奇術倶楽部の犯罪
チャンスは、今しかない、と牧野伸夫は思った。宝くじの交換日まで、あと二日しかない。今夜、沼田から十億円の当選した宝くじ券を盗み取れば、自分のモノとなる。そのためならば、沼田を殺害することもいとわない決意であった。
今夜は、月に一回の都内のマジキ奇術倶楽部の例会日であった。現在、合計五名のクラブ員が、顔を揃えて、それぞれが持ち寄ったクローズアップ奇術の新ネタを披露するという趣向である。そして、牧野も沼田も、この倶楽部の会員なのである。
しばらく以前から、沼田が宝くじに当選したという噂は、クラブの会員たちの間で持ちきりであった。十億円の使い道をどうするとか、どこかに寄附するのかとか色々と騒がれたものだ。そんな時、決まって沼田は、ニヤリと笑い、秘密だよ、と答えるのであった。
牧野は前もって、田沼から、こっそりと巧妙に宝くじ券の保管場所を聞き出していた。案の定、田沼は、自分がいつも身につけている財布の中に入れてあるらしい。ならば、田沼さえ殺してしまえば、財布の宝くじは容易に手に入るだろう。それだけのことなのだ。牧野は、今夜の絶好のチャンスを密かに窺っていた................。
例会は、午後の六時に始まった。場所は、都内にある某公民館の会議室であった。最初に姿を見せたのは、杉村であった。彼は、この倶楽部の部長を務める老練のマジックマニアであった。杉村部長が、会議室の準備をしているところへ、若い部員の菅野麻美子が現れて、彼の手伝いを始めてテーブルを動かし出した。用意が終わった頃に、田沼と、中年婦人の星宮由香里が、バタバタとやって来た。そして、例会に遅れそうになった頃にようやく、牧野がやって来て、車が渋滞して遅れたと詫びた。皆は、公民館のスリッパを履いていたが、牧野と沼田のふたりが、性に合わないと靴のままであった。ようやくそろったところで、皆で、テーブルを囲んで、九月の例会が始まった。最初に、杉村部長が簡単な挨拶をすると、さっそく、沼田がトランプを取り出して、隣の麻美子に一枚引いて覚えろという。言われた通りにすると、沼田は、そのカードを戻してよく混ぜ、いつの間にか、そばに置いてあったコップの下から、そのカードを取りだしてみた。麻美子が素直に驚いた。沼田は得意げである。次に由香里が、コイン奇術を披露した。左手につまんだコインにハンカチをかぶせて、サラリと引き抜くと、手のコインは、跡形もなく消えていた。皆が拍手した。しかし、牧野はそれどころではない。機会を待っているのだ。沼田がひとりになったところを、密かに襲撃するという、いかにかも、お粗末な殺人計画である。そして、その機会は、まもなくやって来た。杉村部長が紙玉と紙コップで、玉が消えたり出たりという手品を披露したあとで、沼田が、ちょっとトイレへ行ってくると言って、席を立った。それで、牧野は、外でタバコを吸ってくると口実をつけて、沼田の後に続いて会議室を出た。牧野が、トイレに入ると、沼田が用を足しているところであった。彼は、こっそりと足音を忍ばせて沼田に近寄り、背後から、近くに置いてあった金属製のモップを拾い上げて握り、力任せに彼の後頭部を何度も殴りつけた。軽い悲鳴を上げた沼田が、やがて痙攣すると、トイレの床の上で動かなくなった。
牧野は、沼田の財布から宝くじを抜き取り、その死体を引きずり、抱え上げると、奥の個室の中に押し込んで、扉を閉めておいた。そのあとで、牧野は、気分転換を兼ねて、公民館の外へ煙草を吸いに出た...................。
牧野が、会議室に戻ると、皆は、今年の年末に開催する地元の老人ホームでの奇術発表会の企画について話し合っていた。隣の席の由香里が、沼田を知らないかと尋ねてきたが、牧野は会ってないと答えておいてから、自分も企画の案について積極的に参加した。それから、何人かが入れ替わり、立ち替わりでトイレに立ち、最後に席を立った杉村部長が、いなくなった沼田を探して、個室で無残に死んでいるのを発見したのである..................。
「ほほう、奇術ですかな?それでは、皆さんは、なかなかの詐欺師の素質がおありですかな?」
この言葉には、一同の笑いが誘われた。そこで、いつものように真面目に戻って、山村刑事が、笑顔のまま、
「これは失敬しました。しかし、突然のことで皆さんも、さぞ驚かれたでしょうな?」
そこで、杉村部長が、おもむろに、
「それは驚きましたよ。何せ、発見したのが、私でしょう?びっくりしましたよ。最初は、寝てるのかなと思って、身体を揺さぶったら、頭がザックリと割れていて..................、いったい、誰の仕業なんですかな?」
「それは、これから我々が。それで、失礼ですが、この中に、彼を殺しそうな動機のある人物は、おられますかな?」
「さあ、あたしには、さっぱりと...............」
と、答えたのは、由香里であった。首を傾げている。
「あれで、なかなかに憎めない人物でしたからね。彼を殺すだなんて」
と、牧野が抜け目なく答えた。
「でも」
と、若い麻美子が、慎重な口調で、
「彼、この前に、高額の宝くじに当選したわよね。それを狙って、殺されたんじゃ?」
「ほほう?」
と、山村刑事が、興味津々に、
「そうでしたか。そんなことが。それは、十分な動機になりますな、ありがとうございます。それ以外には?」
皆が、黙り込んだ。そこで、山村が、
「では、田沼を殺すチャンスのあった人物は、どうですかな?」
すると、由香里が、
「それならば、ここにいる全員にありますわ。皆、一度は、トイレに席を外してましたから」
「ふうむ」
と、山村は、唸って、
「とりあえず、今日は時間も遅いので、またの機会に致しますかな。では、皆さんの名前と住所と電話番号をここに書いて.............」
牧野は、しばらく、宝くじに触れないように保管していた。早く処分して、足がついたら大変である。
そんなある日、牧野が、自宅の居間で、
メキシカンピラフとオニオンスープという簡単な昼食を取っていると、玄関のチャイムが鳴って、例の山村刑事が訪問してきた。彼は、あの、人懐っこい笑顔を浮かべて、
「どうも、お昼時にすみませんな。ちょっと、お話ししたいことがありましてね」
と、居間の椅子に腰掛けた。
「あのう、これは、先刻に、麻美子さんからお聞きしたんですがね」
と、意味深げに、
「沼田さんが殺されたとき、トイレに行った直後に、あなたも席を外されてますな?それは、どこへ?」
すると、牧野は、わざと思い出したように、
「ああ、そうでしたね。あの時は、無性に煙草が吸いたくなって、公民館の外へ出てましたよ、それが何か?」
「煙草を何本、吸われましたかな。覚えておられますか?」
「確か、2、3本でした。結構なヘビースモーカーでしてね、気にはしてるんですが」
「そういうことですか。なるほど」
しばらく、山村は考え込んでいた。やがて、笑顔に戻ると、
「いやあ、ねえ、ちょっと気になってたんですよ。あの夜、例会に出席したあなたが、なぜか、公民館のスリッパを履かずに、靴のままでいたってところがね。牧野さん、今、その時の靴、お持ちですか?」
牧野は、躊躇ったが、渋々、その靴を出してくると、山村に差し出した。山村は、しばらく、その靴を調べていたが、やがて、突然に、その靴底を掴むと、メリメリと剥がしてしまった。すると、はがれた靴底の中から、1枚の宝くじの券が転がり出てきた。
「やはり、ここでしたか。これ、沼田さんのものですね?いかがですか?」
牧野は、溜息をついた。それから言った。
「詳しいことは、警察の取調室でお話ししますよ。しかし、僕も運が悪い。あなたを敵に回すとは.....................」
牧野は、衣服を着替えに部屋を出ていった。残された山村は、ひとりで、手にした宝くじを眺めて、
「これくらいのもので、人を殺すとは。あまりにも、代償が大きすぎるな」
と、呟くのであった................。




