第6話ご飯は神の領域(バグ)です(上)
その日、村の広場では、かまどから美味しそうな香りが立ち上っていた。
今日は週に一度の「みんなでご飯当番」――村人たちが交代で夕食を作る日である。
「にんじん切ってくれる?」「はーい」
聖女は、畑で採れたばかりの野菜を抱え、まな板に並べていく。
人参、じゃがいも、玉ねぎ。それに麦粉で作った平たいパン。
材料は地味だけれど、みんなで食べるご飯はいつもより少しだけ楽しい。
「ふー……よし、全部切れました!」
その横では、村の主婦たちが大鍋に火を入れていた。
素朴なスープとパンだけの質素な夕食だが、村では立派なご馳走だ。
聖女は、湯気立つ鍋に顔を近づけて、くんくんと香りを確かめた。
「……うーん、なんだか、ふつう……」
彼女は木杓子を持ったまま、小さく口を尖らせた。
それは誰に向けた不満でもなく、ただの独り言だった。
「もっと……美味しくなったらいいのに。……美味しくなぁれ」
そう、つぶやいた瞬間だった。
世界律:微調整中……
祝福コード起動……『味覚進化因子』発動――
天界にて、警報のようにログが走る。
神の間にある無数の観測モニターのひとつが、ピコーンと赤く光った。
「……またか」
ソファに寝そべっていた女神・コロネ様が、片目だけ開けた。
「“またか”って思える自分が怖いわ……。てか、味覚って調整できるの? 世界、なんで反応してんの……」
モニターには、聖女が鍋を見つめている姿。
そして彼女の言葉に応じて、世界が律動し始めているグラフが映っていた。
コロネ様はごろりと寝返りながら、ため息をついた。
「味覚操作って、ガチで神の領域なんですけど……」
*
翌朝、村の畑に異変が起きた。
じゃがいもは、なぜか皮がすでに剥かれており、茹でられた状態で土から掘れた。
人参はシロップのような甘さを持ち、きゅうりは切った瞬間に塩味がついている。
「……なんか、野菜、すでに料理済みっぽい?」
村人たちが顔を見合わせる。
「このトマト……ジュレ?」「いやいや、これは……コンソメ煮込みだよ!」
誰も何もしていないのに、採れた作物が“完成品”になっていた。
その噂はすぐに村中に広まり、昼には大人も子どもも大騒ぎ。
そしてその夜の食事。
聖女が手伝ったスープは、なぜか煮込んでもいないのにとろけるような深みがあり、口の中に幸せの鐘が鳴る。
パンは、焼いた覚えもないのに外はカリカリ、中はもっちり、ほんのりバターの香り。
「……美味しい……」
思わず、誰もが声に出していた。
聖女は笑顔で「よかったです!」と嬉しそうに微笑んだ。
だが――その背後で、コロネ様は神界のモニターに拳を突き立てていた。
「いやいやいや、今からこれで感動してたら、明日には料理界が崩壊するぞ!!」
コロネ様の予感は、当たりすぎるほど当たっていた。
この小さな村から始まった“美味しくなぁれ”のバグは、世界中に広がっていくことになるのだった。