別府 駆け抜けた後
今回は旅行エッセイではなく、メンタル不調を当事者から見た過程を書いてます。
個人差があり、各事案で対応は変わります。
あくまで一個人の体験からのエッセイです。
メンタル不調なら、必ず専門医の診断を受け、治療を受けてくださいね。
休載のお知らせから、1年も経ちました。
メンタル治療も進み、一応先日終わったところ。
リハビリで旅行のブログを書いていきましたが、立ち止まったり振り返ったり、感情を整理しながら進めていきました。だから、凄く筆も遅くなりました。1年もかかっちゃたよ。とほほ……。
一見、旅行ブログのようにしましたが、自分的には治療の過程を旅行の記憶と重ねながら書いてみてます。
多分、最後まで読んでくれた人が興味持った事柄は、旅行ではなく「メンタルやられた人」の治療の過程とか内情だと思います。なので、その辺りも別に書いとこうかなと。簡単に、ざっくりと、私の場合で。
念の為、人によって違いますからね。育った環境も遺伝子も違うんだから、貴方の知りたい事ではないかもと思う。それでも「一つの例」として読んで、何かしら参考になれば幸い。
でも、医師ではない。あくまで経験者としての言葉ですからね。ホントに念の為。
私のメンタル、そもそも一度崩した経験があります。そこそこなトラウマもあります。
私の場合、ちょうどトラウマ再現な出来事があり、重なるタイミングで持病と年齢的にホルモンの変化もあり、それら重複して一気に不安症となりました。
が、メンタル崩し2回目(1度目は鬱)という経験が幸いして「病院行って治療した方がいい」決断は早かった……と思う。鬱や不安症は治療に早く取り組めた方が、回復の可能性は高くなるといいます。けどね、それが最初の難関なんですよ。
まずメンタルやられると自分の状況を正確に把握できない。思考停止というか、頭が全く働かなくなるので、自分で簡単な判断が出来なくなる。
外野の方々、「何で自己判断が出来ん?」と思われるのではないだろうか。分かりやすく言えば、鬱や不安症は、脳神経の怪我や不調なんですよ。脳神経が正常に働かなくて、必要な脳内物質も少なくなるし、ソレをキャッチする働きも鈍くなってるんです。
頭の中を怪我して充分に機能してない脳ミソで対応せざる得ない。すると不注意が多くなるし、簡単な暗算すらも出来なくなる。その事も「自分は駄目だ」と追い込む一因にもなる。とにかく悪循環のループにどハマリしちゃう。
じゃあ、外野から見て「この(程度の)出来事で、何で怪我するのか」という疑問。それは人それぞれだから、とよく言われるが、納得出来ない人も多い。
まぁ、私の場合の体験(患者と介護者の、両方の経験有り)から例えとして言わせてもらえば。
感情=液体を、受け止める心や意識などを『器』と仮定で想像して下さい。
『器』は、世に様々な種類がある。陶器もあれば硝子もある。同じ陶器でも磁器みたく薄く綺麗なもの、丼のような分厚いもの。硝子でもシャンパングラスの細いのから、耐熱硝子のゴッツイの。さらに木目が可愛い木製のモノ。同じ木製でも朱と黒が映える漆塗のモノ。ちょっとした食器売り場だけでも沢山ある。これらは、みんな同じじゃない。耐久性も様々。熱に弱いものや、衝撃に弱いもの。
なのに使用注意を守らず、シャンパングラスに熱湯を注げば割れる。漆塗を食洗機に放り込めば傷つく。金の縁取り陶器をレンチンすれば火花が起こる。
使用方法を守らなけば、壊れる。
想定以上の力が加われば、器は壊れてしまう。その想定は器によって様々。種類によって耐えれない力がある。逆に、硝子や陶器は衝撃がなければ使える。漆塗も手入れをしていけば、長く美しい姿で使える。つまり、人も同じ。其々の向き不向き、耐性、があるという事。「俺が耐えれたから」「私の時はもっと厳しかった」とか、そういう話じゃない。まして、その時々の体調や環境の変化も関係する。
『器』だと当たり前な使用方法を守る事、人だと出来ないんだよなぁ。頑張る人や優しい人ほど、つい無理をする。背負い込む。
だからね。メンタルを病む事は、その人の弱さではない! ましてや頑張り不足とかでもない!!
脳内神経の不調であり怪我なんだから、充分に休息を取って時間薬で癒していくしかないんですよ。
今は薬も色々出てますからね。応急処置として服薬するのもためらわないでほしい。薬で足りない脳内物質を補完しつつ、現状を正確に把握するのが第一歩。
ホントに、頭の中の怪我というのは厄介だ。ギブスでもしてたら『大変な怪我人』って分かるのにね。『大変な怪我人』には「頑張ってね」とは言わないのに、声がけで「いい加減平気だろ」とか「そろそろ動こう」とか「頑張れ」とかあるんだよねぇ。いや、充分に頑張ったからボロボロなんですわ。心配しての言葉とは分かりますが、ここは我慢。理解して戴きたい。
何度も自分を責めがちになる闘病は、孤独だ。普通の病気でも、検査結果の数字で一喜一憂する。苦痛は、言わずもがな。けど、改善されれば数字や体調で分かる。家族や介護者も、どんな介護や補助か必要か分かりやすい。
メンタルは、外から見えない。だから基本自分が心と向き合う他ない。
じゃあ、家族や介護者は何が出来るか。
何も言わず、生活出来るように衣食住を支えてくれると有り難い。起き上がれなくても、何とかカロリーが取れたら生きていける。生きてたら、明日に繋がる。明日は、起き上がれるかもしれない。だから、まず衣食住の保障をお願いします。
そしたら、認めてほしい。目が合えば笑ってほしい。笑い返せなくとも、心配とか怒ったりとかしないでほしい。ただ、ここにいさせてほしい。視線を合わせることだけで、心は精一杯なのだから。
焦らず、認めてほしい。許して欲しい。碌な対応すら出来ず、ここまで変わってしまった自分を、許して欲しい。例え貴方が責めていないと分かっていても、「許して欲しい」と懇願してしまうのだ。どうか理解して欲しい。……お願いばかりですね。でも、どうか、ただ付き添って欲しい。
もちろん、付き添い見守るということは、とても忍耐がいるし残酷なほど辛い。とても、キツイんだよ。介護者も病んでしまう事も多いからね。そこは気をつけて無理しないでね。共倒れは怖いからね。
ただ、大切な人ならば、どうか傍に心を寄り添って欲しい。
そして、本人さん。
大丈夫。付き添ってくれる人がいるのならば、貴方は素晴らしい人だ。幸運だ。これまでの人生で、真っ当に生きてきた証でもある。
もちろん、家族じゃなくとも、誰かしら居るはずだ。だって貴方がココに生きてるのだから!(もし、家族や介護者がいないなら、必ず役場に問い合わせて(関係者さんなら、勧めて取り次いであげて)。公的な補助機関や仕組みで何とかなる筈です。今まで納税してたんだから、国民の権利を行使すればいいよ。真面目に生きてきたんだから、出来るし、行使すべき。大丈夫)
こんなにボロボロまで頑張ったんだ。自信持って休め。で、自信持ってメンタルクリニック行け!
自信もって「病人なんです!」と宣言してもらえばいい! 多分、その行動が難しいんだけど、大丈夫だよ。怪我人だから、自信もって休んでね。言葉は変だが、休んで生きるのが、貴方の大事な仕事です。貴方を生かすのは貴方しか出来ない事だからね。大丈夫。
休め。人生、こんだけ休めるのは今まで頑張ったからだよ。今は人生の夏休み。グダグダしよう。
じゃあ、メンタルクリニック以外で出来ること。
もちろん、病院に行って治療はしてね! 自己判断で行かなかったり、違う治療したら酷くなるからね。 まず、診断は受けてからの話。
よく言われるけど、日光浴。
ホントにね、カーテン開けるとこからスタートしよう(説明して本人がやれるといいよね。治療を始める気持ちが、これからの過程で力になるけど無理せずに)。開けれなかったらね、すき間から手の平出すだけでもいいよ。手の平の皮膚から陽の光を摂取してね。で、手の平日光浴が出来たら、カーテン開けられるといいよね。
陽の光というのは、人間にとって想像以上に影響があるようです。日光浴は確実に変化があった。手の平から始めて、少しづつ日向ぼっこして、散歩まで辿り着けた。
もちろん、頑張って工程を進むとぶり返して疲れて動けなくなる。けど、また日向ぼっこから始めて進んでいく。だんだん、散歩も可能な体力も気力も生まれてくるから。
詳しく『脳内物質を作るナンチャラが陽の光によってどーたら』と理屈はあるようですが、割愛。
疑うかもしれませんが、これは事実。日光浴は大変に効果があります。
あと、バランスのいい食事と適度な運動。
当たり前の健康術、と言うなかれ。
頭ん中の怪我、というけど身体の1部ですからね。タンパク質大事! あと、血流というのも関係しているそうです。脳内の血流は、栄養も酸素も必要物質を運んでくれる。程度な運動で血流を良くするのも大事。先程の散歩とかで良いよ。
さほど特別な事じゃないから疑われると思う。
が、筋トレは先生に勧められて、毎回継続を確認された。
何でかなと、理由を考えましたが……筋トレをするマッチョには「筋肉は裏切らない!」「筋肉は友達!」など前向き名言も多い。マッチョは基本笑顔。前向きで良い人が多いイメージ。多分、さほどとっ拍子もない話ではないと思う。多分。マッチョ=前向き良い人健康体説。どうですかね?
さて。
ここまで勝手に書いてきましたが、最後に1つだけ。
患者さんにも介護者さんにも、言える事。
「この世界の特徴は不変なモノは何1つ無いよ。物事は変化するよ」
どんなに現状最悪でも、苦痛にまみれてても、ドン底でも、この世界に変化しないものはない。人の身体だって、心だって、変化する。
だから、変われます。
「いやいや私なんて」とか思っちゃう? ツッコんだ?
いや、変わるんだって。変わらないモノはないんだって。物質は必ず劣化するし。生き物は生まれて落ちて老化が始まる。価値観だって変わるのを、私達はコロナ禍で目に見てきたよ。オンライン化が進んで、あらゆる事が電子チケットやらQRコードでセルフで進んで対人の仕事は減りつつあるし、人による接待の価値は爆上がり中だよ。価値なんて、簡単に変わる。お金の価値すら変わるのも、歴史は証明してるし。形の無いものすら、変化するのよ。どんな社会も、環境も、取り巻く人も、人事の変更やら世情の関係で、変わってくよ。月日が経てば、同僚もクラスメイトも上司も、親戚身内すら、いなくなる。
まぁ、唯一の例外を挙げるとすれば。
時間すら越えていく「ここに私がいる」という意識ぐらいですかね? そして、その「私」の気持ちや心をどうするかは、貴方の意識次第だ。信じる心次第だ。
貴方は、自分を自由に出来る。
だからこそ、自分を大切にしてあげて欲しい。
唯一無二の貴方を、どうか大切にしてあげて欲しい。他者に向ける優しさを、敬意を、どうか自分にも向けてあげて。
大丈夫。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
どうか、心をナデナデしてあげてね。
ここで出会えたのも、何かの縁。
では、またね。
これにて、今回のエッセイは終わりです。
少しづつですが、復調してます。
また連載を開始出来るよう、色々と書いてます。
出来上がったら、またupしてきますね。