ひふみの呪文
さららは絹の衣装に勾玉、管玉などを通した衣装に着替え、禊ぎをするために川で水浴びをする。
そして、口をすすぐと、呪文のようなものを唱え始めた。
「ひ、ふ、み。いつ、む、なな、や、ここの、たり。ふるへ、ゆらゆらと、ふるへ――」
いわゆる石上神宮の文書の一部にある、神と人をつなぐ呪文である。
さららはその日以来、名前を伏せて『卑弥呼』と民衆に呼ばせるのだった。
「みなさん、わたしが王になりましたが、約束してください。わたしはあなた方の前に姿を見せることは、これ以降ないでしょう。かわりに、弟のイサハヤが政治をします。そして国をまとめるのはわたしですが、国をつくるのはみなさんであることを、忘れないで欲しいのです。どうか、よろしく」
魏志倭人伝にはこうある。
『卑弥呼たる王、民衆をまどわし、よく国を治める』
まどわすというのは、よくまとめる、という意味である。
誤解しやすいのはここで、卑弥呼はいわゆるテンプテーション(誘惑)をしたわけではなく、統治するものとして、かえって威勢のいいおてんばだったのではないか、と作者は考えた。
おそらくであるが――卑弥呼も剣を使って戦うことがあったのかも知れない。
そのときの姿が古事記にある、アマテラスの男装だ。
そうと決めつけるのは危険だが、卑弥呼の性質を考えれば、あり得ないことでもないかと想う。
当時、女であれ、槍を持って兵士にむかっていった、アマゾネス(ぽいの 笑)もいたと聞く。
姿を隠す、そして、男として剣を持つ。
女(王)の姿は陰で、男として、兵士として戦う自分は、太陽であると示したとすればであるが・・・・・・。
あるいは。
弟とあるが、じつはその弟こそが、卑弥呼のもう一つの姿、『男装』の姿と考えてもよいかも知れない。
政治を行うときと、祈りをするときでは、性別を変える必要があったのではなかろうか。
様々な想像ができるのが、古代史の醍醐味だったり(汗。
よくまどわす、というのは、そう言う意味もあるんじゃあないかな、と。
みなさんは、どう考えるだろう?
ああ、なんだこれは;
小説というか、かなり学術的な(汗。
ネタがありすぎて、使いこなせなかったよぉぉ;