『Stay Mellow』 【1】①
気が向けば夜の街へ繰り出して、行き摺りの男と一夜限りのお遊び。それは瑞貴にとっては別に珍しいことではなかった。
本日最終の講義の終わりを告げるチャイムの音に、このあとの予定を頭の中でなぞる。
──今日はバイトもないし、久しぶりだし。やっぱ行こう。
実家を離れてこの青和大学に入学し、一人暮らしももう三年目。アルバイトはしているがサークル等にも属していない。大学で会って話す相手くらいはもちろんいるけれど、外で遊ぶような親しい友人もいなかった。一人で狭い部屋に籠るのはどうにも気が滅入ってしまうのだ。
性指向について公言はしていないしする気もない。知られたら困るのは確かだが、そもそもあの街で出会ったとしてもお互いに見て見ぬふりをするのが礼儀だろう。
身長はせいぜい平均程度で、特別小さくはないが長身でもない。普段はあまり笑顔も見せず不愛想で通っているが、ちょっと微笑んで見せるだけで男を手玉に取れる、「綺麗・可愛い」と評される顔が瑞貴の武器だ。
本当は中身に似合わないと自覚している繊細な顔立ちも、大きくはない身体も好きではなかった。それでも、使えるものは最大限に生かさなければ。
……自分自身以外に、瑞貴が持っているものなど何もないのだから。
終わったらもう顔も思い出せない男と別れて、待つ人もいない古いアパートに帰って来るのがいつものお決まりのパターンだった。一人暮らしの大学生なのだから別にオールで遊んでも誰にも咎められることもない。実際にかなり無茶をした時期もあるけれど、瑞貴は今は少し羽目を外すのは控えていた。
入学した二年前、自分のペースもわからないままに調子に乗って単位取得が怪しくなりかけたのだ。幸い早めに気づいて行動を改めたのでなんとかなったが、四年で卒業できなくなったら大変なことになる。
アルバイトで稼ぐのは生活費程度で、学費とアパートの家賃は四年間だけという約束ですべて親に頼っていた。都会の私立大学に自宅外通学している身で、留年なんて事態になったら目も当てられない。
たとえ一年でも、学費と家賃含めた生活費全額を自力で賄うのは瑞貴にはどう考えても無理なのだから。
それにしても、今日の相手は酷かった。
ひとりでアパートに帰る道すがら、思い出すだけで瑞貴は顔が歪んで来るのを感じる。
──なんだよアイツ、サイテーだ。あー、気分わりぃ!
声を掛けられて第一印象でOKを出したら、自分は酒は飲まずに核心には触れない程度の取り止めない話を交わす。いつもはその間に品定めをしていた。
いくら男同士だから相手が限定されるとはいっても、誰でもいいわけがない。もちろん見た目の好みも大切な要素だが、何よりも初めて会った見ず知らずの相手にすべてを晒すのだから最低限の危機管理は当然必要不可欠だ。
「君、一人? こんなところでフラフラしてたら危ないよ」
心配そうに、あるいは心配する振りで声を掛けて来た男に同行することにした。
──今夜の相手を探してるんだから、それでいいんだよ。
本音を口に出すことは無論ない。代わりに瑞貴は、どうとでも取れるように曖昧に笑ってみせた。それを物慣れていないからどうしていいかわからないのだと捉えるのも向こうの勝手だ。
「君そんなキレイなのに、なんで一人で? 決まった相手いないの?」
「……ん~、なかなかね。難しいでしょ」
適当に答えてはいるが、ある意味それは瑞貴の紛れもない本心でもあった。実際に自分が同性と恋愛することを恥じる気などはないが、ごくごく限られた人間以外にはオープンにしていないので身近で見繕うことはできない。
ただ今は何があったらそうなるのかの理由さえ浮かばないが、もし自分の周りで探す気になったとしても簡単に相手が見つかるとは思えなかった。まずそんな近くに同じ指向の男がいる可能性は低そうだからだ。
「まぁね。俺たちみたいなのって、まずお仲間を見つけるところからだもんな。しかもスタートラインに立てる男がいたからって、だったら誰でもオッケーなんてはずもないしさ」
「それはまぁ、そうだね」
瑞貴の内心をどこまで察したのかは不明だが、同じ指向ということもあり彼の言葉にはすんなり同意できる。
「やっぱりさ、大きな声では言えないけど見た目のバランスってあるだろ? 君くらい美人で可愛かったら、選り好みはしていいと思うよ」
褒められてはいるのだろうが、上から品定めされているように感じてとても喜べなかった。瑞貴が、綺麗だの可愛いだのと言われて嬉しがるタイプではないのもあるのだけれど。
──「君には俺が相応しい」とでも言いたいのか? なんだコイツ、自意識過剰かよ。
瑞貴自身、彼の見た目がいい方だから即誘いに乗ることを決めたのは否定しない。顔立ちそのものよりも、全体的な雰囲気や口調なども加味した上でのことだが。
これまで瑞貴は、顔だけで相手を選ぶような真似はしたこともなかった。とはいえ何の予備知識もない初対面の相手である以上、ルックスが入り口のひとつには違いないとは思う。しかしそれを鼻にかけるのはまた別問題だろう。
「……まぁ、見た目の好みもなくはないけど」
「そりゃそうだよな。俺もさ、可愛い子が好きなんだけどあんまり出逢えないんだよ。そういう子は、まずこういったところには来ないからなぁ」
──可愛い子、ね。コイツの言い方だと、顔のつくりだけじゃなく、おとなしくて言いなりになる都合のいい若いのって感じか? そりゃそういうタイプは、夜の街に一人で男探しになんて来ねぇだろ。
「ひとりでは、やっぱり来難いんじゃない?」
「かもな。それにそういう子は割と『ちゃんとお付き合いがしたい』って感じだったりするから。もっと気軽に遊びたいっていう子は、当たり前だけどなんか擦れててさぁ。いやまぁ、それはそれで楽しめるからイイんだけど」
無難に返した瑞貴に、男は身勝手な好みを語り出した。
──積極的に男引っ掛けて遊びたい奴が慣れてるのなんて当然だろ。俺みたいにな。自分で言ってて矛盾してるのくらい気づかないのか?
「……そりゃあ、ここは普通『そういう』目的で来るところだからね」
そもそもこの男の好みのタイプは一夜の遊びには向いていない、と口には出せない思いを抱えて淡々と返す。
「てことは、やっぱり君もなんだ? 意外だな、そんな風には見えないよ」
「そう、かな」
見た目と中身の印象が違うというのは、もう飽きるほど言われていた。表面的な付き合いの場で、いちいち突っ掛かる気にもなれない。
「興味本位なのかもしれないけど、気を付けた方がいい。どんな奴がいるかわからないからね」
──あー、そうだな。あんたみたいな奴がいるからな。
しかし、本当に瑞貴のことを「ちょっと冒険しに来た初心な子」だと信じているのなら見る目がなさ過ぎるのではないか? 呆れが顔に出そうになって、瑞貴は隣の彼に向けた視線をさり気なく正面に戻す。
「知らない子にいろいろ教えてあげるのって楽しいんだよな。あんまり慣れてる相手だとその辺がね」
微かに口を歪めて笑った男に、瑞貴は不快感を覚えて眉を顰めた。
──『教える』って何をどう教えるんだよ。第一、俺はお前に教えてもらうことなんか何もねぇよ。
瑞貴を何も知らない、夜の街には場違いな存在だと見做したらしく、男の態度が明らかに不遜なものになって来ている。本人は自覚していないのか、あるいは隠せていると思っているのかもしれない。ただ瑞貴も、年の割に場数は踏んでいるので騙されるはずもなかった。