穀潰し
その頃…
――――――横田家(哲也の家)では――――――
哲也の父、栄次郎が帰宅し、妻佳代子に栄転の話をしていた。
「かぁさん、来年の4月から、名古屋の本社に転勤の話があるんだ。」
「まぁ!名古屋!嬉しいわ…昇進なの?」佳代子がパンっと両手を合わせる。
「あぁ。やっと部長だ。こないだの企画が通ってな。」
「凄いわ~!今日はビールもう一本おまけね。」
「で、お前どうする?哲也の大学、まだあるしこっちに残るか?」
「冗談でしょ、行くわよ。あの子もう大学2年よ一人で大丈夫よ。名古屋は私の故郷よ。友達だってあっちの方が多いのだもの。嬉しいわ~。本社に行くって事はもう当分こっちには帰らないんでしょ?」
「あぁ…もうあっちに落ち着くくらいの気持ちで良いかもな」
栄次郎があごひげを撫ぜながら呟く。
「そうね…元々、こちらに親戚もいないし…いっそ家をあちらに買いましょうか。」
「ふむ。俺の親もそろそろ年だしな…名古屋で落ち着いた方が喜ぶだろうな。」
栄次郎も佳代子も実家は愛知県である。栄次郎の転勤で6年前に東京に来たのだが、
佳代子は住みなれた名古屋に帰りたくて仕方なかった。
そんな訳で…哲也に何の御相談なしに、とんとん拍子に話が進み、
4月には名古屋移住でまとまりつつあった。
夜の11時過ぎ、哲也は静の病院から家へ帰宅する。
リビングに入ると、いつもならもう寝ている父が、母と何やら話しこんでいた。
「ただいま~親父まだ起きてんの?」
振り向いた親父と、母ちゃんは、目を爛々と輝かせていた。
「おかえり、哲~お話があるの!!」
かぁちゃんが、待ってましたとばかりに話始める。
「なんだよ…?」
異常に興奮気味の両親にちょっと引きつつ、リビングの椅子に座る。
「実はね、お父さんが名古屋に転勤になってね、私達も名古屋に帰るからあんた、どっか住むとこ探しなさい。部長よ!部長に昇進なの!」
「はっ?…何言って…この家どうすんだよ?」
「売る。」
「…。」
(なんてこった…。どうなってんだこの親は…。)
「そんな売るって…いつから…名古屋行くんだよ?」
(…こいつら…俺の事心配じゃない訳?)
「4月から勤務だから、2、3月にはもう名古屋に住むとこみつけないとな~」
と親父も嬉しそうだ。
「俺…何処に住めば良いんだよ…」
「そんなの、自分で探しなさい、家賃は5万までね」母が畳み掛ける。
「そんな…5万って…あんのか?東京だぞ…この家置いてってくれよ」
「馬鹿ね、家を持つってのは維持費がかかるのよ。あんたが働いて払ってくれるなら良いけど、今は穀潰しに近いんだから文句言うんじゃないわよ。」
「ぐっ…」俺はひきつった。
「まぁ、カァさん、穀潰しは酷いよ…無駄飯食いって言ったってまだ、学生なんだから」
なだめるように親父が間に入る
(…どっちも同じ意味じゃねぇか…。)
こほんっと、咳をワザとらしくして母ちゃんは
「ま、そんな訳だから…あんたは晴れて一人暮らしができるのよ。良かったじゃない。大学生にもなって、親と同居してるなんて、自由を半分捨ててるようなものよ母さんも、お父さんも、大学生の頃は一人暮らしだったわ。自立しなさい。自立。」
(…あんまりだ…ひでぇ…)
「でもよぉ…そんな急に…」
ぶつぶつ文句を言う俺にお構いなしに、新居の話に花を咲かせる両親…
はぁ…と溜息吐いて、もうこれ以上今話合う気力を無くし、俺は風呂へ入る事にした。
(参ったなぁ…。)
湯船につかり…俺はモクモクと天井に上がる湯気を見ながら考える。
住むとこって…面倒な事になっちまったな…
2、3月って一番入居大変な時期じゃん…5万って…
部長に昇進すんだったら、もっと上げてくれよ…
参ったな…
静だっていつ退院するか解らないのに…
(ん?…静?)
俺はふと…本当にふっと、
…良からぬ…よこしまな思いがムクムクと俺の胸の内に立ち上るのを感じた。
(…静に相談したら…一緒に住もうなんて…言わないかな……?)
顔が自然と笑う…。
いや、決して、病み上がりの静をどうこうなんて事考えてないけどさ…
友達としてだ、友達。
ルームシェアなんて…誰でもやってるし…
でも、でも…一緒に住んだら、
「てつ…寂しいから一緒に寝よう」なんて言われたりして…
ぐはっ、駄目だ!!そんなのダメだっ…俺の馬鹿っ!!
湯船の中でバタバタと暴れ、尻がすべって、湯につかり水を飲み込む
ゲホッ、ゲホッっと咽ながら…俺はまだニヤついていた。