拳
先生の病室を出た後、俺は静の病室へ向かう。
コンコンとノックして「し~ず~、入るぞ」とドアを開けた。
「どうぞ」と返事したのは…蓮だった…。俺の顔が一気に強張る。
「よっ!」
何の悪びれもない顔で蓮が俺に手を上げてあいさつする。
「てめっ!!…よくもノコノコとっ!!」
俺はギリッと奥歯を噛みしめ怒りを抑える。
「やだなぁ、怒んなよ~ジョークじゃん」
「ジョークじゃすまねぇだろっ…医者なんて騙るなよっ!!」
静がオロオロと俺と蓮のやり取りを心配する。
「だって…信じると思わなかったんだもん」
「だもんじゃねぇ」
こわ~いとか言って静に抱きつく。
(…離れろ!…)
「お前、そんなんで美大の助教授なんて…それすら信じられん」
「え~静、何とか言ってやってよ」
なんなんだ…こいつのキャラは…まったく掴めない。
「ぁ…あの、てつ、本当なんだよ…蓮さん、本当に昔っから絵上手くて…」
しどろもどろと静が間に入る。
「助教授っていったら、生徒に教えたりすんだろ?勤まるのかよ…」
「ふ、僕の大学を甘くみないでくれ。皆、変わり物さ」胸を張って言いきる蓮。
(…嫌だ…そんな大学…)
っはぁ~っと溜息を吐いてひとまず俺は黙る。
唐突に静が話題を変えようと必死で、口を開く。
「あのね、てつ、僕…退院したら、蓮さんのマンションにお世話になる事になったんだ。」
なんて…可愛い口から、
しかし、
とんでもない言葉が紡ぎだされた。
「なっ!!」
ショックのあまり、俺は固まった。視界ににやつく蓮の顔が…
「白金台だし…大学も近いから…。」
(…白金でマンション…なんて嫌味な野郎だ…)
(くそっ…負けた…完全に負けた…)
俺の燃えたぎった心はすでに灰色の敗北感で…
ぷすぷすと残り火がくすぶる程度のダメージだ。
「そ…そうか…一人で住むより…居ないよりは…居た方がましだもんな…そうか」
なんとか、平静を装って言葉を絞り出す。
「…ましって。」と蓮がくすりと笑う。
俺は、あまりの動揺に…一人暮らしの話も何もかも静に言うのを忘れ
トイレに行くと、部屋を出た。
(なんだろう…この心の靄は…)
(すっごく嫌な気分だぜ…)
「うぇ…なんか気持ち悪りぃ」
自販機で林檎ジュースを買って一気飲みする。
「…おいっ」と背後に誰か立った。
ここが闘技場なら、即座に左足を振り上げ回し蹴りをくらわすところだ…
「…なんですか」俺はむす~っと振り向く。
「んな、怖い顔すんなって…目つき悪いなぁ」
蓮が、俺の顔をみるなり文句を言う。
(…大きなお世話だ)
「ま、静を一人で家に置いとけないだろ~。それに兄貴…結婚すっかもしんないし居ずらいだろ」
と近くの窓をガラガラっと開けて、煙草を取り出し、口に咥えた。
「静の親…アメリカ行ったきりなんですか?静の事…」
(心配じゃないのか…?そんな親…いるんだろうか…)
蓮は煙草をふかしながら
「あぁ。帰って来ないな…ま、俺がいるから安心してんだろ。」
と言ってふ~っと息を吐く。
白い煙がザワザワと揺れる木の葉の中を漂う。
「静…親とうまくいってねぇの?」
俺はずっと思っていた事を聞いてみた。
「あ~まぁな。家庭には色々あっから。…ま、なんて言うか…兄貴は頑固でさ。昔堅気っていうか…静を…女として育てたかったみたいでな…」
「…。」
(なるほど…もめる訳だ。静もけっこう頑固だから…)
(建前なんか…適当に…本音を隠す事知らないから…)
「ジレンマっすね…」
俺はぽつりと呟いた。
たぶん…傷つけたい訳じゃなくて…思い合っての事でも…不一致は波紋を呼ぶ。
「ま、俺がなんとかするさ。身内だからな。」
と煙草を携帯灰皿に押し付けた。
…そこらへんの常識はあって俺も多少ほっとする。
煙草をかっこつけて道に捨てるやついっぱいいるからな…
捨てた煙草は土に帰らねぇのに。
蓮は、お前もいるか?と煙草をさしだす。
俺は首を振った。
そういや、静に煙草を取り上げられてから…吸って無いっけ。
「静…煙草嫌いだろ?」俺は蓮に聞いた。
「ん?あぁ。そんな事言ってたな。…昔、静が育ててた花壇に心無い誰かが煙草の吸殻を捨てたんだとか…そんで嫌いになったって言ってたな。」
俺はふっと笑った。…静らしい…。
「お前、煙草吸わないんだっけ?」と蓮がちろっと俺をみた。
「ん…吸う時もあったけど…もぉいいや、吸わなくて。」
「尽くすタイプだな…」とくくくっと蓮が笑う。
俺はムッとしたが、確かにそうだと思うので
一緒にははっと笑った。
「俺、自立したら、あんたんとこから、静奪うぜ」
そう言って、俺は蓮の胸に拳をトンっとつけた。
蓮はにやっとまた笑って
「あぁ。あんまり待たせんなよ…」
トンと、俺の胸に拳を返した。