表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/12

第6話 街が二つに割れた日

朝は、静かすぎた。

鳥の声がない。波の音も遠い。

空には相変わらず光の粒が満ちているのに、どこか薄く、冷たく感じられた。

灯は眠れないまま、台所の椅子に座っていた。

祖父はコーヒーを注ぎ、何も言わずに向かいに腰を下ろす。

窓の外で、街がざわめいている。

やがて、低い鐘の音が鳴った。

港の集会を告げる合図だ。

祖父は立ち上がり、コートを羽織った。

「来るな」

短い一言だけを残し、家を出ていく。

灯は少しだけ迷い——それでもコートを着て、後を追った。

港には、人が集まっていた。

漁師、商店主、観光客、教師、役場の人間、見知らぬ顔。

誰もが空を見上げ、あるいは海を見つめている。

桟橋の中央には簡易の壇が組まれていた。

そこに立っていたのは、町長だった。いつもより顔色が悪い。

横には、沢渡先生の黒い箱が置かれている。

光の粒が薄くまとわりつき、かすかに震えていた。

町長が声を張る。

「この雪は、街に災いをもたらす——」

ざわめきが広がる。

そのとき、前に進み出たのは魚屋の娘・美波だった。

「違う!」

彼女の声は、震えていたが強かった。

「災いじゃない。あれは……お父さんの船だった!」

人々がどよめく。

別の声が上がる。

「でも沢渡先生は倒れた!」

「幽霊なんて危ないに決まってる!」

「街を守るために、この雪を止めるべきだ!」

空気が割れ始める。

灯は人波の向こうで、祖父の背中を見つけた。

祖父は壇の下に立ち、静かに町長を見上げている。

そのとき——港の端に、黒い影が現れた。

雪だ。

誰も気づかない。灯だけが見ている。

雪は海の縁に立ち、じっと人々を見ていた。輪郭が薄く、今にも消えそうだ。

町長は黒い箱を持ち上げた。

「この箱に、雪の力を封じる」

ざわめきが一気に高まる。

灯は胸が締め付けられた。

祖父が、ゆっくりと壇へ歩み出る。

「封じれば、街は救われるのか」

低い声が響いた。

町長は一瞬だけ言葉に詰まる。

祖父は続ける。

「おまえたちは、救いたいのか。

それとも——忘れたいだけなのか」

風が強く吹いた。

光の粒が舞い上がり、港全体が白く揺れる。

美波が叫ぶ。

「私は忘れたくない! たとえ痛くても!」

別の大人が怒鳴る。

「子どもは黙っていろ!」

街は完全に二つに割れていた。

——封じる側。

——受け入れる側。

そのとき、町長が箱の蓋に手をかけた。

灯は走り出した。

「やめて!」

声が波に飲まれる。

祖父が振り向く。

だが、止めない。

町長が蓋を開けようとした瞬間——

黒い影が、壇の上に現れた。

雪だ。

誰にも触れられないはずの存在が、箱の上に手をかざしたように見えた。

箱が激しく震え、光があふれ出す。

町長がよろめく。

美波が息を呑む。

祖父は静かに目を閉じた。

次の瞬間——

箱は音もなく崩れ、光の粒になって空へ消えた。

港が静まり返る。

町長は膝をついた。誰も近づけない。

雪は壇の縁に立ち、ゆっくりと海を見た。

灯は人波をかき分け、雪へ向かって走った。

手を伸ばす。

だが、やはり触れられない。

それでも灯は言った。

「消えないで」

雪は灯を見た。

輪郭が、さらに薄れる。

頭の奥に声が届く。

――選んだのは、街だ。

風が強くなる。

空の光が一気に濃くなり、やがて——

ゆっくりと、薄れていく。

光の雪が、やわらかく溶けるように消え始めた。

街が、元の色に戻り始める。

美波が泣き崩れた。

大人たちは黙ったまま空を見上げていた。

灯はただ、雪の輪郭を見つめる。

雪は最後に、ほんの一瞬だけ人の姿に近づいた。

そして——小さくうなずいたように見えた。

風に溶けるように、消えた。

港には、静かな波音だけが残った。

祖父が灯の肩に手を置く。

「街は選んだ」

灯は何も言えない。

ポケットのガラス片が——粉のように砕け、消えた。

夕暮れ。

灯は一人、灯台に立っていた。

空は澄み、雪はもう降っていない。

海は静かで、遠くに船影が見える。

だが、何かが確かに変わっていた。

灯は手すりに触れ、風を感じた。

「……雪」

小さく名前を呼ぶ。

返事はない。

それでも灯は知っていた。

街が忘れようとしても——

自分だけは、忘れない。

灯はノートを開き、静かに書いた。

「光雪、消失。影の少年——確かにいた」

灯台の光が、静かに回る。

波がきらめく。

冬は、まだ続いている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ