その三
朝にはむっくり起きて仕事に行き、夜には飲み屋で黙々と酒を喰らい帰って寝る。休みの日には寝ているか、或いは近くの海辺へ行き、ぼんやり海を眺めて時間を潰す。誰かと談笑するでもなく淡々と繰り返される虚しい毎日。
月日ばかりがいとも容易く過ぎていくなかで、彼の傷心というのも一寸違う、つまり心にぽっかり空いた穴、痛い空白、そんなようなものはなかなか癒えそうになかった。
例の如くにしこたま酒を飲み、それでも眠れない夜もある。
そんな夜、狭いおんぼろアパートでの独り暮らしはひどく寂しい。日中の熱が室内にこもっているので、窓をがらがらと開け放ち外に遠く虫の音が聞こえるのを黙って耳にしている。
誰の句だったか、咳をしても一人、とはこんな心境だろうか。
テレビは接近中の台風の話題でもちきりだ。明日は彼の住む街も通過するらしい。彼は海沿いの街に暮らしている。台風は発達してきたそのままの勢いで彼の住む街を直撃するかも知れない。そんな時でも仕事である。朝起きて職場に向かわなければならない。行けるだろうか。いや、行きはよい。帰りである。吹き荒れるであろう台風の最中に帰宅できるであろうか。
やけに胸がそわそわする。チャンネルを他に回してみても、バラエティもなにもつまらなくて、電気を消して敷きっぱなしの万年床によろよろと寝転がる。
暗い天井に微かな月明かりで光る蜘蛛の巣をぼんやり眺めていてもなかなか寝付けない。やけに冷静になってしまう。
時計の秒針ばかりがかちかちと一秒毎に朝までのカウントダウンを繰り返している。
早く寝なきゃ。
明日も早いのだ。
まだ眠れない。
正直朝が、怖い。
このまま朝が来なければ、といつも思う。
ああ…。
気の抜けたため息が雑然とした孤独の部屋にこだまする。嵐の前の静けさだろうか、外はまだひっそりとしている。
なんだかじっとしていると寂しさばかりが募ってくる気がする。
そんなどうしようもない夜、彼はふらと散歩に出る。
下着のTシャツに下は薄いジャージを穿いてサンダルつっかけて、そっと玄関のドアを開ける。古いアパートの立て付けの悪い玄関なので、いくらそっと開けてもギィギィと苦しげに軋む音を出す。
アパートは住宅街の外れにある。だから外は空き地も多く、虫の音が四方八方から賑やかに秘かな秋の訪れを告げている。