第3話 泣き虫聖女(下)
翌朝。
――観測空間、天界第七層、管理室。
「胃が……胃がもたれる……パン三個で誤魔化したけど、無理だった……」
コロネ神様は床に転がりながら、昨日の映像ログをスロー再生していた。
焼きたてパンの香りを漂わせながら、ひとり地形崩壊の余韻に浸っている。
「なんで地盤がボヨンッて跳ねてんの!? ねぇ!? 祝福ってそういう挙動しないよね!? 感情を起点とした地殻変動ってなに!?」
浮遊スクリーンには、昨晩の出来事が繰り返し映っている。
聖女の涙。地鳴り。跳ね飛ぶモンスター。
そして、奇跡のように、誰一人として命を落とさなかった村。
「助かったのはよかったよ?うん、よかったんだけど……地図の更新申請が一晩で130件超えたの初めてなんだけど!?」
世界中の精霊端末や地形管理ユニットから、軒並み修正申請が届いている。
「ここにあった小道が消えました」
「川の流れが逆になりました」
「謎の池が生まれました(温泉)」など。
世界、変わりすぎ!
──その頃、地上。
「聖女様! 本当に、ありがとうございました!」
「命の恩人です……!」
村人たちは、変わらぬ笑顔で彼女を取り囲んでいた。
まさに救世主。神が選んだ祝福者。
……でも当の本人は、というと。
「あわわわ…わたし…!?またなにか…ごめんなさいぃ……」
顔を両手で覆って、泣いていた。
「……せっかくお花、届けるつもりだったのにぃ…………お花、ふっとんじゃったぁ……」
──純粋すぎる。
悪意ゼロ。
戦う意志ゼロ。
やった本人が、最も責任を感じているという。
「だからなんで願っただけで、モンスターが地形ごと跳ね飛ぶんだよ!!!」と神様は心の底から叫んだ。
「……コロネ様。対処を?」
背後から声がかかった。
天界の補助神Aが、書類の束を持って控えめに待機している。
「はい、これ、地形補正分の申請書、村人の記憶補正申請書、あとエネルギー収支報告書です」
「多っ!? てか、“記憶補正”!? もう人間の記憶もイジらなきゃいけないレベルなの!?」
「いえ、村人たち、もう“この子が聖女様で、奇跡を起こす存在だ”って、完全に納得しちゃってるので不要です」
「え、何その現実がフィクションより納得早い現象……!?」
……すごい。もはや説明不要の理解力。
民衆の脳みそが、感動でぶっ飛んでるのか、元からぶっ飛んでるのか、判別がつかない。
そうして数日後。
聖女は、村の広場にて、再び小さな子どもたちに花を届けていた。
「はい、これあげる。泣いてると、また地面がバゴンッてなっちゃうかもしれないからね」
……本人も学習していた。
しかし、その言い回しは何かが違う。
そう。普通、「泣かないでね」ならわかる。
でも彼女は「地面がバゴンってなるから」と現象基準で話してる。
そして子どもたちも、真顔でこう返すのだ。
「うん!バゴンは怖いから、わらう~!」
「おれ、あれ見てオシッコちびったから、もう泣かない~!」
──この世界、順応早すぎじゃね?
「ちがうちがうちがう、なんかおかしくね!?祝福って、神の奇跡とか儀式を通して慎重に使うものだよね!?なんで子どもがバゴンを単位として受け入れてんの!?」
コロネ神様は、再び観測ソファに沈み込んだ。
でも──わかっている。
この世界は、何かが始まってしまったのだ。
彼女の祈りが、ただの祝福ではなく、世界の定義を書き換え始めている。
無意識で、無自覚で。
彼女はこの世界の構造に、新たな“可能性”という名のバグを生み出したのだ。
それを、奇跡と呼ぶのか。
それとも、災厄と呼ぶのか。
あるいは、ただの“優しさ”と呼ぶのか。
それは、まだわからない。
──だから、コロネ神様は今日も観測する。
パンを齧りながら、ログを覗きながら、たまに叫びながら。