目覚
静の病室に近づくにつれて足早になる。
いっそ走りたいと思ったが、病院の廊下なので理性で抑え、競歩にとどめた。
静の病室の前にたどり着き…ぜぇぜぇと息を整える。
扉をゆっくり開ける…
まだ静は眠っているようだ。
哲也は足音をたてないように、静が寝ているベットへ近づき、
傍らにある椅子にギシッと座った。
薄暗い部屋の中…夕焼けの赤い光が磨りガラスを照らす。
静の青白い顔も、幾分赤みがさして元気があるように見える…
…品の良い眉に長い睫毛は息をするたび微かに震え…
綺麗な鼻筋に微弱な息使い…薄い唇はかすかに開き…
細っこい首筋、陶器のように綺麗な白い肌…柔らかそうな艶やかな黒髪がまとわり付き…
リズムに合わせてフワフワと揺れる…。
俺は食い入るように静を見た。
こんな綺麗な人間だったろうかと…驚愕と感嘆が胸を締め付ける。
(…初めて会った時は…ちょっと顔が良いくらいにしか思わなかったのに…)
いつのまにか…静そのものが、奇跡みたいに綺麗で汚しちゃいけない存在みたいに…
信仰に近い気持ちが産まれた。
好きだと思う事も…罪なような…
ただ…護って…傍でこいつを見ていられれば…俺は幸せなのかも。
俺はほぅと小さく息を吐き…祈るような気持ちで静の白く綺麗な手に触れた。
「…静…目覚めたら…俺を怖がったりしないでくれ…」
きゅっと握りしめる。
深い深い心の底…静は一人歩いていた。
周りは常に薄暗く…行きかう人も居ない。
記憶の断片がすっと傍を通り過ぎるたび、
傷口のない傷から血が滴る
無垢なものを傷つけた自責は
静の心を何度も何度も叩き壊す
なんの為に生きるのか…
失えないものを失って…
空っぽの空虚な心を何度壊しても
戻るものは何もない。
何処へ向かうかも解らない
ただ…前へ進まねばならないと思った
足を止め、考える事を辞めるのは
ユイに申し訳なくて…
申し訳なくて…
ボウッと暗闇の中にユイが浮かび上がる。
いつもみたいに猫を抱いて。
「いつまで泣いているの?静君…私、泣く子は嫌いよ。」
「でも…君が居ない…」
ユイは猫のふぅちゃんを見ながら…
「でも、静君を待ってる人がいるよ。」
「…ユイがいい」
「駄目よ。私はもう静と居られない。」
「嫌だ…」
「駄目ったら、駄目。もういいから…静君…私は静君に笑って欲しいんだよ」
「…。」
ほらと、ユイが指さす。
「同じ事を言った人が居たでしょ?」
指さす方に、心配そうな顔をした哲也が現れる。
「…てつ…」
ユイは猫のふーちゃんをなぜながら…
「大丈夫よ静君…私、静君の幸せを願ってる。静君の事、大好きだから願ってる。」
ユイが薄れていく…
「ユイっ!ユイ!…」
「…大丈夫。絶対大丈夫…」
淡い光につつまれユイが消えていく…
…突然、静は自分の手の熱さに気付いた。
「…熱い…」
その熱が、静を包む…優しい温かみ…
眠る静の睫毛が震えた。ゆっくりと目を開ける…
眩しい、夕日に照らされて…心配そうな顔をした哲也が居た。
静は…これまでに感じた事のない安心感を感じた。
「…てつ…傍にいて欲しい…」
こぼれる願望…
哲也が何度もうなずく。
「居るよ。俺が居たいんだ。ずっと…ずっと…」
静が目を瞑る…天にいる大切な人に…
…ありがとう…