第11話 崩れかけた冬
昼になっても、太陽は出なかった。
空は白く濁り、雪は止まったまま凍りついている。
町全体が、呼吸を忘れたみたいに静かだった。
川は流れているのに音がない。
風は吹いているのに冷たくない。
世界が——どこかで止まりかけている。
雪乃はガラス工房の前に立っていた。
白いマフラーは昨夜の雪をまだ含んで重い。
扉は半開き。
中から、かすかな熱が漏れている。
踏み入れた瞬間、空気が変わった。
天井のガラス片は揺れていない。
床のガラス粉も、きらめかない。
すべてがくすんでいた。
中央の炉だけが、低く唸っている。
灰の中に、赤い光が揺れていた。
有馬が隣に立つ。
その横顔は、どこか緊張している。
「冬が……壊れ始めてる」
雪乃は炉を見つめたまま、うなずいた。
工房の主が奥から現れた。
昨夜よりさらに小さく見える。
杖に体重を預け、炉の前に立つ。
「町は覚えている。だが人は忘れた」
老人の声は低い。
「雪は降らなくなったんじゃない。降り方を失っただけだ」
炉の奥で、赤い光が一瞬強くなる。
そのとき——
壁のガラスが、ぱき、と小さく割れた。
ひびが走り、もう一枚、また一枚と連鎖する。
天井のガラス片が、わずかに震えた。
外で、低い地鳴りのような音が響いた。
雪乃は工房を飛び出す。
町の中心へ走る。
踏み固められた雪が、ひび割れていた。
まるで氷の上を歩いているみたいに。
遠くの灯台が、異様に明るく光っている。
そこに——黒いコートの青年が立っていた。
彼は振り向かずに言う。
「時間がない」
雪乃は息を整えながら問いかけた。
「何が起きているんですか」
青年は、白い空を見上げる。
「冬が、どちらにも行けなくなっている。
降ることも、終わることも、選べない」
雪乃の胸の灯が強く脈打つ。
地面が、かすかに揺れた。
川の水面が不自然に盛り上がり、白い霧のようなものが立ち上る。
第8話で見た影に似ている——しかし、今度は巨大だった。
町全体を覆うように、ゆらりと揺れる。
有馬が雪乃の肩をつかむ。
「雪乃、あれは——」
そのとき、灯台が一度だけ鋭く光った。
眩しさに目を閉じた瞬間、雪乃の耳に声が届く。
——やさしい声。
——遠い冬の声。
「守りたいだけだった」
視界が白に染まる。
雪乃は、ガラスの少女の姿を見る。
第10話で出会ったあの子だ。
少女は静かに微笑んでいた。
だがその体は、ひび割れている。
「あなたは……間違っていたの?」
雪乃が問いかける。
少女は首を振った。
「間違ってはいない。だけど、重すぎた」
世界が再び震える。
雪乃は目を開けた。
灯台の光が揺れ、町の雪がわずかに溶け始めている。
川沿いの霧はさらに大きくなっていた。
青年が雪乃を見る。
「選べるのは、君だけだ」
有馬が静かにうなずく。
「怖くてもいい。ただ——選んでほしい」
雪乃は胸に手を当てた。
小さな灯は、確かにそこにある。
だが今は——ただの灯ではない。
町全体と繋がっている感覚があった。
風が強くなる。
雪が舞う。
霧が迫る。
遠くで、灯台のサイレンが鳴った。
長く、深く、最後の予告のように。
雪乃はゆっくりと一歩前へ出た。
白い町。
崩れかけた冬。
割れたガラスの記憶。
そして——
「私は……」
言葉が、雪の中に溶ける。
世界が静止する。
最終の夜が、静かに始まろうとしていた。




