覚悟
入院して6日目、静は東京外れにある静かな病院に移る事となった。
俺は静が起きている時に会えなかったが…
毎日、病院に通いつめていた。
病院が移れば…俺はなかなか静に会いに行く事ができなくなる。
その事だけが気がかりだったが…
静に早く立ち直って欲しい一心で我慢した。
日野先生は俺に言った。
「横田君…君は楠木君にとって要の人間だ。これから…きみにとっても試練がくるがどうか見捨てず離れず居て欲しい。」
もちろん俺は…静をこれから先もずっと守って行きたいし離れるつもりもない。
それに…恋にも似た感情を静に持っている。
でも、その事は隠していたけれど…先生にはばれているようだった。
「先生…ありがとうございました。俺…この先もずっと…静の傍にいます」
と、俺は先生に、深く頭を下げ礼を言った。
「絶対はない」と人は言うけど…俺は…絶対…静とこの先も生きて行きたいと本気で願っていた。
静が病院を東京郊外に移し、一週間がたった。
俺は、後期試験のため、その病院にすぐに行けずにいた。
しかし、やっと今日試験が終わったので、その足で
電車に乗り、静の元に向かった。
受付で面会を希望すると、
担当医師から俺に話があると言われた。
俺は個室に通され、初老の先生に挨拶をした。
「失礼します。横田です。楠木君の面会できました。」
初老の先生はニコヤカに頷いた。
「はい。横田君ですね。日野先生からお話をうかがって、お会いしたいと思ってました。」
優しい声音だ。緊張がほぐれる。
「よろしくお願いします。…日野先生には…大変お世話になりました。」
先生はまた頷いた。
「日野先生も君の熱心さに感心しておられたよ。今日も、遠い所、よく来てくれたね。楠木君も喜ぶだろう。」
静の名が先生からでたので俺は、つい焦って聞いてしまった。
「静は、良くなりましたか?」
先生はまた頷く。そして表情はにこやかなまま
「ええ。食事はなんとか、とれるようになってきました。でもね、まだまだ…焦ってはいけませんよ。」と俺をたしなめた。
「はい…。」
でも食事はとれるようになったんだ…良かった…と心からホッとした。
そんな俺の様子をみて、先生は言った。
「楠木君に会いたいでしょうね…」
「それは…もちろん…」俺はばっと顔をあげた。
もしかして会えるのだろうか?淡い期待が膨らむ。
だが、先生は今度はためらいがちに頷いた。
「楠木君の心は、今とても深い闇に支配されています…これは、一筋縄ではいきません…。闇を晴らすには時間がかかるものです。」
一呼吸おいて先生は言った。
「そして…私はあなたに楠木君との関わり方を…強要せねばなりません。」
先生が急に笑顔をひっこめたので、俺は不安になった。
「え?どういう…事ですか?」
先生は…俺の顔をみて言いにくそうに、だがはっきりと言った。
「つまり…楠木君には友人として接して欲しいのです。」
「・・・???」
俺はとまどった。(どういう事だ?)
俺の解らないという表情を読み取って先生は言葉を続ける。
「友人として距離を取って接して欲しいのです。」
「…はい…」
まだよく解らない。
(…距離をとるってどういう事なんだ?)
理解に苦しむ俺に先生は悲しそうな目をして言った。
「つまり…楠木君に…恋愛感情を持ちこまないと約束して欲しいのです。」
俺は瞠目し、顔がカァっと赤くなった。
「ど…どうして…」その先が動揺で言葉にならない。
先生はすまなそうに…
「初対面の君にこんな事を言う事を許してほしい…しかしすべては楠木君の為なんです…。」
「どういう事ですか?俺はでは?どうすればいいんですか?」
俺は必死に先生に問う。
「友人として…と云うのは、過度の接触や甘やかしを控えて欲しいのです。」
「甘やかし?」
(甘やかすって…子供じゃあるまいし…よく…解らねぇ。)
「…今の楠木君は、非常にアンバランスな状態なんです。そういう時期に…君に頼ってしまうと…今後、楠木君は、君の言動に深く左右されるようになってしまう…君に依存をしてしまう恐れがあるのです。…依存はもろ刃の刃…私が危惧しているのは…君が楠木君にとってそれになりえる存在だという事です。」
「依存…」
「ええ。ですから…毅然と「友人」として接して欲しいのです。」
俺は少し混乱した。友人としてって…俺は…そうしてきたつもりだったが…
静に対して…どういう態度をとれば…それは「友人」になるのか…
混乱する俺に先生は言葉を続ける。
「つまり…愛を語ったり、好きだと抱き寄せるような行動はしないで欲しいのです。」
俺は…とうとう先生にナイフを突き付けられたような気持になった。
顔が青ざめる。
(…俺は…まだ…そんな…気持ち…)
…恋になる前の…芽生えたばかりの淡い心が打ち砕かれたような…鋭い痛みを感じた。
俺は無言でうつむいた。
震えるコブシを見つめる。
「酷い事を言ってすまない…君達の気持を踏みにじるつもりはないんだ…ただ…今は我慢してほしい。楠木君の為に…」
先生が頭を下げる。
…俺は歯を食いしばって…首を力なく振った。
「いえ…謝らないでください。」
そして、顔を上げ…先生の瞳を真っ直ぐみて言った。
「俺…できます。…約束します。」
…これは覚悟だと思った。
(静を取り戻すにはそうするしかない。ならば…俺の気持ちなんて…)
(…砕け散ったって構わない…)
静がまた、前を向いて歩いてくれるなら…俺はなんだってする。
だから…俺は絶対に…静に…俺の気持ちを…言ったりしない。
静が前を向いて歩きだすその日まで…絶対…言ったりしない。