急に必要なものだけ持って退散したいところだった。

 だが、しかしその間中ずっと桜が腕の中で暴れているものだから、上手く事が進まない。

 初めて考える力加減というものは、中々以上に困難だった。


「修兄!!」


 そうしてじぶんが戸惑っている間に、桜がするりと腕の中から抜け出した。


「……さくら?」


 まだ話すことは出来るらしいそれに駆け寄った桜の腕を、寸前のところで掴み直す。

 腕の一部を食いちぎられているそれに、まだ起き上がる力が無かったことは幸いだろう。


「……丁度、良かった。あの、さ……お願いがあるんだ、けど」

「……なに、が……なに?」

「抗体が、まだ、完成してない……んだ、よね。作っといて、くれない?」


 ごろりと仰向けに転がったそれの視線は、既に焦点が合っていなかった。

 にも関わらず、まだ活動を続けているらしい脳は、明確な意思を紡ぐべく重い口を動かし続けているようで、じぶんはその姿に少しばかり感心した。

 けれど、もうその残り時間は僅かである。

 流出した血液は、黒く染まり始めていた。


「桜……お前になら、頼める」

「……なにそれ」

「お前は良い子だから」


 掴んでいた腕が引かれた。

 桜が前のめりになったからだ。

 振り上げられた拳から見て、彼女は恐らくそれに殴りかかろうとしたのだろう。けれどそんな危険な事を許すわけには行かないと。

 慌てて彼女の身体を引き戻せば弾かれたように振り返られ、目を見張った。

 驚いたように見開かれた瞳があまりにも透き通っていたことに、驚いた。

 しかしそれも一瞬の事。

 その顔がくしゃくしゃに丸められた紙のように歪むその刹那、我に返ったじぶんは桜を担ぎ上げ、速やかにその場を後にすべく何故か忘れかけていた退散を再開した。

 言葉の羅列が鼓膜を強打し、暴れる膝がみぞおちあたりに突き刺さったが、じぶんにとって必須であるそれを、これ以上危険な環境に置いておく気にはなれなかった。




「……研究を、続けなければならない」


 訳の分からない音を漏らし続けていた口が、やがてぽつりと零した。

 肩の上のそれにちらりと視線をやった自分は、初めて見る月明かりの下、初めて嗅ぐ森の中に、担いでいた軽い身体を降ろした。


「……君、研究所を作ってみる気とか、無い?」

「それは……組織とかいうやつを作るという事か?」

「うん。やってみれば? 楽しいよ? うん、きっと楽しい」


 にこにこと笑みを浮かべるその顔は、蛍光灯の下で見るよりずっと色が無かった。

 元々他の者より色の薄い人間だと思ってはいたが、暗闇の中、ぼんやりと浮かび上がる輪郭は触れれば溶けそうで、食べても味がしなさそうだと思った。


「……しかし、研究所とはどのようにして組み立てるものなのだ?」

「今までやって来た事と変わらないよ。パズルみたいにピースの特性を理解して、綺麗に繋ぎ合わせていくだけ。……ただ今はピースが欠けてるからね、それを補給したり修繕したりするところから始めないと」

「補給……修繕……?」

「ようは一から全部じぶんで作って、全部じぶんで組み立て直すって事だよ」


 あまり使う機会の無かった言葉を反復していると、速やかに単純化された言葉によって説明が繰り返される。

 正直、ほっとした。

 先程までの様子に、もしや桜はどこかでうっかり感染してしまったのではないかと思っていたからだ。

 しかし彼女はまだ人間で、じぶんにとって価値のある存在のままであるらしい。


「素晴らしい!」


 そして力強く頷きこれからの事を思えば、気分が非常に高揚してきた。


「やる、今すぐやる。急げ桜! まずは何から始めれば良い?!」


 何かを一から作る、という試みは初めてだった。

 既存の部品は無い。じぶんで全てを選択し、完成したそれは、結果どれほど素晴らしいものになっているだろうか。

 盛り上がって来た気分のまま一回転して視線を向けた先、桜は乱れた髪からピンを外していた。

 下ろされた前髪は以前よりずっと長くなっていて、その目元を完全に隠していた。


「まぁ、そうだね? ……始めようか。時間が、勿体ないしね」


 時間。

 それが何なのか、その時のじぶんはあまり良く分かっていなかった。

 けれどその意味は、すぐさま思い知らされることになる。

 時間とは意識した途端に早くなるものであり――そして何かを行う上で、必要不可欠なものだったのだと。






「すみません。急に後ろから殴られて……拳銃を、奪われました」

「…………そうか」


 おこなったことが、今日なのか昨日なのか。

 元々薄かった“今日”と“昨日”の境目が、更に稀薄になり始めた頃。

 じぶんは充実する反面、悩むことが多くなった。

 人間と言う生き物が、あまりにも脆く、頼りなかったからである。

 以前の研究所がたった一体の同族の手で崩壊したあの日の時点で、薄々感じてはいたのだが。

 物資を取りに行かせるにしろ、研究のための検体を捕獲させるにしろ、せっかく集めた人間は想像以上に脆くぽろぽろと良く死んだ。

 まるで蟻のようだ、という例えを聞いたことはあったが。

 こうも脆くては正直、踏まれても偶に生きている蟻の方がよっぽど頑丈な気すらしてくるものである。


「……回収は私が行う。君は戻って、休みたまえ」

「すみません……」


 辛うじて生きてはいた部下に、速やかに帰還を促し。

 とりあえず奪われた物資を取り戻すべく、ヘルメットにゴーグルにマスクといった本来必要ではない完全防備の元、じぶんは一人で山中へと駆け出した。

 けれど臭いを辿るのにマスクは少しばかり邪魔で、ついでにゴーグルもヘルメットも邪魔で、気分転換をするように頭部装備全てを取り払った。

 とりあえず、さっさと奪われた銃を回収しなければならなかった。

 そして研究所に戻り、どうせ何か起こっているのであろう問題を解決しなければならないだろうと。

 どうにも思っていた部分とは違う場所に労力を費やす羽目になっている気がして、じぶんが二つに分裂出来たらどれだけ良いかと思うが、既にその案は桜に却下されており。

 人間が良くする気分転換をまね、重く息を吐き出してみたくなった、その瞬間。


「……?」


 それは、じぶんの視界を過ぎった。

 急ブレーキをかけ顔を戻してみると、やはり木の根元にまるまっていた、それ。

 それが人間であることは、一目で分かった。


「……。」


 けれど、果たして生きているのかと。

 顔を伏せているそれに少しばかり近づき観察してみると、かなりボロボロであるその身が、非常に緩慢な呼吸を繰り返している様が伺えた。

 しかし、それにしても。

 ほつれたのか、転んだのか、何処かに引っかけたのか。散々な有様になっている服の裾からくたりと伸びている血色の悪い細い腕は、明らかに栄養状態が悪く。

 黒ずんだ爪の先に、砂利の入った擦り傷に、なんだか斑に見える肌の色。

 まだ若そうなその人間は髪の先まで泥と土と垢にまみれており、ちょっぴり強い風が吹けばポキリと折れてしまいそうなその姿を前に、じぶんは少々以上に悩んだ。

 拾えるものなら、拾いたい。人間は、脆いが故に貴重である。

 けれど拾った直後に死なれても困るのだ。時間と期待の無駄である。

 否、しかし死んだら死んだで、少しばかり早めの晩御飯にしてしまえば良いんじゃないかと。

 ふと思いつき、とりあえず黒液に侵されていないかを確認する為、また一歩近づいてみた。

 屈み込み、反応を見るべく手を伸ばしてみる。


「……?」


 その時、吹き抜けるような何かが頬に走った。

 目の前で大きく見開かれた瞳に、目を丸くしたじぶんの顔が映っている。

 いつの間に、この人間は顔を上げていたのか。

 頬に手をやれば滑るような感触がして、とりあえず再度飛来してきた刃をそのまま掌で受け止めた。


「……っ、く……っ!」


 軽く手を捻ってやれば、相手の手はいとも簡単に包丁を取り落とす。

 先程の反応速度はなんだったのか。

 死にかけと思い油断していた部分もあったが、じぶんは今確かに、これによって傷を付けられた筈だと。

 骨と皮しか無いような手首を握ったまま観察を続けていると、一度地に伏せられていた視線が不意に戻され。


「……!」


 その目を見た刹那、何故かじぶんは、酷く安堵した。

 鋭い視線。それでいて、深く沈み込んだかのような、重たい視線。

 それに睨み上げられた途端に、じぶんは先程までのじぶんの考えが理解できなくなったのだ。

 これは、死なない。

 そんな理屈では無い確信があった。


「……? ……なんで、ころさないの?」


 死体のような有様だというのに生きている。

 これこそ正に“ゾンビ”ではないのかと、浮かんできた思考に口元を綻ばさせれば、相手の目が少しばかり丸くなった。

 そうしてそのままゆっくりした瞬きをした少女の視線は、ただ生きている動物の目と全く同じものだった。


「……勿体無いからな」


 なので掠れた問いかけに短く返し、既にじぶんの中では決定事項である提案を速やかに口にすることにした。


「私の娘として研究所に来る気はないか?」

「…………は?」

「餌はやる。寝場所も与える。ただし、研究所に来た以上は、きっちり私の言う事を聞いてもらう」

「………………は??」


 どうせ育てるなら、死なない人間が良かった。

 ついでに年頃を見ても、なんとなく丁度良いような気がした。

 いつだったか諦めたそれを、今なら実現できる気がした。


「なに、研究、所……? あなた、が……?」

「何か問題でもあるかね?」

「その……研究所? の人たちは……知ってる、の?」


 重ねて疑問を向けられ、此方が疑問符を浮かべたくなったが。

 どうやら僅かに視線を逸らした相手は、此方の頬を伝っている液体の色を凝視しているらしく。

 ぴんとそれに気が付けば同時に、相手が言わんとしている事も理解することが出来たので、得心の笑みを浮かべながら安心させるように頷いて見せてやる。


「知っているわけがない。これでも丁寧に隠しているのだ……ああ、なので君もバラさないで欲しい。もしバレると――」

「……バレると?」

「君一人か、職員全員か。どちらかを平らげなくてはならなくなる」


 非常に困る。

 それを考えればやはり、拾わない方が良いような気もしたが、ここに置いていくには勿体なさ過ぎる気がして。

 何か方法は無いかと考えている間に、目の前の首が激しくぶんぶんと振られた。


「っ、言いません……!」


 何だかよく分からないが問題は解決したらしく。

 そして顔を青くした相手は約束を破らないような気がした。

 何よりボロボロでヘロヘロでひょろっこく体も成熟しきっていないような有様でありながら、今確実に生きているような少女を拾えたことが嬉しすぎて、他の事はわりとどうでも良かった。

 腕が鳴る、というものである。


「ふむ。君、名前は?」

「……奏。田村 奏、です」


 痩せた子供を菓子の家で釣り、太らせてから食べた魔女の話。

 ずっと昔に桜から読み聞かされたそれを、なんとなく思い出した。


 けれどやはりじぶんは、せっかく育てたものを食べる気にはならない。人は良い意味でも悪い意味でも、成長し続ける。

 その変化を引き起こし、過程を眺める事こそが楽しかった。

 研究所が形作られていくのと同じくらい――否、それ以上に。

 じぶんが拾って、じぶんが育てた娘が、どんな任務からも帰ってくる事が嬉しかった。











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