第7話 言葉がふわふわ浮いて見えるんだけど……?
朝の陽が差し込む村の広場。
洗濯物が揺れ、パンの香ばしい匂いが漂い、今日も村は穏やかだった。
その中心で、ひとりの少女が空を見上げていた。
「……ねぇ、言葉って、目に見えたらおもしろいかも」
ぼそりと、聖女がそう呟いた。
その瞬間――。
「おはよう、聖女さま!」
声と同時に、その言葉が“文字”となって空中にふわふわ浮かび上がった。
『おはよう、聖女さま!』
透明な空気に、ふんわりと淡い光で映し出されたような文字が、しゃぼん玉のように漂っている。
「……えっ、いま、なにか……?」
聖女が目をぱちくりさせる間に、村の他の人々の会話も同様に――。
「この芋、デカすぎるって!」
『この芋、デカすぎるって!』
「いやあ、あの人の奥さんがさ~」
『いやあ、あの人の奥さんがさ~』
……全部、文字化していた。
「わぁ……すごい……! みんなの言葉が、空に浮かんでる!」
聖女は手を伸ばし、ふわふわ浮かぶ言葉をつかもうとした。
触れると、ぽんと弾けて光の粒になって消えていく。
その様子を、神界から見ていた者がいた。
「……出た、バグ。てか何この現象。情報だだ漏れ祭りやん」
頭を抱えたのは、コロネ神様。
神界の監視モニターには、村の全域に漂う言葉の泡が映し出されていた。
「文字化現象……っていうか、“リアル本音ログ表示モード”!?そんな機能世界に実装されてない!!」
だが世界は――実装した。
なぜなら、聖女が「面白いかも」と思ってしまったからだ。
それが、祝福か災厄かはさておき――。
──
そして、午後。村は大混乱に包まれていた。
「おまえ、そんなこと思ってたのかーッ!!」
「違うの! これは間違いで! いや、その、無意識で!」
「『ちょっと、あの人の顔がタイプ』って! なに!?どういうことだよ!?」
『ちょっと、あの人の顔がタイプ』
『昨日の夕飯、実はまずかった』
『聖女ちゃんと一緒に散歩したいけど恥ずかしくて言えない……』
言葉が、思わず出たひとことが、思考が、空に浮かび上がっては拡散されていく。
子どもが言えば、
『う◯こ!』
村中を飛び回るう◯こ。
「う◯この民度ォォォ!!」
コロネ様「だーかーら! 本音が見えるバグって! 情報保護どうした!? 守秘義務!!」
──
「聖女ちゃん……あの、ちょっと……」
広場に集まった村の青年たちが、顔を真っ赤にして聖女に視線を送る。
空には、こんな言葉が並んでいた。
『聖女ちゃんの声が好き』
『笑顔が癒しすぎて泣きそう』
『尊い』
『まぶしい……存在が、まぶしい……』
「わぁ……ありがとう。そんなふうに思ってもらえるなんて……うれしいな」
にっこりと微笑む聖女。
そしてその後ろで、
『可愛すぎて直視できん!!』
『膝から崩れ落ちそう……』
『もう推しってレベルじゃねぇ!!』
「って、ちょ、みんな!? 空に浮いてるってば!?」
青年たちが口を押さえるが、言葉は脳内からも漏れていた。
コロネ様はため息を一つ
「もうダメだ、この村。プライバシーとか幻想でしかない……」
──
夜。
騒ぎもだいぶ落ち着き、聖女はぽつんと丘の上で星空を見上げていた。
その背後から声がする。
「……ごめんなさい。僕、つい、思ってたことが浮かんじゃって……」
青年が顔を赤らめていた。空には、
『大好きです』
……という言葉が、ぽわんと浮かんでいた。
聖女はきょとんとして、それからぽつりと笑って言った。
「ありがとう。でも、私にはちょっと……その……まだよくわからないから」
その言葉もまた、空に浮かぶ。
『ありがとう。でも、私にはちょっと……その……まだよくわからないから』
青年は一礼して去っていった。少しだけ、背筋がまっすぐになっていた。
──
深夜。空には誰もいない。言葉の泡も、もう浮かんではいない。
「……なんだか、いろんなことが、見える世界だったなぁ……」
聖女は、少しだけさみしそうに呟いた。
「……やっぱり、言葉は見えないほうが、いいのかも」
そう言った次の朝、文字は消えていた。
人々の言葉は、また耳にだけ届くものに戻った。
言えなかったことは、胸の中に残り、言ったことは心に届いた。




