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第1話 雪に光が混ざった夜

港町の冬は、いつも静かに重たい。

海から吹きつける風は塩の匂いを含み、街灯は揺れ、古い石畳は濡れたように黒く光っている。雪はほとんど積もらない。降っても、すぐに溶けて消えてしまうのがこの町の常だった。

それなのに――その夜だけは違った。

雪が、光っていた。

白ではなく、淡い銀色。粉砂糖のように細かく、触れるとじんわり温かい。誰かが夜空に砕いた星をばら撒いたみたいに、静かに、しつこく、降り続けている。

灯台のふもとにある古い木造の家。そこに、**あかり**は住んでいた。

十六歳。

背は高くも低くもなく、肩までの薄い亜麻色の髪をいつも無造作に束ねている。肌は白く、冬でも頬が赤くならない体質だった。瞳は灰色に近い淡い茶色で、笑うとほんの少しだけ柔らかくなる。

だが、普段の灯はほとんど笑わない。

口数は少なく、感情を声に乗せるのが下手で、何かを言う前に必ず一拍置く癖がある。その代わり、人の動きや空気の変化には異様に敏感だった。誰が嘘をついているか、誰が無理をしているか――言葉を交わさなくても、だいたい分かってしまう。

彼女は今夜も、分厚いコートを着て灯台へ向かっていた。

「――記録は怠るなよ」

家を出る前、祖父が低い声で言った。灯台守である祖父は、腰が曲がり、片目が濁っている。それでも海と空の変化だけは誰よりも正確に読めた。

灯は小さく頷いた。

彼女の役目は簡単だ。

光る雪の量と、降り始める時間を記録すること。

それがいつの間にか、彼女の日課になっていた。

灯台へ続く坂道は、風が強い。コートの裾がばたつき、髪が頬に張り付く。街の家々からは暖かな灯りが漏れていたが、その窓の向こう側にいる人々は、外の異変にどれだけ気づいているのだろう。

――雪が、ただの雪じゃないことに。

灯台の扉を開けると、冷たい鉄の匂いが鼻を刺した。階段を一段ずつ登るたび、靴底に古い木がきしむ。最上階に出ると、海が広がっている。闇に溶けた波が、ゆっくりと揺れていた。

灯は手袋を外し、掌を空にかざした。

光る雪が、音もなく落ちてくる。

掌に触れた瞬間、ほんの一秒だけ、強く輝いた。

そのとき――彼女は気づいた。

灯台の縁に、誰かが立っている。

黒い影だけの少年だった。

輪郭は人の形をしているのに、顔も服も色もない。ただ“そこにいる”と分かる存在。風に揺らぐこともなく、海の方をじっと見つめている。

灯は息を呑んだ。

逃げようとは思わなかった。怖くも、不思議と感じなかった。ただ、胸の奥がきゅっと縮むような感覚だけがあった。

「……あなたは、誰?」

声をかけると、少年はゆっくり振り向いた。

口は動いていないのに、声が頭の中に届いた。

――わからない。

灯は眉をわずかに寄せた。

「名前も、思い出せないの?」

――ない。たぶん、なくした。

沈黙が落ちた。風だけが二人の間を通り抜ける。

やがて灯は、小さく息を吐いた。

「ここは、危ないよ。落ちる」

少年は、ほんの少し首を傾けた。まるで意味が理解できないというように。

その瞬間、灯は気づいた。

彼の足元に――影がなかった。

光る雪が舞う夜空の下で、少年は確かに存在しているのに、世界のどこにも“居場所”を持っていなかった。

灯はゆっくりと歩み寄る。

手を伸ばそうとして――止めた。

触れられない。そんな予感があった。

それでも彼女は言った。

「名前がないなら……とりあえず、ここにいていい」

少年は何も答えない。ただ、静かに雪を見上げた。

そのとき、港の方から鐘の音が鳴った。深夜零時を告げる合図だ。

同時に、光る雪が一段と強く輝いた。

街全体が、まるで呼吸をしたかのように――一瞬だけ白く染まる。

灯は直感した。

この雪は、美しいだけのものじゃない。

そしてこの少年は、ただ迷っているだけの存在でもない。

彼女はコートのポケットから小さなノートを取り出し、震える手で書き始めた。

「零時。光雪、増加。灯台に影の少年を確認――」

ペン先が止まる。

灯はもう一度、少年を見た。

彼はまだ、雪を見上げていた。

まるで――忘れた記憶を、空から探しているみたいに。

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