この商人は勇者ではないが、勇者と同じくらい危険な人物かもしれない。
これがこの物語の最新エピソードです。楽しんでいただけたら嬉しいです。
その男は、剣を握らなかった。
最初から、握るつもりもなかった。
名は、蓮司れんじ。
痩せた身体。
血の気の薄い顔。
呼吸は浅く、長く走ることもできない。
生まれつき、身体が弱かった。
運に左右される人生だった。
体調ひとつで、すべてが崩れる。
努力ではどうにもならない領域が、常に彼の上にあった。
だからこそ、彼は願った。
――支配したい。
運ではなく。
偶然ではなく。
確実に。
自分の手で。
金で。
(現実を、買う)
それが、彼の答えだった。
――
新日本の成立後。
混乱の中で、多くの者が剣を取った。
ある者は戦場へ。
ある者は指揮へ。
だが蓮司は、別の場所に立っていた。
市場。
最初は、小さな取引だった。
魚をまとめて買う。
余剰の小麦を引き取る。
牛乳を保存し、別の形に変えて売る。
ただ、それだけ。
だが彼は、やめなかった。
集める。
管理する。
再配分する。
繰り返す。
やがて、人々は気づく。
「蓮司を通したほうが、安定する」
直接やり取りするよりも、
彼を経由したほうが、確実に手に入る。
食料。
それは、最も原始的で、最も絶対的な資源。
それを握るということは――
人を握るということだった。
気づいた時には、遅かった。
食料は、彼を通らなければ流れなくなっていた。
誰も宣言していない。
誰も命じていない。
だが、事実として。
蓮司は、新日本の食を支配していた。
(ようやく、基盤ができた)
彼は静かに思う。
だが、それだけでは足りない。
供給は、まだ不安定だった。
漁は天候に左右される。
作物は環境に左右される。
完全ではない。
完全でなければ、意味がない。
ある日、彼は耳にする。
空っぽ国々。
新日本と栄光の日本の間に広がる、あの奇妙な地帯。
「何もない」と言われる場所。
だが――
境界付近の土地は、異様に肥沃だった。
理由は分からない。
誰も深く調べていない。
だが、確かに作物は育つ。
(あそこだ)
蓮司は理解する。
あの土地を押さえれば――
供給は安定する。
輸送は短縮される。
生産は拡大する。
そして。
(市場は、完全になる)
自給自足。
依存しない経済。
それはつまり――
外部に揺らがない支配。
(帝国になる)
彼は、静かに決断した。
――
数日後。
新日本の広場。
人々が集められる。
理由は単純だった。
「蓮司が話す」
それだけで、十分だった。
壇上に立つ。
風が吹く。
彼は、ゆっくりと口を開いた。
「諸君」
声は静かだが、確実に届く。
「我々は、自由を求めてここに立っている」
頷きが広がる。
「だが、問おう」
わずかな間。
「自由とは、何か」
沈黙。
彼は続ける。
「選べることだ」
「そして、選ぶためには――基盤が必要だ」
視線が集まる。
「食料」
「土地」
「資源」
一つずつ、刻む。
「それがなければ、自由は幻想に過ぎない」
誰も、否定できなかった。
「今の我々はどうだ」
「不安定だ」
「明日が保証されていない」
ざわめき。
「一方で――」
声が低くなる。
「栄光の日本は、安定している」
「なぜか?」
沈黙。
「土地を持っているからだ」
断言。
「我々の近くにある、あの土地――」
彼は、遠くを指す。
「空っぽ国々」
名前が広場に広がる。
「そこは、本当に“空っぽ”なのか?」
誰も答えない。
だが、疑念が生まれる。
「もし、あそこを我々が掌握すれば――」
「食料は安定する」
「供給は止まらない」
「誰も、飢えない」
言葉は、美しかった。
整っていた。
「これは侵略ではない」
「これは、未来への投資だ」
「我々自身のための選択だ」
拍手が起こる。
最初は小さく。
やがて、大きく。
蓮司は、わずかに目を細める。
(動いた)
人は、理由を求める。
正しさを求める。
だが実際には――
動かすための「言葉」があればいい。
(あの土地は手に入る)
空っぽ国々。
肥沃で、未確定で、誰のものでもない場所。
それを押さえれば――
すべてが繋がる。
彼は壇上から降りる。
歓声は続いている。
誰も気づかない。
その中心にいる男が、
何を恐れ、
何を欲しているのか。
運に支配される人生を拒み、
金で現実を固定しようとする男。
その手は、剣を握らない。
だが――
もっと確実なものを、すでに握っていた。
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