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非・論理から

作者: 田中教平
掲載日:2026/03/18

 

祐介は朝湯に入り、冷水シャワーを浴びた。冷水シャワーは去年の夏頃から続けている。気持ちが良かった。気持ちも新たになって、私小説を書きはじめたくなった。彼は書斎に向かい、しばらく書くべき事を原稿用紙に羅列していった。


・風呂に固執する主人公

・西村賢太著、一私小説書きの日乗

・ホルムズ海峡 封鎖


 ここで彼はそれぞれの事に関し、論理として語れると考えた。どれもある程度は語れる、しかし私小説として、もっと切実に語れる事があるのではないか、と考えた。

 

 それは妻の香奈の事であった。


 この日、午前四時に祐介が起きたら、香奈も起きてきた。

「まだ朝ご飯食べてないの?」

「起きたばっかりだから。食べてない」

 香奈は近くコンビニまで、チャイラテを自身と祐介の二人分買ってくる事にした。

「ありがとう」

「他に買ってくるもの、ない?」

「ないよ、充分だよ」

 香奈は上着を着て、朝焼けからオレンジに変った空の下へ出て行った。

 しばらくして、祐介の体調が悪くなった。心身のバランスが崩れた。彼は咳きこんだ。原稿用紙に向かっていたが、続きを接ぎ木する事が難しい。彼は寝室に向かって眠る事にした。香奈、彼女がいない事がさびしかった。そして香奈に依存している事を改めて自覚し、布団に入り、目をつむった。


「ただいま、祐介」

 香奈が帰ってきて、祐介が自身のベッドで横になっているのを確認すると、彼の隣に、ポン、とチャイラテのペットボトルを放った。

「あれ?」

「どうした、香奈」

「なにか匂うのよ」

「匂う?」

「トイレの匂いみたいな」

祐介は今朝風呂に入っていたし、着替えていた。しかしその言葉を聞いた祐介はクン、クン、と自身の匂いを嗅ぎ

「もう一度風呂に入ってくるよ」

と言って、二階に向かった。

 風呂に入ろうと思ったが、冷えていたので、祐介はシャワーで済まそうと考えた。この時、朝、二度、浴室に向かって、彼は自分自身が少し頭の調子が悪くなっているんじゃないかと思ったが、その考えを打ち消した。


 風呂から出て、西村賢太著、「一私小説書きの日乗」に目を通していると、香奈がやってきて、UVジェルを買いたい旨告げた。

 祐介はなぜ相談されるのかわからなかった。

 香奈には小遣いがあるし、また、それとは別に幾らかお金をあげていた。


 香奈は姉さん女房で祐介の五歳上である。AIの肌診断をすると、顔の表面に、点々とシミがあるが、年齢から考えるに少ない方であろう。祐介は全然気にならなかった。しかし、香奈はそうは考えず、シミを全く、ゼロにしようという思考でいたのである。それが人間なのかい、というと切実に考えればそうだ、と言えるし、騙されているんじゃないかい?と言えば、その側面もあると、祐介は考えた。

 祐介は香奈の苦しみを正面から理解できない自分は悪人だ、とも考えた。


「このままシミが無くならないなら整形してやる」

と、香奈が叫んでいた。その言葉を聞いて祐介は、必要な化粧品があればどんどん買えばいいじゃないか、と言ったのであるが、その後に、香奈が家事の夕飯作りが疲れてできない、と言った時、彼は自分の少ない預金の中から、幾らか、ポン、と彼女に託したのである。

 やったお金と、それ以外の家計について、彼は全くノータッチであった。


 しかし、今、冷静に考えてみると、美容というのはつまり、お金を支払いつづけるという事であるから、年間にして幾らの出費になるのか、と言う事だった。 

 そうして思い出したのが

「お金に恵まれた境遇に生まれたかったなあ」

と言う香奈の言葉であった。


──煙草を喫え

 その声は祐介自身の内側から聞こえてきた。

そうだ煙草を喫おう、と祐介は思い立ち、財布を確認すると六百円あった。

 彼は外へ飛び出した。青い、青い空であった。近くコンビニまで走っていった。そしてレジの前

「マールボロ、下さい」

と告げた。

「六百円です。四月からまた上がりますけど」

「いや、それはいつもの事なので」

と、応え、彼はマールボロを買うとまた走って自宅に帰り、ベランダに出て一本喫った。

禁煙薬を服している彼は、やはり不味いと思った。それでも何か落ち込み気味だった心が晴れた。

彼は眠る事にした。一階寝室に向かい、横になって格好を整えると彼は

(まるで風呂につかっているのと同じ格好だ)

と思った。

 そうして一切の事を忘れようとしたのである。時刻は八時半であった。


「起きて、祐介、起きて」

 香奈であった。

「ねぇ、ほら、ここ、シミ」

 祐介は半身を起こしながら寝ぼけた目で、そのシミと指さす部分を見つめると

「香奈ちゃんは医療業界と結託しているのかい?僕には関係ない、僕には関係ない」

と、また眠ろうとしたが

「もうしっかりしてよ」

と、香奈がグイっと体を起こした。祐介は思い切り気伸びをして、欠伸をした。香奈はスマホを取り出すとあるメッセージを祐介に見せた。

「祐介、これ、何?」

「何って、グーグルプレイの支払金が不足しているって事でしょ。設定金額を変更するか、コンビニでカード買ってくるんだね」

「三千円でいいかしら」

祐介はしばし考えて

「だって香奈、いくつアプリに登録してる?

五千円くらい入れなきゃ駄目でしょ?」

「でも、おこづかい無くなっちゃう」

「それならそもそもアプリ利用を見直しな。以前にお金やっただろう?そこから払いなよ、もう無くなっちゃった?」

「まだ残ってる」

「じゃあコンビニで買ってくるんだね」

祐介の脚の膝が痛んでいたので、彼はベッドに腰かけたままそう話した。何度も欠伸した。時刻は十一時半だった。

「ああ、俺、私小説書くって決めているんだよ、お昼になったら呼んでくれるかな」

 祐介は二階キッチンに向かった。ネスカフェゴールドブレンドの粉は無かった。祐介の心持ちは褪めてしまった。それでも、一階、書斎に向かい、原稿用紙を前に筆をとる。

「祐介。コンビニ行ってくるから」

「はいよ」


 近くコンビニに向かい、グーグルプレイのカードで五千円チャージした香奈はご機嫌そうだった。

祐介はこの娘は一人では生きていけないとしみじみ思った。勿論、祐介も一人では生きていけない。しかし香奈が、一人では生きていけない、と痛烈に悟ったときに、彼の心は開けてきた。彼女の為に生きる事を目的化したのである。


「昼食はお餅だったか」

「そうよ、きなこ餅にあんこ餅よ」

「作らなくていいのか」

「え?」

「だってもう十二時だろ」

 祐介はペンを置いて香奈をちらと見た。

 祐介、彼はチァイラテをペットボトルからコップに移すと思案が深まるのを待っていた。

彼は書きながらでしか考えられない。

 ともかく、香奈、彼女は美容業界のマーケティング戦略に嵌まり込んでいる、と仮定する。そこから一歩退かせて、自分の容姿というものをそのまま、愛する事ができたらばどれだけいいだろう。

しかし人は本物がどこかにあると思いたがる習性がある事を彼が知ったのは、SNSの利用を通じてだ。今現在、彼はSNSを利用していない。それは明確に、作ったものを、嘘を、皆投稿しはじめたからであった。

全ては承認欲求の為である。そしてそれが本物でない事をわかると、しかし、この世にはどこかに本物があると思うように、人はそう考えるようになるんじゃないだろうか。

 

しかし、祐介、彼もそれを非難できなかった。なぜならば彼は私小説書きであり、小説を編む上で、現実が、文字に変るとき、必ず嘘になってしまうからである。

 ともかく、香奈、彼女を守ろうと思った。

そうして書いた事を、彼は彼女に

「読んでください」

と、頼んだのである。


 そうして、香奈の評を聞いた祐介はハッとした。彼は香奈の犯した、一つ、二つの化粧品の買い物の失敗を種に、医療業界を非難するように書いてしまった事が、全然論理的で無い、という事実であった。そうして、本物、とか本当の事というのが、全く別個の所にあるような気さえしてきた。彼はこうして自身の小説に対して弁明を付すという事で許されようとした。しかし、彼はどこか、自分の書く私小説というものが、何か煮詰まってきていてこれならば、全くフィクションの小説を書く動機になるんじゃないかとこの日、思ったのであった。



 

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